第二十九話
「あらら、都ちゃん。フリューゲルのバイト?」笠木比奈は目を丸くした。
その日フリューゲルで竜杜のポジションにいたのは、白いシャツに黒のスカート、それに黒いエプロン姿の都だった。足元がスニーカーなのが女子高生らしいが、セミロングの髪をヘアクリップで留めているので、いつもより大人びて見える。
「リュートが忙しいから、少しだけピンチヒッターです。」
「接客は苦手、って言ってたのに?」
「苦手だけど……常連さん多いから、なんとか。」
もちろん比奈も、そんな常連の一人である。
同じ商店街にある老舗レストランの看板娘で、ときどき都に写真の依頼をする、むしろ親しい間柄。もちろん竜杜のことも小さい頃から知っており、二人の婚約を報告したときは笑顔で「おめでとう」と言ってくれた。
フリューゲルにはそういう客が多く、都がもたついても皆暖かく見守ってくれるのだ。
「おじさん的にも、跡継ぎできて嬉しいんじゃない?」
「まだそこまで押し付ける気はないよ。」比奈の前にコーヒーを置いた早瀬が苦笑する。
「だいたい受験生にさせることじゃないし。」
「そっか、もうすぐ十二月だもんね。」
それに自分不在で店を開けるに当たって、厨房を宮原栄一郎に頼むことは最初から話がついていたが、まさか都まで店を手伝っていたとは思わなかった。何より冴がそれを許可したのが意外だったが……
「都ちゃんから言い出したこと、否定するつもりありませんもの。むしろ邪魔になってないか心配だったんですけど……」
「栄一郎さんにも聞きましたが、充分、戦力になってたみたいですよ。」
そう、と冴はホッとする。
「あの子、自分から何かしたいって言い出すことなかったから。そんな余裕もなかったんでしょうけど……だから、なるべく気の済むようにさせたいんです。受験生の保護者としては失格なんでしょうね。」
「でも冴さんの言いたいこと、わかります。まぁ一年二年の浪人だったら、うちが責任持ってサポートしますよ。」
その言葉で安心したわけでないが、次の週末も数時間だけ手伝えないかと都に持ちかけたのは冴だった。
「竜杜くん、瞬間的に忙しいみたいよ。セルファさんだっけ?渡す書類がどうとか。」
確認すると急遽セルファが来ることになったので、保留にしていた書類やら手紙をやっつける時間が欲しいと、竜杜がぼやいていたらしい。
それくらいなら、と二つ返事で引き受けたのである。
「そういえば早瀬さん家の駐車場フェンス、その後どうなりました?」
帰り際、比奈が思い出したように早瀬に尋ねた。
「警察から何にも。」
「なーんか気持ち悪いですよね。このまま何もなければいいけど……」ため息をつき、彼女は職場である“レストランうさぎ亭”へ戻って行く。
「誰がやったかわかんないんですよね。」
比奈との会話を小耳に挟んだ都も眉をひそめる。
もちろん早瀬も、フェンスを壊したのが黒き竜を宿した男でないかと考えなかったわけでない。ただ確証がない以上、憶測でしかないのがもどかしい。
「ひとまずここにいる限りは安全だから、大船に乗った気持ちでいていいよ。なにしろ結界が守ってくれるから。」
「けっかい?」都は目をぱちくりさせる。
「この家を守ってるもの。」
「そんなもの、あるんですか?」
きょろきょろ見回す都に、早瀬は苦笑した。
「見えるとこにはないよ。ただ、うちのご先祖が門と一緒に持ってきたものだから、由来は確かだと思う。いずれ竜杜が説明する……と、お客さんだ。」
「あ、はい……いらっしゃいませ……って、佐藤……さん?」
「はろー。」と、佐藤さやかが手を上げた。
その後ろから顔を覗かせた篠原明里が、都を見て目を丸くする。
「ホントに手伝ってたの?」
「って、メイド服じゃないのかよ!」
さらにその後ろから現れた西和臣の発言に、都はフリーズした。
次の瞬間、言葉の意味を理解して「わぁっ!」と声を上げる。
「ないないない!それは絶対、ないっ!」
「何がないって?」
最後に入ってきたのは波多野大地だった。無垢板の扉を閉めると、
「一番大きいテーブル、空いてる?」
「ええと、」
「片付けるから、ちょっと待ってもらって。」
早瀬が手早くテーブルを片付けると、都は四人を庭に面した丸テーブルに案内した。
