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休日の過ごし方

「……ふむ。今日は予定が空きましたね」


 それは唐突な言葉だった。

 クェルがどんなことをしているのかはよく知らないし、実際には知りたくもないのだけど、彼女は日々を忙しく過ごしている。

 一日中部屋から出てこないこともあるし、逆に一日のすべてを怪しげな素材を集めるのに費やすこともある。

 分刻みとまではいかないけれど、悪魔使いという生き物は想像以上に忙しない。

 朝食後の落ち着いた時間帯とはいえ、予定が空いたという初めて聞く台詞を渡されて、僕はちょっと面食らってしまった。


「そうなの?」

「ええ。製作中の危ない薬は後三日ほど月明かりに当てないと完成しませんし、呪いの人形はあと一日はお香で燻す必要があるので放置で、強制的に相手を自分を恋仲にするおまじないに必要な置物はもう少しデザインを考えたいので、やらなければいけないことというのはありません」

「詳細を知りたくない情報がドサドサ出てくるから放置するけど……それじゃあ、今日はどうするの?」

「そうですね……今日は久しぶりに、お休みにしましょうか」


 お休みという言葉を聞いて、浮かぶのは純粋な疑問だった。


「悪魔使いって、休日になにするの……?」

「それはいろいろでしょう。私もほかの悪魔使いのことはよく知りませんが……人によって、趣味に費やしたり、部屋の掃除をしたりすると思いますよ」

「あー……まあ、言われてみればそうか」


 悪魔使いは禁忌の使い手であり、普通の人のようには扱われない。

 生前の思い出はなくとも、生前の知識は持っている僕にとって、悪魔使いという単語はやはり『人ではないもの』を思い浮かべてしまう。

 とはいえ、目の前にいるクェルはどう見ても人間で、それもとんでもない美少女なのだ。

 未だに拭いきれないギャップに混乱しつつ、僕は吐息した。


「ええと……じゃあ、クェルは今日はおやすみなんだよね。なにをするのかな」

「そうですね。趣味の時間にでもしましょうか」

「へええ……」


 個人的には、とても興味がある。

 クェルはいつも悪魔の研究に没頭している。それがどんな研究なのかはどうせろくでもないことなので知りたくもないけれど、クェルの趣味、というのはちょっと気になる。

 あまりにも研究熱心だから、てっきり無趣味というか、仕事が趣味というタイプだと思っていたのだけど……。


「クェルの趣味ってどんなものなの?」

「くふふ。それはついてくれば分かりますが……ファルレアも今日はお休みでいいですよ、好きなことをして過ごしてはどうですか?」

「や、僕は特にやることも思いつかないし、邪魔でなければクェルについていくよ」


 悪魔になる前の記憶を失ってしまった僕に、今のところ明確な趣味はない。

 強いて言えば料理の話になるとちょっと考え込んでしまいがちなので、生前の趣味は料理なのかもしれない、という程度だ。

 本を読むにしても、クェルの家にある本棚にはよく分からない言語で書かれている本や、明らかに普通の本屋では並べられそうにない怪しげな書物が多く、読めそうなものを漁ることがそもそも困難だ。

 では運動はといえば、悪魔の肉体は鍛えるとか鍛えないとか以前に人間よりも遥かに強靭だ。もちろんただ走るだけで楽しいという人もいるのだろうけど、僕はそういう性格ではない。


