第二十七話
「伯父さま!」
「クラウディア?」
「ああ、よかった!間に合って。」
クラウディア・アデル・ヘザースは抱きつかんばかりの勢いで早瀬に駆け寄った。
その表情と仕草、それに漆黒色の瞳は彼女の母親、そして自分の妻の若い頃を連想させる。けれど彼女達と決定的に違うのは、その身を包んでいる革の飛行服。茶色の長い髪は頭の上でまとめ、闊達な表情は日に焼けて健康的過ぎるほど。
「聖堂に寄ったら伯父さまが戻ってるって。こんな時期に帰ってくるなんて……」
「奥さんが不調で、いてもたってもいられなくてね。」
「お店は?」
「竜杜に任せてきた。」
「一応、役に立ってるのね。ミヤコとは上手くやってる?」
「たぶん。」
「本当は、喧嘩のひとつくらいあったほうがいいんだけど。」
「確かにその通りだ。」早瀬は笑う。
早瀬にとってクラウディアとセルファの双子の姉弟は、自分の子供にも近い存在だ。彼らの両親がやんごとなき事情でガッセンディーアを離れていた時期に、二人がラグレスの家で暮らしたのは一度や二度ではない。その間、幼い二人は銀竜と戯れ、同胞と飛ぶことを覚えた。だからクラウディアにとっては早瀬は「大好きな伯父」であると同時に「尊敬すべき大先輩」でもある。
「仕事は忙しいのかい?」
「まぁまぁ。今日はまだ休暇だけど……」
「クラウディア!」
背後からの声に「あら」とクラウディアは目を丸くする。
「急ぐにもほどがあるよ!」
駆け込んできたのは、彼女より年上の男性。竜に乗る格好ではあるが、短い亜麻色の髪にくすんだ青い瞳の優男は、クラウディアとは対照的な学者風情。
肩で息をしつつも乱れた髪を軽く整え、礼儀正しく挨拶する。
「ご無沙汰しています。カズト伯父上。」
「久しぶりだね、メラジェ。それに二人揃ってとは珍しい。」
クラウディアが一族であるメラジェ・ヘザースと結婚し契約を交わしたのは、もう数年前になる。けれど彼女自身も竜隊の仕事が忙しく、メラジェも勤務地がカーヘルにあるため、事実上別居生活なのは周知のこと。当然、早瀬がメラジェと顔を合わせたのは片手の指より少ない。
「そういえば、神の砦の予備調査を任されていたんだったね。」
「ええ。これから報告書をまとめるところです。なにしろ聖堂からの催促がひどくて……」
隣でクラウディアが肩を竦める。
「催促もしたけど、ちゃんと迎えにも行ったじゃない。」
「めったにしないことするから、助手が大騒ぎだ。それより、ぜひ銀竜の研究者にお伺いしたいことが……」
「メラジェ!」
クラウディアが夫を睨めつける。
「だって銀竜の専門家に会えるなんて、そうそうないことなんだよ。」
「今、この場ではあたしの伯父さまよ。それにこんなところで……」
確かに学術的な議論を交わすには、アデル家の玄関先は不向きと言えよう。
それに……
「残念ながら僕もまだ用があるので。長い話はまた次にでも。」
メラジェはがっくりと肩を落とす。
「仕方ありません。でも次はぜひ!意見を聞かせてください。」
早瀬が頷くのと同時に、門の外から声がかかった。早瀬は軽く頭を下げると、銀竜を従えたトラン・カゥイに駆け寄る。
「すまないね、トラン。」
そう言って立ち去る後姿に、クラウディアは手を振る。
「今の人は……」
「伯父さまの古い知り合いよ。」
「トラン……どこかで聞いた名前だが……」
「それより!」クラウディアは夫を振り返る。
「ちゃんとお母さまに挨拶してね。」
「おれは子供じゃない。」
「頭の中は遺跡のことでいっぱいでしょ。とにかく、普通の人に難しい話しちゃダメ!」いいわね、とクラウディアは念押しした。
早瀬がトランを送ってラグレスの家に戻ったのはその日の午後。
竜を空に帰しながら、今日のうちに早瀬の家に戻るのは無理そうだと判断する。
「それは構いませんが、リュートさまは大丈夫なんでしょうか。」
出迎えたイーサが首をかしげる。
「店に関しては大丈夫だろう。むしろ僕がいないほうが実力を発揮できるんじゃないかな。」
「リュートさまは昔から本番にお強いですからね。」
「それでエミリアは?」
「二階のお部屋にいらっしゃいます。」
「じゃあ、温室で待ってると伝えてくれないかな。僕は厨房に行って、コーヒーの支度をしてくるから。」
ルーラを従え厨房へ行って帰宅を遅らせる旨伝えると、料理人は飛び上がらんばかりに喜んだ。
「じゃあ今日は夕飯、召し上がるんですね!それに仕込みもできる!」
「仕込み?」
「新しいお菓子とか……カズトさま、持って行っていただけますよね?」
「都ちゃんへのお土産だね。あんまり大量でないことを祈るよ。」
ケィンは「はい」と頷くと、すぐに早瀬のための菓子の用意に取り掛かる。
カズトは物入れを開けるとコーヒーミルとドリッパーを引っ張り出した。
「フィルターは……竜杜が補充してるのか。」
ビンに入ったコーヒー豆と道具をまとめてカゴに放り込むと、そのまま温室に移動する。銀竜たちが気持ちよさそうに日向ぼっこをしている傍らで、早瀬はミルに豆をセットしてハンドルを回した。
