第一話:靭やかな弓矢
地球惑星軌道上からも観測できる、太陽と月との間に出現した超高エネルギー帯。ザードは惑星地球軌道前線基地からそれの調査に飛び立とうとしていた。エクセルシオールと名付けられたその船のシステムチェックアップはもう既に終わり、後は乗員の乗り込みと艦長であるザードの発進命令を待つだけとなっていた。発進前のチェックアップ時とは異なり、人もまばらとなったドッグをザードは一人の男性とともに歩く。
「ワイズマン、どう思う?」
「どうと言いますと? 例の高エネルギーは量子的な物理現象で……」
「違う。カニ帝国だ。こんな現象を前にしてあいつらが動かないのはおかしい」
「シャルルが壊滅させて以降人類に対して抵抗する様子はありませんが……」
「それがおかしいんだ。福島第一原発事故の時に、いつもの様に『海を汚す愚かな人間どもよ』とでも言ってくるかと思ったんだがそれもなかった。あまりにもおとなしすぎる」
それから、ザードとワイズマンの二人はフィジカルチェックを済ませ、セキュリティ認証を、つまり網膜スキャンと簡単な声紋認証を突破し、船に乗り込んだ。
ザードがブリッジに到着した時には既に全てのシステムが起動済みだった。懐かしいメンバーが揃っている。全てはかつての銀河調査飛行の時以来だ。
「ここだけ時が凍り付いているかのようだな」
キャプテンチェアに座りながら、ザードはつぶやく。
「そうですね。何もかも、あの頃のままです」
「クリム、そんなことはいいんだ。最終チェックに集中したまえ。まもなく発進の指示を出す」
クリムは優秀な女性士官であり、操舵手だ。このエクセルシオールのシステムはかの調査飛行の際にクリム自身が手を加えており、なんとワープ中に方位を変更することが可能だった。ライナーワープシステムに対してノンライナーワープシステムと名付けられたそれ。つまり、相対論に制約されない亜空間を数学的にリニアに展開するだけでなく、本来ならば無視される二乗以降の項も考慮することで『捩れた』亜空間を展開、その中を複雑な演算により突き進むことでより短縮されたワープ、そしてライナーワープスペースに対してであればあたかもワープ中に方向転換したかのように見せることが出来る、そういうシステムである。これはコバヤシのワープ理論にも現れていない効果で、発見者の名を取りクリム-ライト効果と名付けられている。
ライトは最終チェックを早々に済ませ、ブリッジからサブシステムのチェックにうつっていた。特に今回の高エネルギー帯のチェックに使う一連のソフトウェアとハードウェアのチェックは欠かせない。とは言え、ブリッジ上からであればセルフチェックがせいぜいなのだが。
「プラズマリレー正常。スラスター正常。機関部より通信、ワープコア正常とのことです」
ライトが報告する。
「よし。ゲン、調子はどうだ?」ザードは自分より前側、スクリーン側に座っている主任に話しかける。
「ばっちりですよ。このまままた銀河調査飛行に行きましょうぜ」
「じゃあその分余計に重水素を申請しないとな。神楽、そっちも順調か?」
「はい。いつでも発進できます。通信システム正常、スキャナ正常、トラクタービームセルフチェック異常なし、生命維持装置オールグリーン、重力サブシステム問題なし」
と、突然ブリッジのドアが開き、誰かが入ってきた。ザードが振り返るとそこには見慣れない女性がいた。
「はじめまして。私ミーシャ。科学主任として今回の調査に参加するよう命じられました。乗船許可証は此処に」
女性はPadを示した。そこには電子認証された乗船許可証がある。どうやら本物のようだ。
「君が乗るなんて聞いていないが……」
「ええ。国連宇宙開発事業部からではなく、アメリカのとある学会から調査の名目で無理やり潜り込ませていただいたのでご存じないのも無理もないかと」
「一体どんな手を使ったんだ……。いや、聞かないでおこう」
ザードは手を広げ、それから元に戻し、席に再び座った。
「さあ、発進だ。スラスター作動」
「スラスター作動」クリムが指示を反復する。
宇宙船ドッグは、箱状になっており、その外壁が徐々に開く。そしてザードたちを乗せてエクセルシオールは飛び立つ。
少しの振動はあるが、加速度からくる慣性力の影響は感じない。これはワープ時の制御にも使う慣性制動器が正常に機能している証拠だ。スラスターからプラズマイオンを少しずつ漏らしながら、無重力空間を船は進む。目的の高エネルギー帯への到着は約2時間後だった。というのも下手に加速するのよりも減速する時間のほうが多くかかるからで、このようにゆっくりと進むのが最適なペースなのだ。