深夜、揺れるあかりと
「……どうして悪魔を使うか、ですか」
夜が深まってきた頃。私はひとり、彼から言われた言葉を考えていた。
もちろん、悪魔使いになった理由はある。それは私だけでなく、ミルフィにも、それ以外の悪魔使いにもあるだろう。
なにせこの世界では悪魔は使役するだけで重罪。扱いは大量殺人犯や、国家転覆を企てる逆賊のようなものだ。たとえ、そのときなにもしていなかったとしても、息をしているだけで罪になる。
歴史を紐解けば、教会がいかに悪魔と長く争ってきたか、その中で何度も大きな戦いがあったことを知ることは容易だ。たとえ貧困などを理由に学び舎に通えないものであろうとも、親や兄弟姉妹が悪魔の危険性を教えている。
つまり普通に生活していれば、悪魔がどれだけ危険なものか、その文化に触れればどうなるか、刷り込みのように教えられるということ。
手を出せば許される道のない重罪。それを知っていてなお悪魔の力を使うということは、それ相応の理由があるということだ。
「旧き契約に基づき、フェルの名において命じます。少しだけ、風を取り入れなさい」
黒鉛で描いた方陣に、そっと語りかける。それが契約の完了を示す言葉だ。
風を操る低級の悪魔。これくらいなら簡単に喚び出して、その恩恵を授かることができる。
窓をあけることなく、ひゅうと冷たい風が部屋を満たした。灯っている蝋燭の明かりや、積み上げた紙束を吹き飛ばさない程度の微風。もちろん、私の側で眠る彼も、起きることはない。
「対価はいつもどおり、ミカヅキイラクサの葉です。持っていきなさい」
言葉もまともに発せず、存在も固定できないほどの低級悪魔だけど、報酬はちゃんと必要だ。それが悪魔召喚のルールなのだから。
そしてこの悪魔は何度も喚び出したことで、お互いになにが必要なのかを心得ている。
方陣へと散らすように落とした葉が、ずるずると方陣へと沈んでいく。悪魔への供物として、別の世界へと引き込まれていくのだ。
呼び出した悪魔が元の世界へと帰っていく気配を感じて、私はため息を吐いた。
「……まあ、便利ですからね」
今のは窓を開ければ済むことだけど、そうすると葉っぱや虫が入ってきたり、強めの風が吹いたときに室内が面倒なことになる。
この方法ならそれはないし、雨のときにも気軽に使える。より便利な手段を使うことは、ごくごく当たり前のことだ。
もしも悪魔召喚よりも手軽で、より大きな効果をあげられるものがあるのなら、おそらく私は悪魔使いにならなかっただろう。
つまるところ、私が悪魔を使役する一番の理由は、『その方が便利だから』という程度にすぎない。
より簡単に、より強い力を得られる。短絡的と言われようとも、その方法があって使わないということは、私にとってはひどく愚かしいことに思えるのだ。
「実際のところ、正しく使うには知識が必要なのですが……それは爆薬や刃物も同じです」
そう。扱い方を間違えれば危険なのは同じ。
だとしたら、『正しい知識を持ったものが悪魔を遣ってなにがいけないのか』。
そう考えてしまったからこそ、私は悪魔使いとして生活している。
たとえ悪魔使いが外法でない世界だったとしても、私は悪魔使いになっただろう。
それが私、クェル・フェル・エルという人間だ。
「……貴方は、どういう人間だったんでしょうね」
こぼした言葉に、明確な答えは返ってこない。青髪の青年はベッドの上で、すやすやと寝息を立てている。教会に近づいてしまったこともあって、疲れているのだろう。
もちろん私も、返答を期待したわけではない。語りかけるような口調になってしまったけど、実際はただの独り言だ。
起きていたとしても。彼自身に記憶が無いのだから、元々これは無意味な言葉だ。疑問をしまい込むようにして、私は深く息をする。
意識を傾けるのは、古くなった紙と、蝋燭の香り。どちらも多くの悪魔が好むものなので、彼の安眠にもいいだろう。
ファルレアという名前も、身体も、力も。すべて私が後付けで与えた造り物。
