第三十三話
「この手紙をあなたが目にするとき、私は故郷の土を踏んでいることでしょう。二度と戻ることがないと思っていた小さな村へ連れ戻してくれることに、感謝すべきかどうか……これを書きながら迷っています。
それほどまでにあの地で起きたことは私にとって辛く悲しく、けれど忘れがたい出来事なのです。
あなたもご存知のように、あの村は三方を山に囲まれた僻地にあります。連合国になる頃まで外部との接触があまりなく、そのため古い風習や言い伝え……英雄のガラヴァル兄弟の父、老ガラヴァルがよく狩に来たとか、豊穣の姉妹が暮らしたとか……そんな古い話たくさんが残っていました。生活は質素ですが、豊かな山に囲まれ、その山から薬草を取って売ることで皆暮らしを立てていました。
私はそこに八歳まで暮らしました。学校の成績がよかったのと、私の家系が神舎に仕える人を出してきたこともあり、寄宿舎のある上の学校へと進学したのです。その後神学校に進み神舎に仕えるようになったのですが、それでも私は時折村に戻っていました。
あのときまで。
あの頃、村には老いた両親と弟の家族が住んでいました。弟は幼馴染と所帯を持ち、子供にも恵まれ、私はその子達に会うのがいつも楽しみでした。
長男のホランスェ、長女のアンリルーラ、次男のバウリーク。みな、私が名付けた子達です。
神舎は妻帯を強く禁じているわけでありませんが、私は他の人より長く学校にいたためその機会を逃し、だから弟の子供たちは私にとっても自分の子供同然。特に姪のアンリルーラは私によく懐いていました。
私の家系は曾祖母が豊穣の姉妹の末裔といういささか伝説じみたもので、そのせいなのかアンリルーラはひどく勘のよい子でした。兄のホランスェにもそんな気質があり、しかも私と同じ神に仕える道を選んだときは、さすがにご先祖のなせる結果かと呆れもしました。もちろん今は、なるべくしてなったのだと思っています。」
「ここにいましたか。」
マーギスの声に、離れの作業机に向かっていたトランが振り返る。
「テマイヤさんから聞いた話をまとめているんです。」
「年寄りの話につき合わせてしまいましたか。」
「とっても有意義な時間でした。特に豊穣の姉妹の話をたくさん聞くことができたのは収穫です。」
「さほど珍しくもないでしょう。」
「そんなことありません。アバディーアには豊穣の姉妹はいませんから。」
怪訝な顔のマーギスに、トランは説明する。
「学者の間では有名な話ですが、ガッセンディーアより北には豊穣の姉妹の話は伝わってないんです。」
「それは初耳だ。」
「英雄や聖竜の話は形を変えても伝わることが多いんですが、脇役的な人物の話はほとんど北には伝わってないんです。まぁ理由は諸説あるようですけど。ぼくはそういう話を子供達に聞かせたいんです。南の国にはこんな話がありますよって。」
「墓地にも行かれたとか。ホランが先生の手伝いをしたと、得意げに報告してくれました。」
「例の古い墓石の碑文を写し取ったんです。明日帰ったら、次いつ来られるかわかりませんし、文字がいつまで読める状態を保っているかもわかりませんから。本当はもっと時間が欲しいところですが……カズトさんに怒られてしまいます。」
「感心こそすれ、怒ることはないのではないですか?」
「それより、ぼくに何か用だったんでしょうか?」
「ホランがテマイヤ叔母に捕まっている隙に……と思いましてね。」
マーギスは片目をつぶると、首の細い素焼きのつぼをかざす。
「何ですか?」
「この辺りの地酒です。今日会った知り合いがくれまして……。」
へぇ、とトランは目を輝かせる。
マーギスは反対の手に持っていた杯を作業机に置くと、手際よく注いだ。
トランが白く白濁した酒におっかなびっくり口つけるのを見守る。
「酸味があるけど、なんというか爽やかで美味しい!」
「口に合ったようでよかった。」
「学生時代の安酒に比べたら、どんなお酒も美味しいです。」
二人は杯を傾けながら、ここ数日の出来事を思い起こす。
