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第十三話

 椅子に深く腰掛けたまま、マーギスは微笑んだ。

「契約の儀が決まりましたか。それは、おめでとうございます。」

「ありがとうございます。」

「ではミヤコさんも、こちらで暮らすのですか。」

 司祭服に身を包んだ、老齢に差し掛かった恰幅の良い聖職者は、まるで恩師のようにたおやかな笑顔で問いかける。

「自分の仕事の都合もあるのでまだ決めていません。ですが以前より頻繁にガッセンディーアに来ることになるでしょう。これを、預かってきました。」

 リュートは手紙をテーブルの上に滑らせる。

(みやこ)から。司教さまにいただいた本のお礼と、儀式への出席のお願いです。もちろん神職であるマーギス殿に聖堂(せいどう)での式に参列願うことが非常識なのは承知しています。けれど都にはこの国に知り合いと呼べる知り合いが少なくて……」

 マーギスは首を振る。

「祝い事に宗教の壁などありません。けれどこんな年寄りでよいのでしょうか。」

「立ち会っていただくのに、年齢は関係ありません。」

 リュートの言葉に、青みがかった灰色の瞳がいっそう小さくなる。

「なるほど。即答はできませんが前向きに検討しておきましょう。」

「ありがとうございます。のちほどセルファから正式な招待状が届くと思います。」

「本は、お役に立ちましたか?」

「少しずつ読んでいるようです。」

 夏休みに都がこちらに来たとき、マーギスから「教科書代わりに」と南の伝承を集めた本をもらったのだ。もちろん学校の勉強が優先だが、気が向くと本を広げていることは彼女の保護者からも聞いている。

「わからないところは父が手助けしているので、どうにか。」

「あなたのお父上は銀竜(ぎんりゅう)の研究家だと伺ってます。」

「趣味が高じた結果です。」

「そういう方がいれば、あの程度の本は難なく読みむことができます。それに彼女はがんばり屋のようですから。」

「ときどき過ぎるというか……」

「同じことを、ネフェルのお祖父さまがおっしゃっていました。」

「似た物同士か。」リュートは軽く息をつく。

「どうりで仲がいいはずだ。しかし、老オーロフがこちらに来ていたとは意外でした。」

「ネフェル嬢の付き添いのようなものです。」

 そもそも英雄ガラヴァルを祖とする一族が、創造神を敬う神舎にやってくることは珍しい。反目しているわけではないが、互いの領域に入らずというのが暗黙の了解になっている。ましてリュートも含めた彼らが訪問しているのは、ガッセンディーアの神舎を束ねるいわば最高責任者。本来なら気安く話す相手ではない。

 そのマーギス司教とリュートが出会ったのはカーヘルの州境にほど近い、「神の砦」と呼ばれる古い神舎(しんしゃ)であった。平原に佇むその神舎は、大昔の竜の遺跡を土台にして築かれていて、創造神ルァを奉る神舎としては一番大きく、そして建物構造は複雑怪奇。まさに「砦」という言葉がぴったりな場所であった。

 リュートはある不穏な空気を感じて砦に潜入し、そこで古い文字を読むことを生業(なりわい)にしていたネフェル・フォーンと知り合った。時を同じくしてマーギスが恩師のかつての赴任地であった砦を訪れ、リュートを探しに来た都もまた、砦に至ったのである。そのときの出来事は今思い返してもぞっとすることもあり、後悔することも多い。けれどそれにも増して、出会いの多い事件だった。

 古い文字を読む「語り部」のネフェルと都が出会い、意気投合したのも彼の地でのこと。年齢もさほど違わず、両親がいない共感もあったのだろう。ネフェルが一族であった父親の実家のオーロフ家に引き取られた後も、二人の交流は続いている。

 そしてガッセンディーア司教、マーギスとの出会いも。

 リュートの叔父が営むアデル商会の顧客だったこともあり、辺境の出ということになっている都に心配りをしてくれることもあり、ガッセンディーアに戻った今でも交流が続いている。

