気がついたら雨の中でした
少し強引に話を持っていってしまいました。
ーーーミカエルSIDEーーー
「…………。」
ミカエルは1人、図書室にいた。しかし、図書室にいるというのにその手に本はない。ミカエルは椅子に腰をかけ、本棚に並べられた本を眺めている。
「…………。」
ミカエルは考えていた。先ほどブラフマーからの念話で伝えられたこと。
「……イヅナを……殺す。」
そう、ミカエルの友人であるイヅナを殺せ、とブラフマーから直々に命令を受けたのだ。
ミカエルはこの命令を受けたとき、体が固まった。まるで、何かに締め付けられるようなそんな感覚だった。
「……ブラフマー様……命令は絶対……。……でも……イヅナは……私の……うっ。」
イヅナのことを考えれば考えるほどに、胸に違和感を覚えた。そして、その違和感がついには痛みとなって現れ始めた。
「……痛い……何で。」
ミカエルは胸を押さえながら、ゆっくり立ち上がった。
ブラフマーの命令は絶対。その言葉がミカエルの体を動かす。
「……イヅナを……殺す……私が?」
混乱する思考。足はもつれ上手く歩くことが出来ない。
何とか、図書室から出たミカエル。しかし、そんなミカエルを襲う胸をえぐるような痛みはさらに強さを増す。
「……あっ。」
ミカエルは体を支えきれず倒れる。しかし、その体が地面にぶつかることはなかった。
ミカエルの体が倒れる前に誰かによって支えられたのだ。
「ミカ、大丈夫ですか?」
「……!」
ミカエルの体は再び、硬直した。手が震え、体に力が入らない。
ミカエルは何とか口を動かし、言葉を発した。
「……イ……ヅナ。」
今この瞬間、最も出会いたくなかった存在。ミカエルはイヅナの手を振り払い、距離を取る。
「ミカ?どうしたんですか?」
「…………。」
イヅナと話したくない。近づきたくない。ミカエルは自分がそう望んでいることに気づく。
イヅナと近づけば近づくほど胸が痛くなる。理由はわからない。だからこそ、自分の知り得ないこの痛みに触れたくない。
ミカエルはイヅナを背に走った。
「ミカ!」
自分を呼ぶ声が聞こえたが、それでも足は止まらない。
ミカエルは一心不乱に走る。転んでも、ぶつかっても、構わずに走り続けた。
そして、気づくとミカエルはあの噴水の目の前まで来ていた。イヅナと出会ったあの噴水に。
「……イヅナ……私は……あなたが。」
ミカエルはその場にしゃがみ込んだ。腕で自分を包み込む。その様子はまるで何かから自分の身を守るようだった。
痛みに襲われ、友人から逃げ、1人寂しくしゃがみ込むミカエル。そのとき、まるでミカエルの奥底を表すかのように雨が降り始めた。
「……やだ……やだ。」
ポツリ、ポツリと降る雨。ポツリ、ポツリと呟く声。しかし、その声は降り注ぐ雨に打ち消され、響くことも、届くこともない。
雨はミカエルを飲み込む。
雨降る噴水。そこには雨音の中に潜む、悲しみがあった。
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ーーーイヅナSIDEーーー
「ミカ!」
俺は走り去って行くミカエルを呼び止めようと声をあげた。しかし、ミカエルはそんな俺から振り向きもせず逃げて行った。
「ミカ…。一体どうしたと言うんですか?」
思わず俺は口に出していた。それほどまでに心配になった。先ほどのミカエルの表情、今までに見たこともなかった。そう、あれはまるで…。
「苦しんでいるようだった。」
一体何があったのだろうか。どうして、逃げて行ったのだろうか。
俺はミカエルが去って行った廊下を見つめながら、考える。
「あっ。」
そのとき、窓に当たった雨粒が音を立てながら弾け始めた。
その音になぜか俺は切なさを感じたのだった。
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次の日も雨は止まなかった。それはまるで昨日の戦いで流れた血を流しているようにも見え、また、誰かの心の内を見せられているように見えた。
現在、俺は寮にいる。本来ならば学園に行っている時間だが、昨日の襲撃のことがあり、急遽休みとなったのだ。いつもならばこの与えられた休息を喜ぶのだが、今はそんな気分にはなれない。
俺は昨日のミカエルの件以降、窓に当たる雨を見つめながら上の空といった感じだ。
「イヅナ様。昨日からずっとそんな調子ですね。」
