vector G→N ~Gさんの世界~(後)
「やあ、具合はどうだい?」
ふたりが帰ってしばらくして、またあの医師がやってきた。
「やっぱり薬を変えようと思うんだけど――」
「手術して」
「え?」
「出来るんでしょう?」
仲村の顔から微笑みが消え、真剣な口調で尋ねる。
「成功する確率は10%以下だ。本当にいいのかい?」
「構わない」
この痛みが消えるのなら、それでいい。
「・・・分かった。2週間後に手術しよう」
仲村は私の意志が固いことを理解したらしい。そのまま頷いた。
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仲村の腕は正確だった。
意に反してその目を開けたとき、彼が微笑んでいるのが見えた。
「意識が戻ったみたいだね」
「・・・どうして」
私は死にたかったのに。私の間違いを終わらせたかったのに。
「よかったよ、君が助かって」
「助かった?」
「ああ、じきに動けるようになる。リハビリすれば普通に歩くことも出来るようになるだろう」
そんなことを望んでいたわけじゃない。そんなものは要らない。
「しばらく安静にしているんだよ」
ほっとしたような顔をして仲村は病室を去った。
5日もすると本当に動けるようになってきた。ゆっくりだが歩くことも出来る。
身体が回復するのを待たずに、私は病室を飛び出した。
点滴を支えにして、壁伝いに歩いていく。そして目当ての場所に辿り着いた。
思い切り息を吸い込む。外の空気を吸うのは久しぶりだった。
「ごほっ・・・ごほっ・・・」
まだ身体は本調子でないらしい。だがそのくらいでちょうどいい。
――私はここで死ぬのだから。
思いの外柵が高くて、乗り越えるのは骨が折れるなとぼんやり考える。
「まあ別にいいや」
のぼりきれずに落ちて死ねばいい。ああ、その方がよほど滑稽でいいかもしれない。
空は雨が降りそうに暗かった。私にはお似合いな空。
そんなことを考えながら柵に手を掛けたとき、後ろから声が聞こえた。
「――祇堂さん!!」
振り返ればやはり仲村だった。万里と違って察しがいいから困る。
「なに」
「なに、じゃない!早く病室に戻るんだ!!」
「やだ」
「せっかく良くなったのに、どうして無理をするんだ!!」
「・・・そんなのどうでもいい」
昔からそうだった。何も変わってなんかいない。
「万里以外のことは、全部どうでもいい」
万里が幸せであること。私にとって大事なのはそれだけ。
私自身のことでさえ・・・どうでもいいんだ。
ぽつり、ぽつりと雨が落ちてくる。濡れて冷えていく身体。
そうだ、このまま死んでしまえばいい。
「どうして君はそうやって死に急ぐんだ!?」
飛沫を上げながら走り寄ってきた仲村は、そのまま私の肩を掴んで揺さぶる。
「君は助かるのに――その気になれば生きられるのに、どうして生きようとしないんだ!!」
「そんなのどうだって――」
「――どうでもいいなんてことがあるか!!」
「君の命はこの世に一つなんだ、替えなんて利かないんだ、どうしてそれが分からない!?」
「・・・そんなの」
私はぐっと拳を握り締める。
「分かんないよそんなの!!だってどうでもいいんだ、全部全部・・・万里の居ない世界なんか、消えちゃえばいいんだ!!」
「僕は君の居ない世界の方が嫌だ!!」
抱き締められてはっとする。
「僕は君に生きて欲しいんだよ・・・祇堂さん。だから無駄に命を捨てるような真似はやめてくれ」
「でも私は」
「ああ・・・よし分かった、正直に言おう。君の意向なんかどうでもいいんだ、ただ僕は君に生きて欲しい」
腕を緩めると、仲村は微笑んでみせる。
「これはただの、僕の我侭だ。絶対に君を死なせたくない」
思わず笑いが零れた。
「・・・なにそれ」
「やっと笑ってくれた」
「あ・・・」
そういえば何年ぶりだろう、こんな風に素直に笑うのは。
万里への想いを隠し始めたあの頃から、私が感情を表に出したことなんかなかった。
「僕はそういう顔の君も好きだな」
仲村はぽんぽん、と私の頭を叩いて言う。その目はひどく優しくて、万里とは違う何かを感じた。
「本当は、医者が患者に手を出すのはタブーなんだけどね・・・。まあ僕も人間だから仕方ない」
「・・・」
言わんとすることを理解して、私はかつて万里にしていたような笑みを浮かべた。
「――なら、私を治せばいい」
「え?」
「そうすれば患者じゃなくなる」
仲村は合点がいったように手を打った。
「なるほどね、その手があったか。――あれ、っていうことは退院したら僕と付き合ってくれるってことかな?」
「さあ」
先のことは分からない。けれど今は、この男の我侭に付き合ってやろうと思った。
万里の結婚式にも行きたいし。
「・・・戻る」
すっかりずぶ濡れだ。服が纏わり付いて気持ちが悪い。
「ああ、それがいいね。――さて、これからどう口説いていこうかな・・・」
「治してから」
「はいはい、分かってる分かってる」
どこまで信用できるかは微妙なところだけれど。
それでも今は信じてみよう、私を必要としてくれたこの人のことを。
――気が付けば、足元の水溜りが雨上がりの青い空を映していた。
END
私にはキャラクター全員をハッピーエンドに、というか拾ってやりたくなってしまう悪い癖があります。
前回瑞希にはマネージャーに挑戦させることにして、「このままいけば智花ちゃんとも仲良くなれるだろうな~」としっかり拾った気になっていたのですが、後輩の子から「瑞希ちゃんも幸せにしてあげてほしかった」という感想を頂きまして、なるほどこれはハッピーエンドにはならないのか・・・とずっとそれが引っ掛かっていたんですね。
瑞希を幸せにするにはどうしたらいいんだろうと考えたとき、色々な壁が見えてきました。万里が瑞希を意識することは未来永劫ないでしょうし、瑞希の方は簡単に万里を忘れることなんて出来ない。
智花ちゃんの良さに気付くことは出来るだろうけれど、それは万里への想いは絶対に叶わないということを余計に突きつけることになる。このふたりが幸せになるのは当然だ、邪魔者なのは自分の方だ、そういうことを考えてしまうだろうな、と。
なら瑞希は別のところで幸せにならなくちゃいけない。そこまで考えたとき、仲村先生の「どうでもいいなんてことがあるか!!」という台詞がふと浮かんできたんですね。ベタな台詞ですけど、自分のことを必要としてくれる人がいることって大事だと思うんです。特に自分で自分の価値を見出せないときって。
万里は一定の距離以上は踏み込んできませんでした。それに対して仲村先生は遠慮なく入ってくる。それも傷を抉りに来るんじゃなくて、癒しに来るんです。多分そういう人だったら瑞希を救い出してあげられるんじゃないかな、と思ってこういう結末にしました。
ベクトルの中では一番内面の描写に気を遣ったキャラだったかもしれません。かなり思い入れの強い子でした。こうしてまた描けて良かったです。