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【6】愛される資格

「あー疲れたー!」

 溜め息とともにベッドに倒れ込んだリベルに、イーリスがくすくすと笑った。

「お疲れ様でございました」

 カルラは公的な、イーリスは私的な侍女といったところだ。カルラが寝室に訪れることはなく、イーリスが執務室に入ることはない。私生活の世話をするのがイーリスだ。

「お布団が気持ち良い……」

「良いお天気でしたので、天日干ししておきましたわ」

「ありがとう、イーリス」

「恐れ入ります」

 イーリスは、リベルが心地良く過ごせるようにこの私室を整えてくれたのだ。リベルもようやく気が抜けて、綺麗にメイキングされたベッドが一日の疲労を吸い取ってくれるようだった。

「ほんと、なんで僕なんかが王に選ばれたんだろ……」

 考えれば考えるほど不可解である。ただの一介の魔族に過ぎなかった自分がなぜ王に選出されたのだろうか。家の地位が高いわけでもなく、彼自身の能力が抜群なわけでもない。国王に最も遠い場所にいたのではないかとリベルは思う。

「国王って世襲のイメージがあったけど」

「そうですね。キングは世襲で王になられましたわ。ただ、キングには御子がありませんので、血族の中から何人かの候補が上がりました。その中で、キングがご指名されたのがリベル様ですわ」

 血族とは言っても、リベルはかなりの遠縁だ。他の候補者は多少なりとも近い血族であったと考えると、候補入りしたことすら不可解だ。

「なんで僕なんだろ……。僕は普通のなんの変哲もないただの魔族なのに……王なんて荷が重いよ……」

 王の選出に関する勅使がリベルのもとへ訪れたとき、彼自身も母もそれを断ろうとした。一般家庭で育った彼に王の素質があるとは思えず、数日ともたない、と母は主張した。それでも勅使は、決まったことだ、とリベルを王宮に召し上げた。王命であったためだとはのちに知ったことだが、そのときリベルは、キングとは領地の視察で何度か会ったことがある、という程度だった。選出された理由は見当もつかない。

「そもそも、僕を王にすると決めたとき、反対する者は大勢いたんじゃないの?」

「少なくはありませんでしたね。ですが、それは誰が王になられても同じことですよ」

 イーリスの言うことは尤もだ。キングが良き王であったことで、誰が王になったとしてもきっと見劣りしただろう。代替わりには反対派が付き物だ。

「お茶を淹れましょうか? それとも湯浴みされますか?」

「湯浴みして寝たい……」

「かしこまりました」

 イーリスはくすりと笑ってリベルに背を向ける。ドアがノックされたのは、それとほぼ同時だった。ドアを開けたイーリスが、あら、と明るく言う。

「キング、ごきげんよう」

「ああ」

 その声に、リベルはがばっと起き上がった。なんだか嫌な予感がする。

「キング、何かご用ですか」

「用ということはないんだけどね」

 キングは朗らかに微笑んでいる。その人畜無害に見える表情が、リベルを怯ませた。

「お茶を淹れて参りますわ」

 うふふ、と楽しげに笑ってイーリスが出て行くので、リベルはまた重い溜め息を落とす。そんなリベルの様子は気に留めず、キングはリベルを軽々と抱え上げた。そのままソファに腰を下ろし、リベルを膝に乗せる。

「私との回路同調(シンクロ)を考えてくれたか?」

「いや……その……」

 視線を逸らすのを許さず、キングはリベルの頬に手を添える。深い真紅の瞳に射抜かれたように、リベルは身動(みじろ)ぎひとつ取れなくなった。キングはそんなリベルを微笑ましく見つめる。リベルは居心地の悪いような気分だった。

「お前は本当に可愛いな」

「かっ、揶揄うのも大概にしてください……」

「それは心外だ。私はこんなにもお前を愛しているのに」

 熱い頬を撫でる手は優しく、細められた瞳は慈しみを湛えている。確かに揶揄っているようには見えないが、キングは先代魔王とだけあって、感情を隠すことなど容易いことだろう。何が楽しくて自分を揶揄うのか、とリベルは固まっていることしかできなかった。前世でもこんな状況に陥ったことはない。リベルには免疫というものがなかった。

