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【9】幸福と悪夢

 寝室に戻ると、リベルは躊躇わずに布団に頭から飛び込む。心地の良い枕に顔を埋めると、一日の疲労が一気に体に圧し掛かるようだった。

「疲れた……」

「お疲れ様でございます」

 イーリスが寝間着の用意をしながら小さく、くすりと笑う。リベルもイーリスの前では取り繕う必要はなかった。

「頭を使うことが多すぎてへとへとだよ……」

「城での暮らしは慣れられましたか?」

「慣れてはきたけど、まだこの先、何年も暮らすって実感はないかな」

 王宮はどこもかしこも華美だ。リベルは村にいた頃は質素な家で暮らしていたし、紫音の部屋は庶民も庶民のアパート。寝室であってもこれまでの家とは質がまったく違った。

「王になられたばかりですから。仕事に慣れてくれば、きっと慣れますわ」

「そうかな……」

「はい。ですが、無理はなさらないでくださいね。何かあれば何なりとお申し付けください」

「うん。ありがとう」

 リベルは、王宮内には大した実力もない若輩者が王位に就いたことをよく思わない者もいるはずだ、と考えている。これから王としての任務をこなすことで信用を勝ち取らなければならない。

「でも、王として休んでばかりはいられないよね」

「少しくらい大丈夫ですわ。難しく考える必要はありません」

 イーリスは優しく微笑む。リベルは側近に恵まれている。リベルが王位に就いてから、仕事は溜まる一方だ。それでも誰もリベルを責めない。それがリベルにとってありがたかった。

「お茶をご用意しましょうか?」

「湯浴みして寝たい……」

「承知いたしました」

 イーリスが頷いたとき、部屋のドアがノックされた。嫌な予感に顔をしかめるリベルに対し、イーリスは笑みを深めてドアを開く。リベルの予想通り、部屋を訪れるのはキングだった。

「キング、ごきげんよう」

「やあ、イーリス」

「お茶の用意をして参ります」

 微笑ましく部屋を出るイーリスとは対照的に、リベルは重い溜め息を落とす。そんな憂鬱な表情には構わず、キングはリベルを抱き上げた。そのままソファに腰を下ろし、リベルを膝の上に乗せる。

「寝室まで来るのはやめてくださいよ」

「寝室でなければお前を堂々と愛でられないだろう?」

 キングの指が頬を撫でるのに合わせ、リベルは顔が熱くなる。リベルはこの時間が苦手だった。

「私の可愛いリベル。何か考え事をしていることが多いようだ」

 キングの真紅の瞳が真っ直ぐにリベルを見つめる。こうなってしまえば、リベルに逃げるすべはない。

「王になったのだから当然です。考えなければならないことは多いですから」

「それ以外に何か気になることがあるんじゃないか?」

 さすが先代魔王は鋭い。リベルが仕事の合間に考え事をしてしまっていることは、キングでなくても明らかだろう。しかし、それについてミラ以外に打ち明けるわけにはいかない。

「お前の頭の中が覗けたらいいのにな」

 もしキングがリベルの頭の中を覗くことができれば、リベルが転生者であることのみならず、この国に厄災をもたらず大魔王となることを知られてしまう。キングならそれを止められるのかもしれないが、リベルがリベルでない魂を有していることに落胆してしまうかもしれない。そう思うと、口を噤むほかなかった。

「いまは何を考えているんだ?」

「……何も考えてません」

「こんなに近くにいるのに、私のことを考えてくれないのか?」

 キングの顔が間近に迫るので、リベルは思わず言葉に詰まる。そんなリベルですら愛おしむように目を細め、触れるだけのキスをする。リベルは身動きが取れない中、心臓が一生のうちに打てる心拍は決まっているらしい、ということを考えていた。自分は早死にするのかもしれない、と。

(キングはきっと、小さい僕を可愛いと思って揶揄ってるだけだ)

 そう思ってみても、あまり効果はない。それから、前回の大魔王レクスのときは人魔抗争の時点でキングは討伐されていた、と考える。前回のレクスがこの世界を破滅へ導いたとき、キングはすでにいなかったのだ。そのため、誰もレクスを止める者はいなかった。止めることができなかったのだ。

「私の可愛いリベル。何か不安なことがあるんじゃないか?」

 優しく頬を撫でるキングに、リベルは俯く。キングはこの世界が破滅の危機にあることを知らない。その不安要素を打ち明けることができないのは、なんとなく察しがついているのだろう。

