【16】前約束
東の町は混乱の空気が流れている。鎧を身に纏った騎士たちが民を誘導し、恐怖に怯える民は急ぎながらも冷静に避難していた。
辺りを見回すと、レクスは指笛を吹く。それに呼応するように、四方八方から十数体のポケットラットが集まって来た。
「各所に散って状況を確認して」
ポケットラットは素早く散って行く。これで町の各所にレクスの目が行き届くようになった。
「あそこにヒューズがいるわ」
民の列を誘導する騎士の中のひとりを差し、ミラが駆け寄る。第二騎士隊隊長のヒューズだ。レクスも王宮で何度か顔を合わせている。
「ヒューズ!」
ミラの呼び掛けに振り向いたヒューズが、レクスに気付いて恭しく辞儀をした。
「どんな状況ですか?」
「いまは濃い瘴気に満たされております。まだ魔獣は到達していませんが、時間の問題でしょう」
騎士たちは瘴気にも怯むことなく、冷静に民を誘導している。魔獣が到達する前に民の避難を完了させる必要があった。
「無法化を解除するにはどうすればいいんですか?」
「瘴気の核が町のどこかに落ちてるはずっス」フィリベルトが言う。「それを見つけ出して破壊すれば完了っス」
「そう。では民の避難と魔獣は騎士隊に任せます」
「はっ」
頭を下げるヒューズに頷いて、レクスは配下たちを振り向いた。
「私たちは核を探しましょう」
「了解」と、ミラ。「魔力を探ればすぐに見つかるはずよ」
「第三騎士隊はレットル医院にいます」ヒューズが言う。「入院患者たちは避難することができません」
「レットル医院……」
小さく呟いたフィリベルトの顔が強張る。その理由はレクスにもすぐにわかった。
「妹もそこに?」
「はい。レットル医院に入院してるっス」
「では援護しに行きましょう。入院患者を守らないと」
「はっ。感謝いたします」
「核はルドの感知魔法で発見できるわ」と、ミラ。「向かいながら探しましょう」
「わかった」
フィリベルトが先導して、避難する民とは反対側に向かって行く。避難所とレットル医院は別の方向にある。下手を打てば、レットル医院に狂暴化した魔獣が押し掛けることになるだろう。レクスは無法化がどれほどの魔獣を呼ぶかを知らない。第三騎士隊だけで対処できないほどの量なら、レットル医院の患者は危険に晒されることになる。四人は急がなければならなかった。
そのとき、レクスの頭の中に映像が流れ込んだ。ポケットラットの視界が共有される。
「北門のポケットラットが魔獣の到達を感知した」
レクスの言葉に、ミラが即座に報せ鳥を出す。第二騎士隊に魔獣の到達を報せる必要があった。
「核の魔力を感知しました」ルドが言う。「魔力は上空にあります」
「上空?」と、フィリベルト。「いま落ちて来ている途中ってことっスね」
「……いや、違う」
低い声でルドが言うので、レクスは嫌な予感がしつつルドに視線を向ける。
「核とは別に、何か強大な魔力を感じます」
ポケットラットの視界に魔獣の姿が映し出された瞬間、その映像が消え、代わりに別の光景がレクスの頭の中に流れた。
視界が真っ赤に染まる。燃え上がる町を前に、呆然と立ち尽くす背中が見えた。それは膝から崩れ落ち、悲嘆に肩を震わせる。
『どうして、こんなことを……妹を殺すだけでは足りなかったんですか⁉』
『人聞きの悪いことを』
嘲笑する声には聞き覚えがある。自分の声だった。
『この町は無法化した。第二、第三騎士隊はよく頑張ったよ』
その言葉は労いの色などひとつも見えない。自分の望んだ結果を出たことだけを喜んでいるのだ。
『けれど、魔獣に分があったみたいだね。騎士隊はもっと鍛錬しないと』
『なぜ民を見殺しにしたんですか⁉ すぐに援軍を出してくれれば間に合ったはずです!』
『ちょうどよかったんだよ』
その声はあくまで楽しげで、これが自分の声であると考えると信じられなかった。
『少し魂が必要だったんだ。私の役に立てたんだから、栄誉ある死だよね』
『あなたは……あなたは、民のために在る王ではないのですか⁉』
『違うよ。民が私のために在るんだよ』
許さない。従属契約を解除する方法を探す。そして――
声が途切れた瞬間、レクスの脳裏にある姿が浮かんだ。
「核は魔獣が持ってるんだ。種族はワイバーン」
「ワイバーン⁉」フィリベルトが声を上げる。「上位種の魔獣です。なぜこんなところに」
「魔獣に目的があると思うか」と、ルド。「無法化に決まった法則はない。たまたまだ」
「ワイバーンが出現すると知っていれば、ヒューズを連れて来たかったところね」
苦々しく呟くミラにレクスも頷く。ただ平原に出現したのであれば苦戦することはないが、今回は民を守りながら戦わなければならない。ほんの少しでも民に傷を負わせるわけにはいかないのだ。
だが、レクスの答えは決まっていた。
「ワイバーンくらい、三人いれば充分でしょ?」
振り向いたミラが、片眉を上げて不敵に微笑む。
「言ってくれるわ。とんだ王様だこと」
「レクスの期待に応えてみせるっス!」
「適度に頑張りま~す」
気力充分のフィリベルトに対し、ルドはいつも通りのほほんと応える。その声には確かな自信が湛えられていた。
