【19】魔王国の成り立ち
「よーく狙ってー……」
ルドの声に合わせ、レクスは杖を構える。体の中で魔力回路から魔力が指先に集中する感覚を捉え、杖を振り下ろした。それは大きな火球となり、激しい爆発音とともに的を粉々にした。
戦う術としてルドから魔法を教わることになり、レクスは王宮裏の訓練場に出た。魔法を使ったことのないレクスは、魔王だけあって魔法の使い方の説明はすぐに理解することができた。理解できたことと、実践できることとは、乖離しているようだ。
「凄まじい威力だ」キングが言う。「これなら並大抵の魔族はひれ伏すほかなくなる」
「桁外れな魔力値が仇になっているわね」と、ミラ。「これは制御できるまで時間がかかりそうねー」
「ルドが教えるなら大丈夫っス!」フィリベルトが笑う。「宮廷魔法使いのトップなんスから!」
レクスはもとの設定ですでに高い魔力値を誇り、そこに神から与えられた魔力も加わっている。魔力値が高いとしても、それを使いこなせるかはまた別の話のようだ。
「大丈夫すよ」ルドが言う。「みんな、子どものうちは爆発から始まってるんすから」
「子どものうち……」
レクスは肩を落とす。いまのレクスの魔法の能力は、子どもと同等ということだ。もしかしたら、子どものほうが使いこなせているかもしれない。
「気を落とすな」キングが言う。「お前は辺境の小さな村にいた。魔法は不要だっただろう」
「それはそうですが……」
「回復魔法と間違えて従魔術をかけてしまうようなことがなくなればそれでいい」
「はい……」
この調子では、回復魔法もまともに使えたかわからない。むしろ従魔術と間違えたほうが安全だったのではないかとさえ思った。
「予期しない従属が増えるのも良いこととは言えない」
「では我は運が良かったようだ」
レクスの肩にガーゴイルが停まる。レクスが魔法を間違えなければ、ガーゴイルがここにいることはなかった。
「気安くレクスの肩に停まるな」
顔をしかめるキングに、ガーゴイルはからからと笑う。
「ただの魔獣に嫉妬は見苦しいですぞ、先代王殿下」
キングは何も言い返せないようで、レクスは苦笑いを浮かべる。ガーゴイルの言うことは尤もだが、ガーゴイルが気安いのも確かだ。レクスとしては気にしないが、仕える王であるという自覚は必要なのかもしれない。
* * *
一日の業務を終えると、リベルは真っ先に布団に倒れ込む。魔法の訓練は体力も消耗するようで、たった二時間だけの訓練だったが、疲労はいつもの倍になっているような気がした。
「今日もお疲れ様でございます」
イーリスが朗らかに微笑む。リベルが気を休めることができるのは、イーリスがこうしてベッドを綺麗に整えてくれているおかげだ。
「僕は魔法の才能がなかったのか……」
「魔力量が多いと、それだけ制御が難しくなりますから。それこそ、子どものうちから訓練することです。リベル様にはいままでその機会がありませんでしたから」
魂がこの身体に馴染むに連れ、リベルの子どもの頃の記憶が鮮明になった。リベルが暮らしていたのは南端の小さな村。戦いを逃れて来た者が大勢いた。戦いは届いていなかったが、魔法を習える環境ではなかった。
「それにしても」リベルは言う。「戦後とは思えないほど王都は栄えていたね」
「魔王国は昔から魔法によって成り立って来ました。先日いただいたガラス細工も、魔法で作られた物です。人間の国に比べると、復興ははるかに早いはずです」
「戦争が終わって正確にはどれくらい経ったの?」
「キングの退位が終戦日の一ヶ月後。リベル様が王位に就かれて一ヶ月半になりますね」
「まだ三ヶ月も経ってないんだ」
ミラと王都に遊びに行った際、街は正常な暮らしどころか嗜好品の店すら満足に営業していた。何かしらの被害があったとは思えない光景であった。
「これだけ魔法が優れてるのに、どうして人間と戦争になったの? 戦力に圧倒的な差があるような気がするんだけど」
「攻め込まれたのですから仕方がありません」
イーリスは変わらず朗らかな笑みで言う。そこは大した問題ではない。
「どうしてキングは負けたことに?」
「それはキングから直接お聞きになられたほうがいいですわ」
「キングが教えてくれるかな」
「どうでしょう」
イーリスは、キングがリベルにそれを話そうとしないことを知っている様子だ。
「イーリスたちは知ってるの?」
「はい。私たちはキングの直属でした。簡単には聞いています」
どうやらイーリスも話してくれるつもりはないらしい、とリベルは諦めるしかないことを悟った。
「直属ってことは、イーリスも戦ってたの?」
