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髪を切る日

ふたりごと

作者: ちわみろく

「髪を切る日」番外編です。


存命だった日々の、ある日のヒトコマです。

ふたりごと。


 一階の小さな談話室に、由良はぼんやりと座っていた。

 時々みんなで作戦会議をしたり、ちょっとしたおしゃべりをするのに使っている場所だが、今日は誰も使っていない。

 そこに、長袖のパーカと色褪せたジーンズ姿の彼女が空中を見つめている姿を見つけたのは、貴緒だった。

「…どうしたんですか、由良さん。こんなところに、一人で。」

 振り返った少女ははにかんだように笑う。

「貴緒さん…。貴緒さんこそ、一人なんて珍しい。」

「そうですね、そうかも。鈴奈様は今、お休みなんですよ。刀麻もオペ中で、ちょっと時間が空いてしまって。」

談話室の椅子に腰を下ろした貴緒を見て、由良も今更ながら、その向側に腰を下ろした。

「…刀麻さんと結婚するんですか?」

二人きりで何を話していいのかわからずに迷っていたが、思いついた疑問を唐突に口にしてしまった。由良は、慌てて両手で自分の口をおさえる。

「す、すみません、いきなりそんなこと聞いて失礼ですよね。ごめんなさい。私って本当気が利かなくて。」

 鷹揚に笑って貴緒は軽く手を振った。濃いグレーのジャケットの裾を軽く直す。

「いいんですよ。…そうですね、多分、するんじゃないかな。」

「そっか…。刀麻さんは素敵な人ですもんね。いいな…。」

心底羨ましそうに呟く。

「秀だって悪くないですよ?」

 意中の人の名前を出されて真っ赤に沸騰した由良の顔が可笑しかったのか、楽しそうに貴緒が笑う。

「うまくいってないんですか?秀とのつきあいは難しい…?」

 まるで親身になって相談しているような声音の彼女に、思わず本音が洩れる。

「…よくわからないです。うまくいってるのかいってないのか、それすらもよくわからない。私、こういうのって本当に向いてないから、さっぱりわからないんです。」

「あはは。恋愛に向き不向きってあるんだ。そんな事考えたこともなかったなぁ。」

指導者の側近は優雅に微笑む。パッと見ではよく整った顔立ちの美青年のようだった。けれども慈愛に満ちた微笑はとても色気があり、美しい。同性でありながら見惚れてしまう。そんな自分を振り払うように、由良は顔を振った。

「貴緒さんと刀麻さんは本当にうまくやってるように思えますよ。」

「…うーん、刀麻はロジックな人だから。」

 両手をテーブルについて手のひらの上に細い顎を乗せる。華奢な指には淡いパールのマニキュアが塗られていた。

「ろじっく?」

「理詰めの人なの。何でも合理的に考えるの。…多分恋だってそれでいいと思ってるんですよ。それが不満なわけじゃないけれど、秀みたいに情熱的なのも憧れるなぁって…やっぱり女だし?」

 ドキドキしてしまうような流し目で見つめられ由良は赤くなる。

 日頃は秀のようにクールなのに、どうしてこうも色っぽいのだろう。本当に貴緒という女性はミステリアスだ。

「情熱的?秀さんが?」

「情熱的じゃないですか。貴方のことになったら普段のクールもどっかいっちゃって、なりふり構わない辺りなんか。」

「そう、なん、ですか…?」

 言われたことに実感が無いので、どうにも自信のない声になってしまった。

「刀麻は、現実をいかに理想に近づけるかをいつも合理的に考えてる。例えば、私が何か機嫌悪くしたとしますよね?すると、原因を真剣に考えて突き詰めて、どうしたものかばっかり考えてる。女のほうはそんなことして欲しい訳じゃないのに。…ちょっとご機嫌をとって欲しいとか、かまって欲しいとか、そんな単純な理由なのにね。」

 具体的な例を説明されて合点が行ったのか、由良は訳知り顔になった。

「ああ~、美夜子にもあるなぁ、そういう所。何が気に入らないのかって聞くと、最近一緒にお茶してないから、とかそういうのだったり。よくわかんないけど、多分寂しいんだろうなって。」

「なのに、納得のいく理由や原因がないと我慢出来ないんですよ、あの人は。まあ、男の人の殆どがそうなのかな。」

「そうなのかな。…秀さんも、そうなのかな。」

「由良さんはありませんか。そんな風になんとなく秀に甘えてみたいなって思うことが。」

暫く考え込んでいた由良が小さな声で答える。

「あんまり…。それどころじゃないっていうか、手に余るって言うか…。もう、いっぱいいっぱいで…。」

くすくすと笑い出した貴緒が言う。

「だからこんなところで一人でぼんやりしているんですね。」

「あ、いや、それが嫌なわけじゃないんです。好きでいてくれるのは本当に嬉しいし、有り難いことだけど、私には、なんていうかそれに応えられるようなこと出来なくて…。してやれることってないから…。」

