第二十八話
目が覚めた。
時間感覚がないのは、よく眠った証拠。
今、何時だろうと思いながら、都はもぞもぞ上体を起こした。
寝ぼけ眼で辺りを見回し、自分の部屋でないと認識する。
「ええと……どうしたんだっけ?」
呟いて、ふと感じる違和感。
「ん?」
自分の体を見下ろし、シャツのボタンに手をかけて首をかしげた。
「えと……逆?」
ボタンの合わせが普段の寝巻きと違う。
「それに、おっきい……」
袖まくりしてるが、かなりのオーバーサイズ。
以前も同じ状況があったことを思い出す。
その瞬間。
「ひぁ!」と、しゃっくりのような声を出して、慌てて口を押さえた。
昨夜のことを思い出し、みるみる顔が熱くなる。
そっと肩越しに振り返ると、そこには無防備に眠る婚約者の姿。
うわぁ……と声にならない声を上げ、両手で顔を覆う。
派手な言い争いの後、離れていた時間を埋めるように身体を重ねたのは、ごく自然な成行きだった。もちろん戸惑いや恥ずかしさはあったが、一緒にいられることが素直に嬉しくて、触れ合うたび、名前を呼ばれるたびに、改めて彼が好きなのだと実感した。何よりそうして得た安心感は、ここしばらく不安だった都の気持ちを解きほぐしてくれた。
果たしてその後の記憶がないのは、安心しすぎた結果か。しかも契約相手の添い寝という強力なオプション付きでは、目が覚めなかったのも道理。
都は竜杜をそっと覗き込む。
うん、と呟く声と共に片目がまぶしそうに開かれる。
「リュート……朝……だと思う。」
「もう少し……」
「走らなくていいの?」
「夕べの雨でどうせ道も悪い。」言いながら、竜杜は都を毛布の中へ再度引っ張り込む。
抱きしめられた都は、腕の中から相手を見上げた。
手を伸ばし遠慮がちに竜杜の頬に触れると、伸びた髭が少しザラリとしている。
改めて、自分とまったく違う身体なのだと思う。
けれどそうやって逞しい腕に守られているのは心地よく、都は思わずウトウトしてしまう。
「夢……見なかったか?」
「見る暇なかった。よく寝たから……」
そうか、と呟く声。
何か忘れているような気がするが、思い出せない。
と、遠くから覚えのある鳴き声が聞こえた。
「……コギン?」
「フェスも……だな。食事の催促か……」
結局寝坊ができない、とぼやきながら、竜杜は腕の中の婚約者を見下ろす。
顔にかかる細い髪を指先で払うと、額にキスを落とした。
「ちょっと銀竜に負けた気分。」
「気のせいだ。」
「コギン……夕べはフェスと一緒だったんだ。」
「明け方まで足元にいたはずだ。目が覚めて居間に行ったんだろう。」
それを聞いた都はあれ?と気付く。
「えーと、つまり……」
わあっ!と叫んで慌ててベッドの上に起き上がる。
「まずい!無断外泊だ!」
頭の中を駆け巡るのは、冴への言い訳。そもそも無断外泊なんて、去年の家出騒ぎ以来だ。
そんな都の様子に、竜杜は「大丈夫だろう」とにべもない。
「で、でも……」
「連絡はしといた。」
へっ?と都の動きが止まる。
「戸締りしたとき、父親から連絡が来たんで聞いてたら、都の携帯に電話がかかってきた。」
そういえば、カバンすら居間に置いたままだったと思い出す。
「そういうわけで事情は説明しておいた。」
「なんて?」
「起こすのが忍びないほど、よく眠ってる。」
「だって竜杜くんのところでしょ。」
あっさりと、冴は言った。
「そうだけど……」
「婚約してるんだから、文句のつけようないじゃない。」
ノートパソコンから顔を上げ、小首をかしげる。
それがあまりにも普通で、小言の一つも覚悟していた都は拍子抜けした。
「でも……前は……」
まったく、と冴は呆れる。
「去年の家出騒ぎと状況が違うでしょ。竜杜くんとは結納交わしてるし、早瀬さん家もうちも、いつ一緒になってもいいと思ってるんだから。」
「そ、そうなの?」
「そおよ。それも含めて、もう十八になったんだから自分の責任で行動しなさいって言ってるの。了解?」
「ええと……はい、了解です。」
「とはいえ、こっちの都合もあるんだから連絡はしなさいよ。」いいわね、と念押しされる。
「んで、コギンのお迎えと、店の手伝いに行くんでしょ。」
ひとまず急いで帰宅したかったのと早瀬不在のフリューゲルを手伝うつもりで、コギンは早瀬の家に預けてきたのだ。
「そんなに遅くならないつもりだけど……行ってきてもいい?」
「竜杜くんと栄一郎さんの邪魔になんなきゃ、いいんじゃない。」
「邪魔になるかどうか、やってみなきゃわかんないよ。」
都の言葉に、冴はにっこり笑う。
「ま、がんばってみなさい。飲食店なんだから、髪、ちゃんとまとめなさいよ。」
「はぁい!」
ばたばたと居間を飛び出していく後姿に、冴は苦笑する。
