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第二十六話

「あの日、僕は古い集落を目指していました。といっても具体的なツテがあったわけでなく、村があるかどうかも怪しかった。」

「当時、ぼくとカズトさんは古い文献や地図を頼りに村や神舎(しんしゃ)を訪ね、記録を見せてもらったり話を聞いたりしていたんです。当然、すでになくなった集落や村もありました。災害で村ごと別の場所に移住した人たちもいました。」

 トランの説明に早瀬(はやせ)は頷き、

「あの日もそうでした。住む人がなくなった村の、かろうじて道らしき道をたどって……そこであなたと出会った。」

「覚えています。あんな場所に人が来ると思いませんから、驚きました。しかも以前、神舎にいらした異国の方と再びお会いするとは……」

 トランが「あれ?」と呟く。

「もしかして……それ、ルーラがおかしくなったときのことですか?」

銀竜(ぎんりゅう)はいませんでしたよ。」

「ええ、僕一人でした。一人で道をたどって、村の墓地に行きついた。そこで二度目の偶然に出会ったんです。たしかご両親と弟さんの墓参りにいらしてたんですよね。」

「そんなことまで覚えてらっしゃるとは……」

「ここに来る前に、当時の記帳を見直したんです。そのとき、村がなくなったのは数年前の流行病(はやりやまい)のせいだと教えてもらいました。そのせいで村人全員……老人から子供まで皆亡くなったと。その後、近くの村でも同じことを言われたので疑いもしなかったが……でも気になっていたんです。なぜ、ルーラがあの場に同行することを拒んだのか。」

「銀竜が……拒んだ?」

「あのとき、実はルーラも連れていたんです。ですが村に近づいたら急にどこかに行ってしまって……命令することもできたんですが、嫌がってる気配があったのでのそのまま放っておいたんです。実際、墓地から離れたら戻ってきたので、ただの気まぐれかと思ったんだけど……」

「でもカズトさん、ルーラみたいな好奇心旺盛な銀竜がそんな行動するの珍しいって、当時こぼしてましたよ。」

「だって呪術(呪術)の影響なんて考えもしなかったし、他の銀竜が痕跡に触れたときは、もっと強い拒否反応を示したからね。」

「他の銀竜が、呪術に触れたことがあるのですか?」と、マーギス。

「直接ではありませんが。大昔、呪術を執り行ったといわれのある遺跡に連れて行ったことがあって……そのときは怖がって大変でした。」

「銀竜の個体差にもよるんじゃないでしょうか?」それまで黙っていたセルファが口を開く。

「私も昔からラグレスの家で銀竜たちを見てますが、特にカルルやルーラはひとくくりにできない性格のような気がします。それにコギンも……」

「うん、僕もそう思う。特にルーラは……」

 早瀬は空いた椅子の上で大人しく丸まっている、白い小さな竜に目を向ける。

「ずっと向こうにいたから、こちらで受ける影響が他の銀竜と違うのかもしれない。ただ銀竜は強い生き物です。何年か前に蔓延した病気など影響しません。むしろ彼らが嫌う状況は……神の砦で目の当たりにしたはず。」

 肯定とも否定ともつかない音が、マーギスの口から漏れる。

「あなたと神の砦、そしてあの村での出来事から、あのときルーラが示した反応は呪術に対するそれだったんじゃないかと……でもそう至ったとき、僕はとんでもないことを考えてると思いました。なのにそう考えれば考えるほど、あなたの行動が()に落ちる。あの村は流行病でなく、呪術の影響で死に絶えた。そしてあなたはそれが誰の仕業か知っていて、しかもその人が呪術を復活させると確信してる。」

 一瞬の沈黙。

 早瀬はそっと息を吐き出した。

「もちろん、すべて僕の憶測です。」

「もし……」マーギスが静かな声で言った。

「仮に私が呪術を繰る者を知っていたとして……あなたに何の関係があるのでしょう。」

「それは……」

 口を開きかけたトランを、早瀬が制した。

「僕は、あなたや神舎を敵に回すなど毛頭考えていません。この先は本当に勘でしかありませんが、我々が探している物の手がかりは、あなたが探している人に通じてる気がするんです。」

「どうも……曖昧ですな。」

「曖昧です。」早瀬も認める。

「それにあなた方が何を探しているか知りませんが、呪術が関わるようなものを、なぜ一族であるあなたが必要とするのか。むしろ空の民や銀竜に近づけてはいけないはずでしょう?」