「そんなことないですよ。貴方は本当に秀によくして上げてる。…彼の外見に引かれて熱を上げる子もいなくはなかったけど、彼の並外れたクールさや、生い立ちの凄まじさに大体尻尾を巻いて逃げちゃうんですよ。秀の方は、好意をもたれたってことにさえ気づいていないんじゃないかな。…わかるけどね。」

「そうなんだ…やっぱりもてる人なんですね。」

一度顔を上げた少女は、再びそのつりあがった目を伏せてしまった。

「…でも、一緒に食事しましょう、って誘われて、俺は他人とは食事をしない、ってキッパリ断る男にラブコール出来る心臓の強い女性はそうはいないですよ。…他人と食事をしないんじゃなくて、出来なかっただけなのにね。」

「私は心臓強くないですよ。」

「でも貴方は食い下がったんでしょう?中々出来ないことですよ。」

「だって、あのままじゃ秀さんはいつになっても。」

一人でいることをやめそうになかったから。だから、彼を一人にしたくなかった。

 ・・・貴緒さんも、ちゃんと秀さんが孤独だって事を知ってたんだ。そうだよね、本当は皆わかってるんだ。

 そういう意味で彼はやっぱり独りではないのだと思う。彼の事を皆理解しているのだ。理解した上で、彼を扱いかねていたのかもしれない。

「貴方はちゃんと秀と向き合ってる。それだけでも、他の誰にも出来なかったことなんですよ。」

 指導者を守るという立場が同じだったことを思えば、貴緒は一番秀のことをわかってあげていたのかもしれない。

 優しい声で由良を慰める貴緒が羨ましかった。彼女は鈴奈に愛され重用され、刀麻と思い合っている。理解されている。

 こんな女性になれたらいいのに、と思ってしまう。それに比べて自分ときたら、いつまでもガキっぽくて女性らしくなれない。美夜子に頼り、好きな人一人も安心させてやれなかった。

