【18】リベルの休日[4]
雑貨店を出ると、リベルはふと気になってミラを見上げた。
「魔王国のすべての民が束になっても敵わないキングが、どうして人間の勇者に敗れたのかな」
うーん、とミラは首を捻る。
「敗れたというわけではなさそうなのよね。敗れたことにした、ってことなんじゃないかしら」
「敗れたことに……」
「戦争を終わらせるためでしょうね。魔王国も人間の国も被害が大きかったようだから」
リベルはこの戦争のことが記憶に残っているが、リベルの暮らしていた村まで戦いは届いていなかった。そのため、どれくらいの規模だったのか、どれくらい被害が出たのか、それは記憶になかった。
「ミラも知らないんだね」
「私の設定では、キングは人魔抗争で敗れていたから」
「でも、いまのキングは設定よりかなり強いんじゃない?」
「そうでしょうね。キングが強くないと、神にとって不都合だったのかもしれないわ」
リベルの魔力値が無尽蔵であるのと同じように、キングの能力値も神によって大幅に上方修正されているということだ。キングが敗れれば魔王国が危険に晒される。新魔王レクスが存在しているからだ。
「前回のレクスよりいまのキングのほうが強いってことだよね」
「そうだと思うわ。キングは歯止めになり得るもの。その点で言うと、いまのリベルは弱体化しているようだわ」
「前回のレクスはこの世界を滅ぼすくらいのチート能力があったんだもんね」
「キングが強い分、レクスを弱体化することでバランスを取ったのかもしれないわね」
ある意味では、キングはリベルに敵わない。だが、単純な力で言えば大きな差がある。もしいまレクスが魔王国を滅ぼそうとすれば、キングの手にかかればそれを止めるのは造作もないことだ。
「まあ、今回のレクスには魔力以外のチート能力はないわけだけど」
「周りに支えてもらうことになりそうだね」
「いくらでも頼ってもらって構わないわ」
リベルは能力値だけでなく、仕事に関する能力も低い。ただの平民であったため当然ではあるのだが、周囲の者に頼らずに生きていくことは不可能だろう。
「ミラのチート能力はなんなの?」
「あなたとの回路同調もチートのひとつよ」
「そうなの?」
「ええ。回路同調は後天的なもので、しっかり契約しないと召喚までできるようにならないの。あとは亡霊王の家系であることで能力値も増大しているわ。それと、スキルと魔法もたくさん持っているわ」
「すごいね。余裕で無双できそう」
チート能力と言えば無双が付き物だ。ミラひとりだけでも充分な兵器となり得るだろう。
「僕はいつでもミラに守られることになりそうだね」
「もちろん。そのためだけの能力値と言っても過言ではないわ」
前回のレクスは、おそらく守られる必要のないくらいのチート能力を持っていたのだろう。魔王国の破滅を誰も止めることができなかったのだ。レクスはもともと魔力値が高い設定だった。それに加えてチート能力を持ったレクスに敵うとすれば、キングしかいない。そのキングも、勇者に敗れていた。魔王国の破滅は防ぎようがなかったのだ。
通りをしばらく歩いて行くと、酒屋があるのを見つけた。店中に様々な酒が並び、なんとなく酔いそうな匂いが充満している。店の奥で酒瓶を磨いていた細身の男性が明るく微笑みかける。
「やあ、お嬢さん方。何かお探しかな」
「酒豪に贈るお酒をください」
「それは随分と心の躍る口説き文句だね」
店主は店の中をぐるりを見回し、そうだね、と呟きながら奥側の棚を差す。
「このウイスキーはどうだろう。年代物ではないけど、愛好家のあいだで長く愛されているウイスキーだよ」
店主が手に取った酒瓶はリベルが持つには大きく、受け取るのが憚られる。店主もそれがわかっているのか、手渡して来ることはなかった。
「このウイスキーは北の村の特産物でね。北の村の酒は酒豪たちを唸らせるほどの逸品だよ」
「北の村はそれほど栄えてないけど」と、ミラ。「酒造技術が昔から優れてるのよね」
「その通り」
「じゃあそれをください」
「毎度」
店主は酒瓶に梱包材を丁寧に巻き、商品名が書かれた箱に丁寧に入れる。それをミラが受け取り、ブラムの身代わりであるケルベロスに差し出す。ミラが支えたままケルベロスが噛むと、それは一瞬にして転送される。すぐブラムの手元に届くことだろう。
「これでみんなのお土産を買えたね」
満足感とともに店を出る。すでに手元に届いた四人が喜んでくれているといいのだが。
「そろそろ城に帰りましょ」
「うん」
平民であれば夜まで街で過ごすこともあるだろうが、リベルは王である。長く城を空けることはできない。日が暮れる前に帰らなければならなかった。
「今日は楽しめたかしら」
「うん、楽しかったよ。ファンタジーな街も堪能できたし」
「また折を見て遊びに来ましょ。まだ行けてない場所もあるし」
「うん。お土産、喜んでもらえたかな」
「みんな、あなたの贈り物ならなんだって喜ぶわ」
「そうだといいけど」
「あら? ミラじゃない!」
賑やかな声に振り向くと、三人組の女性が歩み寄って来る。ミラの顔馴染みのようだ。
「久し振りじゃない! 今日はお休みなの?」
「ええ。会えてよかったわ」
ミラが嬉しそうに応えるので、リベルは少しだけこの場を離れることにした。リベルがそばにいれば、話題がリベルに向いてしまう。身代わりたちがいれば、少しくらい離れていても平気のはずだ。
そのとき、ふと甘い香りがした。辺りを見回しても甘味などの屋台はない。近くにあるのは飲食店のようだが、食事処だ。その香りは、その店の陰になっている草むらから漂っているようだった。その中で何かがもぞもぞと動いている。首を傾げつつ覗き込むと、羽根の折れた鳥がもがいていた。魔獣のガーゴイルだ。
