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第二十話

 無意識に襟元に手を伸ばし、ため息をつく。

 先ほどから何度も繰り返す自分の仕草に、早瀬(はやせ)は呆れていた。

「緊張しているのかね?」

「それなりに。」

 隣に座るガイアナに言われて、早瀬は白状する。

「君がそう言うとはいささか意外だが……」

「強いて言うなら、遅刻をして先生に怒られにいく気分です。」

「それは、ずっと来るのを渋っていた君の心情なんだろうな。」

「それを言われると返す言葉はないんですが……」

 かつん、と足音が響く。

 それを合図に早瀬とガイアナは立ち上がる。

「お待たせして申し訳ありません。」

 涼やかな声が二人を迎えた。

「こちらこそ、早く着いてしまって申し訳ない。」

 いいえ、と相手は首を振る。

 亜麻色の髪は瞳と同じ空色の石を嵌めた髪飾りで留め、深い紺の服は派手ではないが、彼女の白い肌と女性らしい身体の線を綺麗に引き立てている。

「ご無沙汰しております。カズトおじさま。」

(せがれ)が世話になっているらしいね。」

 ええ、とアニエは微笑む。

「それにアニエ嬢は一段と綺麗になった。婚約者も鼻が高いんじゃないかな?」

「どうかしら?でもリュートの婚約者もとても可愛らしい方ですわ。彼女はお元気?」

「勉強が忙しいようだが、元気に過ごしていますよ。」

 よかった、とアニエは頷く。

 アニエ・フィマージは一族を率いる長老の孫娘で、ここ一年は祖父の看護のため実家を出てこの屋敷で暮らしている。そのことは聞いていたが、久しぶりに会った彼女が美しく、そして凛とした落ち着きある女性に成長したことに早瀬は心底驚いた。