「でも鈴奈さんのような…。」

「鈴奈様のことを気にしているんですか?」

「だって、私とは正反対過ぎちゃって、なんていうか。役不足って言うか。」

「私が二人が関係があったことを知ったのは、終わってから随分経ってからのことですが。お互いに好きあっての行為ではなかったように思えますけれど。」

 それは直接鈴奈から聞いていた。惚れた晴れたの付き合いではなかったのだと、本人がそう言っていたのだ。

 でも、それは鈴奈の気持ちであって、秀の方はそうではなかったはずだ。

 未練がましく鈴奈を思う気持ちが残っていたからこそ、傍にいる貴緒への嫉妬があったのだと、秀は言った。

「…鈴奈さんのほうはどうあれ、秀さんの気持ちは…。秀さんはちゃんと彼女が好きだったんだと思います。」

 だから辛かった。

 あれほど苦しかった。鈴奈は好きでもないのに付き合っていたことを知らされて。

 自分が真己に振り回されたことと重ねてしまっていた。

悲しそうな声でうつむく由良を見ていた貴緒は、謡うように言った。

「鈴奈様をちゃんと好きだったのなら、貴方の事はそれ以上に強く好きなんですね。」

「…そうで、しょうか。」

「そうとしか思えないくらい彼は貴方に夢中じゃないですか。何故わからないのかしら。」

「え…?」

「貴方以外の誰が見てもわかるほど、彼は貴方に夢中ですよ。…貴方は何が不安なんです?」

「…私、普通の女の子じゃないんです。」

「それは知ってますよ?」

 くすくすとまた笑った。そんなことは百も承知だという大らかな笑いが眩しい。それがなんだか辛くて。

「…男の人と、一緒にえっちなことしたり出来ないんです。」

 思わず本音を吐いてしまった。言ってから、はっとして両手で口を押さえる。

 貴緒相手に一体何を言い出してしまったのか。由良は真っ赤になり言葉を続けることが出来なくなった。

 貴緒は切れ長の目を一瞬大きく広げ、それから、ゆっくりと細めた。軽く息を吐く。

「…それは、貴方の身体のせいですね?」

思わず視線をあげた。そんな言葉が返ってくるとは余りに予想外だったのだ。

 貴緒はまた優しく微笑んでいる。まるで、何もかもわかっているといいたげに。

 再び俯いた由良は頷いた。恥ずかしくて顔を上げられない。

「貴方の身体はまだ幼い。…女の身体になってない。具体的に言うと初潮がまだと言うことですね?」

はっとしたように由良は顔を上げて、貴緒を食い入るように見つめ、また頷いた。

「それで貴方は不安なんですね。ベッドの相手も出来ないような自分では秀にいずれ嫌われると…そう思っているんですね?」

もう一度頷く。

「それを秀に話しましたか?」

首を横に振る。

「どうして?」

そう尋ねられて、長い時間をかけてから由良はようやく顔を上げた。その顔はもう赤面していない。

「だって、初めて女の子として扱ってくれた人なのに…、こんなこと言えません。言ったら…。」

「言ったら嫌われると?」

「だって…。」

「何も知らされずに拒絶されるほうがはるかに彼を傷つけることになりますよ。」

「…だから、好きになんかなりたくなかった。」

「由良さん。」

「何もしてやれずに傷つけてばかりじゃ、彼女の意味なんてないですよ…。」

今にも泣き出してしまいそうな由良の声は暗かった。

「…医者にかかったことはあるんですか?」

「高校に入ってすぐの時に、母親に無理矢理連れて行かれたことが一度だけ。」

「医師はなんと?」

「直接の原因は不明だって…。精神的に幼いこと、体脂肪が少ないことが主な原因じゃないかって言われました。」

「私と同じですね。」

「…貴緒さんが?」

 この目の前の魅力的な大人の女性が、自分と同じだとは到底思えない。

「言ってませんでしたか?刀麻が、何か相談があれば私に話すようにと。私はいつか貴方のほうから声をかけてくれるかと思っていましたよ。貴方と同じ年頃に、同じことで悩みましたからね。」

「じゃ、じゃあ、私もいつかはちゃんと…貴緒さんみたいに。」

「ええ。私は直接それを刀麻に話しました。余りにも刀麻が執拗にきくので根負けしてしまって。これで嫌われたらもう仕方ないやってくらいのヤケ気味で。」

「刀麻さんは、それでもいいって言ってくれたんですね?」

貴緒はゆっくり頷いた。

 実際はそれでもいいどころではなかった。早く成長するようにとサプリメントを持ってきたり、知り合いの医師に相談したり、異性を意識できるようにと過剰なスキンシップを試みたり。

 そんな懐かしい思い出を語ることは貴緒も恥ずかしかったので、それには言及せず言葉を続けた。

「秀だってきっとそう言ってくれるはずですよ。だって、あんなに貴方の事が好きなんだから。」

「でも、でも…。」

「私から伝えてもいいですが、それは貴方に取っても彼に取っても良くない。やはり貴方が自分で伝えるべきです。」

「……。」

「どうしても、というのなら刀麻に頼んでもいいですよ。」

「そっそれは困りますっ」

 何故刀麻に言えて秀には言えないのかと、また怒らせてしまう。

 秀は嫉妬深い。感情の窺えないクールな顔の裏で、しょっちゅうやきもちを焼いているのだ。それが最近わかってきた由良はそんな怖いことを刀麻にさせるわけに行かなかった。嫉妬深くて独占欲の強い彼の機嫌を取るのは容易なことではない。

「…わかってもらえるでしょうか。」

「それでわからないような男なら、捨てていいんですよ。」

「そ、そんなことは…!!」

捨てる、という言葉に敏感に反応する秀に、そんなことはありえなかった。

「貴方の身体を気遣ってやれないような男は貴方と付き合う資格などありません。…秀はそんな男じゃないと思います。」

「私のほうが悪いのに、そんな、資格とか…。」

「貴方は何も悪くないですよ。身体の成長が遅いのは貴方が望んだことじゃないでしょう。」

「でも…。でも…。」

「貴方も秀が大好きなんですね。…だからそんなに引け目を感じてしまう。」

思わず上げた顔がまた赤く染まる。単純な反応が微笑ましいほどだ。

「好きですよ。…だって、こんなに必要としてくれた人はいない。私が戸惑うほどに…。」

「秀はハンサムだし頭もいいし、いい仕事も持ってる。それだけでも彼は女性には魅力的ですが、あの性格と、育ちの特殊さで大概の女性が引いていくんです。彼は先天性の難病をもって生まれたそうで、あの若さなのに奇跡的な手術や療法をいくつも経験していると聞いています。」

「…はい。そう聞きました。病院と施設を往復しながら育ったと、そんなふうに。」

「でも彼のあの性格や生い立ちを知っても貴方は動じることも無い。」

「だって、それは秀さんのせいじゃないでしょう?生まれつきなのは彼が悪いわけじゃない。」

「…そう言える女性と言うのは中々いないんですよ。並外れた鉄火面の彼に臆せず接することが出来るだけでも凄いのに、貴方は彼に親しくして上げられるんです。よほどの度量がなくては出来ませんよ。」