「へーぇ、戦前の建物かぁ。あーちゃんが言ってたとおり、よい雰囲気。」佐藤さやかが言った。私服だが、お団子ヘアは以前駅で介抱してもらったときと同じ。
「今日、彼氏は?」と尋ねたのは明里。
「ちょっと別の仕事入ってて……」
「こういう場所だったら、絶対メイド服が似合うと思うんだけどなー。」
ぼやく西に、波多野が「あのな、」と呆れる。
「そういうこと写真部に要求すんなつーの。だいたい、何でオレまでつき合わにゃならんのか……」
「その……状況がわかってないんだけど……」
戸惑いながら、都はメニューを配る。まさかわざわざ自分の仕事ぶりを見るために、クラスメイトとその幼馴染が店にやってきたとは思えない。
「安心しろ。オレもわかってねーから。察するに、西がなんかやらかしたか……」
「推薦受けた。」と西。
「ああ……」
「関西の大学の、ね。」と明里。
「そりゃ……」お疲れ、と言おうとして波多野は目を丸くした。
「関西?」
「え?東京じゃないの?」都も思わず手を止める。
「なんでわざわざ、って思うでしょ?」さやかが身を乗り出す。
「そりゃまぁ……でも理由はそれなりにあんだろ?」
「向こうに親戚いるし……」
「都さん、私、カフェオレと今日の焼き菓子。」
西の言葉を遮るように、明里が言った。
どことなく険があるのを感じながらも、都は注文を取りまとめる。
一旦その場を離れたが、客が減ったのを見計らって早瀬に許可をもらい、友人達の話の輪に加わった。
「要するに、もし合格しても西は篠原と別れたくない。けど、篠原は西が信用ならん、と。」コーヒーカップを手にした波多野が話をまとめる。
「自信ないって言われただけだい。」
「どっちにしろ、お前が篠原と佐藤さんになんも言わなかったのは事実だよな。」
「そうなの?」
驚く都を、さやかが振り返った。
「だからいきなり受けた、って聞いてビックリ。しかも明里ちゃんも聞いてなかったって言うんだよ!弟くんまで口止めしてさー。」
都はいつも以上に口数の少ない明里を伺った。
「けどよ、推薦受けるのは前から決まってたんだろ?なんで二人に言わなかったんだ?」
「文化祭まで明里さんフルで動いてたんだぜ。ようやくってときに、よけいなこと言えるかよ。」
西の言葉はどこか歯切れが悪かった。
そんなに付き合いがあるわけでないが、いつもの西ならもっと明瞭な物の言い方をするのに……と思う。
「都さん的に、どう思う?」
「えっ?」
「都さんが見て、最近のあーちゃんとカズくん、どうだった?」
「おい!都さんに、んなこと聞くなよ!」
「そのために来たんでしょ!学校での二人の様子、あたしわかんないもん。だったら知ってる人に聞いたほうがいいじゃん。」
そういうことか、と波多野と都は顔を見合わせる。
「しかもあたしが知ってる二人の友達ったら、都さんしかいないしー、ご近所だっていうから波多野くんにも来てもらったけど……」
「って言われても、いつもどおりだよなぁ?」
「うん。放課後、西くんがうちのクラスに来るのも、他の女子に声かけまくるのも……」
「あのさ……」と西が額を押さえる。
「フィクションでもいいから、もうちょいフォローしようよ~」
「え、でも……」
うんうん、とさやかが頷く。
「確かにいつものカズくんだ。」
「って、さーこまで、ひでぇ……」
「仕方ねーだろ。そーゆー奴なんだから、西は。」
「わかってる。」
それまで黙っていた明里が言った。
「和臣がそういう奴ってわかってる。わかってるから付き合えた。でも……今はわからない。」
「黙ってたの、今回だけだろ。」
イラついたように返す西を、明里は冷ややかに見た。
「充分でしょ。先のことだって……四年で戻ってくるかわかんない。そんなの、信用できるわけない。」明里は言い放つ。
さやかがため息をついた。
幼馴染の不協和音をどうにかしたいという彼女の気持ちはわからなくもないが、明里の険しい表情から察するに、西への不信感は簡単に拭えそうにない。
それに……
「わたし……明里さんの気持ち、わかるかな。」
明里が顔を上げた。
「わたしも何にも言ってもらえなくて、イラついてたから。」
「竜杜さん、口数多くねーもんな。」と、波多野。
「うん。それにわたし年下だから、よけいなこと聞いちゃいけないんだと思ってた。でもなんか勝手に決められて、それが続いたらすごく気分悪かった。」
「それ、どうしたの?」さやかが促す。
