第五話『立て板に水』
バイト休みのある日。鈴蘭は書店で女性ファッション誌を購入し、上機嫌で日陰の道を歩く。今日は先月から楽しみにしていた雑誌の発売日だった。
――日傘忘れたけど日影が多くてラッキー。早く帰りたい・・・走ろっかな。でも走ったら暑いんだよね。
「おー鈴蘭。お前さ、いくら陰キャだからって誰も日陰以外歩くななんて言ってねーだろ?そんな端っこを下向いてさー」
「紫外線舐めんな!陽キャでも日傘で陰作ってんだよぉー!」
「ぐはあっ!」
待望の雑誌が入ったエコバッグを通りすがりの店長の背中に叩きつけ、鈴蘭は余計な汗をかいたと舌打ちする。彼は隙間から見えたのか、要らない動体視力を炎天下で披露した。
「えっ?雑誌は雑誌でも女性ファッション誌?」
「なんすか。陰キャは黙ってアニメ雑誌でも読んでろっつーんですか」
「お前別に陰キャだけどオタクじゃねーだろ。いやそっちじゃなくて、お前がお洒落?」
店長はクマのキャラクターがプリントされたTシャツに綿の黒ショートパンツ、激安のシャワーサンダルを見て疑問符を浮かべる。鈴蘭は気の抜けた部屋着をまじまじと見られ、顔から火と絶叫が出た。
「うっ、うるせえええええ!ガン見するとかマジでノンデリ!今日は本屋行く以外に予定なかったからいいんです!あと付録目当てだったし!このエコバッグだって先月の付録なんですよ!可愛いでしょ!?」
「それ前も店で聞いたな」
「ファッション誌買うのは自由だけど、お前休みの日は全然外出ねーじゃんって言われたの一生覚えてますからね!」
「ごめんて」
――私だって出かける時くらいあるし。今は暑いから近所の本屋とスーパーとバイト先が限界だけど。
「逆に店長はこれからどこ行くんですか?」
「あー」
店長は鈴蘭を見て顎に手をやり、ニヤッと笑う。
「多分このまま日向を通らずに着けるからさ。ちょっと俺の用事に付き合ってくれ。雑誌のお供に高級アイスはどうだ?」
「行きます!アタシいちご練乳みるくが食べたい!」
「うわ甘そー。かき氷みてーなフレーバーだな」
店長は鈴蘭をお供に引き連れ、向かった先は――近所にある墓地だった。
――用事って墓参りか。誰のだろ。
「ってか到着してから日陰が全然無いんですけど」
「んな日焼けを気にすんなら最初からクリーム塗って肌隠せよ」
――うぐく。
出かける前。面倒臭いが勝った自分を恨み、鈴蘭は文句を言う口を閉じる。店長は『口田家之墓』と刻まれた石碑の前で立ち止まり、白衣のポケットからペットボトルの水を取り出した。
「口田の婆ちゃん。若々しい新人バイトの鈴蘭を連れて来たぞー」
「こんにちはー。で誰ですか?」
「略してクチ婆な。『マッド・ファーマシスト』の常連客で、鈴蘭が来た頃にはもう亡くなってたからお前は知らないよ」
店長は鈴蘭と並んで合掌し、心の中で線香を忘れたことを詫びた。
――マジか墓参りってお供え物以外にもいるもんあるのか。花はや掃除は家族の人がアレするからいいとして。
――アタシも墓参りなんてしたことないけど多分いるよね?掃除は家族の人がやってくれるからやらなくてもいいとして。
「やべー全然調べてなかったわ。鈴蘭はちゃんと正しい知識入れとけよ」
「店長が背中見せてくださいよ」
「まっいいか。後はこれを供えてと」
店長は手に持っていたお供え物――ペットボトルの蓋を開け、中に入っていた水を全て棹石にぶちまけた。
「えっえっちょっと何してんですか!?」
「ウチは薬局じゃなくてドラッグストアだからな。飲料系も取り扱ってんのは知ってるだろ?」
「はい。この前も経口補水液を箱買いするお爺ちゃんがいました」
ただし、ドラッグストア『マッド・ファーマシスト』は普通のドラックストアではない。先日箱ごと売れた飲料も――飲むとスラスラ音読できる経口補水液『エスオーワン』だった。
「クチ婆はこれ。抗老化水素水『リバースエイジング』を箱買いする常連だったんだよ」
「えっ。確か若返り系の薬ってめっちゃ高いんじゃ」
「うん。でもこれは若返るとかじゃなくて老化を抑える効果しかない。それでも1本5万はするけどな」
「はぁ!?」
――1本5万の水素水を箱買いってことは、かける24で1回のお会計ウゲェーー!