「そういうの、よくわからないです。…私は私が知ってるだけの秀さんでしかないから。私の知っている彼は、不器用で、無愛想だけど、本当は優しくて寂しがりやな人です。傷つきやすくて繊細な人にしか思えない。そんな人はどこにだっているでしょう?一体彼のどこが特殊だって言うんですか。」

「貴方の言う通りですよ。彼はありふれた独りの男に過ぎません。でもそれに気づく人は少数なんです。」

「でも、私は何もしてやれない。そばにいて好きだという事しか出来ません。」

「貴方だって、生まれつきなんだから仕方ないでしょう。寝ることよりも重要なことがあると思いますが。」

 はっきりと言葉にされて由良はまた赤くなった。なんだか自分だけが随分幼くて、その事にこだわっていると思い知らされているようで、恥ずかしくてたまらない。

「わかってますけど…。」

「貴方から彼に打ち明けてください。彼は貴方が正直に話してくれたことに感動しますよ。ますます貴方を大切に扱うでしょう。うけあいますよ。」

 そうだろうか。がっかりさせてしまうのではないだろうか。そして、役不足な自分に見切りを付けて大人の女性を好きになってしまうのではないだろうか。彼は由良に対して優しかった。不器用ではあったけれど、彼なりに自分に尽くしてくれていた気がする。

「…考えて見ます。…考えるの、苦手だけど。」

「慣れない事は、止せばいいのに。」

細い貴緒の指が、由良の髪に伸びる。柔らかく頭を撫でて、それから前髪をそっとどかした。

「可愛いなぁ…秀の気持ち、ちょっとわかるかも。」

 椅子から立ち上がり傍によってきた彼女が軽く由良の肩を抱いて引き寄せる。さほど身長に差が無い二人だから、抱き合うと顔が間近になる。

「貴緒さん?」

 彼女の意図が読めずに困ったような表情になった由良は、それでも悪い気はしないのか引き寄せられるまま彼女の背中に両手を回す。

「あら、赤くならないんですね。私では役不足だったかしら。」

くすくすと笑いながら由良の顔を見る貴緒が楽しそうに言う。

「え?あ、こうしたから?だって、美夜子だっていつもこうやって抱きついてくるし、平気ですよ。女の人って柔らかくて気持ちいいですよね。なんて言うか、抱っこするのが心地いいっていうのかな。」

「秀は違うでしょう?」

 彼の名前を出した途端に赤面する。彼に抱きしめられることを想像でもしたのか、さっと両手を引いて顔を覆った。

「貴方も、秀に気持ちいい思いをさせてあげなきゃ。女性の柔らかさはあなたが想像するよりずっと男性には必要なんですよ。」

「私は、美夜子みたいに柔らかくないですし、華奢でもない。貴緒さんのようにしなやかでもないです。」

「貴方は本当にお馬鹿さんなんですね。気持ちよくなかったら誰も手を触れようとはしないでしょう。同性の私でさえ貴方に触れてみたいと思うのに、秀が思わないわけないでしょう?どうしてそんなことがわからないんです?」

「…よく、わかりません、そういうの。」

「わからない振りをしているんですね。」

「そんなんじゃありません。」

「貴方を好きな秀が貴方に欲情することがそんなに不思議ですか?」

由良が思わず顔を上げる。

「男の人なんて、考えることは皆同じです。好きになったらより近付きたい、触れたいと思うのは自然の事。それは秀だって例外じゃない。むしろ彼のように孤独な人だからこそ、相手との関係をより親密にしたいと考えるのは当然です。」

「…!そ、そうなんですか?」

「それはそうでしょう。貴方も自分で言っていたじゃないですか。彼は不器用で寂しがりやだと。」

「でも、でも…。私は、女の子じゃないんですよ。」

「彼に取っては女の子じゃないですか。何も知らないのだから。…だから素直に正直に話したほうがいい。貴方がそのことで悩んで苦しんだことも。」

 優しく微笑んで、貴緒が由良の額にそっと唇を押し付けた。

「貴方の恋がうまくいきますように、おまじないですよ。きっと秀もここに同じことをしてくれます。」

「貴緒さん…。」

 初対面の時は細身の美しい青年だと思ってしまった貴緒。接しているうちにすぐに妙齢の女性であることは判明したけれど、どこか中性的な印象のある女性だった。優しくて控えめで芯の強い、大和撫子の見本のような彼女も、恋人の刀麻を前にするれば初々しい乙女のようになってしまうのだろうか。

「そんなに目を白黒させないで下さい。…本当に貴方って可愛いなぁ。美夜子さんとはまたちょっと違う可愛さがあるんですよね。そう言うところが、秀のツボにはまるのかしら。」

「つ、ツボですか?」

貴緒はもう一度軽く由良を抱きしめると優しく笑って、小さな談話室を出て行った。



よき相談相手だった、大人の女性との語らいです。

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