「ミラには話せるのに、私には話せないのか?」

「いや……。どうしてそんなにミラと張り合うんですか?」

 話題を変えよう、と言うリベルに、キングは軽く肩をすくめた。

「ミラのほうがお前をよく理解しているようだからね。その役目は私であるべきだよ」

「ミラは昔馴染みというだけです。出会った順ですよ」

「ふうん」

 キングが目を細めるので、リベルはまた嫌な予感に見舞われる。キングは軽々とリベルの体を抱え上げると、そのままベッドに押し付けた。腹黒さをはらんだ笑みに、リベルは体を強張らせる。

「それなら、その時間を埋めるしかないな。回路同調(シンクロ)は案外、簡単にできるものなんだよ」

 頬を撫でるキングの指の感触が先ほどとは違うことは明らかで、それがさらにリベルの心拍を上げる。リベルは目元を手で隠した。

「困ります……。僕には何もできません」

 キングは小さくくすりと笑うと、リベルの体を引き起こす。ベッドに腰を下ろし、またリベルを膝に抱えた。

「冗談だよ」

 射貫くような瞳に耐えられず、リベルは俯く。そんな表情も愛おしむように、キングは優しく頬を撫でる。

「お前を無理やり私のものにするつもりはない。そうするのは簡単だがね」

 きっとそれはその通りなのだろうと思うと、リベルはまた顔が熱くなった。リベルではキングに敵いようがない。それをしないのも、キングの愛のひとつなのだ。

 キングはまた優しく唇を重ねる。その瞳は慈愛に満ちていた。

「愛しているよ。私の可愛いリベル」

 もしこれがキングの心からの言葉だとしたら、とリベルは考える。自分にはどうしたって応えることができない。なぜなら、リベルはこの世界を破滅に導く大魔王だからだ。そう考えると、胸が締め付けられる。神の介入があるとしても、自分がそうならないという確証はない。そうなったとき、キングは勇者軍とともにリベルを討伐しなければならない。もし自分が厄災の大魔王となれば、彼らと敵対することになるのだ。そうであれば、リベルにはキングの心に応えることはできないだろう。

「リベル」

 キングの指がリベルの顎に添えられ、俯いていたリベルの視線を掬うように目を細める。

「いまは私のことだけを考えていてくれ」

 それはそれで、とリベルはまた心拍が跳ねた。すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたい。自分の心臓はもつのだろうか。リベルは身動きすら取れなくなっていた。



   *  *  *



 気が付くと、黒い空間に佇んでいた。何も見えない。なんの音も聞こえない。だが、無性に不安になる空間であった。

『どうしてそんなこともできないんだ』

 不快な音声が耳の奥を貫く。辺りを見回しても、なんの気配も感じない。

『どうしてお前はそんなに不出来なんだ』

 ――ごめんなさい。

 それは、なんの考えもなく出てきた言葉だった。そう口にするのが当然のように。

『お前は邪魔だ。もう少しで上手くいくはずなんだ』

『お姉ちゃんを見習いなさい!』

 ――ごめんなさい。

 耳を塞ぐことも許されず。ただ蹲る。そうすることでしか耐えられない。

『役立たず。弱いお前に何ができる』

『こんなこともできないなんて。本当に恥ずかしいわ!』

 様々な声が重なり、不協和音となって耳の奥で響く。呼吸すら許されない。

『お前に王は務まらない。いつかキングも愛想を尽かす』

 信じたくない。それなのに、まるでそれが正解のように胸中を占める。

『お前がいなければすべて終わるんだ』

 ――もうやめて。

『愛されているだなんて、よくそんな幻想を懐けたものだ』

 ゆらりと影が揺れる。目を逸らすことは許されなかった。

『さっさと私の前から消えてくれ』

『さっさとこの世界から消えてくれ』

 声が重なる。どちらが本当の言葉なのか。きっと、どちらも本当の言葉なのだろう。

 ここに居ることが、きっと罪なのだ。



   *  *  *



 ようやく呼吸を取り戻すように目を覚ます。激しい心拍を落ち着けようと、荒く呼吸を繰り返す。窓の外に覗く月はまだ高く、寝室の外はしんと静まり返っている。時計を見ると、まだ真夜中だった。

(……またこの夢……)

 ベッドの上で体を起こし、荒く深呼吸する。圧迫された肺に押し出されるように涙が溢れた。

(これが、キングの本心だとしたら……)

 そう考えると、心臓を悪魔に鷲掴みにされているような気分だった。ただの夢だ。そう思ってみても、あの不快な声が耳から消えない。

 乱暴に目元を拭い、ベッドから降りる。呼び鈴を鳴らそうかと手を伸ばしたが、いまなら部屋の外に誰かいるはずだ。スリッパを履き、ドアを薄く開く。ランプの薄明かりの下で、フィリベルトが本を読んでいた。リベルに気付いたフィリベルトは、明るい笑みを浮かべる。