「カズトさん、あの手紙を読んだ頃でしょうか。」
「それよりも、ミヤコさんがあれを読んで混乱しないか……」
大丈夫でしょう、とトランは言う。
「話を聞いてると、しっかりした女性のように見受けます。それにリュートがそばにいれば、何を告白されても大丈夫ですよ。」
「だといいのですが。」マーギスは深いため息をつく。
「この地を離れても、いまだにあの光景を夢に見るのです。そのたびに、何もできない自分の非力さを嫌というほど思い知る。」
それは、突然だった。
当時在籍していた神舎に使いが来て、すぐに村に戻るよう言われたのである。駆けつけたマーギスが目にしたのは、不気味なほど静まり返った村。
人の気配も家畜の気配も、それに山に住む獣の気配さえない。ただ風の揺らす木々の音、それに畑に流れる水の音だけが耳に聞こえる。そしてその先にあった光景に、マーギスは息を呑んだ。
「見ての通りだ。」彼を案内した顔見知りが、疲れきった声で言う。
そこにあったのは、横たえられた村人達の亡骸。
一人二人ではない。
「病気?」
「違う。」
混乱。
何が起きたのか?でなく、これは現実なのかという問いが頭の中を駆け巡る。
「生き残ってるのは、用があって村を離れてた連中だけだ。それ以外……村にいたものは一人残らず……」
意味がわからなかった。
いやわかっているはずなのに、それを受け入れることができない。
ようやく現実だと理解したのは、両親と弟夫婦の遺体を見下ろしたとき。
弟夫婦の間に横たえられた、幼い甥の変わり果てた姿を前に、崩れるように跪く。
次の瞬間、自分の意思と関係なく嗚咽が漏れた。
「バウリークまで!どうして!」
大人になってから激しく声を上げて泣いたのは、恐らくはそれが最初で最後だろう。
そんな彼を、誰も止めなかった。
その場にいる皆が同じ立場だから、止める事などできなかったのだ。
ひとしきり泣いたところで、傍らに立つマーギスの幼馴染が言った。
「ホランはテマイヤのところにいる。村の子供で生き残ったのはホランとヒームだけだ。二人は町の寄宿舎に入ってるから、安息日しか家に帰らない。それで命拾いした。」
「アンは?アンリルーラは?」
「見当たらない。」
「どういうことだ?」
「言葉通り。」
横から声がした。
「バセオ……無事だったのか。」
二十歳がらみの若い男が小さく頷く。
「ホランに、おじさんが来たと伝えてきた。」
甥の名前を聞いて、マーギスはわずかだが理性をとりもどす。
「それよりアンが見当たらないというのは?」
「村中探したんだが、アンとセセルの姿が見当たらない。それとノイゼット司祭も。」
「ノイゼット?」
「半年前に神舎から派遣されて来た奴だ。」
「話には聞いている。」
「村の神舎に遺体があるかもしれんが、まだ確かめてない。」
「いったい、何があった?」
「わからない。」
「そんなはず……」
「本当に、わかんねぇんだ。」
困惑するバセオに代わって、幼馴染が説明する。
それによると、最初に気づいたのはテマイヤだという。一つ山を越えた村に住む彼女が、突然「気分が悪い」と言い出した。しばらくして「嫌な予感がする」と言い、作業小屋にいたバセオに急いで村に戻るよう言ったらしい。
「今の時期は夏に採った薬の仕分けやらで忙しくて、バセオもテマイヤの作業場に泊り込んでたんだ。」
そういう彼自身、薬師との商談に行っており、そしてこの場にいる生き残りの人たちも、似たり寄ったりの理由で村を離れていたのだという。
商談を終え村に戻る途中だった幼馴染は、その途中でバセオと出会い、慌てて戻った村でとんでもない光景を見ることになる。
ある者は家の中で。ある者は畑で。そしてある者は道端で、息絶えていたのだ。
何かが起きた痕跡もなく、傷もなく、苦しんだ様子もない。ただ、何かをしている最中に、突然事切れたのである。
すぐさま応援を呼んで救護に当たったが、生きている者は一人もいなかった。それは家畜や小動物も同じ。
