【18】リベルの休日[2]
裏門から街の大通りに出ると、多くの人々が忙しなく行き交い、馬車も速度を落としながら走っている。店の前には呼び込みがおり、賑やかさで溢れていた。
「なんか、思ってた以上に賑わってるね」
身代わりとポケットラットたちが人々に踏みつけられないことを確認しながら言うリベルに、ミラは苦笑いを浮かべる。
「これは、レクスがお忍びで来ていることがすでに噂になってるみたいね」
「いま街に出たばかりなのに?」
「たぶん、城に口の軽い者がいたのよ。街の民にレクスがお忍びで行くって話したのが、人伝に噂されているのかもしれないわ」
リベルも苦笑する。店の呼び込みたちは気合いが入っており、立ち止まってお喋りに興じる者たちもどこかそわそわしているように見えた。だが、リベルに声を掛けて来る者はない。
「外見まで把握している者はほとんどいないみたいね」
「変に気負う必要はないみたいだね」
「そうね。ま、レクスだとバレたらバレたで特に問題はないわ」
気付かれてしまうと囲まれるのではないだろうか、とリベルは考えたが、ミラの口振りでは、それを案じる必要はないと考えてもいいらしい。リベルが街へ出ることが許されたのは、こういう訳だったのだ。
「魔獣を連れてる人も多いね」
「魔族の国だもの。従魔は何かと便利なのよね」
リベルがポケットラットを使役して索敵や攪乱をさせるように、従魔にそれぞれの役割を与えるのだろう。その目的に合わせた従魔を使役しているようだ。
「それにしても……まさにファンタジーな光景だね」
興奮気味に言うリベルに、ミラはくすりと笑う。
「オタクには堪らないでしょ」
「ここまでしっかり作り込まれていたんだね」
「私の設定ではここまでは作っていなかったけど、私のイメージを神が具現化したのかもしれないわね」
行き交う人々、建物、魔獣が引く馬車。何を見てもファンタジーのイメージ通りの光景で、ゲームの世界の住人となったことをより自覚する。これからこの世界で生きていくと考えると、それだけで心が躍るようだった。
「適当に見て回りましょ。きっと何を見ても楽しいはずよ」
「そうだね」
通りには多くの店が立ち並び、呼び込みの者がいるのは飲食の店らしい。花屋には見たことのない花が並んでいる。さすが王都とあって、目移ししてしまうほど様々な店で賑わっていた。
「ここは雑貨屋かな」
初めて見る小物や道具が置いてある店が視界に入り、リベルは足を止める。見たことのない道具はおそらく魔道具だろう。
「いらっしゃい、お嬢さん方」
店主らしい女性が店の奥から出て来る。「お嬢さん方」と言われたということは自分も少女だと思われているらしい、とリベルは小さく苦笑した。自分が魔王であることにはまったく気付いていないらしい。
「好きにご覧。珍しい物は特にないけど、つまらない物もないと思うよ」
「ありがとうございます」
この世界に来てから、生活に必要な魔道具はリベルも使ったことがある。見たことのない道具は、生活必需品ではないということだろう。
「これはガラス細工だ」リベルは言った。「工芸品の職人がいるんだね」
「こっちのアクセサリーも素敵よ」と、ミラ。「自分の物まで欲しくなっちゃうわ」
「これは西の町の民が作っているのさ」女店主が言う。「西の町は貧しいから、貴重な収入源になっているんだよ」
そういえば、とリベルは考える。引き継ぎのための書類に必死で、いまだ他の領地にまで気が回っていなかった。
「西の町には特産などはないんですか?」
「西の町はもともと土地が貧しくてね。農作物を育てるのはひと苦労なんだ。水資源も豊富とは言えないしね」
王都がこれだけ栄えていても、地方との格差は大きい。それはきっとどこの世界でも同じこと。リベルもそれだけは知っていた。
「その代わりに鉱山があるんだ。だから、ガラス細工やアクセサリーを作っているんだよ」
「なるほど……」
ガラス細工を眺めながら、リベルは心の中でミラに語りかけた。
《 各地の貧富の格差をなくすことも考えないといけないみたいだね 》
《 まずは各地を知るところからね。考えることが多くて嫌になるわね 》
王は民のための存在。リベルの頭の血管が切れようとも、それが王の役目というものだろう。
「みんなにお土産を買って帰りたいな」
「それなら、身代わりに持たせるといいわ」
「身代わりに?」
「ええ。身代わりに持たせれば本人のもとに転送されるの。便利な仕組みよね」
「へえ……」
身代わりたちに視線を遣ると、人形のゴーレムとクマのぬいぐるみのスケルトンが、任せろ、と言わんばかりに胸を叩く。意思の疎通もできるらしい。
「じゃあ、ガラス細工はイーリスにどうかな」
「いいわね」
「あ、イーリスは身代わりがいないんだったね……」
イーリスもリベルの護衛のひとりとして充分な能力を持っているが、身代わりは戦闘向きではないらしい。身辺補助をすることに役立つが、ミラがいるという点で今回は留守番となったのだ。
「それなら、私のアイテムボックスに入れておきましょ」
ミラが手のひらを宙に向けると、空間魔法のアイテムボックスが開く。アイテムボックスの容量は無限大と言っても過言ではないらしい。