「おっしゃる通り。ですがそのことに限って言えば、世界と、息子の大切な人を守るために必要なんです。ただ現実離れしすぎていて、僕らだけではどうにもできないのが実情で……。」

「世界とは、また大きく出ましたな。それに大切な人とはミヤコさんのことですか?」

「ええ。」

「彼女が誰かに狙われているとでも?それに現実離れしているものを、私が素直に納得するとお思いですか。」

「する……と思います。」

「なぜ?」

「それが呪術によって引き起こされた結果だから。あなたの村と同じです。」

 マーギスは息を呑む。

「そんな話……」

「当然、あなたの耳には入ってないでしょう。こちらでは何も起きていませんから。」

「伯父上。」

 業を煮やしたセルファが口を挟んだ。

「遠まわしな説明はこれ以上無理です。もし伯父上の思うような結果が得られなくても、それをマーギス司教が口外しないと信じるしかありません。」

 そうだね、と早瀬は頷く。

 背筋を伸ばし。真っ直ぐ相手を見据える。

「結論を言えば黒き竜を封印する。その方法を探すのが早瀬の……僕の実家に課せられた役目です。」

「黒き竜は復活していない。」

「こちらでは。ですが向こうでは実体のない黒き竜の気が復活しつつあります。」

「しかも一族に伝わる封印の方法が不完全なので、今は手出しできない状況にあるらしいですよ。」茶菓子に手を伸ばしながら、トランが言った。

「トランには、そのための方法を探してもらっているからね。」

 そこまで聞いて現実離れした話に微かな苛立ちを感じていたマーギスは、あることに気づく。

「さきほどから“こちら”とか“向こう”とか……一体何の話をしているんです?」

「英雄伝説に精通しているあなたなら、ご想像がつくと思います。銀竜の本来の役目もご存知でしょうから。」

 まるで問答のような早瀬の言葉にマーギスは考えを巡らせる。

 英雄伝説、そして銀竜。

 子供の頃、村の古老から聞いた物語が脳裏に蘇る。けれど……

「まさか!そんなことはありえない。確かに銀竜の本来の役目は道標(みちしるべ)。けれどそれは門という通路があっての話。」

「その通りです。」

「あなたが伝承に詳しいことは認めますが、門はあくまで伝説上の存在。聖堂(せいどう)も神舎も、その存在を確認していないではないですか!」

 困ったな、と早瀬は息を吐き出す。

「確かに一族は正式な公表をしていません。ですが門が存在するのは事実なんです。」

「その根拠は?」

「僕が門番だから。」

「な……」

「僕は、向こうの世界で門を守ってきた一族の末裔です。」

 とっさにマーギスはセルファを見た。

「その通りです。」こともなげに青年は答える。

 ごくり、とマーギスの喉が動く。

「だったら……あなたは神だとおっしゃるのか?」

「否定するのは辛いのですが、それはありえません。神がいかなる人たちだったのかわかりませんが、門の向こうに通じる世界はこちらと大差ありません。」

「だとしたらあなたのご子息は?」

「一族であり門番である。稀有(けう)な存在です。」

「ではミヤコさんは?」

「向こうの世界の人間です。」

「では向こうにも一族が?」

「いいえ。そもそも竜がいません。」

「契約は……成立しているのですよね?」

「その件に関しては僕らもわからなくて……その、本人も契約したときのことをほとんど覚えてないものだから……」

 マーギスの小さな灰色の瞳が見開かれる。

「契約を……覚えていない?なぜそれで契約を交わしたのです?」

「説明が必要ですか。」

「できれば。」

 仕方ない、と溜息をついてカズトは話し始めた。

 そうして一通りの話を終えたのは、店の閉まる時間を大きく過ぎた頃だった。当然、皆が帰路についたのはもっと遅い。

 その翌朝。

 礼拝を終えたマーギスは中庭を望む回廊に立っていた。

「マーギスどのがぼんやりなさっているとは珍しい。」

 背後からの声に振り返る。立っていたのは医務官を兼任する司祭だった。

「昨夜は遅いお戻りだったようですね。」

「古い友人と会っていたのでつい……それに懐かしさに任せていささか呑みすぎました。」マーギスは苦笑する。

「では二日酔いの薬を処方しましょうか?」

「できれば食べ過ぎの薬を所望したいところです。」

「すぐにお届けします。どちらに……」

「今日はずっと部屋にいます。」

 その言葉を裏付けるように、マーギスはそのまま真っ直ぐ執務室に向かった。机に置かれた書類を押しのけ、まっさらな紙を目の前に置く。昨夜交わした会話を思い出しながら、ペンを走らせた。