「最近では、評議会に関わる雑事も手伝ってもらっている。」

 評議会議長であるガイアナの説明に、早瀬は「それは凄い!」と声を漏らす。

「議長がここにいらして、打ち合わせされたときだけですわ。それにちゃんとお役に立てているのかどうか……」

「それはもう。」とガイアナは頷く。

「あなたが記録をまとめてくださるから、我々も議会を維持できるのです。」

「そんな大げさな。でも……一族の一人としてお役に立てるのであれば、嬉しく思います。」

 そんな挨拶を交わしているところに、準備が整った旨の連絡が伝えられる。アニエは了解すると、二人を庭に面した日当たりの良い部屋に案内した。

「祖父はすぐに参りますので、お待ちください。」

 その言葉通り、アニエと入れ代わりに車椅子に乗った老人が部屋に入ってくる。

 一族の長老、ルヴァンドリ・ワイラートである。

 ほぼ十年ぶりに対面するその姿に、早瀬は息を呑んだ。

 残り少ない白い髪は以前と変わらない。けれど膝に乗せた腕は骨が浮き出るほど痩せ、肌もひどく乾いているように見える。

 彼は椅子を押してきた看護人を外にやると、ガイアナと早瀬を近くに呼んだ。

 土色の唇から、くぐもった声が絞り出される。

「よく来てくれたね、門番の子。」

「ご無沙汰しております。」

「堅苦しい挨拶はいらない。それより、向こうの生活はどうかね?」

「門の守りは以前より強固にしています。今はフェスもいるので……」

「そうではなくて、お前の暮らしぶりはどうかと、聞いておるのだ。」

「暮らしぶり?」

「十年前、隊を辞めるときに言っていただろう。父親の残した商売を継ぐと。」

 そんなことを覚えていたのかと、早瀬は驚く。

「上手く行っているのか?」

「おかげさまで。」戸惑いながら早瀬は言った。

「常連もついていますし、どうにかこの十年、店を切り盛りすることができました。」

 そうか、と老人は頷く。

「たしか息子も手伝っているのだったな。」

「議長の\采配さいはいのおかげです。さして期待していなかったのですが、留守を預けるほどには役立っています。」

「それはハヤセ・カズトの教え方が良いのだろう。どうした?」

 不意打ちを食らったような表情の早瀬に、長老は首をかしげる。

「……すみません。」

「このワイラートが老いたことに驚いたかね?」

 いいえ、と早瀬は首を振る。

「安心しました。」

 その言葉どおり、安堵の笑みを老人に向ける。

「あなたが……未だ長老であることに。」


 呼び鈴の音に、アニエは首をかしげた。

 程なく使用人が連れてきたのは……。 

「グレング兄さま!」

 四つ年上のフィマージ家の次男に、アニエは飛びつくように駆け寄る。

「ひょっとして客人が来ていたのか?迷惑なら出直すが……」

 アニエは首を振る。

「リュートのお父さまがお見舞いに来てくださったんです。ガイアナ議長がご一緒なので私の出る幕はありませんわ。」

「リュートの……というとカズト・ラグレスか。彼は辺境の自国に戻ったのでは?」

「御用でこちらに一時的に戻ってらっしゃるとか。兄さま、カズトおじさまをご存知なんですか?」

「祭りの飛び方を教わった、かつて教官だよ。」

 まぁ!とアニエは目を丸くする。

「初めて聞きました。」

「彼は優秀な乗り手だったから、教わった生徒は数知れず。ぼくもその一人だ。」

 妹と同じ空色の瞳が笑う。

 髪は濃い茶色で、竜騎士の習慣に倣って首筋で束ねている。普段は評議会で父親の仕事を手伝っているが、今日は別の用件だったのか気軽な格好である。

「母さんの調子が優れなくて、看病に行ってきたんだ。もう落ち着いてるから心配ないけど。」

「ユール兄さまは?」

「相変わらず忙しいらしくて、こちらに連絡が来た。」

「それにセレジュは?」

 グレングは肩を竦める。

 アニエはもう!と唇を尖らせる。

 フィマージの実家に暮らす兄と弟が不在なんて、とぶつぶつ文句を言う。

「母さんの病気は気持ちの問題だから、一緒に暮らしている者にとってはいつものことなんだろう。ぼくもしばらく戻ってなかったから、ちょうどいい機会だったよ。」

「グレング兄さまが優しいから、皆が甘えるのよ。」

「だとすると、これも妹を甘やかす一因かな?」グレングは手にした紙包みを持ち上げた。

「それは必要なもの。甘やかすのとは違うわ。」

 アニエは言うと、自分が使っている書斎にグレングを案内した。

 以前は子供の勉強部屋だった場所に、女性が使うにしては大きい年代がかった机が鎮座(ちんざ)していた。壁に沿った棚には分厚い本が並んでいて、背表紙を見れば、嫁入り前の女性が読むには似つかわしくない法律や歴史の本が多いことに気づく。そして顔を上げれば、家具のない壁には所々に印をつけた大きな地図。

 グレングは、やれやれと首を振る。

「父さんと母さんがこの部屋を見たら、卒倒するだろうな。」

「四六時中この部屋にいるわけではないわ。ガイアナ議長がいらしたとき、それにお祖父さまの御用があるときだけ。」

「だけというが、長老と議長の仕事を手伝うのは簡単なことじゃない。」

「私がどんなに物を知らなかったか、兄さまはご存知でしょう。」

「ぼくが教えたのは最初だけだよ。その先は、アニエが自分で勉強したんじゃないか。それよりオーディはお前がお祖父さまを手伝っていること、知ってるのか?」

 ええ、とアニエは頷く。

「彼、最近この家と評議会の連絡を任されているから。でもお父さまのようによけいな勉強をするな、とか、早く実家に帰れなんて言わないわ。」

「だろうな。」

 グレングは、妹の婚約者の豪胆な性格を思い出す。

「私がそうしたいのならすればいい。でも無里は絶対するなって……」言いながらアニエは兄から受け取った包みを開き、出てきた本に歓声を上げる。

「貿易関係の資料が欲しいと言っていただろう。」

「ええ!」細い指先が早速本を開き、頁をめくる。

「もしかして出たばかりの本?」

「情報が新しくなきゃ、意味がないだろう。それと、これは母さんから。」

 グレングはいくつかの封筒を机の上に並べた。

 アニエは眉をひそめる。 

「お茶会の招待状はいらないと言ってるのに。お断りの手紙は自分で書けということかしら。」

「父さんがそうしろと言ったらしい。」

「そうすれば娘が家に帰るとでも思っているのかしら。」

 それに父親に言われたまま行動する母親に、アニエは苛立つ。今に始まったことではないが父は母のみならずアニエに対しても「女は小難しいことをすす必要はない」とことあるごとに説教する。その言い分がいかに理不尽で理にかなっていないか、子供時代ならいざ知らず、今のアニエには充分理解できる。

