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第5話 石板に綴る、はじまりの会話

 石畳の冷たさで目を覚ました。頬に触れる空気は夜の名残を留めているのに、胸の奥だけ妙にあたたかい。

 隣ではノアが早くも帳面を開き、石板の上を細いペンで滑らせていた。銀灰の髪が淡い灯を受けて揺れ、影が長い睫に落ちている。


「おはよう……いや、まだ夜かな」


 ノアは顔を上げ、石板をこちらへ傾ける。


『月が 傾けば 朝』


 そっけない三行。けれどペン先はすぐ下に追記していった。


《灯 微増光 来訪者 眠る》


「私が寝てる間、光が大きくなったってこと?」


 その問いにノアはこくり、と頷く。

 

 (……真っ直ぐな瞳、今の私には少し眩しいよ……昔の私もあんな瞳をしてたのかな?)


 先へ先へ、今より成長した自分へ、そう思って生きてきた。

 でも、この時になって初めて、それと同時に私は何か大事なものを、いつの間にか無くしてしまっていたのかもしれない……そんな気がした。


 そのまま静かな時間が流れ、ふとミレイが首を巡らせて神殿内を見渡した。砕けた祭壇、風で色の抜けた壁画、柱の根元に転がる瓦礫。その奥の支柱にかすかな刻線を見つける。子どもの背の高さを示すように、二本の“かすかな刻線”が並んでいた。


(背比べ……? 年号も彫られてるみたいだけど、削れて読めない)


 触れると粉がこぼれた。ノアは記録に夢中でこちらを見ていない。胸の奥で何か小さな鈴が鳴る。まだ意味は分からない。


 視線を戻すと、ノアは祭壇脇の小瓶を持ち上げていた。乾いた土がひとつまみ。掌で包み込むと青白い粒子がふわりと沈み、瞬きのあいだに緑の芽が顔を出した。


「……今、芽が?」


『昨日 芽 なかった』


 言葉より早く鼓動が跳ねる。偶然の一語で切り捨てるには、目の前の現象が静かに美しすぎた。

 

「…これが奇跡なら、どうして村は衰えたまま?」


 ノアは少し目を伏せ、短く記す。


『信じる人 減った』


 その文字を見ながら、ミレイの胸に引っ掛かっていた棘がちくりと疼く。

(私も信じる事ができない側……だから光は弱いまま?)


 けれど信じると口にするのは怖い。ミレイが戸惑うあいだに、ノアは石板へさらりと書く。


『信じたい だから 書く』


(“信じたい”か……それなら私にもわかる気がする)


 パンパンと手を叩く。


「……だったら整理もしなきゃね。せっかくの記録が山の中で眠ってる」


 祭壇の奥には、石板や紙束が崩れた本棚のように積まれている。ミレイはブラック部署で鍛えた整理癖を思い出し、袖をまくった。


「日付順に並べて、タグを付けて――“光”“芽吹き”“誰が見た”って感じかな」


 ノアは一瞬だけ目を丸くし、それからゆっくり息を吐いた。唇がわずかにゆるむ。

 灯がふっと揺れ、温度が一度上がった気がした。


「でも先に朝ごはん。動けなくなったら元も子もないし」


 ミレイの腹が正直に鳴る。ノアの肩が震え、笑ったかもしれない。石板に新しい行。


『広場 夜明け前 パン屋 残り物』


「情報強い! じゃあ案内お願い、記録係さん」


 石段を下る途中、先ほどの背比べ線が視界の端に入った。二本の幼い線は静かに並び、誰かの時間を抱えたまま眠っている。



 広場へ出ると、東の空が紫を溶かし始めていた。石畳の先、水路の縁で大柄な青年が木桶を担ぎ、流れを覗き込んでいる。短く切った金の髪、逞しい背。胸元の布は土埃で色を変えていた。


「あの人は……?」


 ノアが石板を掲げる。


『村長』


 青年がこちらを振り向く。鋭い灰の瞳が余所者を測り、わずかに眉をひそめた。

 夜明け前の空気が張り詰める。



 胃袋は再び鳴き、青白い灯は神殿の奥で揺れ続けていた。

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