「聖堂の……リラントの瞳はご存知ですね。言い伝えも含めて。」

「黒き竜が復活するとき、瞳が紅くなるという……あれですか?」

「ええ。すべての発端はそれでした。」

 そう言って早瀬が話した内容は、マーギスの想像を絶するものだった。特にリュート・ラグレスとミヤコ・キジマが契約を交わした経緯は、彼をひどく驚かせた。

「命を助けるために契約を……それで彼女は納得したのですか?」

「結果はご存知のはずです。」

「あ……」

 マーギスの脳裏にひとつ光景が浮かぶ。

 あれは神の砦の騒動の後、傷を負った彼女をリュートが治癒したとき。交わした言葉と共にリュートが彼女に向けた安堵の表情、それに応えたミヤコの笑顔は見るものをホッとさせる暖かさがあった。

 それは心から互いを思う気持ち。

 トランが訊ねる。

「ぼくは会ったことないんですが、どんな女性ですか?」

「聡明で可愛らしい女性です。それに銀竜と通じ合える優しい人。」

「彼女は人に対しても優しい。私の娘達にもよくしてくれます。」セルファも同意する。

「銀竜を名付けるってことは、そういう資質を持ちあわせてるということか……」なるほど、とトランはひとりごちる。

「だから息子は焦ってます。もし再び彼女が襲われれば、二度目の契約はありえない。あなたには関係ない話ですが、僕はこれでも竜杜(りゅうと)の父親です。息子にこれ以上辛い思いはさせたくない。」

「私も同感です。それにあくまで想像の域ですが、ミヤコの命が危うくなれば、リュートはその後を追いかねない。」

 セルファの言葉に、マーギスは背筋にぞくりとしたものを感じる。

「もしそうなったとしても、僕はそれを止められない。契約が成立しているということは、それだけ失う痛みも大きいからね。」

「お二人のことは、一族評議会も承知しているのですか?」

「上層部は了承してます。ただ、全てを知ってる人は評議会でもごくわずかですし、そもそも僕が門番だと知る人は少ないですから。ああ、でも今日、長老と議長にはお会いして、報告してきましたよ。」

「ではその格好は……」隙のない早瀬の服装に、マーギスは納得する。

「上司と会うための仕事着です。なにしろ義理の妹が身だしなみにうるさくて……」

「アデルの奥さまらしいですな。」

「似合ってますよ、伯父上。」セルファが微笑む。

「私はハヤセの家も、英雄の家系に並ぶほど立派だと思っていますから。大気の薄い世界にあって、穏やかな場所を見つけ門を大切に守ってきた。その行為は賞賛に値すべきです。」

 セルファの言葉に、早瀬は「ありがとう」と微笑む。

 その瞬間、マーギスの気持ちは決まった。

 ただその場でそれ以上議論する時間はなく「後日連絡する」と言うのが精一杯であった。

 精一杯の気持ちを、目の前の紙にしたためる。

 最後に署名をして封をすると、隣の部屋に控えていた弟子のオゥビを呼んだ。

「手紙を届けてもらえますか?バセオも一緒に行って、場所を覚えてもらうのがよいでしょう。」

「アデル商会ですね。」

「ええ。本の新しい目録を頼んであるので、受け取ってきてください。」

 わかりました、と下がりかけたオゥビを呼び止める。

「それと近日中に墓参りにいくので、予定の調整をお願いします。」

「墓参り……司教さまの故郷ですか?」

「知人が南に行くというので、便乗して行ってきます。陸路を行けば数日かかりますが、空の民の翼を借りれば一日の距離だそうです。四日ほどで戻れるでしょう。」

 オゥビが目を丸くする。

「竜で行かれるんですか?」

「だから便乗すると、言ったでしょう。」

「それに彼女が見つかるまで報告できないと……」

「アンリルーラのことは諦めていません。だからこそ、今一度原点に戻るんです。」

ちょっとボリューミーになりました。

今月は四日ごと更新で行きます。ということで、次回の更新は月曜日です。

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