「だいたいお祖母さま一人に看護を任せられるわけないじゃない。」

「それは母さんもわかってるさ。アニエがお祖父さまとお祖母さまを手伝っているから、無理にワイラートの家に来ることもない。」

「お祖父さまの病気と、向き合う勇気がないだけだわ。」

「逆に言えば、母さんが動かないからけないから、父さんもアニエがこの家にいることを認めさるをえない。心中穏やかじゃないだろうけどね。」

「娘の婚儀が遅れるから?」

「アニエが評議会に関わることが。」

「私はお祖父さまの手伝いをしているだけよ。」

「娘が(まつりごと)に首を突っ込むのは、世間体が悪いと思ってるんだ。」

「ばかばかしい!」アニエは形の良い眉をひそめた。

「今は竜隊だって女性がいるし、ケイリー書記官の奥方のように評議会に出入りしている方もいるのよ!私のやっていることなんて物の数にも入らないわ。第一、私は同胞と飛ぶこともできないのよ。」

「父さんに言われてしないだけだろう。それに飛ぶだけが一族じゃない。」

「でも……」

「契約を交わすのは一族である証拠。そしてアニエにはその資格がある。」

「……ええ……そうね。」アニエは認めた。

「何よりアニエは一族の長であるお祖父さまを支えている。それは評議会を支える上でとても大切なことだ。」

「さっき……ガイアナ議長にも同じことを言われたわ。」

 ほらね、とグレングは微笑む。

「立派に一族としての役目を果たしてる。それにアニエは空が好きだろう。その気持ちこそが、本物の一族だとぼくは思ってる。」

「本物の……一族?」

「家柄でも地位でもなく、空の民とともにありたいと願う意思。」

「そんなの……」

「当たり前、か?」

「ええ。」

「それはオーディを見ているからだろう。ぼくは評議会を見てきたが、皆が皆、そういう心持とは限らない。むしろ我が家で一番竜騎士らしいのはアニエだと思う。」

「その言葉、そっくりグレング兄さまに返すわ。だって兄さまがいなかったら、私、お祖父さまの手伝いなんてできないもの。それに空の美しさを教えてくれたのも……」

 妹の言いかけた言葉を、グレングは遮った。

「それはぼくじゃなくて、婚約者に言うべき言葉だね。何度も言うようだけど、ぼくはアニエの相手がオーディで良かったと思う。」

 兄の優しい言葉に、アニエは頬を染める。


 部屋から出てきた来客の険しい表情に、アニエは首を傾ける。

「お話、できませんでしたか?」

 いいや、とガイアナが首を振る。

「むしろ話をしすぎて、長老がお疲れになったんじゃないかと心配しているんだ。」

「きっと久しぶりにカズトおじさまに会って、嬉しかったんだと思います。」

「なにより遠くから来ていただいたことに、ぼくからも感謝します。」

 横から飛んできた声に、早瀬は驚いて顔を上げた。

「……グレング?グレング・フィマージか?」

 空色の瞳が嬉しそうに笑う。

「よかった。覚えていてくださったんですね、教官。」

「フィマージ家の次男坊を忘れるわけがないだろう。こちらにはよく来ているのかい?」

「ときどき。なにしろ妹が家出したままなので……」

「兄さま!」

「冗談だよ。両親に頼まれて必要な物や言付けを持ってくるんです。」

「優しい兄上だね。」

 はい、とアニエは頷く。

「ゆっくり話をしたいところだが……これからまだ人と会わなきゃならない。」

「今度お時間があったらぜひ。」

「ああ」と頷くと、早瀬はガイアナと共に屋敷を辞した。

一週間ぶりの投稿です。そして次回も一週間後の木曜日に更新します。

言い訳は活動報告に・・・

よろしくお願いいたします。

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