「早くお前を私のものにしたいよ。そうでないと、いつ、誰に奪われるかわからないからね」

 その言葉に、リベルは不意に忘れてはならない事実が目の前に浮上していた。

 忘れてはならない。神との契約がどうであろうと、自分が新魔王(レクス)である限り、破滅の大魔王になる可能性は消えていないこと。いずれ誰かを傷付けるかもしれないことを。

「……そんなことはあり得ませんよ。僕が誰かに好かれるわけがありません」

 声の調子を落として言うリベルに、キングは優しい微笑みを湛えたまま首を傾げる。

「どうしてそう思うんだ。私はこんなにもお前を愛しているのに」

「揶揄わないでください。僕に、愛される資格なんてありません」

 キングが困った表情になるのがわかり、リベルは俯いた。

 この世界がシナリオ通りの結末を迎えるなら、リベルは一年後、この国を滅ぼす大魔王となる。そして、主人公ノア率いる勇者軍が討伐に来て、大きな争いを生む。そんな可能性を秘めた自分に、愛される資格なんてあるはずがない。

「……キング、お願いがあるんです」

「なんだ?」

「もし、僕が……この国の脅威となる王になったとき、キングの手で僕を殺してください」

 目を逸らしたまま言うリベルに、頬を撫でるキングの手が一瞬だけぴたりと止まった。キングがどんな表情をしているか確かめることはできず、リベルはまた俯く。

「きっと、それができるのはキングだけです」

「……わかった。覚えておくよ」

 穏やかに言ったキングが、リベルの視線を掬うように顔を覗き込んだ。その瞳には慈愛が湛えられている。

「お前も覚えておいてくれ」

 キングが優しく触れるだけのキスを落とすので、リベルは一気に心拍が跳ね上がった。

「私は何があってもお前を愛し続ける覚悟を持っているよ」

「……はい」

 頷くことしかできないリベルに、キングは満足げに微笑む。リベルはいたたまれなくなり、また視線を逸らした。キングの膝の上でどうしたらいいかわからず、リベルはただ固まるばかりで何も言えなくなってしまう。心臓が破裂してしまいそうだった。

「あの……そろそろ降ろしてください……」

 そう言うのが精一杯で、リベルにはどうにもできない。そんなリベルにも、キングは愛おしそうに微笑んでいた。

「嫌だと言ったら?」

「すでに拒否権がないのやめてくださいよ……」

 リベルはわかっている。本気で突っ撥ねないから付け上がらせるのだ。しかし、そうしない理由は自分にもよくわからない。恥ずかしくて堪らないのに拒絶することができない。それはキングも見抜いているはずで、そう考えるとまた顔が熱くなった。

「拒否権はもちろんあるさ。いま私がお前を組み敷いたら、お前は抵抗することができないだろう?」

「……それはそうですけど……」

 リベルの力ではキングに敵うはずがない。本気でそうしないのはキングも同じだ。リベルとしては、本気を出されては困る。それこそまさに、拒否権がなくなってしまうからだ。それがリベルの気持ちを尊重しているという証拠で、ただ単に溺愛しているだけではないという証明だ。その事実が、リベルの胸を締め付けた。

 キングは、真っ赤になるリベルの頬を愛おしむように優しく指で撫でる。リベルは目を細めて優しく微笑むキングの顔を直視できず、顔を隠すように俯いた。

「私の可愛いリベル。顔を背けないでくれ」

「…………」

 キングはリベルの頬に手を添え、有無を言わらぬ力でリベルの顔を上げさせる。深い真紅の瞳に見つめられると、リベルは言葉に詰まってしまった。

「お前は本当に可愛いな」

「可愛いと言われるのは嬉しくありません。僕だってこれでも男です」

「可愛いものに可愛いと言って何が悪い」

 キングがこうする理由はリベルにはわからない。シナリオでは勇者に討伐されているはずのキングがこうして生きている時点で、リベルには何が起きているかすらわからない。だから、どうすればいいかわからなくなるのだ。

