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第十七話

園村(そのむら)……さん?」

 恐る恐るかけた声に、レジの前にいたショートカットの若い女性が振り返る。

 都より少し年上の彼女は「あっ!」と叫ぶと、次の瞬間(みやこ)の手を取り、遠慮なくぶんぶん振り回した。

木島(きじま)さんだぁ!元気だった?」

「あ、はい。もしかして……帰るとこ?」

「残念ながら。」相手の眉がハの字になる。

「ホントは卒論が切羽詰ってるんだけど、どうしても報告したくて寄っただけなんだ。」

「報告?」

 首をかしげる都に、女子大生はにっこり笑ってVサイン。

「就職、決まりましたぁ!」

「わぁ!おめでとうございます!」

「ありがとう。もー、ようやくだよ。あとね、日程はまだ決まってないけど、年明けたらおばあちゃん東京に来るんだ。フリューゲルに来たいのと、木島さんにも会いたいんだって。」

「わたしも会いたいけど……会えるかな?」

「受験生に無理言えないけど、決まったら店長さんに連絡するね。って、タイムリミット!今度またゆっくりね!」

 彼女は名残惜しげに手を振ると、猛ダッシュで店を飛び出して行った。

「まるで嵐だね。」

 いつの間に来たのか、都の傍らに立った店長さんこと早瀬加津杜はやせかずとが苦笑いする。

「でもなんか、園村さんらしい。」都はクスリと笑う。

 勧められたカウンター席にすべり込むと、早瀬が「そういえば」と切り出す。

「都ちゃんが一人で営業時間中に来るの、久しぶりだね。竜杜(りゅうと)がいないから仕方ないけど……」

「そ、そんなことないです!今日もマスターのコーヒーが飲みたくて来たんだし、えと、コギンはちょっと重かったから……」

 慌てる都に、早瀬は笑う。

「冗談だよ。凄く忙しそうって、(さえ)さんから聞いてるから。」

「マスターに言われると、冗談じゃなくなります。」

 なにしろ相手は婚約者の父親。いずれ自分の義理の父親になる人である。

 店に立つときの常で白いシャツに黒のズボンとベスト。短く刈った髪と、上唇に蓄えた髭には白い物が混じるが、全体として柔らかな物腰である。

 彼は都の注文を確認すると、カウンターの内側に戻っていく。

 都は肩越しに店内を見回した。

 古い木の床に黄味がかった漆喰(しっくい)の壁、ガラスの照明から漏れる光はどこか夕暮れを思わせる。そんな時間が止まったような室内に漂うのは、香ばしいコーヒーの香り。

 外から見ると蔦の絡まる洋風建築は大正時代に建てられた文化住宅で、当初は住宅、その後しばらく事務所に使われていた。それを戦後喫茶店にしたのは早瀬の父である。ドイツ語で「翼」を意味する「フリューゲル」と名付けたのは、この店が抱える秘密を意識したのか。

 先代が亡くなった後しばらく閉めていたものの、息子である早瀬が再開して早十年。商店街のはずれにありながら足しげく通う常連は多く、今日も日曜日の昼前にも関わらず、すでにいくつかの席が埋まっている。

 カーテンを開けた掃き出し窓からは、冬の穏やかな日差し。その向こうには冬枯れた庭と、右手に縁側のある日本家屋がチラリと見える。

 店の建物より後年になるが、それでも戦前昭和に建てられた早瀬家の母屋(おもや)である。

 二つの建物が建つ敷地は商店と住宅地二つの道に挟まれており、真上から見ると店と母屋がL字を描くような配置になっている。店の入り口が商店街側、そして店の裏口と母屋の入り口は住宅地道路に面しているため、正攻法で店の入り口から母屋の入り口に至るには街区をぐるりと迂回しなければならない。もっとも関係者はフリューゲルの店内を通り抜けるか、庭を突っ切って縁側から入るのが常。

