第十四話
うっそうとした森の傍らに、リュートは竜を着地させた。
すぐ近くに寝そべっていた別の竜が顔を上げる。その竜に寄りかかっていた男が、軽く手を上げた。
革の上着に風除けの眼鏡を首に下げているのはリュートと同じ。四十近い年齢のはずだが、亜麻色の髪に緑の瞳を持つ彼の姿は、リュートが飛び方を教わった昔と変わらないように見える。むしろ年を経た分、落ち着きと貫禄が備わったらしい。
アンガス・ケイリーは傍らに置いてあった杖を手にすると、左足を引きずりながらリュートに向かって歩き出す。
慌ててリュートは駆け寄った。
「ケイリー書記官お一人ですか?」
「見ての通り。外の空気を吸いたくて、早めに来た。」そう言って彼は背後に広がる森を振り返る。
「話には聞いていたが、ここは立派な墓地だ。」
それは古い時代、亡くなった者を弔うために植えた木々が成長した姿。
「ガッセンディーアにもかつて古い墓地があったが、今はすっかりなくなった。」
「この村には、それを疎ましいと思う人がいないだけです。」
「この土地に代々住んでいることを羨ましく思うよ。」
そう言ってから、彼はリュートに向き直る。
「忙しい中、呼び出して申し訳ない。」
「こちらこそご足労おかけします。」
「私が自ら飛んでくるとは思わなかったかい?」
「ええ。」
「正直な男だ。」ケイリーはそっと笑うと杖で自分の左足を突いた。
「足の不具合は飛ぶのに支障ない。けれど一度腰を落ち着けると立ち上がるのが辛い。」
立ったままで失礼するという彼の言葉に、リュートは頷いた。
「最初に、妻が君の婚約者をけん制したことをお詫びする。」
夏休みに都が聖堂を訪れた際、夫の代理で評議会を訪れていたユーリ・ネッサ・ケイリーが都に辛らつな言葉を投げかけたことは、ちょっとした噂になっていたらしい。当の本人たちが自分の世界に戻ってしまったので、リュートも半分忘れかけていた。
「それはもう、気にしていません。」
「妻はこの国……もっと言えば一族であることしか知らない。他の世界があるなど考えも及ばないし、だから了見が狭いのは仕方ないと思ってくれ。」
「彼女も他国の出である分、安穏としていられないことは自覚しています。」
「うん。聡い少女だと、アニエ嬢から聞いている。そのことはユーリの耳にも入っているから、やっかみ半分といったところだろう。彼女は自分に関わった人間が他人に注目することを好まない。たとえ今は交流がなくても。」
「なるほど。」リュートは納得する。
「それで昔フェスを目の敵にしていたのか。」
「君が銀竜と共にいることは皆知っている。だからそれが面白くなかったか、恋敵と映ったか。」
「恋敵も何も、振られたのは自分です。それに、そんな話すために自分を呼び出したわけではありませんよね?」
「もちろんだとも。ガイアナ議長から聞いたが、銀竜の関わる事件を調べているとか。黒き竜と関係があるのかね?」
「個人的な興味です。」
そうか、とケイリーは呟く。
「銀竜ではないが、竜に関わる事故なら一つ。」
「それは……」
「四年前の件だ。」
やはり、とリュートは内心思う。
四年前、評議会の仕事でガッセンディーア郊外に出向いていたケイリーは、飛び立つ途中の竜に振り落とされ、半身を強打している。その事故で彼は療養生活を余儀なくされ、しかも左足は完全に元に戻らないと宣告された。
事故を起こしたのが元軍人のケイリーだっただけに、当時職場でも衝撃が走ったのは忘れようもない。
「簡単な報告書は回ってきましたが……」
「要領を得なかっただろう。同行していた誰一人、逐一見ていたわけではなくてね、だからあのとき何が起きたのか、知っているのは私だけなんだ。ラグレス。君は同胞と共に飛んで、不安や恐怖を感じたことがあるかね?」
「少なくとも、一人で飛ぶようになってからはありません。」
「私もだ。物心つく頃から同胞と共に飛んできたが、そんな風に思ったこともなかった。だがあのとき。先に評議会に戻ろうと竜に乗った私は一瞬だけ、恐怖を感じた。もちろんそんな感覚は初めてだ。そしてその恐怖がいっそう竜を混乱させ、結果、彼は背に乗っていた私を振り落として飛び去って行った。」
「いっそう……というとその前にも竜が混乱する何かが?」
「言葉ではうまく言えない。けれど竜が何かに気を取られた気がした。」
すべてが一瞬の出来事で、しかも直後に重傷を負ったので、記憶を整理するまで時間がかかったと、ケイリーは説明する。
「それとて証拠があるわけではない。竜が普通ではなかったと主張しても、私の勘に過ぎない。」
「竜に乗る者の勘は、ただの勘でない……」
呟くようなリュートの言葉に、ケイリーの口元がほころぶ。
「懐かしい言葉だ。」
「ええ。実践用の教本に必ず載っている言葉です。それに従えば、ケイリー書記官の勘はただの勘ではないということになります。もしかして他にもおかしいと思う点があるのでは?」
「君の勘のほうがよほど優秀だ。もっと気になったのは、あの時私を振り落とした竜をその後見かけない。」
「祭りでも?」
「それに演習でも。」
ケイリーの言わんとしていることを理解して、リュートは眉をひそめる。
