【8】弱き王
王宮の書籍室は、レクスがかつて暮らしていた部屋よりはるかに広い。一生をかけても読み切れないのではないかと思うほどの本が棚で綺麗に並んでおり、時間さえあればレクスは毎日でも通いたかった。
ソファに背中を預けつつ打ち明けたレクスの話に、あら、とミラは首を傾げる。
「いいじゃない、ポケットラットの家系。イーリスの言う通り、いざというときに魔力放出で逃げられるのは利点よ」
「そうだけど……もっと強い種族がよかったよ」
ポケットラットより上位の種族であれば、こうしてコンプレックスのように思うこともなかっただろう。ポケットラットの王ではあまりに弱すぎる。護衛がいなければとっくに誘拐でもされていたかもしれない。ただの村民だった頃は考えてもみなかったことだ。
「どうしてリベルはポケットラットの家系なの? 膨大な魔力を持つのに」
「そのほうが可愛いと思ったからよ。弱い存在が強くなる設定がよかったの」
実に姉らしい、とレクスは小さく笑う。この世界は姉が「親には見せられない」と隠し通した作品だ。姉の趣味がふんだんに盛り込まれていることだろう。
「そもそも、リベルはどうして膨大な魔力を持っているの?」
「原作者として、そういう設定にしたからとしか言いようがないけど……。前回のリベルは神に与えられたチートでさらに魔力量が増大していた。そうでなければ世界を破壊するなんてできないわ」
いまのリベルは、この世界にとってはふたり目のリベルだ。前回のリベルは神すらも騙し、この世界を破滅へ導いた。ただのポケットラットの家系の者であれば不可能なこと。まさにチートだった。
「あなたも、本気を出せば世界を破壊するほどの魔力を持っているはずよ」
「そうなの?」
「本気を出せばね。ただ、二の舞にならないように、あなたの魔力は種類を変えられていると思うわ。便利な魔法やスキルが身に付きやすくなっているのかもしれないわね」
「そっか……」
「チート能力ではないけど、きっと役に立つわ」
いまのリベルにはこの世界を破滅に導くつもりはない。おそらく、それだけの魔力は持ち合わせていないだろう。神によって「調整」が入っているはずだ。だが、便利な魔法やスキルが身に付くなら、魔法で楽しむことはできるだろう。リベルにはそれだけで充分だった。
「こんなところで、ふたりで内緒話か」
冷ややかな声が聞こえて顔を上げると、窓際のソファに腰を下ろすレクスとミラを覗き込むのはキングだった。本棚の壁に隠された角で、こういった話をするのにちょうどいい場所だ。
「休憩中なのだから、いいでしょう?」ミラが呆れた表情で言う。「レクスにだって、昔馴染みである私にしかできない話もあります」
キングは悔しそうに口を噤む。キングも“昔馴染み”には勝てないようだった。
「そろそろ仕事に戻ろうか」
立ち上がるレクスにミラも続く。レクスが本棚のあいだを抜けると、キングがサッと肩を抱いた。レクスとミラは姉弟であるため仲が良いのは当然であるが、キングにとってはそれが許せないようだった。前世では姉弟だったが、いまは血の繋がらない男女である。レクスがミラを選ぶ可能性があることを恐れているのだろう。キングにも悔しく思うことがあるのだ、と思うと、少しだけキングの印象が変わるようだった。
戴冠式が終わって数日が経ったが、引き継ぎのための書類はまだまったく片付かない。机の上には相変わらず書類の山ができており、書類に署名をしてもしても山が減らないような気分だった。
レクスが仕事をしているあいだ、キングは微笑ましくレクスを眺めている。レクスの能力の低さを揶揄っているのではなく、ただ可愛らしく思い愛でているだけだ。
「キングは何かやることはないんですか?」
書類が数枚、片付いてひとつ息をついたあと、レクスは思い立って問いかけた。キングは軽く肩をすくめる。
「特にないね。私は引退した身だ。やることはないよ」
「そうですか……」
レクスには少しくらい手伝ってほしいという思いはあったが、これからしばらく王として過ごすことになる。ひとりでも仕事を片付けられるようにならなければ魔族の役に立つことができないと考えると、自分の能力を磨いていくしかないようだ。