「はい。いまはリベル様のおかげで平和を堪能させていただいています」
「そう……」
イーリスも護衛のひとりであることで戦えることは知っていたが、前線に立って戦っていた姿は、いまのイーリスからは想像できない。キング直属で、ひとりでリベルの護衛を担っていることで、その能力は証明されているようなものだ。
「戦後の復興として、各地の貧富の差も考えなければならないよね」
「難しく考えすぎる必要はありません。リベル様の側近はそのためにいるんですから」
そこへ、コンコンコン、と軽快なノックが聞こえた。イーリスが応対に出ると、いつも通りにキングが室内に入って来る。お茶を淹れて参ります、とイーリスが出て行くのもいつものこと。この状況に、リベルは重い溜め息を落とした。
「まさか溜め息で迎えられるとはね」
キングは朗らかな笑みで言う。特に気にした様子はない。
「キングにはいろいろ訊かなければならないことが多いみたいです」
「お前にならなんでも答えるさ」
「では、なぜ人間に討伐されたことにしたのですか?」
「時期というものは大事だな」
つまりいま答えるつもりはないようだ、とリベルはまた溜め息を落とす。この問答はまだ何度も続くことだろう。
「それにしても……今日は随分と油断しているな」
キングの言葉で、リベルはハッと起き上がる。ベッドに横になったままで、無防備な状態であった。キングは悪戯っぽく笑ってリベルを抱き上げ、膝に乗せソファに腰を下ろす。
「誘っているのかと思ったよ」
「キングがいつでも隙を狙っていることを忘れていました」
「そこまでか……」
キングは困ったように笑ったあと、慈しみを湛えた瞳でリベルを見つめる。優しく頬を撫でる指が、リベルの心臓を跳ねさせた。
「他に訊きたいことは?」
「山ほどあります。明日、ブラムと一緒にまとめておきます」
「仕事のこととはね。本当に生真面目な王だ」
「それ以外に聞きたいことはありません」
「なんてドライなやつなんだ」
リベルはいつもキングの瞳を真っ直ぐに見つめることができず、俯いていることしかできない。それでもキングは穏やかに微笑んでいる。
「お前は考えすぎている点があるな」
「考えなければならないことは山ほどあります。僕は領地経営の手伝いすらしたことがなかったんですから」
「ひとつずつこなしていけばいい。お前の周りには有能な者が多くいる」
「これから各町の被害状況を確認したり、復興のための支援を考えないといけないんですよね」
「戦争で随分と荒れてしまったからね。王都の復興はもう済んだようなものだが」
リベルの暮らしていた村には戦争は届いていなかったが、その脅威に晒された町も各地に存在しているだろう。まずはそれを把握することからだ。
「復興にはすべて魔法が使われているんですか?」
「魔王国はそうやって成り立って来たからね。魔族の魔法に人間は敵わないよ」
「じゃあ、どうして負けたことに?」
「魔法では片付かなかったからさ」
「くっ、腹立つ……」
眉をひそめるリベルに、キングはおかしそうに笑う。それから、怪しい笑みになってリベルの顎を掬った。
「話せないことがあるのはお前も同じだろう? いつもミラとこそこそして」
「いや、それは……」
リベルは答えに詰まる。それについてはリベルも隠さざるを得ない。ミラとのやり取りは、明かすわけにはいかないのだ。明かしたところで理解できるとも限らない。
「まあいい。王には隠さなければならないことが多い。口は硬いに越したことはない」
この世界に生きる者に神のことを打ち明ければどうなるか、それを神に確認しておくべきだった、とリベルは考える。打ち明けたほうが早いこともあるだろうが、それが彼らにどう影響するかわからない。いまはまだ黙っておくのが賢明だろう。
「だが、周りを頼ることも忘れないでくれ」
キングが優しく触れるだけのキスをするので、リベルの頭は一気に現在に引き戻される。すべての血が頬に集まったのではないかと思うほど顔が熱い。
「もっと私を頼ってくれていい。お前のためならなんでもするよ」
「なんでも?」
「なんでも」
「……僕がこの国を滅ぼそうとしても?」
俯くリベルに、キングはくすりと小さく笑う。
「そのときは、私がお前との約束を果たすよ」
この世界に来たばかりの頃に交わした約束。リベルがこの国を脅かす魔王となったとき、この首をキングが落とす。もしリベルが悪の大魔王となったとき、それができるとすればキングだけだ。
「……絶対ですよ」
「もちろんだとも」
その約束だけは違えるわけにはいかない。何があったとしても。
魔王国を守るために。