「はっきり言った。ほとんど喧嘩だったけど。」
マジ?と波多野が目を丸くする。
「だって……おかしくなりそうだったんだもん。何にも言ってもらえないと全然信用されてないみたいで、だったら、わたしなんていなくてもいいんじゃないかって思い詰めて……そうしたら自分を卑下するなって怒られて、悪循環。だから、勝手に決めつけないで、って言った。」
「それで?」
「一応、小さいことでも気になったら話す、っていうルールにした。わかってるつもりでもやっぱり言わないと伝わらないし、そういうのが積み重なると相手が遠く感じるって実感したから。それに言いたいこと言わないで後悔するのは、お母さんで経験済みだから。」
そこまで言って、都は一同の視線が自分に集まってることに気づいた。
「えっと、その、これはあくまでわたし個人の感想だから……」
慌てる都の耳に、早瀬の呼ぶ声が聞こえた。渡りに船とばかり、「ごめんね」と言ってその場を離れる。だから彼らがその後、どんな話し合いをしたのかわからない。三十分後、三人を見送ってカウンターに移動した波多野に聞いたところ、西も明里も都の話に思うところがあったらしい。
「木島もけっこー苦労してるんだな。」
「苦労ってほどじゃないよ。それより……わたし偉そうに言い過ぎた?」
「んにゃ。大丈夫なんじゃね。オレも、言いたいこと言わないで後悔したくないってのは実感してるから。」
「何かあったの?」
「じいちゃんがさ、最近まだらボケつーの?見舞い行っても話通じないときあって……でも今話さなかったら、もっとわけわかんなくなるだろうなとか、もっといっぱい話聞いとけばよかったなって、いろいろ思うわけよ。面倒だけど……」
「そっか。でも面倒と後悔どっちが嫌かって聞かれたら、わたしは後悔するほうが嫌、かな。」
「それ同意!」ぴっと波多野は指差す。
「ついでに流れで言っとくと、オレ、木島のこと同士だと思ってるから。」
突然の波多野の告白に、都は「へ?」と気の抜けた声を出した。
「だからどこに進学しようと、写真だけはぜってー続けろよ。」
「え、えと……」
いいな、と念押しされて思わず反射的に頷く。
ふと、壁の時計に目を走らせた波多野は「やべ!」と、立ち上がった。
「親父に留守番頼まれてたんだ!」
そう言って大急ぎで会計を済ますと、脱兎のごとく店を飛び出していく。
あっけに取られている都に、早瀬が声をかけた。
「都ちゃん、竜杜が店に出るそうだ。」
ここまででいいよ、と言われた都は、店の裏口を通って母屋に向かう。勝手知ったる母屋の居間でエプロンを外し髪を下ろしていると、仕事着に着替えた竜杜が銀竜たちを連れてやってきた。
「波多野くんに宣戦布告されちゃった。」
「なんだ、それ」
「わたし、波多野くんの同士なんだって。だから写真続けろって。」
「大地らしいな。」
「あと……そうだ……」都は足元のカバンから封筒を出すと、竜杜に渡した。
「セルファさんに渡してほしいの。ネフェルと、お義母さまに。お義母さま宛てのは結納のときの写真。手紙、ネフェル宛て書くのが精一杯で……。」
「今回セルファが来るのは、急な話だったからな。」
そのう……と都は竜杜を上目遣いに見上げる。
「書類が足らなかったとか?」
結婚の手続きが煩雑だと、以前聞いたことを思い出す。
「そっちは大丈夫だ。」
竜杜の説明によると、セルファが来るのはどうやら早瀬の用事が大半らしい。やってくる時間も不確かだし、詳しいことは自分も聞かされていないのだとも。
「リュートでもそういうこと、あるんだ。じゃあセルファさんによろしく言っておいてね。コギン!」都はコートを羽織ると銀竜を呼んだ。
腕に止まった銀竜の金色の瞳を、自分の目線に合わせる。
「いい?今日は自分で飛んで家に帰るんだよ。冴さんが窓開けて待っててくれるから。」
竜杜も同じようにフェスを腕に止まらせ、真っ直ぐ瞳を見る。
「フェスはコギンに安全な道筋を教えること。戻るのはゆっくりで構わない。」いいな、と念押しする。
ややあって、古い日本家屋の二階から、二つの白い影が空に向かって飛んでいった。
フリューゲルのシーンを書いていると、無性にコーヒーが飲みたくなります。
ちなみにパソ打ってるときはほとんど紅茶。
そして次回の更新は土曜日になります。