レットル医院では、第三騎士隊の騎士たちが医院の建物を背に辺りを警戒していた。
「リストリア隊長!」
レクスの声で女性騎士が振り向く。第三騎士隊の隊長リストリアだ。
「ワイバーンが来ます。備えてください!」
「ワイバーン……⁉」
騎士たちがざわめく。彼らにとって、上位種は充分な脅威となり得る。
「第三騎士隊、整列!」リストリアが凛と言う。「第三警戒態勢!」
騎士たちはそれぞれの配置に付き、剣を構えた。第三騎士隊は十数名。そこにミラ、フィリベルト、ルドが加われば、勝利は難しいことではないだろう。
「第三騎士隊は病棟を守ってください」
そう指示を出しながら、レクスは病棟を見上げる。窓の向こうに入院患者の姿が見られ、不安そうな表情で彼らを見下ろしていた。
(彼らのために王は在る。魔王国の未来のために)
「来ます!」
ルドの声で騎士たちは武器を構える。レクスは騎士たちの背に控えた。戦う術を持たないレクスは、前線に立つわけにはいかない。ワイバーンの攻撃が届かない場所に隠れている必要があった。
鋭い咆哮とともに、巨大な龍が降り立つ。レクスが想像していたより体が大きく、騎士たちが敗北することはないという確信があったとしても、初めて上位種の魔獣を見たレクスが怯むには充分な気迫だった。
ミラとフィリベルトを皮切りに、騎士たちがワイバーンに向かって行く。ワイバーンが灼熱の炎を噴くと、ルドが防壁の魔法でそれを弾いた。地を蹴ったミラがワイバーンの羽に斬りかかる。フィリベルトは足元を狙い、第三騎士隊の騎士たちもそれに続いた。ワイバーンは巨体を揺らし、鋭い爪を騎士たちに振り下ろす。騎士たちは素早い動きでそれを躱し、咆哮を上げるワイバーンに向かって行った。
そのとき、レクスは不意にワイバーンと目が合った。まるでレクスが王であることに気が付いたように、浮かび上がったワイバーンがレクスに向かって炎を噴く。それがレクスに届くより先に、ミラがレクスを掻っ攫った。その隙を、フィリベルトとルドは見逃さなかった。
「思ったより硬いね」
「上位種だもの」
「お兄ちゃん!」
頭上から聞こえた声に、レクスとミラは病棟を見上げる。リザードマンの少女が戦いを見下ろしている。その視線は、ワイバーンの羽に薙ぎ払われたフィリベルトに向けられていた。フィリベルトは力負けし、地面に背中を打つ。その隙を見逃さず足を振り上げたワイバーンに、ミラが即座に斬りかかった。
(このままじゃ消耗戦だ……何か打開策は……)
そう考えたとき、また頭の中に声が響く。
『これだけの力を授けてあげたんだから、少しは役に立ってよね』
邪悪さを湛えた声に、レクスは顔を上げた。
「リストリア隊長! ワイバーンの気を引いてください!」
「はっ! 第三騎士隊、第二警戒態勢!」
リストリアの凛とした声で、騎士たちが態勢を変える。統率が完璧に取れていた。
「ミラ、フィリベルト、ルド!」
レクスの呼び掛けで三人は彼のもとに戻って来る。レクスの意思を汲んだ様子で、揃ってレクスの前に跪いた。
レクスは、決断しなければならなかった。
「ミラ、魔王国のために生涯を捧げられますか」
「もちろん」
「フィリベルト」
「言うまでもないっス!」
「ルド」
「できる限りで頑張りま~す」
力強い瞳に頷き、レクスは三人の頭上に手をかざす。
「これは従属契約の前約束です。レクスの名において、祝福を授けます」
体の中を、自然とマナが巡った。手のひらから溢れた淡い光が、三人の体を包み込む。
「その魔力回路、その魂を私に捧げてください」
「王の御心のままに」
三人が声を揃えると、三人を包む光が大きくなる。それは彼らの体に吸収され、その魔力が増大していくのをレクスは感じた。
(魔力回路、開放。上限解放。再構築)
光に合わせ、辺りに風が吹く。それは三人の体を包み、レクスの祝福が三人に授けられた。
「さあ、我らが民に勝利を捧げてください」
レクスの声で三人は立ち上がる。力強く頷き、再びワイバーンへと向かって行った。その動きは格段に上がった能力値を証明するようにワイバーンを翻弄する。斬撃の威力が上がり、ワイバーンの攻撃を躱す速度も向上していた。
(これで、僕は彼らと従属契約を結ぶことになる。これから僕は、彼らを失望させない王で在らなければならない)
従属契約の前約束。それはレクスが彼らの王であることを証明する祝福。
「お兄ちゃん! 頑張れー!」
妹の声援が響く中、フィリベルトが地を蹴り高く跳躍する。振り下ろされた鋭い一閃は、ワイバーンの体を真っ二つに斬り裂いた。地に倒れたワイバーンは体を痙攣させるが、再生の隙はない。次第に動きを止めたワイバーンに、騎士たちは勝利の声を上げた。それと同時にワイバーンの体の中で光が弾ける。それは高く天に昇り、眩く散っていく。それに合わせ、上空に立ち込めていた真っ黒な雲が晴れていった。
ポケットラットがレクスの足元に集まって来る。褒めてくれ、と言わんばかりの瞳に、レクスはひとつ息をついた。
「作戦完了、かな」
町に攻め入った他の魔獣は、第二騎士隊が討伐したことだろう。これで東の町は無法化から解放された。




