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【7】ポケットラットの家系

 無理やりに閉じていた目が深い眠りに落ちることはなく、コマ送りのように過ごしているうちにカーテンの向こうが白み始めた。溜め息とともに体を起こし、伸びをする。結局、よく眠れなかった。

 散歩にでも行って来よう、と寝間着から着替えて寝室を出る。それと同時に、あれ、と不思議そうな声が聞こえた。

「レクス、どうしたんスか? まだだいぶ早いっスよ」

 声のほうを振り向くと、ドアのそばにフィリベルトの姿がある。夜間警護のために寝室のそばに控えていたのだ。

「あ、そうか……。僕は勝手に出歩いてはいけないんだね」

「勝手にはいけないっスけど、自分はレクスの行動を制限しろとは言われてないっス。散歩に行きたいなら自分がお供しますよ」

 フィリベルトの明るい笑みが、リベルの心を少しだけ軽くしてくれる。釣られて小さく笑うと、悪夢の残像が薄れるようだった。

「少し庭園を散歩したいだけなんだ」

「この城の庭園は見るだけで楽しいっスよ。自慢の庭園っス」

 庭園には一度だけ足を踏み入れた。キングの行動に驚いて逃げ込んだときだ。あのときはじっくり見ている時間がなかったが、美しかったことだけは記憶に残っている。あの光景の中にいれば、少しでも夢のことを忘れられるかもしれない。

 目覚めの前の城内はしんと静まり返っているが、時折、すでに活動を始めている使用人とすれ違う。丁寧に辞儀をする使用人に応えながら庭園を目指した。

「それにしても、随分と早いお目覚めっスねえ。何かありましたか?」

「少し夢見が悪かったんだ」

「疲れてるんじゃないっスか? 戴冠式を終えたばかりで暴徒騒ぎっスからねえ」

 暴徒の脅威がリベルに届くことはなかったが、リベルの心に重圧をかけたのは確かだった。

「僕が王にならなければ、あんな騒ぎは起きなかったんじゃないかな」

「誰が王になられても、ああいった騒ぎは必ず起きますよ。キングだって、最初から全国民に受け入れられていたわけではないっス」

「そうなの?」

「はい。キングが代替わりされたのが、いまから三百年ほど前っス。先代は急病でしたんで、キングも若かったんスよ」

 人間だった頃の感覚が残るリベルにとって、三百年という数字が膨大に感じられた。しかし、魔族は百歳を超えないと成人しない。つまり三百年前というのが随分と若い頃であることは想像できた。

「あちこちで騒ぎが起きたもんっスよ。いまでこそ落ち着いてますが、当時は酷いもんでしたよ」

「フィリベルトはその頃のことを知ってるの?」

「自分も子どもだったんてよくわかってはいなかったっスけど、レクスは産まれる前っスからねえ」

 リベルは以前の世界のことを考える。国のトップが代替わりした際には、もちろん反対派の人間が大勢、存在する。しかし、町の使者を騙って王宮まで侵入した暴徒が存在するのはかなり大事なのでは、という気がした。そもそも世界が違うことで基準も変わる。紫音が暮らしていた国は抗争すら起こらない場所だ。

「僕は村にいたからよく知らないけど、人魔抗争があったんだよね」

「そうっス」

「その戦いは人間軍の勝利で終わったって聞いたんだけど、どうしてキングは討伐されたことになったの?」

 リベルの問いに、フィリベルトは僅かに渋い表情になる。

「キングから何もお聞きになられてないんスか?」

「うん……特には」

「そうっスか……。自分も詳細は知らないっスけど、キングご自身がお決めになってそういうことになったらしいっス。おそらく、争いを鎮めるためだと思います。人魔ともに被害が甚大でしたから」

 彼らは「抗争」と言っているが、その実、確かな「戦争」であったのだろう、とリベルは考える。現状、リベルの目に映るこの国にその痕跡は見えない。それでも、リベルが新魔王として支援しなければならない場所が多数あるはずだ。そうであれば、キングの判断は間違いばかりではないのだろう。

「でも、代替わりまですることになるなんて大事じゃない?」

「そうっスねえ……。争いを収めるための代替わりっスけど……」

 快活なフィリベルトにしては珍しく、言葉を選ぶように口ごもる。フィリベルトは理由を知っているようだが、軽々しく口にできるようなものではないらしい。リベルとしても無理やり聞き出すような真似はしたくないため、小さく息をついた。

