悪役令嬢に転生した猫 ~疑惑を晴らしたら攻略対象者の猫人族に懐かれました~
主人公であるユーニスの口調が独特なため、ちょっと読み辛いかもしれませんが、ノリで読んでもらえると幸いですm(_ _)m
「ねぇ、ガゼボを見て、ユーニス様がくつろいでいらっしゃるわよ。今日も素敵ね」
そうじゃろ、そうじゃろ。吾輩は……ではなく私の前世は猫である。今はダンヴェール公爵家の令嬢。えっと、あと何だっけ。
そうそう、名前はまだ……いや、ある。ユーニスという。
今日も皆、この私の可愛らしさにメロメロのようじゃ……ではなく、堪能してくれているようね。
分かるわ~。何せ前世の私も、こうやってご主人様に愛でてもらっていたんだから。存分に愛でるといい。……おっと、可愛がってほしいわ。ほほほほほっ。
気を抜くと、つい猫だった時の喋り方になってしまう。
この体に転生してから、かれこれ十七年。二十二年間も猫でいたものだから、その癖がなかなか直らない……のは大目に見てもらいたい。
ダンヴェール公爵家の者たちは、時折、出てしまうこの私の口調を可愛いと言ってくれているけれど、このブルテヤ学園ではそうもいかない。
なにせ私はこの国唯一の公爵家、ダンヴェール家の一人娘。私を甘やかしに甘やかしてくれる。そう、まさに前世のご主人様並みの家族を悲しませるわけにはいかないのだ。
ご主人様の悲しみは私の悲しみと一緒。期待に応えれば応えるほど、ご主人様は喜び、私は上等なご飯にありつける、というわけだ。ふふふふふっ。
そんなわけでおかしな話し方をして、周りの貴族令嬢令息にバカにされるわけにはいかないのである。さらにいうと私は猫だった時から、大の負けず嫌い。
あんな無駄にチャラチャラした連中に負けるわけにはいかないのである。とはいえ、今はティータイム。このブルテア学園は、三時にお茶とお菓子を嗜む習慣があった。
だから校舎の中で私の可愛らしい姿を見ていた令嬢たち。できれば遠くからではなく、近くに来てお菓子を恵んでもいいのだよ。
チャラチャラしていてもお菓子をくれれば、無遠慮に私を見ていたことさえ、全部許してしんぜよう。
なんて寛大なんじゃろう!
内心はアレだが、公爵令嬢らしく優雅にお茶を飲んでいると、テーブルを挟んだ向かい側に、誰かがやってきた。
早速、私にお菓子を献上しに来た令嬢令息かと期待して、顔を上げたら……。
「ダンヴェール嬢。こちら、よろしいですか?」
少年の面影を残す青年だった。艷やかな黒髪に透き通った金色の瞳。
前世でもこんな猫がいたなぁ、と思っていたら、頭には猫のような耳が……。さらによく見ると、どこかで見たような人物だった。
確か、この国に留学中の獣人で、猫人族のエルヴィン・グラッベ侯爵令息……だったかのぉ。
ブルテア学園で今、獣人は彼とその従者しかいない。従者の方は茶色い毛並みだったから、エルヴィンの方だろう。けれど、それだけだろうか。この既視感は。
あぁ、思い出した。前世でご主人様が遊んでいたゲームの登場人物に似ているのだ。ご主人様が「可愛い!」と褒めていたから、どんな奴じゃ、と覗き込んだ時に見たような気がする。
……まさかとは思うがお主。
「あの、僕の顔に何か?」
「いいえ、失礼しました、グラッベ卿。どうぞおかけになってください。私一人しかいないので」
そうブルテア学園の敷地は広いものの、毎日のティータイムでここ、裏庭にあるガゼボを使っているのは私だけなのだ。
つまり、そのことを知っていれば、私に用がない限り、誰も近づこうとはしない。逆に用があるから近づいてきた、というわけである。
やはり、前世で培ったヌシのような威厳が今も健在なんじゃろう〜。苦しゅうない! で、何用じゃ。
「ありがとうございます。実はいつもここにいらっしゃると聞きまして、伺った次第なんです」
ふむふむ。それは分かっておる。貴重な昼寝……ではなくティータイムを潰されて、いい気はしておらんのじゃ。さっさと話せ!
そう内心は毒ついているものの、顔に笑顔を貼り付けて、エルヴィンが椅子に座るのを見守った。イライラを表に出さないのも、淑女の嗜みである。
「まぁ、それは光栄ですわ。グラッベ卿が私にだなんて、相当お困りのようですね」
「そこまで大層な話ではありませんよ。同じ生徒会にいる、クラーラ・レーム嬢から相談を受けまして。何やらダンヴェール嬢から嫌がらせを受けていると言うのですが、心当たりはありませんか?」
コイツ、バカか? 本当にやっていても「やっていません」と答えるし、やっていなくても同じ回答をする……もんじゃろうがーーー!!