 今日もリュートのみならずフェスにまでお茶を出し、歓待してくれている。

「確かにこうして見ると、フェスはコギンより灰色がかっているのですね。」

「銀竜たちも皆、個性がありますから。そんなに興味がおありですか?」

「興味というより懐かしさでしょうか。私の故郷は英雄の伝説が多く残る場所だったので、小さい頃から竜にまつわる話を聞かされたものです。だからでしょうか。古から行き続ける銀竜を見ると、物語を思い出します。」

 そこまで言って、マーギスは「そういえば」と切り出す。

本舎(ほんしゃ)に行かれたそうですね。」

「話が行ってますか。」

 前回の帰省時に、彼はセルファ・アデルと共に神舎の総本山に出向いていた。

 神の砦で「呪術(じゅじゅつ)」と呼ばれる禁忌を使った元司教と、その護衛。二人の罪人のうち元司教のゲルズが死んだと、マーギスから聞かされたからである。

「あなた方はあの事件の関係者なので、もう少しましな対応がされると思ったのですが……」

「むしろマーギスさまにご迷惑をかけたのでは……」

「迷惑以前に、実は私も詳しいことを伝えられていないのです。」

「え?」

「私の弟子が本舎に行ったのですが、ゲルズの遺体はすでに荼毘(だび)にされていたそうです。」

「ゼスィは?」

「彼はそのまま本舎に収監され、取調べを受けているそうです。」

「その、亡くなった原因は……銀竜の傷では……」

「それは違います。」

 その言葉に、リュートは肩の力を抜く。

 心底ホッとする様子に、マーギスは目を丸くした。

「ひょっとして、それが知りたかったのですか?」

 ええ、まぁとリュートは曖昧に答える。

 嘘ではない。

 自分が関わった事件の容疑者が死んだのだから、その原因が何だったのか。そして欲を言えば彼が呪術を使い何をしようとしていたのか。断片的な情報でも入手できればと思っていた。それに……

「もしあのときコギンが彼に与えた傷が原因だとしたら、きっと都は自分を責めるだろうと思ったので。」

 ああ、とマーギスも納得する。

「ゲルズ元司教が亡くなったことはミヤコさんには?」

「言ってません。ですが……」

「人の口に戸は建てられませんね。」

「銀竜は主人と過ごす時間が長ければ長いほど、その人の影響を受けやすくなります。都がもしそれを気に病んでコギンに影響が出れば、悪循環でしかなくなります。」

「その点はご心配ありません。詳しくは申し上げられませんが彼が死んだのは病気……心臓発作のようなものです。」

「病気?」

「ご存知の通り、呪術は言葉と音で物を変質させる禁忌です。あるがままのものを変質させるなんて不自然なことをすれば、それなりに反動があるのは当然のこと。」

「呪術を使った者が身体的に負荷を負う、というのは聞いたことがあります。」

 マーギスは頷く。

「ゲルズは私より年上でしたから、その影響があった可能性はあります。ただ、それ以上のことは……」

 充分だった。

 本来なら部外者に話すべき内容でないことは、リュートとて承知している。

「逆にお聞きしますが……」マーギスが問いかける。

「もし空の民である竜が呪術を施されたら、なにかしら影響があるのでしょうか?あのとき、神の砦の地下であなたの銀竜が動けなくなったように。」

「それは……」

 思わぬ質問に、リュートは口ごもる。

「我々はそういうことに疎いので。ですがあの事件で実際に呪術が使われたことを考えると、万が一同じような事件がこのガッセンディーアで起きたら、一族、そして竜にも影響があるのでしょうか。そう……たとえば伝承にある黒き竜のように変質するとか。」

