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第三話 

「ただいまぁ。」

 室内に向かって声をかけながら上り(がまち)に足をかける。 

 スチール製の扉が閉まると同時に、廊下の陰に隠れていたものが(みやこ)めがけて飛んできた。

 ブレザーにがしっと爪を立てると、「きゅう!」と鳴きながら頬ずりする。

「いい子にしてた?」

 都はカバンを足元に置くと、両手で白いものを抱き上げた。

 それはこの世界にはありえない、羽根の生えた小さな白い竜。

 小さな猫ほどの大きさで、体も、蝙蝠(こうもり)のような羽根も、サテンのごとく白く滑らか。それが空を飛ぶと反射して銀色に見えるので「銀竜(ぎんりゅう)」と呼ばれるようになった……と聞いている。金色の瞳と牙、手足の鋭い爪は獰猛(どうもう)な生き物を連想させるが、気性は穏やか。特に都が「コギン」と名付け一緒に暮らしているこの銀竜は、他の銀竜に比べて人懐こい性格らしい。

 一年前、竜杜(りゅうと)に渡されたときはふんにゃりした頼りない幼獣だった。そもそも向こうの世界でも数の減っている生き物を、育てる自信などなかった。けれど「門を使う者には必要だ」と言われ、それに竜杜が子供の頃から一緒にいる、フェスという名の銀竜を見ているうちにどうにかなる気がしてきた。

 そうして「銀竜の研究者」の肩書きを持つ早瀬加津杜(はやせかずと)にアドバイスを受けながら共に暮らしてみれば、頭の良さもさることながら、その成長ぶりも仕草も可愛くて、今ではコギンなしの生活など考えられない。

 都は喉を鳴らして甘えるコギンを抱いたまま、リビングダイニングに向かう。部屋の隅にある小さな仏壇に手を合わせると、遺影の中の母親にむかって「ただいま」と呟いた。

 彼女が事故で急逝して三年。

 あまりにも唐突すぎて、最初の一年は何をどうしていいかわからなかった。当然受験も身が入らず、目標の高校に入ることはできなかった。その反動もあって、写真部に所属したものの、すべてが惰性で一体何をしていたのか鮮明な記憶はない。

 そして二年目。竜杜の腕の中で、都はようやく母親の死を認識し、泣くことができた。そうして思い切り泣いた後に残ったのは、母親との沢山の思い出。

 捨てられずにいた、黒き竜に襲われたとき大破した形見のカメラは潔く処分し、代わりに引っ張り出したのはずっと開くことのできなかったアルバム。

 主に風景を扱う写真家だった母親の朝子(あさこ)は、時には国内の撮影に小さい都を伴うこともしばしばあった。今思えば、長期で誰かに預けるよりも一緒にいたほうが安心だったのかもしれない。都も聞き分けが良い子だったので、母親が仕事中は傍らで大人しくひとり遊びに興じていたか、母親が与えたカメラで勝手に撮影していた。そうやって自分が撮影した写真、母親が撮影した幼い自分を眺めていると「そんなこともあったな」と思い出すことは多い。

「忙しいとか言ってる割に、いろんなとこ連れてってもらったんだな。」

 それを証明したのが、母親の手帳だった。

 見つけたのは写真専門学校で母の教え子だった三芳啓太(みよしけいた)である。ギャラリーカフェ無限大のギャラリー責任者であり今は自身も商業写真家の啓太が、保護者の(さえ)に断って母の遺品整理を始めたのは初夏のころ。しばらく経って彼のオフィスに顔を出したとき、数枚の写真と一緒に一冊の手帳を渡されたのだ。

「お母さんの写真?」

木島(きじま)先生の荷物から出てきた。他の人が撮ったのもらったんじゃないかな。都さんが持ってたほうがいいと思ってさ。」

「そういえばお母さんが撮った写真はいっぱいあるけど……お母さんの写真ってあんまりないかも。」

「案外自分って撮らないもんな。んで、こいつも別のダンボールから出てきたんだが、完全プライベートっぽいから渡しとく。」

 中を開くとそこに書かれていたのは、都が母親と共に訪れた先の覚書。

「日記ほどじゃないけど、記録、だと思う。覚えてる?」

「何となく……うわ!わたしが転んだとか熱出したとか書いてある。」もー、何書いてるんだろう、とブツブツ言う都に、啓太は苦笑する。

「けどそれ見ると、結構、仕事にくっついて行ってたんだね。」

「そういう印象なかったけど……そう言われたらそうかも。」

「そりゃ先生の仕事ぶり、見てるわけだ。他にもプライベートのもんあったら、よけとくよ。」という啓太の言葉には感謝したが……

「写真がどれも仕事中か飲み会って、どんだけ仕事とお酒が好きだったんだろ。」

 私服に着替えながら、都はため息をつく。

 もちろん母親らしいといえばらしいのだが、そういう写真ばかりもらって嬉しいかと問われると微妙に悩む。

「お母さん並にお酒飲める男の人、いたのかなぁ。っていうか、お母さんが好きになる男の人ってどんなだったんだろう……」

 母親は最後まで都の父親のことを何も言わなかった。名前も、どうして一緒にならなかったのかも。

 保護者の小暮冴(こぐれさえ)もそれに関しては一切知らず、今になって、

「無理にでも聞き出しておけばよかったかしらね。」と言うことがある。

 ただ都自身は、母親とは違う茶色を帯びた髪や瞳の由来は気になるが、それを知ったからといってどうすることもないだろうし、だったら知らないままでもよいかと思う。婚約者である竜杜も気にしないというのだから、少なくとも現段階での支障はない。