「愛しているよ、リベル」

 耳元で囁く声に、抱き締める腕すら拒絶できなくなる。ただ俯くことしかできない。

「……絆されたりなんてしませんから」

「いつまでもつかな」

 ふふ、と小さく笑うキングの余裕が無性に悔しくて、せめてもの抵抗にと肩に拳を落とした。そんなものに効果などあるはずもなく、キングは困ったように笑う。それで悔しさを感じることがまた悔しく思えてくる。この人には一生を懸けても敵わない。そんな気がした。

 ドアがノックされるので、リベルはキングの膝から飛び降りる。キングが引き留めることはなく、リベルはようやくその腕の中から解放されていた。どうぞ、と応えた声にドアを開けたのは、ワゴンを押すイーリスだった。

「お茶が入りましたよ~」

 キングが来たことで、イーリスは空気を読んで部屋を出て行ったのだ。そんな空気なんて読まなくていいのに、とリベルは優秀な(・・・)侍女に溜め息が漏れるのを禁じ得なかった。



   *  *  *



『お前は王に相応しくない』

 ざらついた声に目を開く。暗闇の中で色とりどりに光る星々が眼前に広がった。美しい光景が、なぜか悍ましく見える。背筋がぞくりと寒くなった。

『お前はこの国を滅ぼす大魔王になる』

 砂嵐のような声がまとわりつく。耳を塞ぎたくても、体が動かなかった。

『邪魔をしないでくれ。あと少しで上手くいくんだ』

 悪寒が走るのと同時に、全身から汗が噴き出すような感覚に陥る。この場から離れなければならない。だが、足が動かなかった。

『どうしてこんなこともできないの』

『ひとりではなんの役にも立たないくせに』

『お前が民のために何ができると言うんだ』

 やめてくれ、と叫んだ声は喉に張り付いたまま、ただ喘ぐように荒い呼吸を繰り返す。

『お前は邪魔だ。それから、あの女も』

『少しはお姉ちゃんを見習いなさい』

『お前はキングの期待に応えることはできない』

 上手く息ができない。酸素を失った肺に圧迫されたように涙が出てくる。雫が落ちた足元で波紋が広がった。それに合わせるように溢れて来る不協和音。まるで耳元で囁かれているようだった。

『ああ、目障りだ。お前はいなくなれ』

『お前はキングを失望させる』

 痛いほどに跳ねた心拍に視界が歪む。

『――お前を王に選んだのは間違いだったよ』




 ……――




 やっと呼吸を取り戻すように大きく息を呑み、リベルは覚醒する。

 カーテンの隙間から、仄暗い月明かりが漏れている。風もないのにチェストのランプの光が揺らめいていた。

 鼓動が早鐘のように脈打って胸が痛い。短い呼吸を繰り返すのに合わせ、涙が止め処なく溢れてくる。体を起こすと、まるで鉛のように重かった。

 なんて酷い夢だ。

(僕はこの国を滅ぼす大魔王になる。きっと……キングは僕に失望する)

 もしかしたら、夢ではないのかもしれない。そう考えると息が詰まった。悪夢だなんて、都合の良いように解釈しているだけなのかもしれない。この部屋の外で、誰かが同じように囁いているのではないだろうか。それが事実なのだから、リベルに否定する術はない。

(僕を王に選んだのは間違いだった……。僕は、勇者に討伐される)

 それ以外に、自分には何もない。だから、愛される資格なんてない。

 誰か、と呼び鈴に手を伸ばして、すぐに思い留まった。この鈴を鳴らせば誰かが来る。自分の夢見が悪いだけで、誰かの眠りを妨げていいなんてことがあるはずはない。

 枕に顔をうずめる。そうしていれば、いつか朝が来る。

 悪夢かどうか、朝が来ればすぐわかる。目の前の事実が捻じ曲げられることはなく、目に映るすべてが真実。だからこそ、この目を開くのが怖かった。あの闇が待ち受けていたとしたら。彼がそれに打ち勝てるはずはなく、きっと支配されるばかりなのだろう。そう考えると、ただ恐ろしかった。




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