「目が覚めてしまったんスか?」

「うん……なんだか夢見が悪くて」

 フィリベルトは腰を屈めてリベルと視線を合わせる。その途端、リベルの胸中には安堵感が広がった。

「疲れてるんスよ。毎日、忙しいっスから」

「うん……。僕は役に立てているかな」

「それはもう。何より、レクスがいるだけで場が和みますから」

 リベルの周りにいる人々は雰囲気が柔らかい。おそらく、右も左もわからず王になった彼に気を遣っているのだろう。フィリベルトはきっとどこにいても快活なのだろうが。

「レクスが名に相応しい王になろうと努めているのはよくわかるっス。レクスは良い王になります。レクスに仕えることができて、自分は光栄っスよ」

「……僕はそんなすごい人じゃないよ。なんの役にも立ってない」

 いまでさえ、執務机に山を作る書類を一枚一枚、片付けることに必死だ。自分がこの先、この国を守っていけるとは思えなかった。あの不快な声は、その証拠のようにさえ思えた。

「結果を焦る必要はないっスよ。レクスはこの先、何年も王として務めていくんスから」

「うーん……」

「レクスはまだお若いっスから。これから強い王になりますよ」

 現在のリベルでも、すでに前世より長く生きている。それだけ知恵が身に付き、知識も多いはずだが、それでもリベルは自信を持つことができなかった。あの日の誰かに、足を引っ張られているような、そんな気分だった。

「それはどうかな……。僕はポケットラットだし……」

「ポケットラットがどうして最弱と言われているかご存知っスか?」

 明るい笑みでフィリベルトが言うので、リベルは首を傾げる。

「えっと……知らないかな」

「ポケットラットは、他の魔獣にとって捕食対象なんス」

 あまりにあっけらかんと言うフィリベルトに、ひえ、とリベルは小さく呟いた。それでもそれは当然だと考えられる。

「捕まれば食われてしまうんスよ。大抵、ポケットラットは捕まっちゃいます。速いと言っても、体は小さいっスから」

 ポケットラットにとっての数歩は、他の魔獣にとって一歩の場合もある。いくら素早い動きでかく乱しようとも、その歩数の差を埋めることはできない。追われるポケットラットに、逃げるための手立てはないのだ。

「だから、ポケットラットはほとんど進化しないんス。それでも、捕まらずにいられる個体もいます」

「運が良かったとしか言えない気がするけど……」

「まあ、それは否めないっスけど。でも、そもそも人型になれるだけで、ポケットラットの中でもかなり進化した個体っスよ」

「……そう……」

 そうは言っても、とリベルは考える。いくら進化しようと、ポケットラットが魔族の中で最弱であることに変わりはない。自分がこの先、強き王となることはリベルには想像できなかった。

「捕食対象か……。じゃあ、キングが僕を食べる可能性もあるかな」

「それはないっスねー」

 フィリベルトの確信は、キングがリベルに向ける愛とは別の理由があるようだった。

「魔王族は他の魔獣を捕食しないんスよ」

「そうなんだ」

「はい。魔王族の主食は人間っスから」

 またもや明るく笑ってフィリベルトが言うので、ひえ、とリベルは息を呑む。前世の自分であれば、二度とキングには近付かないところだ。

「それも昔の話っスけどねー。いまの魔王族は人間を食わないっスよ」

「そう……」

「何より、キングはレクスを愛していらっしゃいますからね。愛する人を食おうなんて思わないっスよ」

 それはきっとその通りなのだろうが、キングの愛には、リベルはいまだに確信を持てずにいた。小さきものを愛でたくなるのは、どの生物でも同じだという。まさにそういうことなのではないか、と。

「フィリベルトは不満ではないの?」

「何がっスか?」

「ポケットラットに仕えるなんて……」

「不満なんてあるわけないっスよ~。レクスが何族であろうと関係ないっス。王として認められたんスから」

 フィリベルトの表情に嘘や偽りはない。何より、実直な彼が心にもないことを言えるとも思えない。だが、それでもリベルの不安は消えなかった。

「みんな、そう言うけど……僕は王に相応しくないよ」

「レクスは努力してます。その姿は偽りじゃないはずっスよ」

「…………」

「自分たちが付いてるっス。レクスに仇為す存在は、誰であろうと指一本、触れさせないっスよ」

「……うん。ありがとう。心強い人たちに囲まれて、僕は幸運だね」

 いまでも、ふとしたときに前世を思い出すことがある。あのときの自分には、こんなにたくさんの人に囲まれていることを想像すらできなかった。姉を失ってから、ただ遺されたのは孤独だった。この手が幸福に届くことはないと、達観にも似た確信があった。だから、不安になってしまう。また独りになってしまうのではないか、と。あの夢がその証明であるのなら、また失望することになるのだろう。ただ、それだけが恐ろしかった。




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