だからこそ、彼が始めから持っていた部分――心について、私はいくらかの興味がある。
それは彼が生前に持っていたもので、つまり、彼の根幹だ。私は能力の設定はしたけれど、性格の設定はしていない。
つまりあの気弱で優しく、ちょっと押しが弱くて可愛らしい性格は、彼の元々の性格ということだ。
「……人間くさいのですよね」
当たり前のことなのだけど、そう思う。彼は元が人間で、悪魔になってもその認識が大して変わっていない。だから今日、大きくショックを受けて帰ってきた。
一時と比べて精神も存在も安定しているようだけど、きっとこれからも、彼はこのギャップに苦しむことになるだろう。
人間として良識のある思考を持ちながらにして、もはや自分は人間ではないということ。むしろ人間にとっては害悪と呼ばれる存在になってしまったこと。
それをしてしまった自分が評価するべきではないのかもしれないけれど、それは、きっと。
私のように良識の欠けた悪魔使いではなく、おそらくはただの人間として生きてきた彼にとって、とても辛いことなのではないだろうか。
「だとすればどうして……あなたは私を責めないのですか?」
憎まれても仕方ない。むしろそうあって然るべきだろう。
もちろん憎まれたところで契約が変わるわけではないけれど、彼の境遇を考えれば、私のことを嫌いになってもおかしくはない。
なにか特別な理由があるというふうでもないし、単純に彼が底抜けにいい人だということだろうか。
だとすると、ひどくやりづらい気持ちが私の胸を満たす。
憎むでも恨むでもなく、ただ諦めて、ああして心を痛め続けるのだとすれば。
こちらとしては謝ることはおろか、開き直ることだってできないのだから。
「……むむ。いけませんね。これは私らしくありません。実に悪魔使いらしくない」
悪魔使いはそんなことを気にしない。他人のことなどどうでもいいのが悪魔使いの基本だ。
そもそも悪魔召喚というシステムも、別の次元に存在する住人を、代価を払うとはいえ無理矢理にこちらの世界へと引っ張ってくるというものだ。
他人のことを気にして、悪魔使いがやってられるものか。
「くふふ。忘れかけていた私の罪悪感を煽るなんて、なかなか悪い男ですね、ファルレア」
冗談めかして言葉を作って彼の鼻を押さえると、ふが、と美青年らしくない声をあげたので多少気分がすっきりした。
揺らぎかけた気持ちを消し去るように、ゆらりと揺らめく蝋燭の火を吹き消してしまう。
静寂が支配する室内から明かりが消え、完全な暗闇が落ちる。
急激に光を失うことで、ある程度明かりに慣れた瞳はほんの少しだけ闇に眩む。しかし視界が潰れたところで、あとは眠るだけだ。倒れ込むようにして、シーツに埋まった。
ここ最近で混ざったもうひとりの匂いと体温を感じながら、私は瞳を閉じる。
恐らくはファルレアの正体はバレていない。帰ってきた彼の外套に施した偽装は外れていなかったからだ。
あれは『隠す』という能力を持った悪魔の恩恵を授けた特別なローブだ。あれが無事ということは、偽装は完璧ということ。
もちろん教会の上位クラスには、悪魔の秘匿ですらも見破れるものもいるだろう。けれど、あの町は大都市というわけではなく、当然ながらそこにある教会も町の規模に見合ったものだ。
だとすれば所属している神父も、そこそこの位といったところだろう。見られたとしても、遠目からならまず間違いなくバレてはいない。
「……一応様子見はしますが、きっと大丈夫ですよ、ファルレア」
打てる手はこちらで打っておく。
それでももし彼のことが知れてしまったら、そのときはこの地を離れるだけのこと。
悪魔使いは元々、どこにいっても安住の地がない根無し草。自分の正体がバレた時のための備えはいつだってしている。
隠れ家のひとつやふたつは惜しくはない。必要最低限の荷物を持って、あとは破棄すればいいだけだ。
眠っている彼には言葉が届かないと分かっていても、私は彼の手にそっと指先を添えて、意識を眠りに落とした。