値段を聞いた鈴蘭は湿った棹石と空のペットボトルを交互に見て仰天する。店長は帰るぞと促し、歩きながら話を続けた。
「上客だったからこれぐらいしねーとな。この水素水の効果はアンチエイジング、美容効果、髪質改善、健康促進と結構色々あるから『5歳若返るだけで500万も払えるか!』ってごねた客に勧めることが多いな」
「成程。じゃあこれを飲んでから年をとっても、飲んだ時のままをキープできるってことですか?」
「だな。実際クチ婆は60代の頃から愛用して90歳まで生きた」
「いや生きすぎでしょ!えっじゃあクチ婆は60代のまま90歳で棺に入ったんですか!?」
――親戚はどんな顔して見送ったんだろ。怖っ。
店長はホラーだよなと笑い、笑えるか!と怒った鈴蘭にどつかれる。そして彼は思い出したように彼女の間違いを訂正した。
「そうだ。さっき『飲めば年齢をキープできる』って言ってたけど、飲んじゃ駄目なんだよ」
「え」
「いや飲んでもいいんだけど、それだと普通の水素水と変わらない効果しか望めなくなる。この水素水で抗老化するには洗面器とかに注いで、希望の部位を1分間つけてなきゃいけない。そうすることで今の若さを保てるんだ」
「顔以外にも効果があるってことですか?」
「そ。首や手にも年齢って出るからな。クチ婆は水商売やってたのもあって、全身『リバースエイジング』漬けにしていたらしい」
「ひえぇ」
鈴蘭は若作りした老女が水素水風呂に入っている姿を想像して身震いする。店長は横断歩道の先にあるコンビニを指差し、お駄賃代わりのアイスを求めに向かった。
「まぁお前にはまだ早い。というか『リバースエイジング』以外に適した薬があるからな。もし日焼けのシミとかができたら俺に相談してもいいぞ」
「はーい。でもそんな凄い水、SNSでバズって社会現象になるんじゃ?」
「と思うだろ?この水素水には副作用があってな。使えば使う程、独占欲が高まっていくんだ。『リバースエイジング』の効果を誰にも教えたくない。自分だけのモノにしたいって思い込むらしい」
――実際、クチ婆は娘と孫に若さの秘訣を徹底的に隠したらしいからな。
店長は面白いだろ?と口に弧を描き、鈴蘭のアイスと強炭酸水を手に取ってレジに進む。彼女は溶ける前にそこそこ面白い話が終わることを願った。
「――ありがとうございます。でも店長的にはいいんですか?」
「なにが?」
「大好きなお金儲けのチャンスなのに。絶対『リバースエイジング』って需要ありますよ」
「嫌だよ。ちょっといいなって思った見た目30歳の女性が、蓋開けたら『リバースエイジング』の効果で実年齢80歳でしたーとか」
「それは確かに」
「あまり広め過ぎてもな。シニアすぎて母性湧くだろ」
「それは知りませんけど」
「ただ『リバースエイジング』は維持であって改善じゃない。多少の美を上げて、そのままの状態をキープできる部分はあくまで肌とシワとたるみだけ。声は年相応に嗄れていくし目だって老眼になる。5万ぽっちじゃ完全に老化を防ぐことは難しいな」
――それに脳も衰えていく。クチ婆の死因が老衰や病死じゃなくて、溺死だってことは黙っておくか。
ここで鈴蘭の家に到着し、お礼を言って部屋に戻る。スプーンを入れやすくなったアイス片手に、彼女は寝転んで雑誌を開いた。
――若返りって禁忌みたいなイメージだけど、クチ婆は天国に行ったのかな。
そして次の日。ドラックストア『マッド・ファーマシスト』で鈴蘭が最初に対応したお客様は――
『すみません』
「は・・・」
『店長はいる?』
――骨格を残した死骸だった。
「――!」
「うおっ!どうした!?」
鈴蘭は反射的に悲鳴をあげ、奥にいる店長にSOSを送る。すぐに飛んできた彼は従業員を守るように立った。
ビチャ・・・グチョッ・・・ベシャ。
『昨日は水素水ありがとねえ。でもあれっぽっちじゃ足りないよ。もっともっともっとゴポッ、ゴボボボボボボボボボボボボ・・・・ゴボファアッ!』
クチ婆の声を宿した骸骨は、頭蓋骨の穴から大量の水を噴き出した。