「でも……一人で子供育てるなんて、生半可な気持ちじゃできないわよね。」と言ったのは、無限大のカフェ責任者で三芳啓太の配偶者である、三芳美帆子(みよしみほこ)

「育てたのは小暮さんも、だろ。ずっと一緒に暮らしてたんだよな。」と啓太。

「わたしが小学校に入って少ししてから。その前も、お母さんがいないときは泊まりに来てくれてたし、保育園のお迎えも来てくれたし。最初は、広いボロ屋を格安で借りたから一緒に住まないか……って話だったような……」

「それは立派に準母親ね。」

「事務所も一緒に立ち上げたんだもんな。」

「って聞いてます。」

「小暮さんとこ、インテリア設計事務所じゃないの?」

「内装とか竣工(しゅんこう)時とか、そっち方面だって写真の需要はあるさ。」

「見事なまでのギブアンドテイクってことかぁ。確かに啓太の話聞いてると、都さんの母上って外の仕事向きっぽいもんね。」

「そりゃー、もう。逆に料理作ると芸術的でしたもん。」

 だから、あるときから都が手伝うようになったのである。

「今となっては結果オーライ……っていうのかなぁ。」 

 呟きながら流しに向かい、並べた食材を手際よく下準備する。

 最初は冴が一つ一つ動作を教えてくれた。他の家事も含めて、小学生だった都ができる範囲のことをきっちり仕込んでくれた。だから今もこうして、冴との二人暮らしが成り立っているのである。

 それを考えると美帆子の言うとおり、自分は半分冴に育てられたようなもの。きっと友達に言ったように、完全に冴と縁が切れることはないのだろう。

「それはそれで……悪いことじゃないよね。」

「うにゅ?」   

「今日はコギンの好きな炊き込みご飯だよ。栄一郎(えいいちろう)さんにキノコいっぱいもらったから。えーと魚はグリルに入れたし……」こんなもんか、と前掛けを外す。

 待ちかねたようにテーブルの上に置いた携帯が震えた。

「冴さん、出先から……でも一時間かかんないくらいだって。」

「ぎゅう!」

 今度はコギンの妙な声。

「わわっ!フェスから声受け取ったの?ちょっと待って!」

 都はコギンを抱えると自室に飛び込み、引き出しからボイスレコーダーを引っ張り出した。スタンバイし「いいよ」というと、録音ボタンを押す。

 目を閉じた銀竜から流れるのは恋人の声。

 世界が違うほどの超遠距離では電話はおろか、手紙も人が直接持ち運びするしかない。そんな中で唯一声を送ることができるのが銀竜なのである。どういう仕組みか知らないが、彼らはテレパシーのような能力で互いの情報を交換し合い、その一環として人の声を送ることができる。双方向での会話ができないから、留守番電話のメッセージ機能と思えばいい。覚えている時間は銀竜によってまちまちで、竜杜の相棒フェスは二、三日覚えているらしいが、コギンは一日で綺麗さっぱり忘れてしまう。

 そんなことを早瀬の旧知で都と竜杜の媒酌人も務めてくれた宮原(みやはら)夫妻にこぼしたところ、「こういうのはどうだろう」と誕生日プレゼントにくれたのがボイスレコーダーだった。

 操作を覚えるのに手間取ったが、確かにいつでも竜杜からのメッセージを聞くことができるのは嬉しい。特にこうして離れているときは。 

 最後の声を吐き出すと、コギンはぱちりと目を開いた。

 それを合図に都はレコーダーを止める。

 ベッドに寝転び、早速再生。

 彼らしい簡潔な言葉で伝えられるのはラグレス家の皆の様子と、これからの予定。

「今、ガッセンディーアにいるのか。提出する書類もあるもんね。それに……お義母(かあ)さまの温室、花がいっぱい咲いてるの綺麗なんだろうなぁ。」

 都が向こうへ行ったのは春休みと夏休み。現地では秋と冬だから見事に寒い時期だった。そして今、向こうの世界は春。

「庭も綺麗なんだろうなぁ。冬休みも身動き取れなさそうだし……でも一度、ラグレスさんちにも行きたいな。」

 きゅ、とコギンが鳴いた。

 都の頬に小さい手でぴたぴた触れる。

「外、出たいの?」

 きゅきゅ、と頷く。

「声、受け取ってくれたし……でも、フェスもいないからこの近所、ちょっとだけだよ。」

 本当は好きなときに好きなだけ飛ばせてあげたいが、人目を考えると難しい。昼間一人で留守番させている分、こうやって夜外に出しているが、それとてコギンには物足らないはず。

 その負い目も、竜杜との婚約を決めた理由の一つだった。もちろん留守番させるのは今と同じだろう。けれど狭いマンションより、古い日本家屋で適度な広さのある早瀬の家のほうが、コギンにとっては過ごしやすいはず。それに「門」を内包しているフリューゲルの傍なら、銀竜にとっても過ごしやすいはず。

 そう考えたのだ。


 都はコギンを抱いてリビングに戻ると、部屋の電気を落としたまま()き出し窓を開けた。コギンはベランダに出ると、そのままスイッと空に飛び立つ。

 都は目を閉じた。

 軽く深呼吸し、言葉を唱える。

「白き翼の盟友、その力、その瞳をわれに与えん……」

 と、(まぶた)の裏に夜空が広がった。

 それは銀竜の見ている光景。空の高みを目指すコギンの、金色の瞳の先にあるもの。

 やがてその瞳は、足元に向けられる。

 そこにあるのはまばゆい光の点。夜になっても賑やかな、街の明り。

 都は目を開いた。

 自身の眼で空を見あげ、ポツンと呟く。

「リュートも……向こうの空、飛んでるんだろうな。」

次回は土曜日更新予定です。

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