第14話 線の高さ、星の数(ノア視点)
橋の手すりをもう1段足して、札を《夜間注意》に掛け替えたところで、僕は神殿へ戻った。
倉庫の戸は閉めた。道具は所定の棚。石板は胸の前。呼吸は、やっと静かだ。
柱のそばを通り過ぎるはずが、足が止まった。
支柱の脇、低い位置に刻まれた2本の線。背比べの跡。僕の指は癖みたいに、その木肌をなぞる。
(……あのころの高さ)
目を閉じる。息を長く吸う。まぶたの裏に、夜の色が立ち上がる。
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風の強い丘だった。草が膝に当たって、空が近い。
僕はこのころ、言葉を声で話していた。
「……今日、たくさん出てる」
僕が空を指すと、リアムは笑う。
「負けない。俺が先に流れ星を見つける」
「じゃあ、数える。僕は書く」
膝の上に小さな帳面。炭筆で、星が流れるたびに短い線を増やしていく。
風の音。草の擦れる音。リアムの低い笑い。少し離れたところで、子どもたちの囁き声。
「いつか、用水をきちんと通して、畑を増やす。夜は水路沿いに灯を点ける。旅の人が迷わない村にする」
リアムは手を枕にして、まっすぐ空を見た。「奇跡ってのは待つもんじゃない。寄ってくるように、こっちが形を作るんだ」
「……うん。来るように、道を作る」
「道が要る。橋も要る。杭も板も縄も。俺はその先頭に立つ。村長の息子だから、じゃなくて、俺がそうしたいから」
「僕は、書く。忘れられないように。全部」
「ノアの字、読めば分かる。誰がどんな顔で見上げてたか、どんな夜だったか。書けるのはお前だけだ」
「……声も、残す」
僕は炭筆を止めて、小さく笑った。
丘の向こうで、青白い粒がふわりと揺れた。風のいたずらかもしれない。名前を付けないで、ただ見ていた。
背比べの線を刻んだのは、その少し後だ。
神殿の柱にかかとを揃えて、背中を預け合って、片方がもう片方の頭の上で小刀を走らせる。
最初の線はリアム、次の線は僕。
「追い越す」
リアムが笑う。僕は首を横に振る。
「並ぶ。……ずっと、並ぶ」
「じゃあ約束だ。並んで村を上に上げる。奇跡が来ても来なくても、俺たちで“来る形”にする」
「書く。……来た形」
指先で位置を覚えるように、僕は柱に手を当てた。
あの夜、僕たちは同じ方向を見ていた。星の方へ。水の方へ。村の方へ。
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現在の光が戻ってくる。
指の腹に古い木の粉。柱の線は、もちろん増えない。高さは昔のまま。
戸口の方から、子どもたちの足音が弾んでくる。
ミレイが引っ張られて入ってきた。頬にうっすら土、目は笑っている。
「ノア、準備できた? 星、見に行こうって。みんな待ってる」
僕は頷いて、石板を掲げる。
《準備 完了》
ミレイは柱の刻みを一瞬だけ見て、黙って頷いた。
外の風は柔らかい。雲は薄い。星丘までの道は、今日も同じ場所にある。
歩き出しながら、僕は小さく口にする。誰にも聞こえないくらいの声で。
「……並んで、行く」
返事の代わりに、遠くで釘の音が1つ跳ねた。
夜が来る。星を見る約束は、今日、ちゃんと叶う。




