第七話
くしゅん、と大きなくしゃみ。
「あらぁ、大丈夫?」
「ふあい」と気の抜けた返事をして、都はカバンからハンドタオルを引っ張り出す。
「誰か噂してるんと違う?」
向かいで写真を広げていた三芳啓太が、上目遣いに見上げる。
「早瀬さんだったりして。」
都の前にカフェラテをサーブした三芳美帆子も微笑む。
「それはそれで……なんか変なこと話題にされてたらやだなぁ。」
「忘れられるよりいいんじゃない?」
うーん、と都は思案する。
恋人不在の週末。
都は一人でギャラリーカフェ∞に来ていた。
沿線の、都心寄りの駅から少し歩いたところ。古いビルの一階と二階をリノベーションした店は、一階が美帆子と彼女の義理の妹、春香が営むカフェ。そして鉄の内部階段を登った二階は商業写真家である啓太の仕事場と貸しギャラリーになっている。もともと倉庫か事務所だったコンクリート打ち放しの壁に、ピクチャーレールとスポットライトをつけただけの空間だが、そのシンプルさが好評で、オープン半年ほど経った現在ではすでに数ヶ月先まで予約が埋まっているという。
都は展示中の写真を見た後、一階のカフェで三月に写真部の仲間と行う卒業展の打ち合わせをしていた。
もちろん写真部の三年生皆、学校以外の場で企画展示するのは初めてのこと。その前に受験という山場があるにしても、大体の流れを掴んだほうがいいのでは?という啓太のアドバイスで急遽、打ち合わせとなったのである。
「んで、案内状の件だけど……」
「印刷に出すのが年明けでしたよね。」
都はメールのやり取りを思い出す。
「ま、開催期間と参加メンバーの名前が決まってりゃ、こっちで体裁整えるよ。」
「そういうレイアウトって……」
「はーい!アタシがやります。」
近くのテーブルを片付けていた啓太の実妹、三芳春香が手を上げる。この店では一番若手……といっても三十間近なので、都から見ればずっと年上のお姉さん。
「こいつ、編集とかレイアウトの仕事してたんだ。」
「小さい会社だったから潰れちゃったけどねー。」
「他の奴のパンフレットやフライヤーのレイアウトもすでにやってもらってる。」
啓太と春香兄妹の説明に、都は「はぁ」と感心する。
「春香さん……そういう特技あったんだ。」
「先に素材渡してくれたら叩き台作りますよ。イメージあれば、それに合わせるし。」
「新川くんが推薦だから、それが終わったら写真選ぶみたいです。」
「りょーかい。基本的にみんな受験生だから、無理せずとしか言えないけど……」
「それよりこういうの初めてだから、どうしていいかわかんなくて。」
「一度やりゃ慣れるよ。」
「そういうものですか?」
「そーゆーもの。」
「お話中悪いけど……」
「ほえ?」
美帆子が都の前に大き目の皿を置いた。
「わぁ!」
目に飛び込んできたのはアイシングやフルーツソースでデコレーションされた、カフェ特製のカップケーキ。
「春香ちゃんとあたしからのプレゼント。」
「え?」
「さすがに十八本立てるの大変だから、ろうそくは一本で勘弁ね。」
「わたし?」
「彼氏の早瀬さんがいないのは残念だけど、婚約と、お誕生日のお祝いも兼ねて。」
「い、いいんですか?」
「だってわざわざ指輪、見せに来てくれたんだもん。」
春香に言われて、都は左手の薬指にはめたアンティークリングに触れる。
「これは……春香さんにお世話になったから、見せないと……って思って……」
早瀬家の押入れから出てきたそれを婚約指輪にするために、骨董好きの春香にメンテナンスをしてもらえる工房を紹介してもらったと、都は竜杜から散々聞いていた。指輪は少し前に受け取っていたが、なかなか報告に来ることができず、それに学校に着けていくこともないので、こうやって指にはめて外出したのは今日が初めてだ。
そもそもアクセサリーをつける習慣がないのと、「婚約してます」と宣伝しているような気恥ずかしさであえて話題にしなかったのだが、皆ちゃんと気付いていたらしい。
「お店に入ってきたときから気付いてたよー。都さんに似合ってて良かったーって安心したんだもん。」春香が微笑む。
「オパールって誕生石だもんね。イヤリングも?」
「これはガラスです。」
「でも合ってる。大人っぽくていいわよ。」
元美容師の美帆子に言われて、都は恐縮する。
「んで、ろうそくに火ぃつけるんだろ?」
啓太に促されて春香が慌てて準備をする。
都はコンパクトカメラを引っ張り出し、見事にデコレーションされた小さなケーキを撮影した。気が済むと、店の関係者三人が見守る中ろうそくを吹き消す。
タイミングを見計らったように、啓太が小さな箱をテーブルに滑らせる。
「おにーさんからはこれを進呈しよう。」
その物体に、思わず都は噴出す。
「ありゃりゃ。」
春香が困ったように兄を見る。
「なんだよ。写真部にフィルムは必需品だぞ!」
「だからってこういう手の込んだことするぅ?」
「でもなんか、かわいい。」
都はきっちりリボンのかけられたフィルムの箱を掌に載せた。しかも太目のリボンを使っているので、箱がリボンに覆われている、というのが正しいかもしれない。
「大変だったんじゃないですか?」
「うん、まぁそれなりに。」
「ありがとうございます。なんか……悪いくらい。」
「早瀬さんにはここの開店前からお世話になってるし、都ちゃんのおかげで啓太も恩師にお線香あげられたんだし、それに二人には幸せになってほしいもの。」