「僕が王になる必要はなかったんじゃないかな」

「そんなことないっスよ! レクスは王として認められたんスから!」

 フィリベルトは力強く言う。そこまで力強く言われては、リベルは笑うしかなかった。

「まだ戴冠式を終えたばかりっスから。そんな重苦しく考える必要はないっスよ」

「そうだね……」

「キングを見てください! あれで王様だったんスから!」

 悪気の一切ない屈託のない笑顔を見せるフィリベルトに、リベルは声を立てて笑う。

「それはキングに言ったら怒られるよ」

「いや~怒らないんスよね~」

 キングなら「そうだね」と穏やかに微笑んでいただろう。そう考えて、リベルはまた小さく笑った。

 昇り始めた朝陽に照らされる庭園はリベルの記憶よりはるかに広く、色とりどりの花が咲き誇り、丁寧に整えられた低木や、剪定された木々がその荘厳さを煌びやかに演出している。中央には噴水もあり、実家のほうがはるかに狭い、とリベルはそんなことを考えていた。

「これは、レクス」

 頭上から掛けられた声に顔を上げると、庭師の男が帽子を持ち上げて辞儀をする。

「おはようございます。朝のお散歩ですかな」

「おはようございます。こんな早くから手入れしてるんですね」

「植物の手入れは朝が大事ですから。朝の手入れをしなければ、花は綺麗に咲かないのですよ」

「だから庭園がこんなに立派なんですね」

「恐縮です。レクスの目を楽しませることができているなら光栄ですよ」

 王宮の庭園は国の権威の証明である。これだけ広く美しい庭園を誇るこの王宮で、リベルはその頂点に立っている。この国とすべての民を愛する新魔王として。

 この世界の運命を変える者として、破滅の大魔王になるわけにはいかない。神と姉の存在によってリベルの運命も確変されているはずだが、シナリオの強制力があるかもしれない、と姉は言っていた。その力が働いたとき、自分に抗うことができるだろうか。それができなかったとしても、いまのリベルなら、案ずる必要はないのだろう。

「レクス。何を考えてるんスか?」

「……ううん。何も」

 リベルは薄く微笑んで見せる。この世界の運命は、いまの彼らには関係ないことだ。

「そろそろ部屋に戻ろうか」

「うっス。もうイーリスも来てる頃っスね」

 この国を心から愛する。この先、自分がどうなろうとも。



   *  *  *



 フィリベルトとともに寝室に戻ると、イーリスがすでにベッドのシーツを畳んでいた。リベルが戻って来るのを待っていたらしい。

「おはようございます、リベル様」

「おはよう、イーリス」

「今日は早くご起床されたのですね。私が来るほうが遅くなって申し訳ありません」

「ううん。僕が早すぎたんだよ」

「じゃあ、自分はこれで。あとはよろしくっス」

 敬礼するフィリベルトにリベルが微笑んで礼を言うと、フィリベルトは満足そうに寝室を出て行く。これから就寝するのだろう。

「イーリスもフィリベルトより強かったりするの?」

「そこまではいきませんが、リベル様の護衛になれるくらいとは自負しています」

「そうなんだ……」

 イーリスはか弱い女性に見える。それでも、いまリベルの護衛となる者はイーリスしかいない。おそらく、他の護衛にも引けを取らないのだろう。

 手早く身支度を済ませると、リベルは鏡台の前に腰を下ろした。あとはイーリスが満足するまで髪を整えれば終わりだ。

「護衛が少ないと思ってたけど、個々が強いってことなんだよね」

「はい。ブラム、フィリベルト、ルド、カルラが揃えば、この王宮を制圧できますよ」

「でも、キングはそれより強いんだよね」

「そうですね。キングならおひとりで王宮を制圧できますわ」

 この王宮には騎士と魔法使いの隊がいくつもあるらしい。総出で掛かったとしても、キングにはひと捻りなのだろう。そう考えると少し恐ろしいような気がした。

「けれど、キングが一番に強いとは言えなくなりましたね」

 イーリスが穏やかな笑みで言うので、リベルは首を傾げる。

「キングもリベル様には勝てませんわ」

 リベルは少し頬が熱くなった。キングはリベルに弱い。有り得ないことだが、リベルがキングに戦いを挑めば、キングは勝つことはできないだろう。キングはリベルを傷付けられない。この王宮で最も強いのはリベルと言えるのかもしれない。

