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第17話 言葉のはじまり、同じ空の下で

 丘の端。風が通る、ひらけた場所。

 少し離れた布の上では、子どもたちが「5個!」「6個!」と星を数えている。ノアは石板を胸に抱え、リアムは指先で無意識に縄の端をつまんだ。ミレイは息を整え、2人の横顔を見守る。


(ここだ。今、開く)


 最初に口を開いたのは、リアムだった。けれど、声はすぐ喉でつかえた。


「……俺は」


 そこで止まる。次が出ない。

 ノアは石板に《待つ》とだけ書いて掲げ、視線を落としたまま、じっと息を整える。ミレイはその一文字に、背中を押されるような気持ちになる。


 リアムは空を一度見上げ、吸って、吐く。拳をほどき、言い訳を飲み込むみたいに、ゆっくり言葉を並べた。


「……あの時の俺は、最悪だった。

 怒りを、お前にぶつけた。お前の声を、折った。

 間違ってた。——悪かった。すまない」


 最後の2語は、押し出すように低く落ちた。

 ミレイは胸の奥で細い糸がほどけるのを感じる。


 ノアは目を見開く。石板の上でペンが一度迷い、文字にならない線がかすかに走った。沈黙が、いくつかの鼓動を数える。


 それから、ノアは石板に短く書いた。


《受け取る》


 掲げて見せ、胸に下ろす。

 そして、口を開く。呼吸を合わせるみたいに、そっと声を探して。


「……うん」


 かすれた、けれど確かな音。

 リアムの肩が小さく揺れる。目の奥の硬さがわずかに解け、「今の——」と口の形だけが動いたあと、低く短く続く。


「聞こえた。……ありがとう」


 ノアはこくりと頷き、今度は言葉で続ける。


「僕も、あの後、黙った。声を使わないのは、少し、楽だった。

 でも、それで君の声も遠くなった。……だから、また、少しずつ話す」


 リアムはまぶたを一度強く閉じ、開く。喉仏が上下し、声が出る。


「俺も、出す。遅くても、出す。

 言い過ぎそうな時は——合図を決める。お前の《停止》札、あれを出されたら、俺は止まる」


 ノアが石板に《合図:停止/休/後で》と書き、指先で「後で」の丸を二重に囲む。


「“後で”は、逃げないための“後で”。……約束」


「ああ。約束だ」


 ぶっきらぼうな肯定。けれど真っ直ぐだ。

 布の方から子どもたちの笑いが転がってきて、草の先で青白い粒がひとつ、ふっと明るくなる。錯覚かもしれない。そうじゃないかもしれない。


 ミレイは小さく息を吐いて、二人の間に視線を流す。


「最初の合図は、もう出せたね。——“今ここで、同じ空”」


 リアムが頷き、ノアは石板の端に《並ぶ》と書いて、ペン先で小さく点を打った。


「……それと」


 リアムがミレイへ向き直る。言葉はぶっきらぼう、でも真っ直ぐだ。


「きっかけはお前だ。いや……助かった。ありがとう」


 ノアもそれに重ねるように、石板へ《ミレイ ありがとう》と記し、ためらいながらも口で言う。


「……ありがとう」


 ミレイは両手を振って誤魔化した。


「私は、場所を並べただけ。話したのは2人だよ」


 風が弱まり、子どもたちの数える声がはっきり届く。「7個!」「8個!」

 ノアは石板を開き、《星丘 記録 継続/本日:共同観測》と書き添えた。リアムは自然に段取りへ戻す。


「明日、橋の締め直しを午前に。午後は用水の見回りと、撒き時の札」


 ミレイがうなずいたところで、リアムが言葉を足す。声は低いが、迷いはない。


「……それと、ミレイ。明日、少し時間をくれ。

 “どうして”を話す。俺の話だ。——聞いてほしい」


 ノアがミレイを見る。石板に《同席?》と小さく書いて、すぐに消した。

 ミレイは二人を順に見て、短く笑う。


「場所、用意する。——同じ景色を見ながら、聞く」


 リアムは小さく頷き、ノアは《了解》と記して掲げる。

 丘の上の空は、さっきより星が増えていた。草の先の青い明滅は、流れ星の尾に合わせるみたいに細く増える。


「みんな、戻るよ。帰り道は“3歩以内”」


「はーい!」


 子どもたちが駆け寄り、誰かがミレイの手に小さな野の花を押しつけた。

 ノアは半歩うしろに回り、リアムは隣で歩幅を合わせる。3人の影が草に重なって、また離れる。


(“謝る”は奇跡じゃない。けれど——今夜の星と同じくらい、確かだ)


 丘を下りる角で、3人は一度だけ空を振り返った。

 星は静かに増え続け、草の先の光は、最後まで消えなかった。

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