 もちろん都も、そのルートを使うことが多い。


「竜杜のこと、申し訳ないね。」

 都の前にカフェオレとホットサンドを置きながら早瀬が言った。

「マスターこそ、お義母さまのこと心配ですよね。」

「正直言うと、竜杜がいるときでよかったと思ってる。」

「そんなに具合悪いんですか?」

「だいぶ落ち着いたらしい。」

「よかった。」

 都はホッとする。

 数人の客が入ってきたので、早瀬が接客に向かう。

 都はアンティークカップを両手で包むと、そっと息を吹きかけながら口をつける。

 コーヒーの香ばしさとミルクのほのかな甘味に顔がほころぶ。焦げ目のついたサンドイッチは溶けたチーズ、ハムとコショウの相性が抜群だった。

 あっという間に平らげたところに、注文を(さば)いた早瀬が戻ってくる。そのタイミングを見計らって都は切り出した。

「こないだは解説のメモ、ありがとうございました。」

 ああ、と早瀬は合点する。

「役に立ったかな?」

「すっごく。セルファさんがくれた教科書と違うから混乱したけど、メモ読んだら納得です。」

「南は一族が成立する前の伝承が多いから、聖竜(せいりゅう)も英雄も、やんちゃなエピソードが多かったでしょ。」

「竜が人間に変身して酒盛りする話とか、びっくりしちゃいました。英雄が女性をナンパしたりとか。」

「子供向けとはいえ遠慮ないところが、南方らしいんだよね。」

 二人が話題にしているのは、向こうの世界の英雄伝説を集めた本のことである。

 夏休みに都がガッセンディーアを訪れた際、神舎(しんしゃ)のマーギス司教に「教科書代わりに」ともらったもの。字が大きく挿絵が多いので子供向けと思われるが、連合国の共通語と一族の歴史を勉強中の都にはそれなりに難しかった。

 そもそも北のガッセンディーアとマーギスの出身である南のホルドウルでは風土も文化も、言葉の言い回しも違う。それは方言的なものらしいが、異世界初心者の都が知るはずもない。逆に異世界で育った竜杜には何がわかりにくいのか判定できず、見かねた早瀬が本に目を通し、難しそうな箇所の解説を書いてくれたのだ。

「僕も文字では苦労したから。」

「でも本まで書いたんですよね。」

「そりゃあ十五年も暮らしたら、それなりに慣れるさ。でもさすがに地方の言葉は覚えなかったし。」

 それは本の見返しにあった手書き文字のこと。

 その部分だけは、早瀬もギブアップしてしまったのだ。

「たぶん……連合国になる以前にホルドウルで使われていた文字だと思う。僕も南の言語はからっきしだし、辞書の類は向こうに置いてきてしまったから。」

 さすがに読めないと、そのとき早瀬は申し訳なさそうに言った。

「あれから考えたんだけど、おそらく人の名前じゃないかな。その司教さまが十何年か前に本を渡そうとした、姪御(めいご)さんの名前だと思うんだ。」

「わざわざ古い文字で書くんですか?」

「国が一つになっても歴史文化を大切にしてる地域は多いよ。日本だって古文や漢文の授業があるわけだし。」

「そういえば、そうか……」妙に納得する。

「ガッセンディーアでも、古い言語を教えてる学校はけっこうあるはずだし。」

「だとしたら、マーギスさまに聞くのが確かかぁ。」

 さすがに難しいなと、都はため息をつく。

「まぁ何かの機会があったら聞いてみるんだね。」

「ですね。でも南って……どんなところなんだろう。北と全然違うんですよね。」

「そのうち竜杜に連れて行ってもらうといい。緑も多くて、人も明るくて、何より海がある。」

「ガッセンディーアは海がないんだっけ……」

 竜杜が小さい頃、海の説明に苦労したという早瀬の話を思い出す。

「リュート……いつ戻るかわからないんですよね?」

「まだ今日は連絡がきてないからね。急ぎの用があれば伝えておくよ。」

「えと……それは……大丈夫です。」

「店に入ってきたとき、深刻な顔してたけど……」

「大したことじゃないから。それに園村さんに会ったら、言いたいこと忘れちゃいました。フリューゲル、ときどき来てるんですよね。」

「もう何度か。都ちゃんが会ったのは……」

「えーっと、最初は門にしがみついてたときか……」

 それは夏のある日。定休日の札が下がったフリューゲルの門扉に、リクルートスーツ姿でへばりついていたのが園村百合(そのむらゆり)だった。あまりのインパクトだったのと見かねて声をかけたのだが、突拍子もない依頼に都は声をかけたことを少しだけ後悔した。