「あなたも空間魔法を使えるようになると何かと便利よ」
「ルドに習わないといけないね。戦う手段も必要だし」
「魔法に関しては心配いらないわね。魔力値がそれこそ魔王級だもの」
神は紫音の「魔法を使ってみたい」という願いを叶えてくれている。練習を重ねれば、魔法は無尽蔵に使えることだろう。
イーリスへの土産物を買い、また大通りに出る。通りを歩いているだけでも楽しい気分になった。
広場に出ると、大道芸の出し物をしている集団があった。多くの民が群がり、歓声を上げたり指笛を吹いたりして盛り上げている。
「なんだか甘い匂いがする」
匂いに誘われて辺りを見回すと、屋台が目に入った。若い女性がリベルに微笑みかける。
「こんにちは、お嬢様。これはクレープというお菓子ですよ」
「こっちでもクレープが作れるんだ」
店先に並ぶクレープは、リベルがもとの世界で見た物とほとんど同じ見た目をしている。わあ、とミラが感嘆を漏らす。
「美味しそう……。でも、クレープはカロリーお化けよ」
「ハーフサイズもありますよ。ご要望が多くて、半分のサイズで作るようになったんです」
「せっかくだし食べたら? 今日は休みだし、チートデーってことで」
「そうね……せっかくの休みだものね」
ミラがいちご入りのクレープを注文すると、店主の女性は慣れた手付きで調理する。向こうの世界でもハーフサイズがあればよく売れただろう、とリベルは考えていた。
「んー、美味しい! 幸せだわ……」
「お嬢様のお気に召したならよかったです。普段のデザートのほうが良質でしょうけれど……」
「普段のデザートでクレープは出ないわ。街に遊びに来たとき、たまに食べるのがいいのよ」
「そう言っていただけて嬉しいです」
王都はほとんどが庶民食であるため、王都の食卓に出て来ない物もある。それも楽しみのひとつとなるだろう。
「よう、ミラ」
クレープを頬張るミラに、茶髪の男性が軽く手を振りながら歩み寄って来た。
「あら、ベリス」
「街へ来ていたんだな。じゃあ、この方が新魔王陛下か」
ベリスと呼ばれた男性がリベルに視線を遣ると、えっ、とクレープ屋の店主が声を上げる。
「れっ、レクス⁉ 申し訳ありません、とんだご無礼を……!」
「いいんですよ。今日は王としてではなく、ひとりの民として遊びに来ているだけですから」
リベルが微笑みかけても、店主の女性は申し訳なさそうな顔をしている。新魔王を「お嬢様」と呼んでしまったことで萎縮しているようだ。
「レクス」ベリスが言う。「この街はどうですか?」
「よく整備されていて、とても清潔で過ごしやすいです」
「今日は特別に綺麗だろうな。なんせ、レクスがお忍びで来ているという噂で持ち切りですからね」
例え店に寄らなくても、王の目に映る街は充分な整備が必要だ。リベルとしては普段の生活を見せてほしかったが、噂になってしまったものはしょうがない。
「でも、僕の外見を知らない民が多いようですね」
「戴冠式は参列できる者が限られていましたからね」と、ベリス。「それに、魔王陛下の絵を描いたり、外見を他人に口外することは禁止されているんです」
「王を守るための法律ね」
クレープを頬張り続けているミラに、ベリスは明るく笑って見せる。
「だから俺もその姉ちゃんも、レクスの外見を人に話したら捕まるな」
「けど、民は噂好きです」リベルは言う。「どうやって防ぐのですか?」
「魔王国は昔から魔法で成り立って来た国です。魔王に関する情報を漏らすと、なんらかの魔法で検知されるらしいですよ」
「へえ……すごい技術だ……」
「まあ、それすら噂かもしれないですけどね。なんにしても、魔王国の民はそれに怯えて口を噤んでいるわけですよ。だから、レクスにお会いできて得した気分です。ミラがいなければ気付かなかったでしょうが」
ミラとベリスは以前からの知り合いのようで、ミラがレクス付きの騎士であることを知っていたのだろう。そのミラが同行しているとなれば、その同行者がレクスであると気付くことができるのだ。
「どうぞ楽しいひと時を」
「はい。ありがとうございます」
恭しく辞儀をしてベリスは去って行く。クレープ屋の店主がまだ萎縮しているので、リベルとミラはその場を離れることにした。
「確かに、僕の髪色は目立つから、そういう仕組みがないとすぐに気付かれるよね」
リベルの髪は浅葱色で、こうして王都を歩いていても、似た毛色の民はほとんど見掛けない。「レクスは浅葱色の髪をしている」とでも噂になれば、こうして街に出歩くことは不可能になるだろう。
「そうね。あまり見掛けない色、と思って浅葱色って設定にしたのよ。でも、魔族の中で見れば決して珍しすぎる色ではないわ」
「そう。でも、これなら僕が魔王だってバレずに街を楽しめそうだね」
「なんとなく気付いてる者はいるでしょうけどね。でも、王にそう気軽に声をかけられる者はいないわ」
クレープ屋の店主も、リベルが魔王だと気付いた途端に萎縮していた。王という立場は、民からすれば身分が高すぎる。簡単に声を掛けることができる者はいないだろう。