「でも、僕はこの王宮で一番に弱いよ。ポケットラットの家系だから……」

 少しだけ恥ずかしく思いながらリベルが言うと、イーリスの動きがぴたりと止まった。目を見開いたイーリスが、頬に手を添えて目を輝かせる。

「なんて可愛らしいんでしょう! では、リベル様は魔力切れを起こされたらポケットラットになるのですか?」

 魔族は魔力切れを起こすと、その種族の姿に変わってしまう。リベルも人型の魔族だが、魔力が切れればポケットラットの姿になってしまうのだ。

「そういうことになるね」

「まあ! なんてお可愛らしい!」

 イーリスは興奮しているが、ポケットラットの家系であることはリベルにはあまり喜ばしくない。

 ポケットラットは小さいネズミの魔獣で、魔獣の中で最も弱いとされる最下位御三家と言われる魔獣の中に含まれる。最も力のない魔獣だ。ポケットラットの姿になってしまえば、簡単に狩られてしまうのだ。

「ですが、そういうことでしたら、いざというときに逃げる手段がひとつできますね」

 穏やかな微笑みに戻ってイーリスが言うので、リベルは鏡の中のイーリスを見上げた。

「ポケットラットの家系には『魔力放出』がありますでしょう? 魔力を放出してわざと魔力切れを起こして、強制的に魔獣の姿に変えることができます」

「ポケットラットの姿で逃げ回るんだね」

「はい。ポケットラットは素早いですから、簡単には捕まえられません。いざというときはそうやってお逃げになられるとよろしいでしょう」

 ポケットラットは体が小さく、動きが素早い。物理攻撃での撃破はほとんど不可能とされているらしい。魔法を使われてしまえば一発だが、それでも当てるのが難しいと言われるほどの素早さだ。弱さから生まれた能力である。

「よほどのことがない限りあり得ないでしょうが、手段のひとつとして有効ですわ」

「そうだね。イーリスはハーピーの家系だっけ」

「はい」

「みんな、強い種族の家系だけど、その中にポケットラットの僕がいていいのかな……」

「私はポケットラットが劣っているとは思っていません」

 イーリスは優しく微笑む。そうは言ってもポケットラットはグリーンウォンバット、ギミックバットと並んで最下位御三家に分類されている。弱いことに間違いはない。魔王族であるキングと比べ物にならないのは歴然で、他の護衛たちにもかすり傷すら負わせることはできないだろう。

「ポケットラットは確かに弱いですが、長所もありますよ」

「そうかなあ……」

「そうですよ。それにしても……なるほど。リベル様のお可愛らしさはそういうところから来ているのですね」

 イーリスがまた興奮した表情になるので、リベルは苦笑いを浮かべた。ポケットラットの家系であるリベルは体が小さい。それに加えて童顔であるため、可愛く見えるのは残念ながら否定できない。

 そのとき、イーリスがハッと息を呑む。

「王宮が嫌になられても、ポケットラットのお姿になられて群れの中に消えたりしないでくださいね……!?」

「そうなっても魔力で探し出せるんじゃないの?」

「それはそうですが、各地に点在する群れの中から見つけるのは困難ですよ! この国だけでポケットラットの群れがいくつあるかご存知でしょう?」

「それはちょっと知らないかな……」

 ポケットラットは弱さゆえに大きな群れを作る。ポケットラットの数はどの魔獣よりも多く、この王宮の周辺だけでも何十と群れがあるだろう。その中から一体を見つけ出すことは相当に労力のかかることだ。まずはどの群れに紛れたかというところから始めなければならない。時間のかかることだろう。

「僕は弱いんだから、そんな危険なことをしようとは思わないよ」

「この先もそうでいらしてくださいね」

「大丈夫だよ」

 リベルは自分の弱さをよくわかっている。守られるべき存在であることも。本来なら、ポケットラットが王になどなるべきではない。

(僕はここに相応しくない)

 そんなことはわかっている。だが、いまはここにいなければならない。

「リベル様? どうかなさいましたか?」

「ううん。何もないよ」

 いまは神を信じて、ここにいるしかない。




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