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壱、雨に狂う

壱、雨に狂う


 ぽつり、と頬に伝った冷たい滴に、夜雨(よう)は忌々しそうに空を見上げた。

 先ほどまで、夜空を彩っていた満点の星は、分厚い雲によって姿を隠しており、代わりに振り始めた雨が、じわじわと体温を奪っていく。

 濡れた所為で鼻が利かなくなってきた。

 頼れるのは痛いくらいに雨音を伝えてくる聴覚と残り僅かな妖力だが、それも時間の問題だ。

「くそったれ」

 思いっきり蹴り飛ばされた脇腹を撫でながら、夜雨は舌打ちを零す。

 先刻まで喧嘩をしていた相手――父親の顔を思い出すと自然と眉間に皺が寄った。

 喧嘩の理由が何だったかも思い出せない、そんな些細な小競り合いが大きくなり、遂には離れが一つ吹き飛んでしまった。

 最終的には母の氷礫が飛んできて、痛み分けになったが、頭を冷やして来いと母屋には入れてもらえなかった。母に逆らうとあとが怖いことは、子供の頃からよく知っている。仕方なく、外に出てきてみれば、先ほどまで晴れていた夜空が牙を剥く始末。――何だ今日は、厄日か、と思わずにはいられなかった。

「……寒い」

 雨が触れたところから、熱が奪われていく。

 身に着けていた灰色の着流しは元の色が分からなくなるほどに濡れてしまっていて、黒と言ってもおかしくない色合いになってしまっていた。

 身体は痛いし、冷たいし、服は濡れ放題。数え役満にもほどがある。自嘲気味に口元を歪ませたときだ。――背後でカラン、と下駄の音が鳴った。

 耳を澄ませていたにも関わらず、すぐ後ろからそれが聞こえてきたことに夜雨は驚いた。

 カラン、コロン、と尚も可愛らしく雨音と共に響く下駄の音に、夜雨の眉間に濃い皺が寄る。

「……大丈夫ですか?」

 下駄の音が止まったと思えば、今度は鈴を転がしたかのような美しい声が鼓膜を震わせた。

 驚いて、伏せっていた顔を上げるほどに、その声は美しく、夜雨はしまった、と顔を歪ませる。どこの誰とも知らない者でも、弱っている今の自分の状態を見られるのは、彼の矜持が許さなかったのだ。ぐ、と奥歯を噛み締めながら、見上げた先。

 そこには一人の少女が立っていた。

 珍しい銀の髪が、暗闇の中、行燈に照らされてきらきらと反射している。宛ら星が流れてきたかのような輝きに夜雨は思わず瞬きを繰り返した。

「何してはるんです? こんなところで」

 星の河のような色をした髪の隙間から、真ん丸な翡翠の目が二つ。心配そうな色を滲ませて夜雨を見ている。

「え、」

「どっか打ちはったんですか? そないなところに座って……」

 どうやら怪我でもして座り込んでいると思われたらしい。

 少女は徐に座り込んだかと思うと、夜雨の腕や足に触れて怪我がないか確かめた。やがて、怪我のないことを確認すると、少女は呆れたような顔つきになって夜雨を睨んだ。

「めっちゃ冷えてるやないの! 阿呆ちゃうか! 一体いつからここで居るんです!!」

「……ここに来たとき、まだ星が出ていた」

「星が見れたってことは亥の刻か……。さっき、丑の刻になったとこやからって、阿呆か!!」

 ごんっと鈍い音と共に頭頂部に痛みが走る。

 拳骨を落とされたのだと遅れて気が付いた夜雨に、少女が目くじらを立てて言った。

「うち、旅館やから温もっていったらええ。……そこでおられたら、お客さんにも迷惑かかるよって」

「は」

「ほら、立って」

 差し出された生白い手に、夜雨が戸惑っていると、少女が半ば無理矢理に夜雨の手を取った。それから、迷った末に弱い力で握り返してみると、一瞬だけ震えた彼女の手が、少しだけ可愛いと思ってしまって、心地の良い温度に微睡みながら、少女の後に続いた。


***

「ごゆっくり」

 そう言って、ずぶ濡れの男を風呂場に突っ込むと、柚月(ゆづき)はその場に脱力した。

 普段から丑の刻になったら外に出るなと祖母である梅から、耳にタコが出来るほど聞かされていた。この界隈は特に質の悪い妖ものが出易いから、と門の結界を超えてはならないと日頃から言われていたというのに。眠ろうとして、窓の格子に手を掛けると、そこから門のすぐ脇に人が倒れこんでいるのが見えたのだ。気が付けば、傘を持って外に出てしまっていた。

 バレたら大目玉やな、と半泣きになりながら、柚月はゆっくりと立ち上がると空き部屋を探すために、廊下に出た。

 薄暗い廊下には、仲居の一人である妖狐の柊が灯した消えない炎が爛々と天井を彷徨っている。すっとその一つに向かって人差し指を向ければ、それは素直に柚月の指にとまった。