作業の続きをしようとノートパソコンに目を落とし、新着メールがあることに気づいた。開いて内容を一瞥し、「うーん」と唸る。
「こっちも、腹のくくり時かしらね……」
気配に薄目を開けた。
「よぉ、兄ちゃん。昼寝か?」
薄汚れた作業着姿の男が立っていた。離れていても、すでに酒臭いのがわかる。
「仕事明け」とだけ答える。
「そりゃ、いい。」
男はコップ酒を煽りながら、もう一度同じ言葉を繰り返す。満足したように頷くと、公園の反対側で昼間から宴会に興じている仲間のところに戻っていく。
彼はもう一度目を閉じると、被っていたキャスケットを顔まで引き摺り下ろした。そうしていれば酔っ払いたちが声をかけてこないのは、すでに実証済み。それにこの方が、外からの刺激をシャットアウトしやすい。
柔らかな陽射しが全身を包む。
建物と高架に囲まれたこの公園に陽が差すのは、一日のうちでもほんのわずかな時間しかない。そんな場所だから、子供が遊ぶ姿を見たことがない。すなわち、好都合。
うつらうつらしながら、意識を保って心の内で呼びかける。
それは夢と現実の境界のようなもの。真っ暗な闇の中を、手探りで歩くのにも似ている。
唐突に、声がした。
- 今日も寒いんだね。
(冬だから。これからすげー寒くなる。)
- 冬……寒くないよ。
(東京は寒いんだよ。)
- そうなんだ。
他愛ない会話が瞬時に交わされる。
本当は言葉でないのかもしれない。
音のようで色のようで、香りのようでもある。
どこの国の言葉なのか。
相手が男なのか女なのかもわからない。
ただわかっているのは、明らかに黒い靄とは違う人格だということ。そして全ての会話が自分の中で交わされているということ。
気づいたのは、一年前。
竜騎士と交えて傷つき、身動きすらできなかったとき。傷が回復するのを待って、何日もじっとうずくまっていた。その間、黒い靄が命を繋いでいるのは感じていたが、一抹の不安を感じて思わず呼びかけてみた。
- まだ、動けないみたいだよ。
(おまえ……黒い奴じゃない?)
- 黒い奴……空の民のこと?
(そらの……たみ?)
- ねぇ、それより痛い?
(みりゃ、わかんだろ。)
- 見えないもん。でも痛いのはわかる。だって痛いから。
(おめーも痛いのか?)
- うん。でももっと痛いことあったから、これくらい平気。
(もっと痛いって、それ死んでんじゃね?)
- わかんない。でも死んでたら神様が迎えに来てくれる。まだここにいるから、死んでない……きっと。
(神様なんて、いるわきゃねーだろ!)
- いるよ。
(いたらこんなに苦しくねぇよ!)
- でも、いるもん!
どこかイラつきながらも、話し相手がいるだけで気が紛れた。
傷が回復し、弱っていた黒い靄を回復させるため“普通の生活”に紛れ込むと、会話はいっそう増えた。
けれどその声が何なのか、どうして今まで気づかなかったのか、試しに当人に聞いてみても明確な答えは出なかった。
- だって気がついたらここにいたから。
(じゃあその前はどこにいたんだ?)
- じぶんち。
(ソレ、どこだよ?)
- わかんない。
万事そんな調子なので、最近では真面目に聞くのをやめた。
ただ黒い靄が自分を支配しているときは、いくら聞こうとしても声は聞こえない。逆にこうやって気を抜いて黒い力を意識のずっと奥底に追いやると、呼びかけに応えてくれる。
つまり彼等は表裏一体なのだ。
それがわかってからだった。どうやったら自分の中の存在をコントロールできるか考えたのは。最初はてこずったが、要領を掴めばたやすかった。それに声が応え、黒い靄がなりをひそめると、どうやら黒い方の気配も消えるらしいとわかった。
なにしろあの男でさえ、自分が近くにいることに気づかなかった。だから少しだけヒントを与えた。そうしたら案の定、必死になって自分を探していた。
相手の慌てぶりを思い出し、喉の奥で笑う。
- 何、思い出してるの?
(すげー楽しかったこと。そういうの、あんだろ。)
- むかし……あったかも。
(それ、帰りたいトコの話しか?)
- うん。
ざわり、と黒い物が蠢く。
「忘れちゃねーよ。」
声に出して、シャツの上から腕に触れる。
その下にあるのは、白い竜と対峙して負った傷跡。
「でもまだ完全、本調子じゃねぇ。焦って失敗したくねーだろ。」
黒いものがスッと深いところに潜る。
当然、という言葉が頭に浮かんだ。
追い討ちをかけるように声が言う。
- 約束だよ。
(たりめーだ。)
「それに……」
声に出して呟く。
「借りはぜってー、返してやる!」
いつも読んでくださっている皆様、ありがとうございます。
えーと、まぁ今回は色んな意味で、一作目に通じる内容かと思います(^^;
そして次回は火曜日に更新予定です。




