【11】隠し攻略対象
署名を終えた書類を整理しながら、レクスはまだ考えに耽っていた。
(ノアが王宮に来るのはいつのことだったかな……)
物語としては、現在はまだ本編に入る前。悪のレクスが攻略対象たちを苦しめている頃だ。ノアは自分の村で平穏に暮らしていることだろう。
ノアが来るより以前、魔王討伐の罪を償わせるため、フェンテとキールストラが王宮に捕らえられる。勇者軍を率いた者として、レクスが捕虜にするのだ。ノアがいなければ、躊躇いなく処分していたのだろう。レクスはノアのことを気に入る。ノアの嘆願でふたりの処分を保留にするのだ。
(ラスボスでさえなければ、リベルも隠し攻略対象になる可能性もあったんじゃ……)
そう考えた瞬間、頭の中にある情報が閃いた。思わず立ち上がるレクスに、キングと従者たちの視線が集まる。
「どうかしたか?」
キングが首を傾げる中、レクスは椅子から飛び降り、ミラの手を掴む。
「ちょっと来て!」
「何? どうしたの?」
レクスはミラの手を引き、そのままの勢いで執務室を飛び出した。ドアが完全に閉まったことを確認し、ミラに顔を寄せる。
「キングは隠し攻略対象だよ」
レクスの言葉に、ミラは目を丸くした。
「本当? 私が生きてた頃は、そんな設定は聞いたことがないけど……」
「姉さんの腐女子友達がそんなことを話してたんだ」
「なるほどね……。私は開発段階で死んだから、そのあとに追加になったのね」
長篠美緒が原作を務めたゲームは、ほとんど彼女の腐女子友達によって開発されていた。美緒の原作にいろいろな要素を追加する開発チームは、製作を心から楽しんでいた。あれもこれもと要素を追加する開発チームに、さすがにこれはやりすぎ、と何度か助言したことをよく覚えている。
「テストプレイの段階で、隠しエンディングを追加するって話をしてたんだ」
「だからキングの設定が細かく作られているのね」
納得するように呟くミラに、レクスは小さく頷く。原作では現時点で討伐されているキングには、他の登場人物ほど細かい設定は必要ない。物語にはほとんど登場しないからだ。
「キングが生きているのは、その設定が存在しているのかもしれない」
「でも、それならなぜキングはあなたを溺愛しているのかしら」
「……確かに」
隠し攻略対象であれば、キングも主人公であるノアを愛するようになるはず。だと言うのに、この世界のキングはレクスを溺愛しているのだ。
「でも、僕は揶揄われてるだけだし……。ノアが現れたら、きっとノアのことを愛するようになるはずだよ」
「そうかしら。原作者フィルター抜きにしても、キングは本気であなたを愛しているわ。そうでなければ毎晩、寝室に通ったりしないでしょ」
ミラの言葉に、レクスは一気に顔が熱くなるのを感じた。
「どうしてそれを……」
「有名な話よ」
ミラはなんでもないことのように言う。確かに先代王が現王の寝室に通っているとなれば、目立つのは当然だ。それも毎晩。レクスの従者だけでなく、他の使用人のあいだでも何かと噂になっていることだろう。
「でも」レクスは言う。「キングが攻略対象のひとりであると考えると、いずれ対立する可能性はあるよね」
「可能性としてはあるでしょうね」
「それに、僕はキングを傷付けるかもしれない」
物理攻撃であれば、レクスがキングに敵うことは一生をかけてもあり得ない。だが、心への攻撃となると話は変わる。悪でなかったとしても、キングの心を傷付けることは、きっとレクスには容易なことなのだろう。
「深く考えすぎるのはやめましょ」と、ミラ。「いまのあなたなら、悪の大魔王にはならないわ」
本当にそうだろうか、とレクスは考える。自分は前回のリベルとはまったく異なる存在。だが、同じ“リベル”ではある。現在のリベルが悪の大魔王にならないと断言することはできないのではないかと彼は考えていた。その僅かな可能性を考えると、彼はどうしようもなく怖くて仕方がないのだ。
「あれ、こんなところでどうしたんスか?」
明るい声に顔を上げると、書類を手にしたフィリベルトが歩み寄って来る。その快活な笑みを見た途端、レクスは少し心が軽くなったような気がした。
「報告書をお持ちしたっスよ」
「うん。ありがとう」
レクスとミラは話し合いを切り上げることにして、フィリベルトとともに執務室に戻る。なんとなく浮かない気分のまま机に着くと、キングの剣呑な視線が突き刺さった。
「随分と仲が良いみたいだな」
