【18】リベルの休日[1]
王に就任して1ヶ月。ようやっと引き継ぎのための書類がすべて片付いた。量が膨大だったとは言え、想定より時間がかかってしまったのではないかとレクスは思う。しかし、この1ヶ月で王としての任務も溜まっている。まだ書類と睨めっこする日々は終わらないようだ。
「随分と時間がかかってしまいましたね。私の能力の低さが顕著に表れたみたいです」
カルラの淹れたお茶を飲みつつ言ったレクスに、ブラムは穏やかに微笑む。
「そんなことはありません。今回は特に書類が多かったですから」
「そうなんですか」
「はい。世襲ではない代替わりはどうしても書類が多くなってしまいます。血族とは申しましても、王室の外から生まれた王であらせられますから」
「ポケットラットが書類を噛み千切ったときは、お前のストレスを感じたよ」
キングが朗らかに言う。レクスの足元に寄りそう五匹のポケットラットは、普段は大人しくしているのだが、一度だけ、机に上がって書類を噛み千切っている。レクスが特に苦戦していた書類で、レクスが苦しんでいることを察知したのだ。おかげでやり直しになったため、レクスはよりストレスを溜める結果となったのだが。
「明日は休みにするといい」キングが言う。「王に就任してから働き詰めで疲れたろう」
「休み……」レクスは呟く。「休みは何をしたらいいんでしょう」
「やりたいことをやればいい。城でのんびりしてもいいし、書籍庫にこもってもいい」
ふむ、とレクスは考える。本の虫であった彼が書籍庫にこもれば丸一日、穏やかに過ごすことができるだろう。だが、王に就任してから初めての休日を読書だけで過ごすのももったいないような気がした。
「街へ行きたいです。まだしっかり見られていませんから」
「視察ということですか?」
「なんて生真面目な王だ」
感心した様子のブラムとつくづくと呟くキングに、ミラが呆れたように言った。
「観光でしょ。レクスは村から出て来てから一度も王都へ行っていないもの」
「さすがに王は観光には行けないかな」
窺いつつ言うレクスに、ブラムは優しく微笑む。
「構いませんよ。王だから街で遊んではならないということはありません」
「でも、護衛を伴わないといけないですよね」
「護衛は何も常時そばにいるというわけではない」
キングは朗らかに言う。何か方法があるらしい。
* * *
翌日、リベルは休暇を街で過ごすため、いつもより街の民の普段着に近い服装に着替えた。イーリスが腰のベルトに小ぶりの剣を装着する。
「仕事はひと段落ついたけど、王が城を離れてもいいのかな」
「誰もリベル様の行動を制御する者はいません」イーリスは優しく微笑む。「今日は王ということをお忘れになっても構いませんよ。リベル様の休日なんですから」
「けど、僕が街に出たら騒ぎにならないかな」
「その点は心配ありません」
首を傾げるリベルに穏やかに微笑み、行きましょう、とイーリスは立ち上がる。
同行する護衛はミラだけになっている。ミラだけでも充分と言えるが、それ以外に何か策があるようだ。
サロンに行くと、ミラはすでに準備万端だった。ミラも街の民の普段着のような服装をしている。サロンに入って来たリベルに気付くと、サッと歩み寄ったキングがリベルの肩を抱く。
「お前は私服でも可愛いな」
「何を着たって同じなんじゃないですか」
「そうだな。お前はどんな格好でも可愛いよ」
「…………」
目を細めるリベルとミラの呆れた表情にも、キングは爽やかに微笑んでいた。そんなやり取りは気に留めず、ブラムが軽く手を叩く。
「本日は私たちの“身代わり”が同行いたします」
「身代わり……?」
「私たちの従属のようなもので、リベル様が魔力を注げば、すぐに本体である私たちを召喚できる傀儡です」
ブラムが指を鳴らすと、ぽん、と小さく爆発が起き、小さな犬がリベルの足元に現れる。
「犬?」
「姿を改変したケルベロスです」
「へえ……犬の中でも怖い部類の犬だなあ……」
リベルの手のひらからひと回り大きい程度のサイズであるためその威圧は軽減されているが、紫音であれば確実に怯む類いの大型犬である。リベルが恐る恐る手を差し出すと、ケルベロスはぽんと顎を乗せた。激しい性質の大型犬ではないらしい。