「それはないと思います。」

 リュートの断言に、マーギスは灰色の瞳を細める。

「竜に詳しい知人によれば、昔に比べて大気が希薄な今の時代では、そこまで何かを変質させることはできないそうです。」

「だが、影響はある?」

「可能性はあります。」

「そうなったら、聖堂のリラントの瞳に変化が現れるのでしょうか?」

「実際に起きてみないとわかりません。それに瞳を見張るのは評議会の仕事です。」

 確かに、とマーギスは苦笑する。

「そもそも黒き竜もリラントの瞳も伝承のようなもの。誰かに聞いて答えが出るものではありませんでしたね。見張るといえば、あなたはカイエ巡査とも幼馴染でしたね。」

 話題が共通の知人に移ったので、リュートは内心ホッとする。

 しばし当たり障りのない会話を交わした後、リュートは時間を見計らってその場を辞した。 

「つくづく、不思議な青年です。」

 リュートと入れ替わるように部屋に入ってきた弟子のオゥビに、マーギスは言った。

「リュート・ラグレスのことですか?特に怪しいようには見えませんが?」

「当たり前です。心に嘘偽りがあれば、あんなふうに銀竜が共にいることはありません。それに奢る気持ちがあれば、彼の婚約者は彼を選ばなかったでしょう。むしろ一族という枠の中にありながら、広い視野を持っているのがなんとも……。」

 確かに、とオゥビは頷く。

「ご両親の見識が広いように思います。それにご親戚のアデル商会も、いろいろな国と取引していますし。」

「それはそうなのですが……」

「それに実際彼らが竜を召喚するところを見ると、われわれ地上の民には考えも及ばないことを実感します。」 

 オゥビの言葉に、マーギスも同意する。

 それゆえの竜騎士なのだろう。

 だとしたら「黒き竜」という伝説上の名を躊躇なく受け止めたのも、また然りなのだろうか。「黒き竜」などという伝説上の名を出せば一蹴されるか、聞き返されるかと思っていた。けれど彼はさして驚きもせず、しかも答えまでくれた。

 それは一族では当たり前のことなのだろうか。それとも……。

 思案していると、若い修士が駆け込んできた。

「マーギスさま!こちらにいらっしゃいましたか。」

「どうしましたか?」

 マーギスが顔を上げるのと、一人の男が入ってくるのが同時だった。

 埃まみれの旅装束の男の姿に、マーギスは小さな目を精一杯見開く。

「ご無沙汰しております。」

「バセオ!」

 マーギスの表情が驚きから喜びに変わる。彼は修士の手を取ると、顔を上げるよう言った。

「本当に、何年振りでしょう!」

「マーギスさまがガッセンディーアに移られて以来ですから、十四年ぶりかと。」

「変わらず元気そうで安心しました。」

「予定より早くついてしまいました。」

「早くて悪いことなどありません。旅はどうでしたか?」

「いろいろな方に再会できて楽しかったです。先にこれを。」

 バセオは懐から布にくるまれた書簡を取り出すとマーギスに差し出した。

「ホランスェ修士から預かったものです。」

「ホランのところにも寄って来たのですか?小さな町の神舎だと聞いていますが、ちゃんと職務を全うしているのでしょうか。」

「ええ、しっかりと。近隣の村には司祭がいないので忙しいと言っていました。もう、随分と会っていないのですよね?」

「互いに便りがないのは元気な証拠と思ってますから。それに、この年になるとなかなか遠出をするのも億劫で。空の民の翼を借りることができれば、会いに行かれるのでしょうけれど……」

「遠目に竜が飛んでいくのを見ました。」

「この街にいるとそれが当たり前の光景になりますよ。時間ができたら聖堂を見てくるといいでしょう。」

「それに先ほど、銀竜を連れた人ともすれ違いました。」

「彼は竜騎士です。」

「竜騎士?」バセオが目を丸くする。

「ここでは一族も神舎に来るのですか?」

 まさか、とマーギスは笑う。

「個人的な知り合いで、私に会いに来てくれたんです。それよりもまず、旅装を解いて休んでください。夕刻の礼拝が終わったら話を聞かせてください。」

妙な時間に更新してしまいました。土日は予測がつきません。

そして、次回は木曜日に更新予定です。

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