その頃には村の外にいた者たちも戻っていたが、皆、突然の出来事に茫然自失の状態だった。それでも黙々と遺体を運び一つ所に集め、そうして生き残ったのが自分たちだけだとわかったとき。ある者は声を上げて泣き、ある者は黙ってその場に座り込んだ。
「ホランにはまだ言ってないが、両親が死んだことは感づいてると思う。」
「それは私から言う。いや、私の役目だ。」
すまん、とうなだれた幼馴染が不意に涙ぐむ。
「うちんとこも嫁とばあさんが……それにバセオも婚約者が……」
マーギスは唇を一文字に結んだままの若者を見た。彼の真っ赤に充血した目を見れば、ここ数日どんな風に過ごしたか想像がつく。
ふと、マーギスは村に入ったときから感じている異変にようやく気づいた。
「そういえば、きな臭いな。火事があったのか?」
「神舎が焼け落ちた。」
幼馴染たちが村に着いたときは、まだくすぶっていて近づくことができなかった。
「それで司祭の捜索ができなかったんだが……夕べの雨で、もう大丈夫だろう。」
「なら、それは私が行こう。」
「しかしマイゼル……」
大丈夫、とマーギスは幼馴染を振り返る。
「私も伊達に司祭をしてるわけじゃない。むしろ遺体は見慣れてる。それにもしかしたらアンとセセルもそちらに巻き込まれたかもしれない。」
「それはそうだが……」
「ひとつ問題は、私はノイゼット司祭を知らない。」
本舎から派遣される神職が、必ずしも互いに知り合いとは限らない。まして半年前にこの村に来た司祭についての情報は、まったく持ち合わせていなかった。
「オレが一緒に行く。」
バセオの申し出にマーギスは素直に感謝する。
「バセオ、もしマイゼルがおかしくなったらすぐ戻って来い!いつ何が起きるか、わかんねぇんだ!」
心配する幼馴染に、マーギスは墓地での埋葬準備を進めるよう言った。そうしてバセオと共に村の中心に向かう。
皆が言うとおり、そこにあったはずの神舎は焼け落ち、残骸と化していた。ざっと見回し、他に延焼してないことを確認する。
「神舎だけが燃えたのか。だが、これが一連の原因ではあるまい?」
建物の裏手に回り、かろうじて残っている古い石壁の後ろを覗き込む。大昔の礼拝所だった建物だ。
「司祭はここで暮らしていたんだな?」
「何しろ今まで常駐する司祭なんかいなかったから、皆で慌てて手入れしたんだ。」
「私が子供の頃は月の半分暮らす司祭もいたが……」
「マーギスさん、あれ!」バセオが指差す。
見ると焼け落ちた瓦礫の下から、何か突き出ている物が見える。
「まさか……」
マーギスはバセオと顔を見合わせると、用心しながら焼け跡に足を踏み入れた。折り重なったげ瓦礫を上から順にどけていく。最後に大きな長い材を二人で持ち上げると……
「わぁっ!」
声を上げてバセオが後ずさった。
「これは……」
マーギスも顔をしかめる。
現れたのは、ひどく焼け焦げた遺体だった。性別も、年齢もわからない。かろうじて人間だった……というのがわかるのみ。
けれど二人が驚いたのは、それが理由ではない。むしろ損傷が激しくなかったら、もっと動揺していただろう。
その遺体には、顔がなかったのである。
正確に言えば、首から上がなかった。
耐えかねたバセオが、外に駆け出していく。
一人残されたマーギスは、自分でも驚くほど冷静に頭があった箇所を観察した。
しばらくその場を検分して外に出ると、真っ青な顔のバセオが草むらに放心したようにしゃがみこんでいた。マーギスが声をかけると、びくりと震える。
「大丈夫か?」
「すみません。」
「ざっと見たが子供たちは見当たらない。」
それに頭も、という言葉は呑みこむ。
「これ以上二人ではどうにもならないな。あとで誰かの手を借りて……」
「……違う……」かすれた声が呟く。
「え?」
「あれは、ノイゼット司祭じゃない……と思う。」
「なぜ、そう思うのです?」
「上手く言えないけど……違うような気がする。」
やはり、今月慌しくなってまいりました。ということで、次回更新は一週間後の木曜日となります。よろしくお願いします。