そんな風に真っ直ぐ言われたことが恥ずかしくて、けれど嬉しくて、都は再度お礼を述べる。
ありがたくケーキをいただきながら、啓太との打ち合わせを続行する。
「どうもバラけてる感じだね。」
啓太が都のアルバムをめくる。
「手当たり次第撮ったから……」
「都さんの場合、フリューゲルはどれもベストショットなんだよなー。文化祭に出したのも……」
「あれは時期もばらばらで、いいのだけ集めたから。残ったフィルムの最後の一コマっていうものもあったし……」
「まぁ、得意なテーマ、苦手なテーマ。神が降りてくるこないてーのもあるから。ただ、展示するならテーマは絞ったほうがいい。抽象的であっても。共通テーマを作ったほうが、作品展としてはアピールしやすい。」
「ええと、ええと……」
都はカバンを引っ掻き回し、慌ててノートを引っ張り出す。
拍子にカバンの中から飛び出したペンを、啓太が拾い上げた。
「万年筆とはまた……渋いね。」
「それ、書けないんです。実用はこっち。」
都はノートのスパイラルワイヤーに引っ掛けてあった、細身の万年筆を持ち上げて見せた。
「たしかに都さんの手に余りそうだな。それに古そうだ。」
啓太はキャップにカットガラスのはめ込まれた、年代物らしい万年筆を都に渡す。
「修理に出すと結構かかるみたいで……そしたら冴さんが誕生日に新しいのくれて……だからこれはお守り代わりです。」
言いながら都は古い万年筆をカバンの内ポケットにしまった。
「お守り?」
「母のペンケースにあったから……形見っていうか……」
ああ、と啓太は納得する。
「確かにこれだったら授業中も一緒にいられるな。」
「気持ちの問題だけど……何となく。他にお母さんの物、あんまりなくて……」
以前は譲り受けたカメラを持ち歩いていたが、壊れて処分したと簡単に説明する。
「それでメンタル安定するなら、いんじゃない?」
「お母さんみたいに強くはなれないけど。写真だってこんなに悩んでるし……」
深いため息。
「木島先生だって、最初っから作家性が出てたわけじゃないだろ。」
「なんでわかるんですか?」
「年代順に整理してるとこだから。風景に絞ったのは早いけど、らしさが出てくるのはしばらくしてから……えーと都さんが生まれる少し前かな?」
「すっごく具体的。」
「年表作ってんの。その辺から、おれが知ってる木島先生テイストが出てきてる。綺麗なだけじゃなくてその風景を見たいと思わせるってーか……一緒にその場にいるような楽しさがあるってーか……そんな風に写真見たことない?」
都は首を振る。
「わたし……お母さんの写真、ちゃんと見たことないかもしれない。」
もちろん、自宅が仕事場だったこともあるので、その辺に放り出しているプリントやポジは目にしていたはずだ。雑誌や印刷媒体に使われたものもある程度目を通していた気がする。けれど啓太のようにちゃんと作品として順を追って見たことは、ない。
何より都にとって母親は母親であって、写真家としてのテイストなど気にしたことはなかった。
そう言う都に啓太は、
「逆に意識してたらおかしいって。都さんが意識しないから、良い写真が残ってるわけだし。」
「よい写真?」
「そ。都さんの小さい頃の。」
思わぬ言葉に都は「へっ?」と目をぱちくりさせる。
「小暮さんには言ったぜ。木島先生の写真もだけど、小暮さんと都さんが写ってるのも出てきたんで分けておきますよーって。」
「三芳さん、それ見たんですか?」
「見ないと分類できないでしょーよ。別件で打ち合わせに来たときに小暮さんにも見せたし。」
「全然っ、聞いてません!っていうか別件って?」
「インテリアマテリアルの撮影オファー。小暮さんが一緒に仕事してる、家具輸入してる会社からの依頼。パンフレット用とか使用例とか撮影してくれって。社長が日本語の上手い外人さんでさ、都さんの写真見て、可愛いお嬢さんですねーって言ってた。」
「よその人にまで見せないでください!」
「いいじゃないの。さすが木島先生、って写真だし。」
「意味わかんないです!」
「だから、自分の娘の見所はよくわかってるなーって写真。」
「そもそも……」
頭の上から降ってきた声に、都は顔を上げる。
「都ちゃんだって、磨けばもっと美人さんになるのよ。昔の写真でじたばたしないくらい。」
「じ、じたばた?」
「おお!それもそうだな。」啓太も面白そうに言う。
「なんなら、おねーさんがメイクしたげようか?」
「いっ、いいです!っていうかチビは変えられないし……」
「身長なんて大したことないわよ。だってそれで早瀬さんが文句言ったこと、ないでしょ?」
「そ、それはそうかもだけど……そういうの苦手っていうか……」
「うーんと、じゃあね、」美帆子は思案する。
「着物上手く着られるようになったら、っていうのはどお?」
「着物?」
「着付けの練習してるんでしょ?」
こくん、と都は頷く。
「だったらー、綺麗に着られるようになったらヘア込みでメイクさせて。まさか着物でスッピンってわけにいかないでしょ?」
「それは……ええと、ええと……ずーっと先ですよ?」
「いーわよ。」美帆子の極上の微笑み。
「気長に待ってるから。」
「そんときゃ、先生の代わりにおれが撮影したげるよ。」
次回更新は月曜日です。