「そうですか? それでは、ファルレア。ひとつだけ頼みがあるのですが……」

「ん、なぁに?」

「お弁当の用意を、してもらえませんか?」


 金髪を揺らしてこちらを覗き込んでくるクェルは、お休みの日にふさわしく、いつもよりずっと柔らかい表情だった。



◇◆◇


「ねえ、クェル。これはなに?」

「ハーブですね。この種類のものは、乾燥させればハーブティーとして使えますよ」

「へええ……あ、いい香り。香草焼きにいいかも」

「ふむ、その手がありましたか。では、買っていきましょうか」


 気軽に決めて、クェルはいくらかのハーブを購入した。

 彼女のオフの過ごし方は、非常に女の子らしくて、思わずくすりとしてしまうようなものだった。

 町を見て回り、気になったお店があれば入り、気に入れば購入する。

 それはごくごくふつうのお出かけであり、買い物めぐりだった。


「……町を歩き慣れてるとは思ったけど、こういう趣味だったんだね」

「なにか言いました?」

「や、なんでもないよ。次はどこに行くの?」

「そうですね……あそこのお店なんかどうでしょう。あなたに似合いそうな服が置いてあるんですよ」


 独り言は喧騒に紛れて、彼女の耳へは届かなかったようだ。

 クェルと町を歩いているときに随分と買い物上手だと思ってはいたけれど、元々買い物が趣味だったらしい。

 正体を隠す意味でフードを外すことはできないけれど、それでも前を歩くクェルの足取りは軽く、楽しそうだ。

 なんだかんだといろいろと買ってしまい、町外れで休憩する頃には大荷物となっていた。


「思った以上に買ってしまいましたね……持って帰るのが大変です」

「これくらいなら、僕が持てるよ。それと、そろそろお昼の時間じゃないかな。食べれば荷物は少し減るよ」

「減るというか、お腹に入るだけですが……まあ、そうですね。そろそろお弁当にしましょうか」

「うん。じゃあ、そこにでも座ろっか」


 たくさんの買い物を終えて少しだけほくほくした顔のクェルを促すと、彼女は素直に近くのベンチへと腰掛ける。

 そう大きくはないベンチだ。恐らくは住人が少し休んだり、世間話をするためのものだろう。サイズ的に、僕が腰掛けるのは自然と彼女の隣になる。


「気に入るといいんだけど……はい、どうぞ」


 取り出したお弁当は、小さめのバスケットがふたつ。

 片方は卵とポテトのサラダや、スライスしたきゅうり、ベーコンなど。合いそうな具材で適当な料理を作り、パンに挟み込んだサンドイッチ。

 型崩れを防止するためにバスケットに隙間なく詰めてあるので、量も充分だ。

 もう片方には鶏肉の揚げ物やきのこ類の炒め物、蒸し野菜など、冷めても美味しいおかずを詰めてある。

 お弁当の中身を眺めて、クェルは感心したように、


「美味しそうですね……」

「最近はクェルがいろいろと調味料を買ってくれるから、こういうのも作れるようになったからね」


 最初こそ塩と胡椒と油くらいしか無かったのだけど、ここ最近は調味料が充実してきている。お陰でレパートリーも増えたので、いろいろな料理を出せるようになってきた。

 お茶の入った革袋の水筒を取り出しつつ、クェルにフォークを渡す。

 上機嫌な様子で、クェルは蒸し野菜を口に放り込んだ。


「ん……美味しいです」

「それはよかった」

「最近は、ファルレ……フェリオのお陰で、食事の時間が楽しみに思えます。昔は食べられれば良い、程度しか考えていなかったのですが」


 言いかけた本名を偽名に直し、誤魔化すようにしてクェルはサンドイッチを頬張る。

 ぺろりと唇の端についたゆで卵の欠片を舐め取る仕草は、相変わらず見た目に似合わないくらいに色っぽいけれど、食事の美味しさに目を輝かせる姿は年相応の少女に見える。


「それなら良かった。ご飯が美味しいと、気持ちが豊かになるから。……ところで、クェルの趣味ってお買い物だったんだね」

「ええ、まあ。ふつうの趣味で驚きました?」

「うーん、ちょっと驚いたかな。女の子らしいなって思ったよ」

「む……そう、でしょうか」


 クェルはこちらの言葉に、やや面食らったようだった。

 彼女は翡翠の瞳を少しの間だけ、迷うようにさまよわせ、それから言葉を作る。


「……元々、悪魔使い(わたしたち)は高額で違法な品物を取引することも珍しくありません」

「うん、そうだろうね」

「ええ、そしてその際、交渉のスキルは役に立ちますし、物の値段を正確に把握することも大切になります」

「……そうやってしているうちに、買い物そのものが楽しくなってきた?」

「……そういうことです」


 いつものようにくふふと笑うこと無く、どこかぶっきらぼうに息を吐き、クェルは認める。もしかして、ちょっと恥ずかしいのだろうか。


 ……色んな表情が見えるようになったなぁ。


 始めこそ、クェルは悪魔使いとしての残忍な顔と、どこか年相応ではない妖しい微笑みばかりを覗かせていた。

 けれど、やはり彼女も心のある人間なのだ。機嫌が悪いときもあるし、良いときもある。悪いだけかと思えばそうでもなく、年相応に可愛らしいと思える部分もある。

 悪魔使いとして自信たっぷりに笑う彼女も、食事の美味しさに微笑むクェルも、今のようにどこか拗ねたようにも見える態度を取る彼女も、どれも間違いなくクェルという人間なのだ。

 どれが本物かではなく、どれも彼女が持っている一面なのは間違いない。

 悪魔にされてしまったことや、彼女のこと。思うことはたくさんあるし、良いことばかりではないとも思っているけれど。

 今こうして目の前で笑ってくれるクェルが思わず見入ってしまうくらいに可愛いらしいことは、否定できない。


「……ふふ」

「ん……なんですか、フェリオ?」

「ううん、なんでもないよ」


 適当にお茶を濁して、僕は自分の分のサンドイッチを手に取った。

 作ったときに具の味見はきちんとしているので、味は保証済みだ。予想通りの味に満足して、よく噛んでから飲み込んだ。


「クェル、お茶は――」

「――んっ」

「……!?」


 お茶を渡そうとしたところで、唇が塞がれた。

 唇の感触は、間違いなくクェルのもの。

 何度重ねても柔らかくて、気持ちよくて、どこか甘ったるい彼女からの口づけ。つい水筒を取り落としそうになってしまった。

 すがりついて貪るようにしての口づけは激しく、ぴちゃ、という水の音が響く。

 思わず押しのけそうになってしまったけれど、それは少女の柔らかな肉体に触れてしまうということだ。


「んっ……ふぁ、ん……だめ、ですよ……」

「う、む……」


 たしなめるようにぺしんと手を叩かれて、僕は抵抗を諦めた。

 元々、嫌だとは思っていないのだ。それを見透かされたような気がして、なんだか恥ずかしい。


「ぷはっ……」

「ん……あ、あの、クェル……」

「お弁当の対価です。それと……」

「……それと?」

「……女の子らしいと言われて、悪い気はしませんでしたから」

「そ、そう……?」


 つまり今の口づけは対価以上の意味が込められているということになる。

 けれど、それならそうでふつうにお礼を言えばいいのに、直接的というか、不器用というか。

 頬が赤いのは、照れ隠しか、酸素が足りていないのか。


「くふふ」


 唇を離したクェルはもう、いつも通りの微笑みで。

 やはりこれも、彼女の一面なのだと思った。

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