第十二話
「おりょ?」
背後からの声に、都は振り返る。
「部室に木島……珍しい。」
クラスメイトの波多野大地だった。
「教室にいなかったから、帰ったのかと思った。」丸刈りに近い短い髪をなでながら、柔道で鍛えた立派な体格を屈めて都の手元を覗き込む。
「広角レンズとはまた特殊なものを……」
「念のために借りようと思って。わたし広角レンズ持ってないから。」
都は写真部の貸し出し用のノートに名前とクラスを記入する。
「一人撮影会でもすんの?」
「撮影会っていうか、リベンジ。」
「はぁ?」
目を丸くする波多野に、都は昨日のギャラリーでの出来事を簡単に話した。コンパクトカメラでは上手く撮ることができず、カメラを変えて再度撮影しに行くことも。
「あー、つまり作家さんの作品撮り。」
「知り合いだけどね。」
「そりゃそうだけど木島も珍しいことを……でもないか。うさぎ亭のウサギも撮ってるもんな。」
うさぎ亭とは波多野の家であるリカーハタノ、そして都の婚約者、竜杜の実家が営む喫茶店フリューゲルの近所にある小さなレストランのこと。都は竜杜とのデートで良く使っているし、同じ商店街の酒屋の四代目を自認する波多野は、昔からのお馴染みさん。
波多野と都は保育園時代からの幼馴染だが、引っ込み思案だった都とは過去あまり接点はなく、高校で同じクラス同じ写真部になったことで話す機会が増えた。それに恋人の竜杜と毎朝のランニング仲間というのも二人から聞いているし、都が婚約したので、感覚的にはご近所さん付き合いになりつつある。
うさぎ亭の件も、そんなご近所の話題の一つ。
屋号をもじって店のマスコットになっている数多のウサギの置物を、都が頼まれて撮影しているのである。写真はレストランのブログにも掲載されていて、最近では写真を使ったポストカードも好評らしい。
「うさぎ亭のウサギはほとんど立体だもん。それにお店っていう背景があるから、難しく考えなくても形になってくれるし。」
「んでも、こないだ店の外ってか、店の前で撮ってたじゃん。」
「見てたの?」
「チャリで通ったから。邪魔したら悪いと思ってスルーしたけど。」
「あれは、天気良かったから。今回は室内って限定されてるし……それに受験前にやることじゃないのもわかってるけど……」
「別に木島がよけりゃいいんじゃね?冴さんは何か言ってた?」
「やって気が済むならやってみればって。なんかそう言われたのも口惜しくて。」
「すげー、らしいなぁ。」にやりと波多野が笑う。
「でも、オレもいいと思うぜ。できたら見せてよ。」
「見せられるかなぁ。」
「木島なら大丈夫だって。」
屈託のない笑顔でそう言われると、どうにかなりそうに思えるから不思議だ。
ふと、波多野が思い出したように言う。
「そーいや竜杜さん、昨日か今日に出張から帰ってくんじゃなかったっけ?」
「まだ用事が終わらないから早くて明日の夜になりそう、って連絡来たけど……」
「なんかいっつも、忙しそうだよなぁ。早く帰ってくるといいけど。」
「なんで波多野くんが言うかなぁ。」
「オレだって、竜杜さんが店にいてくれるほうが楽しいもん。ま、とりあえず撮影、がんばってこいや。」
そうクラスメイトに送り出されて、都はギャラリーへ急いだ。
ギャラリーに着くと室内は西日が深く差し込み、白い漆喰の壁は昨日と違う表情を見せていた。
香織が来客に都のことを親友の娘だと紹介すると、皆笑顔で迎えてくれた。
「動かす物があれば言って。」
「大丈夫です。香織さんが作った形、そのまま撮ってみたいから。カメラも昨日より調整利くし。」
そう、と香織は微笑む。
「んー、お客さんは女性ばっかだからスカート動き回っても大丈夫か。」
「ちゃんと下に保険、はいてます。」言いながら、香織が用意してくれたギャラリーの備品の三脚を広げ、カメラを装着する。
それからしばし、都は室内を右往左往駆け回った。
目星をつけてたものの、売約済みですでにこの場にないものもあった。それでも気になる作品を一通り撮影すると、すで外は暗くなっていた。来客も引けたところで、香織がハーブティーを入れてくれる。
「手ごたえあり?」
「昨日よりマシだと思うけど……」
「都ちゃんが納得できれば、それでよし。あ、これ、昨日お買い上げいただいたもの。」
香織がクラフト紙の手提げを差し出す。
中を覗いた都は「わぁ!」と声を漏らした。
「ラッピングしてくれたんですか?」
「プレゼント用って言ったから。彼氏にあげるの?」
はにかんで、頷く。
「渡すの、ずっと先だけど。」
「クリスマス用?」
「誕生日。一月なんです。でもその時期買い物に行く時間なさそうだから……今のうちに。」
「そうやって好きな人のこと考えてる時間って幸せよね。」
「ええと……そうなのかな?」
