第六話
リュートは足を止めた。
振り返った彼に笑みを向けるのは、一人の男。
「リュート・ラグレスだね。」
「そうですが……」
「ぼくはラトライル・サーフス。」
「サーフス議員はもっとお年を召した方では……」
リュートの記憶にあるのは、痩せぎすの小柄な老人。けれど目の前にいるのは自分より少し年上、同じ背丈ほどの男性。物腰柔らかで温厚そうな印象である。
「彼は持病が悪化してね。跡継ぎがいないものだから甥である僕が代理で務めているんだ。それより君の事は聞いているよ。国交のない辺境から花嫁を迎えるその勇気に感服している。」
「大げさな。」
「実際問題、面倒じゃないか?」
「書類の数については認めます。」
「それに君の父上も、異国の出らしいね。」
「サーフス殿!」
目を吊り上げたラダンが、文字通り飛んで来た。
「予定のない一般人を無駄に引き止めないでください。」
「相変わらず真面目だな。」サーフスは肩を竦める。
「こいつをこれ以上見たくないだけです。ラグレス、用が済んだならとっとと帰れ。」
「言われなくても失礼する。」
「何か面倒があればいつでも頼ってくれたまえ。君のような因習を打ち破る若い人は応援するよ。」
カーフスの声を聞きながら、リュートはラダンに促され竜の発着する中庭まで戻った。と、前を歩いていたラダンがくるりと踵を返し、リュートを睨めつける。
「サーフス議員に関わるな!」
「そんなこと言っていいのか?」
「お前だから言うんだ。奴は同胞と飛ぶことをこれっぽちも理解しちゃいない!」
「それは……」
「よう!」
リュートの声にかぶさるように、聞き慣れた声。
横を向くと、自分より頭一つ分背の高い制服姿が手を振っている。見慣れた、けれど久しぶりに会う友人の姿に肩の力が抜ける。
「ダールか……」
「行き違いにならなくて良かった。分隊に寄ったらここだと教えてくれた。外にフェスもいたし……てか二人揃ってんのめずらしいな。」
オーディエ・ダールは青い瞳を見開き、同期二人を見比べた。
「それよりオーディ!お前もこいつが婚約したこと、知ってたのか?」
ラダンの勢いにダールはきょとんとする。
「お前……知らなかったのか?」
「しかも国交のない辺境の女だと?それでどうして契約を交わす?」
「おれのお袋も異国の出身だが、親父と契約は交わしてるぞ。」
「つまり……そういう血筋ってことか?」
「それはラグレスに直に聞けよ。目の前にいるんだし。」
しかしラダンは、あくまでダールに質問する。
「だいたい、そんな辺境の人間と言葉が通じてるのか?」
「通じてただろ?」
「は?」
「妹が言ってたぞ。ラグレスの婚約者の銀竜が奥に行こうとして、お前が注意したって。」
ラダンは眉間に皺を寄せ、記憶を引っ張り出す。
「そういや……以前お前の妹が異国人と一緒にいたな……」
そこまで言って「えっ!」と顔を上げる。
「ありゃ子供だったぞ?リィナより……」
「年上だ。」ため息混じりにリュートが言った。
そして。
「もういいだろう。」と言うとダールを促しその場を離れた。
「おまえ、まだこの部屋借りてたのか?」
狭い部屋をぐるりと見回し、ダールは呆れたように言う。
「毎度アデルの家に厄介になるわけにもいかない。下の階はアデル商会の倉庫と寮だから官舎より気兼ねない。それにアデルの叔父を通してるから家賃も安い。」
「けど今時、学生だってこんな部屋、借りねぇぞ。」
場所によってギシギシと音を立てる床にダールは顔をしかめる。何より屋根裏らしく天井が途中から斜めに低くなっているので、リュートより長身で体格も立派なダールは行動範囲が制限されてしまうのだ。隣にもう一つある部屋も同じように天井が低く、そして寄宿舎のような狭い寝台しかないことはずっと前に覗いて了承済み。
つまり、眠る以外何もできない部屋なのである。しかも繁華街と分隊のちょうど中央に位置するこの辺りは事務所が多く、まだ宵の口にもかかわら建物の外を歩く人は少ない。
「健全っちゃ、健全か……」
ダールは動き回ることを諦め、部屋に一つだけある安楽椅子に腰掛けた。