「大丈夫?」
リベルの問いかけに、ガーゴイルは懸命に頭を起き上がらせる。
「餌を探しに来たのだが、宮廷騎士の鎧を着たチンピラに絡まれてこの様だ」
男性のように聞こえる声が言った。話すことのできる魔獣のようだ。折れた羽根が痛々しく、悪質な悪戯を受けたらしい。
「あとでブラムに報告しないと……。とにかく、手当てをしよう」
リベルは自分の脳内に検索をかけた。ルドの鑑定でランクの低い回復魔法が発見されている。どれほど傷を癒せるかはわからないが、ものは試しだ、とガーゴイルに手をかざす。ポケットラットたちがガーゴイルを取り囲む中、魔法を発動する。その瞬間、あ、とリベルは声を上げる。
「ごめん……なんか、従魔術を使ってしまったかもしれない……」
ポケットラットに気を取られ、頭が従魔術に切り替わってしまった。しかし、痛々しく折れていたガーゴイルの羽根が元通りになる。リベルとの従魔契約によって魔力が流れ込み、回復したのだ。
「回復魔法をかけようとしたんだけど……」
申し訳なさに肩を落とすリベルに、ガーゴイルはからからと笑う。
「それならそれで構わん。どうせひとり気ままに旅しておったのだ」
「気ままな旅だったなら尚更だよ」
「構わん。レクスの配下になれるなど、魔族にとって名誉なことだ」
「僕のことを知っていたんだ」
「我はガーゴイルである。空から戴冠式を見ておったのだよ」
すっかり回復したガーゴイルは飛び上がり、リベルの肩に乗る。リベルの頭ほどの大きさであるが、言葉の通り羽根のように軽かった。
「名はまだない。後々付けていただこう」
「わかった」
「リベル?」
話を終えたらしいミラが草むらを覗き込む。それからぎょっと目を剥いた。
「なに、そのガーゴイル」
「間違って従魔術をかけてしまって……」
リベルが肩を落とすと、ミラはひたいに手を当てる。誰の許可を得ることもなく配下を増やしてしまったのだ。
「まあいいわ。とにかく帰りましょ」
「うん……」
リベルはこの世界に来てから、まだ大した訓練を受けていない。その中でも、回復魔法はまだ一度も受けていない。それでも、間違えて従魔術をかけてしまう失態は話にならないだろう。
* * *
サロンに連れ込まれたガーゴイルに、リベルの従者たちは険しい表情になる。リベルは居辛さに肩を落とした。
「回復魔法と従魔術を間違えてしまった、と……」
ブラムの声に叱責の色は見えないが、ガーゴイルに向ける視線は不審だ。その中で、ガーゴイルだけが平然としている。
「まあよいではないか。王を守る盾は多いに越したことはなかろう」
「それについて異論はありません」ブラムは言う。「ですが、護衛となるなら検査をしなければ」
「構わん。好きなだけ検査してくれ」
ブラムの指示を受けたルドがサロンから出て行くと、それで、とリベルは口を開いた。
「名前がないんだったね。僕が付けてもいいのかな」
「王が魔獣に名を付けるのは従属契約の一種だ」キングが言う。「その者を配下とするかという判断が先だ。まだしばらくは名無しのままでいてもらう」
「構わんとも。しばらくは従魔のままでいよう」
戻って来たルドが、ガーゴイルを腕に乗せてサロンをあとにする。話を聞くに、あのガーゴイルは野生らしい。何かしら病原菌を持っている可能性もある。詳細な検査が行われるだろう。
「リベル様、お土産をありがとうございます」
重い空気を破るようにカルラが言う。しょんぼりと肩を落とすリベルを励ますような声だった。
「リベル様から贈り物を賜れるなんて光栄ですわ」
「どういたしまして。イーリスにもあるんだ」
他の四人は身代わりがいたため直接に届けられたが、身代わりのいなかったイーリスの土産品はミラのアイテムボックスに収納している。イーリスにはガラス細工とプリザーブドフラワーを買って来ている。
「まあ、ありがとうございます。さっそく部屋に飾らせていただきますね」
「あと……キングにもあるんですけど……」
自信なく俯いたまま言うリベルに、キングは優しく微笑みかける。リベルは少し緊張しつつ、ポケットにしまっていた小袋を差し出した。その中には、五角形に整えられた水晶のお守りが入っている。前世で言うところのストラップだ。
「ただのお守りなんですが……魔除けだそうです」
リベルが自信を持てないまま口の中でもごもご言うと、キングは優しく微笑んでリベルの頭を撫でる。
「ありがとう、大事にするよ」
「はい……。キングにお守りは必要ないかもしれませんが……」
「そんなことないさ。それにしても、私たちの土産を買うだけで時間を使ってしまったんじゃないか?」
確かに、とリベルは心の中で呟く。街には遊ぶための場所もあったようだが、土産物を選ぶことに夢中になっていた。
「でも、楽しかったです。良い休日でした」
「私はお前に会えなくて干乾びるかと思ったよ」
不意を突くようにキングがリベルを抱き締める。リベルは思わず赤面しつつ、慌てて言った。
「みんなが見てる前でやめてください!」
「みんなが見ていないところならいいのか?」
してやったり、という表情でキングが微笑むので、リベルは悔しさに顔をしかめる。その表情にも、キングはおかしそうに笑った。この人には終生、敵わない。そう思わざるを得ない笑みだった。
「土産話を聞かせてくれ」
例え土産選びだけで終わろうとも、貴重な休みは存分に堪能できた。明日からはまた王の任が待っている。その気力を充填できた。それだけで充分だった。




