第0話 プロローグ
地鳴りのような猛々しい轟音をたてる土砂降りの中、いつもより長く感じさせられた家までの道のりを辿り着いた少女は、襲い掛かる豪雨から逃げる様に玄関へ飛び込んだ。
水浸しになり、雨粒で跳ね返った泥を一早く落としたい衝動に駆られながら、少女は気怠そうに言った。
「ふぅ~。ただいまー。」
『ザァァァァァァァ・・・・・』
返事がない・・・・・。外の激しい雨音で、居るはずの母に届かなかったのだろう。そう思った少女は母の存在を確認するようにもう一度言った。
「?ただいまー?」
『ザァァァァァァァ・・・・・』
一度目より大きな声で発声したはずなのだが、やはり返ってくるのは弾丸の様に家の屋根や外壁を打ち付ける雨粒の音だった。
返事の無いことへの不安を、更に雨の轟音に駆り立てられた少女は、語気を強くしもう一度言った。
「ただいまってば!!ねぇ!おかあさん?なっちゃん、のんちゃん??」
『ザァァァァァァァ・・・・・』
やはり返事はない。いつもならすぐにお母さんのおかえりなさいが聞こえてきて、可愛い双子の妹たちが出迎えてくれるのだが、これだけ呼び掛けて物音ひとつしないリビングを不審に思った少女は、泥水にまみれた衣服など気にも留めず、その扉を開いた。
少女の感じ取っていた不穏な雰囲気は、最悪の形となって鎮座していた。それは想定していた最悪の状況を更に更に上回り、少女の中の最悪と言う概念を強く黒くより濃いものに塗り替えた。
扉を開いたその先には、変わり果てた両親のような物が。四肢を付け根から引きちぎられたように切断され、大きく開きすぎた口に無理矢理挿入された二体の肉塊が、まさに、その場所に鎮座していた。
いつも母親が綺麗にしている床や壁や天井は、少女の衣服に飛び散っている泥水と同じように、激しく飛び散った血液や内臓で赤黒く染まっていた。
「きゃああああああ”あ”あ”あああああ”・・・あ”あ”・・・あ”・・・」
自分の中に存在しえない情報を一身に浴びた少女は、それを処理し理解すべく出来得る限り頭を回転させたが、その負荷に耐えられず気付かぬところで絶叫していた。
・・・・・おかしい。何度あの肉塊を見直してみても両親の顔にしか見えないのだ。そうだ、きっと自分の頭がおかしくなったのだ。
そう思った少女は自分の頭を柱に何度も、何度も何度も何度も何度も打ち付けた。
ひとしきり頭を打ち終えた少女は、痛みの引いていく中で家にいるはずだった双子の存在を思い出した。少女は焦燥と不安と悲痛の入り混じった声で叫んだ。
「なっちゃんっ!!!!のんちゃんっ!!!!どこ!!!!どこにいるの!!!!」
しかし双子の返事もない。
少女の心は、またも先ほどと似た忌避感を感じ取っていた。
焦る胸とマヒしていた感覚が蘇り、割れるような痛みに襲われる頭を抑えながら二階へと駆け上がった。
二人の部屋の前に着いた少女は、もう一度呼び掛けた。
「なっちゃん!!!!のんちゃん!!!!いるなら返事してよ!!!!」
変わらず返事は無い。
これだけ大きな声で叫んでも依然静寂を守っている部屋の向こうからは異様な雰囲気が漂っていた。
いつの間にか降りやんでいた土砂降りによって、その静寂が少女の狼狽しきった精神を深く深く蝕んでいく。
その異様な雰囲気からは全身に油を浴びせられるような底の無い不快感と、身体中の穴という穴に粘土を詰められたような息苦しさを感じた。
そんな雰囲気に耐えられなくなった少女は、半ば蹴破るように扉を開いた。
『ゴツッ』
勢いよく開いた扉のすぐ近くに何かが落ちていた。すぐに足元に視線を落としたが、落ちていたのは双子のランドセルだった。
安堵した少女は正面を見た。その瞬間に少女はまたも頭の中をかき乱される。
そこにあったのは二人であったはずの一人の遺体だった。二人だった遺体は、頭頂部から下肢部まで真っ二つに切断され、二人それぞれの右半身と左半身が巨大なホチキスや紐で縫合されていた。
「なんで・・・なにが・・・・・二人は・・・一人・・・・・?違う・・・・・違う…違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う…違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う…違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う」
そんな惨状を目の前にし理解することを放棄した少女はただただ絶句していた。そんな少女にも、惨殺死体となり果てた家族たちがその臓器を活動させ、その身に生命を宿らせ、それを失う最後の瞬間に訪れたであろう災厄が降りかかろうとしていた。
しかし、処理しきれない悪感情に心を圧し潰され思考を停止していた少女には、その男が放つ異様な気配と沁みついたヒトの独特な死臭に気付くことは出来なかった。
「ぃぃぃいいいいいいやぁあぁぁぁぁぁぁぁあ”ぁああああ”あ”あ”ぁ”ぁ”ぁぁぁぁぁぁ”ぁ”ぁ”ぁ”」
つい先程までの豪雨の如く、空間を劈くような悲鳴が鳴り響いた。