私服に着替えたリュートが小さな天窓をあけた。待ちかねた銀竜がすっと飛び込み、彼の肩に止まると金色の目を細める。
その様子に、ダールは納得する。
「確かに、フェスも気兼ねなく出たり入ったりできるな。その……セルファからお前が戻るって連絡はもらってたんだが……」
「忙しいようだな。アニエか?」
「それもあるが……親父が任期を終えて戻ってくる。もちろんお袋も、だ。」
他国に赴任中のダールの両親とリュートの両親は、彼等が生まれる前から親交があったと聞いている。だから彼等の付き合いも物心つく以前から……正確にいえば生まれ育ったのと同じ二十六年間ということになる。
「じゃあ契約の儀も近いか。」
「その前にショウの奴を連れ戻さなきゃならん。元々カーヘルの学校に行くのは中等科までという約束だった。その先は聖堂に近いガッセンディーアの学校に行くこと……それがこの期に及んでごねやがって。」
リュートは彼等の母親に似た、ダールの十一年下の弟を思い出す。引っ込み思案の印象が強いので、そこまで意志を貫くことに少し驚く。
「よほど今の学校が気に入ってるのか?」
「お気に入りの先生がいるらしい。それにあいつは一族であることが嫌いなんだ。カーヘルに出向いたおれまで、一族であることを隠せと強要された。」
「兄貴も末っ子には甘いな。」
「まぁ、いろいろあっての末っ子だしな。とりあえずヘザース教授の紹介でガッセンディーアの学校も決まった。ここまで整えるのに、さすがに疲れたぜ。」
「ショウは……なんで一族であることが嫌いなんだ?」
「古臭いんだと。サーフスと同じさ。」
「サーフス議員を知ってるのか?」
「まあな。言ってることはわかりやすいが、世の中そんな単純なもんじゃねぇ。」
リュートは寝室から椅子を持ってくると、机を挟んでダールの向かいに置いた。広げたままの本をまとめて寝室に放り込み、代わりに杯と水差し、それに買ってきた包みのままの惣菜を並べる。
最後にフェスのために、新鮮な水を汲んだ染付けの蕎麦猪口を置いた。
銀竜がおいしそうに水を飲む傍らで、二人はリュートが早瀬の家から持ってきたウィスキーを瓶から注ぐ。
「うん!美味い!お前の部屋にあったのとはまた違うが……」
さっそく、生のまま口をつけたダールが声を上げる。
「まったく。俺はお前のために酒を担いできてるんじゃないんだぞ。」リュートは琥珀色の液体をくゆらせながら、香りを堪能する。
ダールもそれを真似て少しだけ水を差した。
ほう、と感嘆の声。
「後味が上品になった。香りも……なにより一緒に酒を飲む相手がいるってぇのは何よりだ。」
「ガッセンディーアならキャデムもいるだろう。」
「公安もそれなりに忙しいらしい。無理強いさせるわけにゃいかないだろう。お前が親父さんところに行くようになってから二年くらいか?」
「そうだな。まさかこんな長期になると思わなかった。」
「しかも嫁さんまで捕まえて。」
「それは偶然の結果だ。」
「わかってる。」
「お前だって、アニエのために評議会の仕事を手伝ってるんだろう。」
「逆だ。アニエが長老の孫娘だから、その婚約者であるおれを議会が引っ張り出した。体のいい使い走りさ。」
「堂々と婚約者に会える仕事も他にないと思うが?」
まぁな、とダールは頷く。
「けど長老の闘病生活が長引いて、ここんところアニエも参ってきてる。」
「そんなに長老の具合、悪いのか?」
「次期長老の指名を、という話もちらほら出てる。それにワイラート夫人も最近不調で、実質アニエがあの家を支えてるようなもんだ。それで契約の儀が延びることを、おれに謝る。」
「気に食わないって言い方だな。」
「当たり前だ。おれだって状況は理解してるし、それに結婚はいつだってできる。」
「フィマージの……彼女の実家はなんて?」
「あの父親はおれが気に食わないんで何も。母親は自分の両親であるワイラート夫妻が倒れてオロオロしてる。救いはグレングがアニエと彼女の両親の間に入ってくれてること。」