俺の様子を見ていたアスモデウスが声をかけてきた。
「ん?そうだな。」
俺はそれに適当に応える。
「つまんなくないですか?」
「そうかもな。」
「そんなものよりも私の色気たっぷりの体を見た方が良くないですか?」
アスモデウスはそう言っておもむろに肩を出し始める。
「そうかも……って何言わせようとしたんだ。」
危うくそのままの流れで、そうかもな、と言ってしまうところだった。
「ちっ。」
「おい、今舌打ちが聞こえたぞ。」
「それはきっとイヅナ様の耳が異常をきたしてるんですよ。早くお医者様に診てもらうべきです!」
「…………。」
アスモデウスの言葉にイラっとしながらも、日常に成りつつあるこんなやり取りに思わず笑みがこぼれた。
「イヅナ様、やっと笑いました。駄目ですよ。あんな顔したら。せっかくの可愛い顔が台無しです。」
どうやらアスモデウスは気を使ってくれたらしい。何ともお節介でありがたい付き人だ。
「可愛いはともかく、気を使ってくれてありがとな、アスモデウス。」
「まあ、何たって私はイヅナ様の恋人ですからね。もっとお礼を言ってくれても良いんですよ。」
アスモデウスは自信ありげな顔だ。
「付き人な。それよりもアスモデウス、今日はルネのところに行かなくて良いのか?」
「あ、はい。ルネは昨日、動けなくなるまで訓練してしまったので、今日はルネのところに行っても何も出来ないんですよ。だから、良いんです。」
「そうは言っても、見舞いくらい行ってやったらどうだ?」
ルネもその方が喜ぶだろう、と思いながら俺は言う。しかし、次のアスモデウスの言葉に俺はその考えを捨てようか少し迷った。
「そうは言っても最近はイヅナ様と一緒にいる時間が少なかったですからね。」
アスモデウスは俺のそばにより、耳元で囁いた。
「一緒にいたいんですよ。」
「……そうか。」
俺は少しだけ、ドキッとなった。もう少しルネの見舞いのことを言おうかと思っていた口も自然と閉じてしまった。
そして、俺とアスモデウスは言葉を交わすことなく、部屋の外を眺めた。澄ました耳には雨の音だけが聞こえる。
しかし、そんな雨の音を聞きながらやはり俺はミカエルのことを考えてしまう。彼女にどう接すれば良いのか、言葉を交わすべきか。
そうして、俺が悩んでいると、突然頭を叩かれた。アスモデウスの仕業だ。
「急に何だ!」
俺はアスモデウスに少しドスの効いた声で言った。そんな俺にアスモデウスは口を開く。
「イヅナ様と一緒にいたい、と言いましたが、今のイヅナ様とは嫌です。こんなに近い距離にいるのに、とても遠くにいる気がします。」
「…………。」
少しの時間で気持ちが変わり過ぎだと思いながらも、俺はアスモデウスの言葉が的を得ていると感じた。
ミカエルのことしか考えていない俺。そんな者と同じ空間にいても、距離感を感じてしまうだけだ。
そんなことを考えていると、俺はふっとあることを思った。
今のアスモデウスが感じていること。これに似たことがミカエルにも言えるのではないか。
近くにいても、心を感じられず、寂しさを感じたアスモデウス。
俺の気持ちは向いていても、遠く離れ、その気持ちが届くことのないミカエル。
「はあ〜。全く、イヅナ様は基本的には賢いですけどこう言ったときは駄目ですねえ。良いですか?イヅナ様は……。」
俺はアスモデウスの口を押さえた。やるべきことは決まったのだ。
「んぐ?」
「わかってる。要するに俺はこんなところで考え込んでる場合じゃない、そういうことだろう?」
俺はゆっくりとアスモデウスの口から手を離す。手が離れ、見えたアスモデウスは俺に微笑んでいた。
「そうです。わかってるじゃないですか、イヅナ様。」
「流石に何度も同じようなことを言われて来たしな。」
俺は窓から目をそらし、扉に向かって歩き始めた。
「それじゃあ、行ってくる。」
「はい、行ってらっしゃい。」
俺は扉を開き、走り出した。
向かう先はただ1つ。彼女のもとだ。
会ってどうするか?何を話すか?そんなことは考えていない。しかし、悩んでいる友人のそばにいれないことなど会ってはならないのだ。
理屈も何もない。ただ、今はそばに居てあげなければならない。それが友人である俺の役目であり、彼女の心を取り戻すためにしなくてはならないことなのだ。
「ミカ……今、行く!」
校舎には休日になった為だろう、生徒の姿はなく、いつもの賑やかさはない。
静かな校舎には足音と、窓を打つ雨音だけ響いていたのだった。