「私にもそういう時代があったもんよ、今じゃダンナより子供のことばっか考えちゃうけど。」
「お母さんも……」
「え?」
「そういう時間……あったのかな?」
無意識に言ってしまってから、都は後悔する。
けれど香織は優しく微笑んで、
「気になる?」
「気になるっていうか……自分が結婚考えるようになったら、お母さんが一人だったの、どうしてなんだろうって。」
そうねぇ、と香織も思案する。
「たしかに朝子は男勝りだったけど、他人と暮らせないほど不器用じゃなかったもんね。むしろ両親早くに亡くして祖父母に育てられたから、人との付き合い方っていうか距離をとるのは上手かったと思う。だから仕事もそこそこ順調だったでしょ。」
「その……」
口ごもる都に、香織が手を振る。
「あー、言っとくけどあいつが不倫とか、絶対ないから。」
「断言できるんですか?」
「冴と私が問い詰めて、それだけはない、って言ったもん。それに朝子の性格からして、ありえない。」
はぁ、と都は息をつく。
「でも、私たちが知ってるのはそこまで。」
ごめんねぇ、と申し訳なさそうに言う。
逆に申し訳なくて、都は首を振る。
「香織さんに聞くことじゃないってわかってるから。リュートは父親のことは気にしないって言ってくれるし……わたし自身、知ってどうしたいわけでもないし……だから変なこと聞いてごめんなさい。」
「なぁんで謝るの?自分のルーツを知りたいと思うのは当然でしょ。その点に関しては私も朝子に文句言いたいくらい。」
「香織さんと冴さんがそれじゃ、わたしが何にも知らなくて当然ですね。だって二人ともわたしよりお母さんと付き合い、長い。」
「時間だけはね。でも朝子が一番大切だったのは間違いなく都ちゃん。都ちゃんがいたから、朝子は仕事がんばれたんだって、思うんだよね。」
「そんな……」
「少しは信じてよ。」
「あ、えと、信じないとかそんなことは全然……」
慌てる都に、香織はくすくす笑う。
「それに昨日冴にも言ったけど、都ちゃんが撮影してるとき、どこか朝子に似てる。」
「それは……ちょっと嬉しくないかも……」
「だって写真、好きなんでしょ?」
「好きというか……他にできることないから……」
「ほら。」
「え?」
「他に目移りしないってことは、それが表現方法として合ってるってことじゃない?」
「表現……方法。」
「言葉だけが表現じゃないでしょ。」
言われて都はギャラリーに展示された、香織の織った布を見回す。
「これでもいろいろ勉強したのよ。卒業してからも、いろんなワークショップ受けたりして。でもシンプルに染めて織るのが一番性に合ってた。だからこれが私の表現方法。朝子も最初グラフィックデザインだったのに途中で写真に転向したから、そっちが合ってたんでしょうね。」
そこまで言って「あ!」と何か思い出す。
「そういや昔、都ちゃんはファインダーだとか言ってたなぁ。」
「ファインダー?」都はきょとんとする。
「えーと、なんの流れだったか忘れたけど……朝子がそんなこと言ってたんだよね。」
「それ昨日言ってた、目の前の物まんま見てるわけじゃないって奴ですか?」
「うーん。どういう意味だったのか……私は写真全然だし、そのときはお酒入ってたから突っ込みもしなかったし……ただ、なんだかやけに印象に残ったのよね。むしろ、朝子と同じように写真撮ってる都ちゃんなら、わかるかなーって思ったり。」
「たぶん・・・わかんないです。」
「だよねぇ。」
ごめん、と笑う。
その後、新たな来客が登場したのを機に、都はギャラリーを辞した。
最寄り駅までの道すがら、先ほど言われた言葉が頭の中を駆け巡る。
自分がファインダーということは、母親はその先に何か別の物を見ていたということだろうか。そもそも自分はファインダーを覗くとき、何を考え、何を見ようとしているのか?
「意識してないこと、わかるわけないよね……」呟き、ため息を吐き出す。
ようやく駅までたどり着き、改札に向かおうとしたそのとき。
妙な視線を感じて都は足を止めた。
ぎゅっとカバンを引き寄せ、そっと辺りを伺う。
次の瞬間。
ぞくり、と背筋が震えた。
それは、以前も感じたことのある不穏な感覚。
心臓が早鐘を打ち、呼吸が速くなる。「まさか」という思いと「どこに」という焦りで軽く混乱する。
無意識に指先で首筋に触れる。
辺りを見回すが、目に映るのは立ち止まった自分を不審そうに見ていく人ばかり。
長く感じる一瞬の後。
すっ、と気配が消えた。
まるで血の気が引いていくような虚脱感。
倒れそうになるのをなんとか踏ん張っていた、そのとき。
「あれぇ?」
素っ頓狂な声。
「もしかして、都さん?」
振り返る。
かろうじて捉えた視線の先には、カバンを肩にかけた自分と同じ学校の制服姿。
「西……くん?」
次回更新は日曜日を予定してます。