「姉さまが頑固で口の堅いことは、あなたが一番よく知ってるでしょう。」
思い出すのは、シーリア・アデルとの会話。
「今回だってそう。ただ、疲れただけとしか言わなかった。」
「でも君はそうじゃないと思ってる?」
「姉さま……眠っているときにうなされていた。」
そうか、と早瀬は息をつく。
「君にも辛い思いをさせたね、シーリア。」
「あたしは大丈夫よ。ただ……本当に……どうしてあなただったのかしら。」
漆黒色の瞳を曇らせ、シーリアは小首をかしげた。
「あなたが姉さまの初恋の相手で、夫であることに不満はないの。ただ、どうしてあなたが門番だったのかしらといつも思う。どうして、普通の一族のように一緒に暮らすことができないのかしら。」
もっともな疑問だった。
けれどそれは当人達にもわからない。あえて言うなら“出会ってしまった”結果でしかないのだから。
「うん、いいね。」
ミルの蓋を開け、挽いたコーヒーをペーパーフィルターに移す。
辺りに漂う香ばしい香りに、銀竜たちも興味津々らしい。
料理人が湯を持ってきたのと、エミリア。ラグレスが温室にやってきたのがほぼ同時だった。
「契約相手を差し置いて飛び回るのは、ハヤセの血筋かしら。」
料理人が整えてくれたテーブルについたエミリアが呟く。
「僕は竜杜ほど忙しくないよ。」
コーヒーを淹れながら早瀬は応えた。
「でも今回は、さすがに忙しかったね。」
早瀬はコーヒーをカップに注ぐとエミリアの前に置く。
漂う香りに、エミリアは思わず目を閉じる。
「いい香り。リュートがときどき淹れてくれるけど……やっぱりあなたの淹れてくれるのが一番。」
「嬉しいね。その言葉のお礼に、明日の夕方までは君の傍にいることにしよう。」
「最初から、明日戻るつもりだったのでしょう。」
「イーサから聞いてたか。」
「何か企んでいる?」
「実はシーリアが心配していてね。君の傍にいて欲しいと言われたんだ。」
「あの子ったら……」
「うん。この菓子はコーヒーに合うな。それに心配してたのは僕やシーリアだけじゃない。都ちゃんも気にかけてくれてたし、それに宮原も。」
「ショウコが?」
「彼女のご主人がそう言ってた。」
「なら、大丈夫と伝えてちょうだい。本当に、疲れていただけなの。」
「あのときも、そう言ったね。」
エミリアが眉を寄せる。
「君が二度目に僕の前に現れたとき。」
「忘れたわ。」
予想したとおりの答え。
いつもならそれで諦めるが、今日は覚悟を決めている。
「エミリア……君は僕の大切な伴侶で、命運を共にする契約相手だ。」
「改まってどうしたの?」
「君は肝心なことを忘れてるんじゃないかと思ってね。つまり君が辛いと感じれば、それは僕にも伝わる。たとえ世界が違っても。」
エミリアは音を立ててカップを置いた。
「ここしばらく君が不安になってるのは感じてた、でも向こうの世界にいる僕には何もできなかった。もどかしかったよ。」
「でもそれは最初から……」
「そうだね。それがわかっていながら、僕は向こうに帰った。君と竜杜を置いて。」
「それは……必要なことだもの。あなたのお父さまが守ってきた物を、放っておくわけにいかない。そうでなくても、私はあなたをハヤセの家から引き離したのよ。」そっとエミリアは目を伏せる。
またか、と早瀬は心の内でため息をつく。
「エミリア、何度も言ってるように、親父は僕の思うとおりに生きろと言って送り出してくれたんだ。」
「あなたも……あなたのお父さまも優しすぎる。」
「君は自分を責めすぎる。それに僕はむしろそういう流れだったんじゃないかって思うんだ。ルーラが目覚めたことも。君が僕の前に現れたことも……そして竜杜が生まれたことも。そして竜杜と都ちゃんが出会ったことも……もちろん、僕は日本人だから宗教的な思想も入ってるかもしれない。でも結果だけ見ると、妙に納得できることが多いんだ。」
エミリアが顔を上げた。眉間に皺を寄せ、
「何が言いたいの?」
「君について、僕がまだ知らないことがあると思ってね。」
膝の上に置いたエミリアの手に、力が篭る。
「僕だけじゃない、シーリアもオーロフの御大も知らないことだ。もちろん、それを思い出すのも抑えるのも辛いのはわかってる。」
「だったら!」
「だから、知りたいんだ。だってあのときの君は今にも消えてしまいそうなほど憔悴していて、それで宮原の応援を頼んだんだくらいだからね。尋常じゃないことは覚悟してる。」
でも、と早瀬は妻の手の上に自分の手を重ねた。
「僕は知りたいんだ。」
「知って……どうするの?」
「説明が必要なら、する。」
エミリアの漆黒色の瞳が、早瀬を真っ直ぐ見る。
「理由が……あるのね?」
早瀬は頷く。
それで充分だった。エミリアはその理由が息子たちに関わるものだと、うっすら感じ取る。目を閉じて、一瞬考える。
そして目を開くと、言った。
「少し……時間をちょうだい。」
お久しぶりのクラウディア登場です。旦那さんは初登場。しかもよく考えたら竜杜両親のツーショットも初めてでした(^^;
次回は金曜日に更新予定です。