キングは何かとミラと張り合う。ミラとは姉弟であるため親しくて当然なのだが、キングにそれを説明する術はない。
(ああ、今日の夜が怖い……)
泣きそうになりつつ、レクスはフィリベルトの報告書を受け取る。南の町からの報告書だった。
「……南の町の干ばつは深刻のようですね」
南の町からは何度か報告書が届いている。雨の降らない期間が長いこと続いており、元々農業が盛んな町であったため干ばつの被害は深刻だ。何度も視察団を送り原因の究明を進めており、王宮でもできる限りの支援をしている。それでも、南の町に雨が降らない原因を突き止めることはできていなかった。
「人工的に雨を降らせるには、魔族の技術だけでは足りない……」レクスは顎に手をやる。「どうしたものでしょう」
魔法により雨を降らせるのもひとつの手だが、魔法は術者がいなければ持続しない。さらに、持続させようとすれば、術者は常に魔法を発動することになり、術者の魔力が搾取されることになる。他の方法を考える必要があった。
「人間の手を借りたらいいのに」
なんでもないことのように言うキングに、レクスは眉根を寄せる。
「現実的に考えると、いまは無理だと思います。魔王討伐の件で、人間をよく思わない魔族がいまだに多く居るんですから」
魔族の人間に対する心証は、元々はさほど悪くなかった。と言っても、積極的に外交するほどでもなかった。先代魔王を狙う戦いを挑まれたことで、人間を敵だと認識する魔族が増えたのだ。先代魔王が健在であることはすでに国民のほとんどに知れ渡っているが、先の抗争が魔族の心を人間から遠ざけさせたのだ。
「同じ川の下流にある村がお前の故郷だったね」
「そうですね」
リベルの故郷は国の南端にある。南の町と同じく農村で、干ばつの被害が届けば魔王国の農作物に大きな打撃を与えることだろう。
「私が視察に行った頃は水車を作っていたね」
「はい。南の町とは水流が違うんです。川は南の町の上流で村に流れ込む別の水流ができているんです。水車はその水流を利用したものなので、干ばつは村には届いていないと思います」
「なるほどね」
「では、町の食糧は心配いらないようですね」
ブラムの言葉にレクスは頷く。村には水車によって畑に水が行き届いており、干ばつが到達しなければ町の食糧も確保できているはずだ。
「とにかく、南の町には引き続き支援をしましょう。必要であれば私も視察に行きます」
「はい。では、そのように」
ブラムが左手を宙に向ける。手のひらから溢れた淡い光が鳥の姿になり、窓から外へ飛び立って行った。伝達魔法の「報せ鳥」だ。使える者は難易度としては初級だと言うが、魔法が達者ではないレクスにとっては難解な魔法だ。
「私が行くことで何か解決に繋がるかはわかりませんが……」
「民もレクスのご尊顔を拝見できればきっと喜ぶっスよ」
快活な声でフィリベルトが言う。その明るい笑みは、お世辞ではないことをよく表している。
「そうかな」
「それはもう。大喜びっスよ」
こんなに忠実な騎士なのに、なぜ悪のリベルは傷付けることができたのだろうか。ただ、自分の傷を隠すためだけに。
* * *
ようやく寝室のベッドに横になると、リベルは大きく溜め息を落とした。
「あー……キングが来るのが怖い……」
きっと昼間のことで何か言われるに違いない。憂鬱に表情を固めるリベルに、イーリスがくすりと小さく笑う。
「ミラに随分と妬かれていらっしゃるみたいですね」
「ミラは姉みたいな存在だし、キングに対する感情とは別物なんだけど……」
「まあっ。キングにどのような感情を懐かれているのですか?」
イーリスの表情が明るくなるので、しまった、とリベルは口を噤んだ。その問いに答える術をリベルは持ち合わせていなかった。
「湯浴みの支度をして参りますね」
楽しげに微笑みながらイーリスは寝室を出て行く。リベルはひとりになってしまうが、風呂場はすぐ近くにある。それに加え、イーリスには鋭敏な感知能力があるらしい。リベルに危機が迫れば瞬時に察知し、すぐに駆け付けることだろう。
リベルは疲労感に包まれながら目を閉じる。このままキングが来る前に寝てしまいたかった。
改めて考えてみても、自分にこの尊い魔王国を守るだけの力があるか自信を持つことはできない。前世はなんの力も持たないただの人間で、現在は魔法の力を持っていると言っても最弱のポケットラットの家系。王として生きていけるのか。民を守っていけるのか。自信を持って胸を張れる日はまだ遠いだろう。