 その依頼とは、百合の祖父母がかつてフリューゲルで味わった幻の味を、祖母にもう一度食べさせたいというもの。けれどそのメニューは今はなく、当時大学生だった早瀬の記憶にもないものだった。早瀬は父親の残したノートに手がかりを求め、最終的にご近所さんや旧知を巻き込んでメニューを再現することに成功した。

 結果、依頼人である百合も、そして一番元気付けたかった彼女の祖母にも満足してもらうことができた。その後、百合の祖母は神戸に戻り、懸案だった手術を受けたと、都は早瀬から聞いている。

 その人がまたフリューゲルに来たいと話していることは、関わった都にとっても喜ばしいこと。

「あと、お友達と来てたのにも会ったかな?」

 そのときは都が文化祭直前で忙しく、お互い挨拶らしい挨拶もせずに別れてしまったのだ

「なんかいっつも話す時間ないけど、マスターや栄一郎(えいいちろう)さんの話聞いてるから、全然気にならない。」そこまで言ってそうか、と気がつく。

「そういえば園村さんに会ったの、今日で三度目だ。こういうの……三度目の必然って言うのかな?」

「都ちゃんもそう、思うんだ。」

「も?」

「三度目の必然。僕の持論なんだ。」

 早瀬の言葉に都は「へっ?」と目を丸くする。

「一度目の出会いは事故のようなもの、二度目の出会いは偶然。三度目に出会ったら必然って……」そこまで言って、彼は息子の婚約者がぽかんとしていることに気づく。

「都ちゃん?」

「えっ?」

「僕、変なこと言ったかい?」

「ああ……ええと……その、今言ったのって、向こうの世界の慣用句……とか?」 

「いや?僕が勝手に言ってるだけだよ。」

「そ、それは……」

 都は混乱する。

 自分が言おうとしていた言葉を早瀬が先回りしたこともだが、何よりもその言葉が彼のオリジナルだとしたら……。

 早瀬も何か察したらしい。

「もしかしてうちの奥さんに聞いた?」

 都はぶんぶん首を振る。

「聞いたのはお義母さまじゃなくて……」言いながら、都はこの言葉を聞いた状況を思い出す。

 それはガッセンディーアの神舎でマーギス司教と向かい合って話をしていたとき。祭り見物の約束を交わした折りに、彼が言い出した言葉だった。

「それ、占いかなにか、ですか?」と首をかしげる都に、

「どちらかと言えば運、でしょう。」

「マーギスさまと会うのは今日で三度目です。」

「ええ。だから必然。この先もあなたとは会うだろうと確信したんです。」

 その後に交わした会話が断片的に蘇る。

「南の教区……」

 ハッと顔を上げ、身を乗り出す。

「マスター、十何年か前に南の神舎に行きませんでしたか?」

「十五、六年前に、南の伝承を調べに通ってたよ。もちろん、いくつか神舎にも行ったけど。」

「そっ、そのとき会った神舎の人に、そのあと全然別のところで会いませんでしたか?それで三度目があったら、お互い名前を教えるって約束しませんでしたか?」

 勢い込む都に、今度は早瀬が慌てる。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。確かに、ある人にそう言った覚えはあるけど……」

 ぽすん、と都は椅子の背もたれに身体をあずける。

 呆然と視線を泳がせ、頭の中のハテナマークに自問自答する。

 つまり……早瀬は誰かに三度目の必然があったら名乗ることを約束した。そしてマーギスは、三度目の必然があったら互いの名前を名乗りましょうと言われた。どちらも場所は南のどこか。そして時期は十五年ほど前。

 それの意味するところは……

「ええっ!」

 思わず大声を出してしまって、都は慌てて口を押さえる。

「都ちゃん、大丈夫かい?」

「えと……大丈夫です。」

 言いながら、けれど信じられない面持ちで都は早瀬を見上げた。

 それはつまり……

「マスターが……マーギスさまの三度目の必然……ってこと?」

ご存知のことと思いますが、昨日システム障害があり、更新はおろかログインすることすらできませんでした。よって一日遅れの更新、お待たせいたしました。

ちなみに今回の都とマーギスのエピソードは、前作「夏夜に想う冬星の」第十七話にあります。

そして次回の更新は日曜日を予定しております(^^

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