「グレング……フィマージ家の次男か。」
「長男もそれなりに妹を気遣ってるが、父親に逆らってまでなにしようって気がない。弟は厄介なことにカーフスに傾倒してる。」
「傾倒……って……」
「ラグレスはこの二年不在がち知らないだろうが、竜隊と一族のしきたりを古臭いという若いのが出てきてる。その先導役がカーフスだ。」
「そういう話を聞くと、自分が年寄りになった気がするな。」
「そんな悠長な状況じゃねぇよ。」
ダールは手酌でハイランドモルトを注ぐと、ぐいと身体を乗り出す。
「もしも、だ。最悪指名が行われず議会の投票で長老職を決めることになったら……」
「つまり、カーフス議員が正式に議員となり立候補する可能性もある?けど、実質的な権限は議長にある。」
「ガイアナ議長も長い。それを理由に交代させることだってありうる。」
そこまで聞いて、リュートはダールが言わんとしていることを理解する。
「確かに……門の存在を知っているのはごく一部の議員だけだ。」
しかもその多くが長年にわたって議会を構成してきた古株か、その役職を引き継いだ者ばかり。逆にそういう権限があったからこそ、父、加津杜がこちらで生活できたのである。
「そうか。だからガイアナ議長があんなことを……」
「議長がどうかしたのか?」
リュートは帰り際、ガイアナが門番を支持すると念押ししたことを話した。あの場でそんな話題を出す理由がわからなかったが、彼が最悪の筋立てを懸念しているのなら納得できる。
「お前と親父さんがのんびりしすぎて、不安なんじゃないか?」
「そういうつもりはないが……ただどういう状況になろうと、一族が門を手放すことはないと思う。だとすれば、さほどひどい立場に追い込まれることはないんじゃないか。」
あのなぁ、とダールは深い息をつく。
「そりゃ公にできねぇが、お前は門番の後継者として主張できる立場なんだぞ。」
「その門番の後継者である以上、どんな状況でも受け入れざるを得ない。それはダールだって知ってるはずだ。」
リュートに言われてダールは二年前のことを思い出す。分隊長と共に聖堂に呼び出されたリュートが戻ってきて呟いた言葉……
「来るべきものが来たってところだな。」
そのときは意味がわからなったが、今なら充分理解できる。
「あのときまで、おれはお前が門番の後継者ってこと忘れてたよ。」
「俺もだ。けど実際あれを見たら、断ることはできなかった。」
「リラントの瞳か。」
リュートは頷く。
「自分でも意外だったが、本物のリラントの瞳を前にしたら妙に納得した。これが一族を支えてきたもので、それの真偽を確かめられるのは自分しかいない、ってね。」
「お前は伝説と言われてきたものをガキの頃から体感してたんだ。門にしろ、銀竜にしろ……そりゃ、話を呑みこむのもはやかったろうさ。けど……」
「なるようになる。」
「え?」
「\都の……亡くなった彼女の母親がよく言ってたそうだ。日本人的な宗教観も含まれてるが、あながち外れてないような気もする。」
「楽観にもほどがある。そりゃお前は何かに歯向かうてぇより、待ち構えてるところがあるが……」
「都にも同じこと言われたな。聞き出すんじゃなく、自分から喋らせようと待ち構えてるのがずるいと言われた。」
「そういう魂胆だったのか?」
「なわけないだろう。」リュートは息をつく。
「けど……こんなに早く婚約まで整うとは思わなかったのは事実だ。」
「それがなるようになった結果だってのか?」
「そういう考え方もある。」
まったく、とダールは天井を仰ぐ。
「こっちは気が気じゃないぜ。ついでに聞くが、契約の儀の準備は進んでるのか?」
「都の進学試験が終わり次第。シーリア叔母が手ぐすね引いて待ってる。」
「ミヤコの困った顔が目に浮かぶぜ。なんならうちと一緒に盛大なお披露目するか?」
「都が嫌がるの、知ってるだろう。」
まぁな、とダールは苦笑する。
「あれだけ大胆なことする割に意固地なところが不思議というか……お前、案外苦労するかもしれんな。」
「それ、都に言うなよ。」
次回は木曜日更新です。