少し乱暴なノックが響く。執務室に顔を出すのはフィリベルトだった。
「失礼します! ご報告に上がったっス!」
「何かあった?」
「国境の関所で、数名の人間が通行許可を取りに来たっス!」
思わず眉をひそめるレクスに、フィリベルトは真剣に続ける。
「現在では王命により許可を出さないことになっていると国境警備隊が伝えたので、引き返して行ったそうっス!」
「そうですか……」
この魔族の国と隣接する人間の国との境には、高く聳え立つ壁がある。関所にも大きな門があり、その門には警備隊が配備されている。さらに魔法による防壁も張り巡らされているため、堅牢な国境は簡単に越えることはできないようになっている。現在、魔族以外の者が関所を潜ることは一切の許可を出していない。これはレクスが下した取り決めだ。魔王討伐の件で魔族は人間を快く思っていない。人間にも魔族に危害を加える者がいないとも限らない。現状では、人間の入国を拒否することが最善ではないかとレクスは考えたのだ。
「ただ、引き返すときにちょっとごねたらしく、正式な書面での申し込みを、と伝えたそうっス。そのうち書面が届くと思いますが、正式に断ればこっちのもんっスよね!」
フィリベルトがあっけらかんと言うので、レクスは苦笑いを浮かべた。
入国の許可を求める書面は、これまでにも何通も届いている。そのすべてに拒否の通知を出してきたが、それを知ってか知らずしてか、関所に直接に来るというのはあまり見ない事例だ。あまつさえごねるというのは、あまりに稚拙な行動に思える。
人間の入国の目的は、大抵が友好のためだと書面に記されていたが、なんのための友好なのかレクスにはわからない。人間は魔王討伐に気を良くしているのかもしれないが、魔族側からすれば友好関係を結ぼうなどという気はさらさらない。魔族が人間に対して快く思っていないということには気付いていないのだろう。
「今回も断るの?」
机に頬杖をついてキングが問うので、レクスは小さく頷いた。
「いまは人間を入国させたくありません。民の人間に対する心証が悪いこともありますが、キングがご健在であることに気付かれるのは良くないのではありませんか?」
眉根を寄せてレクスが言うと、キングは朗らかに微笑む。
「心配してくれるの?」
「保安のためです」
討伐したはずの魔王が生きていると知れば、人間たちは再び戦いを挑んで来るかもしれない。それは民を危険に晒すことになる。その可能性を捨てきれないいま、人間の入国を許可するわけにはいかなかった。
「ありがとう、フィリベルト」
「はっ!」
フィリベルトはようやく敬礼をやめて辞儀をした。
「いつまでも敬礼していなくていいのに」
「敬礼こそ、レクスに対する最大の敬意であります!」
そう言って、フィリベルトはまた敬礼をする。レクスが困って笑うと、フィリベルトは明るい笑顔で返した。
攻略対象はフィリベルトとルドの他にふたり居る。人間のフェンテとキールストラ。先の人魔抗争で勇者を務めた者たちだ。主人公の親友枠でアンシェラという人間の少女もいる。リベルは三人を魔王討伐の首謀者として捕らえる。そこで主人公ノアと出会うことになるのだ。ノアは平民なのに光の魔法を持つというところでリベルが王宮に仕えさせる。ノアが自分の脅威となり得るからだ。脅威となれば、容赦なく処刑するのだろう。
(そもそも、ノアを登城させなければ、接点ができることはない……)
フェンテとキールストラ、アンシェラも捕らえなければ魔族に関わることもない。リベルとの関わりがなければ。
「レクス?」
ブラムに呼ばれるのでレクスは顔を上げる。いつの間にかフィリベルトはいなくなり、レクスはペンを片手に書類を見つめて手を止めていた。
「どうかなさいましたか?」
「すみません、少し考え事をしてしまいました」
「少し休憩なさいますか?」
「いえ、大丈夫です」
接点を作らないことも重要だが、リベルがこの国を脅かす大魔王となったとき、ノアの光の魔法と勇者たちの力は必要になる。彼らは、この国をリベルから守るために、この世界にとって必要な存在だ。接点を作るのは不可欠と言えるだろう。そうであれば、リベルが変わればいい。彼らにとって最悪な存在にならないように。この世界にとって、脅威とならないように。