「じゃあ次は自分の身代わりを出すっス」
フィリベルトが軽く手を振る。小さな爆発の中から現れたのは、通常サイズの鶏だった。
「わあ、鶏だ」
「鶏に姿を改変したコカトリスっス」
「へえ……可愛いね」
鶏の姿をしているが、鶏の独特の動きは見られない。鶏であるのは外見だけのようだ。リベルが手を差し出すと、くちばしで優しく突く。人懐っこさを感じた。
「じゃあ、次は自分すね」
ルドが軽く杖を振る。出現したのはクマのぬいぐるみだった。
「クマのぬいぐるみ?」
「クマのぬいぐるみの皮を被ったスケルトンすね」
「そう聞くとなんか怖いな……」
スケルトンは、クマのぬいぐるみらしい可愛い仕草を振り撒いて見せる。その姿は遊園地の着ぐるみを思わせるが、中身がスケルトンであると考えると妙に不気味だった。
「では私の身代わりもお連れください」
カルラがぽんと手を合わせ、ゆっくりと開く。そこには西洋風のドレスを纏った女の子の人形が現れた。
「わあ、可愛いね」
「中身はゴーレムです」
「おお……」
人形は床に降りると、綺麗なカーテシーで辞儀をして見せる。小さな女の子が好みそうな人形に見えた。
「クマのぬいぐるみと人形を連れて歩くなんてファンシーだなあ」
「この四体と、お前のポケットラットか」
ポケットラット五体に加えて犬、鶏、クマのぬいぐるみ、人形が並ぶ。まるでサーカス一団のようだった。
「キングの身代わりはいないんですか?」
「魔王族は身代わりを作れなくてね。本来なら私も同行するべきなんだろうが、私がいたら気も休まらないだろう」
「お気遣いありがとうございます」
「キングがいると目立ってしまうものね」ミラが言う。「今日はあくまでお忍びだから」
お忍びと言っても、とリベルは足元に視線を落とす。リベルの記憶によれば、魔族が魔獣など従魔術契約した従属を連れていることは珍しいことではない。それでもこの量は護衛でなければあり得ないのでは、という気がした。
「羽目を外しすぎなければお好きなようにお過ごしいただいて構いません」ブラムが言う。「どうぞご無事でお戻りください」
「はい」
「ミラ」と、キング。「くれぐれも頼んだからな」
「任せてください」ミラが微笑む。「迷子になっても回路同調があるもの」
「絶対にミラから離れないようになさってください。回路同調で安心しすぎては危険です」
「わかった」
紫音としては、久々に姉と肩を並べることになる。例え王と護衛だとしても、それだけで充分のような気がした。
見上げるリベルにミラが微笑みかけると、ふふ、とイーリスが小さく笑う。
「そうして並んでいると、なんだか姉弟みたいですね」
リベルとミラは顔を見合わせる。じゃあ、とリベルは微笑みかけた。
「姉さん、かな」
ミラは笑みを深める。キングが悔しそうにしているのを見ていたのは侍従たちだけだった。
* * *
今回は徒歩での外出であるため、リベルとミラは裏門から王宮を発った。
「王になってから自由な時間を持つのは初めてだな」
「この世界に来てから、ね。あなたは転生してすぐ新魔王になったんだし」
紫音が転生するより以前のリベルの記憶も残っている。村で暮らしていた頃は自由な時間を過ごしていた。だが、紫音は意識を取り戻した当初からレクスとして暮らしている。久々の自由時間に心が軽くなるようだった。
「街にはまだレクスの顔を知らない民が大勢いるはずよ。きっと楽しめるわ」
「うん」
「私たちはあの神の加護も持ってるし、あまり慎重になりすぎる必要はないわ」
「あの神って、女の人の声の神だよね」
「ええ。私も一度しか会っていないけど、神の加護はオプションのようなものね」
おそらくあの神は、いまもどこかからリベルとミラを見守っているのだろう。あの神から感じた印象では、ただ投下して終わりではないのではないかと思える。
「あなたはレクスの名を冠したことで能力値も上がっているしね」
「ルドの鑑定で見たけど、安心できる数値ではなかったんじゃないかな」
「数値としてはそうね。リベルはただの一介の魔族だったから。まあでも、とにかく今日は楽しみましょ」
「うん」
王宮から離れるごとに、街の喧騒が近付いて来る。村にいた頃には感じたことのない賑やかさに、それだけで気分が上がるようだった。