「確かに召喚した竜はいつも同じではないが……それでも何度かに一度は顔見知りの竜がやってくる。それにガッセンディーアの祭りでは、元気な竜が出揃うはず。」
リュートは顔を上げた。
「そのことは報告したんですよね?」
「だが、あくまで私の起こした事故で処理された。原因があるかないかわからないのだから、仕方あるまい。」
「ですが伺っていると、乗り手が竜に恐怖心を抱くという状況自体、おかしい。」
「そう言ったが、竜に乗らない者にとっては理解しがたいことらしい。特に妻には金輪際、竜に乗らないでくれと懇願された。」
「えっ?」
聞き間違いかと思い、リュートは視線をずらす。そこには、草の上で気持ちよさそうに目を閉じている茶色の竜の姿。
戸惑うその様子に、ケイリーは苦笑しつつ説明した。
「どうにか歩けるようになると、飛びたくなってしまってね。反対されるのは目に見えていたから、最初は隠れて竜を呼んでいた。」
あんな大きな生き物を隠れて呼べるのか?とリュートは思う。
「もちろん、すぐに見つかった。」
「でしょうね。」
「妻にはひどく泣かれた。契約関係があることを忘れたのかと。私にこれ以上何かあれば、自分はどうなるんだ、と。だが契約は竜騎士であることが前提で成り立つもの。私は終生一族でありたいと願っている。そう言って説得した。」
「それで、ユーリ・ネッサは納得したんですか?」
「していないだろうね。現に息子たちは一切竜に近づかせない。」
「おいくつですか?」
「七歳と五歳。飛ぶには早くない年齢だ。」
言われてリュートは自身を思い起こす。
生後間もなく父親に抱かれて飛んでいたと聞いているし、物心つく頃には竜によじ登って遊んでいた気がする。七歳というとフェスが一緒だから、もう一人で飛んでいたはず。
そんな話をするとケイリーは頷いた。
「私も似たり寄ったりだ。それにこうして再び飛んでみれば、同胞は穏やかで頼もしい。あのときだけ、何かがおかしかった。その原因がなんなのか、ずっと考えていた。」
そこまで言って、言葉を切る。
「ガイアナ議長から、君の報告書は逐一まわしてもらっている。だから神の砦での一件を読んで、呪術の可能性を考えた。」
「確かにフェスは影響を受けましたが……竜ほど大きな物に影響を与えられるかどうかわかりません。」
「きっかけは些細なことで充分なはず。それに私は君に答えを求めているわけではない。君ならば可能性を記憶に留めておくことができる。」
そういうことか、とリュートは納得する。
今や黒き竜や呪術といった伝承に繋がる事例は、自分が担当者になっているらしい。
「他の連中に話したところで、この世界で蠢めく何かに気付く人はいない。それほど皆、鈍感になっている。それに勘がいいのは君だけではない。私は君の父上も評価している。いや違うな。憧れていたと言うべきか。」
「それは……意外です。」
「彼はもちろん異国人だった。だけど誰よりも竜と飛ぶことが楽しそうで、私はそれが羨ましかった。それに私は君の父上が竜隊にいた功績は大きいと思ってる。彼が入ったことで竜隊は血筋よりも能力を重視するようになり、クラウディア・ヘザースのような女性が増えることにもつながった。」
「父が聞いたら喜びます。」
「ならばついでに伝えて欲しい。せめて長老に会ってほしい、と。」
「その件は……」
言いかけるリュートをケイリーは遮った。
「君やアデルが再三言っても重い腰を上げないことは聞いている。だがこれは君ら門番のためでもある。」
「後継者問題が絡んでいるから?」
ケイリーは頷いた。
「サーフスの坊やが言ってることはわかりやすい。だが、彼には門を支えるほどの能力はないだろう。だからもし新進派の息がかかった者が議長になれば、門がどんな扱いを受けるかわからない。また大昔のように閉ざされる可能性もある。」
「そもそも門は人がどうにかできる物じゃない。」
「当然だ。だが伝統を軽んじる彼らが、それをちゃんと理解するかと言えば、怪しいとしか言いようがない。」
「それはそれで困るな。」
「長老は後継者の指名を棚上げしている。だがカズトが会いに行けば決心が固まるかもしれない。」
そこまで言われると、さすがに断ることはできない。
「伝えてみますが……期待しないでください。」
「君が常に最大限の努力をしていることは、了解している。そうだな……ケイリーの息子からしつこく頼まれたと言って構わない。」
話を終え、ケイリーが竜を繰って空に飛び立つのを見届けてから、リュートもフェスと戯れている灰色の竜にまたがった。あっという間の距離を帰宅すると、同胞を空に返し、庭に面した部屋から家の中に入る。
と、いつもは気配を察して飛んでくるイーサの姿が見当たらない。
それに振り返れば、庭にいるはずの庭師と母親の姿もない。
呆然と立っていると、慌しい足音。
あっ!と叫ぶ声に振り返ると、赤毛の料理人が驚いた表情をして立っていた。
「リュート様!」
「ケィン……一体……」
何かあったのか?とリュートが問いかけるや否や、ケィンはみるみる泣きそうな表情になる。
「エミリア様が倒れたんです!」
次回の更新は月曜日です。