 今日は新月なこともあってか、お客の入りが良かった。望みは薄いが、確かめねば、あの男がまた雨の中に出て行ってしまうかもしれない。そんな不安が胸を過る。

 逸る気持ちを押さえつけながら、宿帳を置いている受付までやってくると、狐火でそれを照らして、空き部屋がないかと、それを捲り始めた。

「……無いな」

 常連の名前で埋め尽くされた宿帳に柚月はげんなりとした。

 儲かっているのは嬉しいが、今夜ばかりはこの繁盛っぷりが恨めしい。

 こんなに大きな旅館だというのに、空き部屋の一つもないのかと、我が家ながらに呆れてしまった。

 仕方なく風呂場の方に戻ると、髪が濡れたまま手拭い片手に、ぼうっと突っ立っている男と目が合った。

「あ」

「ああ、ごめんなさい。部屋空いてないか見に行ってたんやけど、今日はいっぱいみたいで……」

「そうか……」

男の首筋を滴が伝う。湯で温もった所為か、微かに上がる湯気に隠れて男の表情が窺えない。だが、柚月には男が項垂れているように見えてしまった。

 大目玉ついでに、もう一つ怒られるか、と柚月が腹を括る。

「……あの」

「ん?」

「……うちの部屋でよかったら、もう一枚布団敷けるんですけど」

 ぼそり、と呟いた声に、男の目がこれでもかと見開かれた。次いで、瞬きを初めて覚えた赤子のように何度も繰り返す男に、柚月が首を傾げる。

「い、嫌やったらええんですよ! あれやったら、広間に敷いてもええし!」

 慌てたようにそう言えば、彼の眦が僅かに和らいだ気がした。

「……何だ、てっきりアンタが温めてくれるのかと思ったのに」

「なっ!?」

「違ったみたいで、残念だ」

 くすくすと小さく笑いながら男は、手拭いで顔を拭った。

 自分がどれだけ大胆なことを言ったのかを突きつけられて、柚月の顔が見る間に赤く色付く。恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆うと、その拍子に手に留めていた炎が天井へと戻ってしまった。

 薄暗い廊下に男と二人。

 状況だけ見れば、逢引を楽しむ恋仲のように見えなくもない。

 妙なことを考えた所為で、ますます頬に熱が集中して、一向に冷める気配がない。

「……暗がりでも、そんなに赤けりゃ目立つぞ」

「は、」

 ずい、と目の前に現れた紅に、柚月は思わず引き攣った声を上げた。

 よく見れば、それは男の眼の色で、血のように赤い色に、固まったまま動けなくなってしまう。

「……ほら、アンタの部屋に行くんだろ」

「え、あ、ああ。こ、こっちです」

 廊下の壁に触れながら、柚月が先に歩き出す。

 男は乱雑に手拭いを頭に乗せると、大人しく柚月の後ろに続いた。

「ちょ、ちょっと待っててくださいね」

 先に部屋の中に入ると、柚月は押し入れからもう一枚敷布団を取り出して、ものの一分で整えて見せた。残念ながら上にかける着物が見つからなかったので、浴衣だけで寝てもらうしかない。そっと、襖から件の男を窺うと、彼は眠そうに欠伸を零して、柚月のことを待っていた。

「……上にかけるもんがないんですけど」

「湯上りだから、別にいいよ。それとも、やっぱりアンタが布団の代わりになってくれ――」

 最後まで言わせまいと、手近にあった枕を投げつけて黙らせる。

 真っ赤になった鼻の頭を押さえながら、にやにやとした表情で部屋の中に入って来た男を柚月は睨んだ。

「さっさと寝て、さっさとどっか行ったらよろしいねん!」

「急に冷たくない? さっきまであんなに優しかったのに」

「うっさい!」

 顔を隠すように、上掛けを深く被ると、柚月は男に背中を向けた。

 くすくすと小さな笑い声が聞こえてきた気がしたが、無視を決め込んで瞼を閉じる。

 

 可愛らしく寝息を立て始めた少女に夜雨は笑った。

 きらきらと眩しいくらいに主張する髪に手を通せば、思っていたとおり、柔らかい感触が手に帰ってくる。

「……こんなに素気無くされたの、いつ振りだろうな」

 女を抱ける年齢になってからというもの、夜雨の周りにはいつもたくさんの女が寄ってきていた。余程、性格が合わない限り、女に断われたことがない夜雨には少女の反応が新鮮で楽しかった。増して、自分の部屋に招いておいて、何もないなどお笑い草にもほどがある。

「…………気に入った」

 これが欲しい。

 そう言って、にやりと笑った獣に少女は気が付かない。

 しとしと、と窓に伝う雨が、静かにそれを眺めていた。


処女作のリメイクなのですが、何度目のリメイクなのか分かりません。

もう数えで五年目の付き合いになるというのに、一向に完結する気配がない…。

今年で十代最後なので、何とか二十歳になるまでに終わらせたいです!!

よろしければ、ご感想の方お願い致します~!

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