「時に、レーム嬢とは? この学園に在籍している貴族、平民の名と家名は記憶しているのですが、クラーラ・レームという名は聞いたことがありません。勿論、クラーラという名前だけでしたら、五人ほどあげられますが、聞かれます?」
「いえ、先ほど僕を見て、面識もないのに名前を言い当てられましたから。噂通り、記憶力がよろしいんですね」
「えぇ。これのお陰で、学年一位を保てているんです。そうお聞きになったのでしょう?」
陰でそう揶揄されているのは知っている。何せ授業中の私は常に寝ているからだ。
昼寝は猫の嗜みじゃというのに、小うるさい連中がいて適わん。
「別に僕は、悪意があって言ったわけでは――……」
「ない、と? 嫌がらせをした、という疑惑をかけられて悪意がないと、本当に言っているのですか? それは無理な話ですよ、グラッベ卿」
私は赤い髪をわざとらしく後ろに払い、青い瞳でギロっと睨みつけた。
するとエルヴィンの黒い猫耳が、一瞬ビクッと反応をして垂れ下がる。今の私が猫だったら、逆にピンッと立っていたかもしれない。そう思うと羨ましくなった。
「そうですね。ダンヴェール嬢からしたら、とても失礼な言い方をしました。お詫びします」
「いいえ、謝罪は結構です。それで私の疑惑が晴れたのでしたらいいのですが、違うのでしょう? だからレーム嬢への嫌がらせ、でしたか。そちらについて、詳しくお聞かせくださいませんか? 本当に悪いと思うのなら」
「……分かりましたが、そういう言い方をされると、ますます疑ってしまいますね」
「理解はできますが、始めから疑惑をかけられた状態で近づき、暗にやっているのなら今すぐやめて謝罪しろ、などと匂わせてこられたんです。これで不快に思うな、というのは無理があります」
思わず飲んでいる紅茶をかけてしまいそうになった。けれど、お気に入りのガゼボを汚したくはない。
命拾いしたのぉ、小僧。
「ダンヴェール嬢の言う通りです。申し訳ない」
「分かっていただけたのなら構いません」
素直に認めるところは褒めてしんぜよう。
「相談されたのは数日前のことです。生徒会が終わり、帰ろうとした時、レーム嬢に呼び止められました」
「確認なのですが。その場にはグラッベ卿だけですか?」
「はい。それが何か?」
「生徒会にはリュディガー様がいらっしゃいますから」
「お知り合いですか?」
「今は疎遠ですが、幼なじみです」
リュディガー・ジークムント・テーナスタ王子。このテーナスタ王国の第一王子である。
そう言えばコイツもご主人様が遊んでいたゲームの……何と言ったかのう。入れ物? みたいなものに描かれていた絵に似ている気がしてきたわい。
何せこの国。金髪が多いから、見分けるのに少しだけ時間がかかる。けれどリュディガーはエメラルドのように綺麗な瞳をしているから、分かり易いのが特徴だった。
逆に絵になるとその美しさが損なわれて、判別が難しくなってしまう。
「あぁ、なるほど。だから僕に」
「それはどうでしょう。先ほども言ったように疎遠ですから、私の悪評を聞いても、擁護するとは思えません。ただグラッベ卿にだけなら、まだ事を大きくしたくないだけなのかと思いまして」
「僕が獣人だからですか? 僕に言ったくらいでは影響がないと」
エルヴィンが念を押したい気持ちは分かる。この国では、あまり獣人に好意的ではない。友好国であったとしても、だ。
エルヴィンはまぁ、猫人族だからあまり怖がられることはない、と思うが、獣人という一括りにされると、やはり罪悪感が拭えないのだろう。
猫は見た目が可愛いからのう。悲観な顔を見ると、よしよしと頭を撫でたくなるわ。
けれど今は淑女。そんなはしたない行動を取るわけにはいかない。私はその手をテーブルの下でグッと握り、笑みを顔に貼り付けた。
「逆ではありませんか? 獣人だからではなく、ただ単に話しやすかったんだと思いますよ。グラッベ卿は人懐っこい顔をしていますから」
男性に可愛いは失礼だからのぉ。
「それでレーム嬢は、私にどんな嫌がらせを受けた、と言ったのでしょうか」
「取り巻きを使って教科書を隠されたり、捨てられたり。陰口を叩かれた挙げ句、階段から突き落とされたと」
「まぁ、随分と古典的なこと。その全てを私が取り巻きにやらせたと?」
「はい」
バカらしい。だって……。
「その取り巻きとは、どこにいるんですか?」
「え?」
「取り巻きというのは普通、何もしていない時は私の傍にいるものですよね」
「取り巻き、というくらいですから……」
「ティータイムなのに、私の傍にはグラッベ卿しかいません。お疑いなら、ガゼボの周辺を従者の方に調べて頂いても構いませんよ」
といって、はいそうですか、というほどバカではなかったらしい。エルヴィンは首を横に振った。
「これでも獣人ですから、近くに人の気配がないのは分かります。その僕に勘づかれないほどの令嬢でなければ、の話ですが」
「そのような令嬢が、どこの誰だか分からない令嬢に対して嫌がらせを? しかも、低レベルなことをするんですか?」
「……ありえませんね。隠密に長けた者であればあるほど、そのようなことはしません」
「では、これで私の取り巻きはいない、と証明できましたわね」
取り巻きがいなければ、嫌がらせする人物もいない。晴れて疑惑が解消された。と思ったのはほんの短い間だった。
「いいえ。勝手に取り巻きのように動く人物もいますから、一概には言えません」
「……面倒な奴じゃのう」
「え?」
「レーム嬢とやらに、良い所を見せたい気持ちは分かる。好きなんじゃろう?」
ニマニマして聞くと、エルヴィンが驚いた表情をとった。
ん? 違ったか?
「違います! その……人間の、それも同い年の令嬢から受けた相談だったので、少しでも力になれればと思ったんです」
「ほほぉ」
「本当です! というか、何なんですか。突然、口調が変わったかと思ったら、態度まで」
「おっと、これは失礼。前世の名残で、時々こうなってしまうのじゃ。特にグラッベ卿を見ているとな。猫だった時のことを思い出してしもうて、つい出てしまうのじゃ。堪忍せい」
開き直ってしまえば後の祭り。あっけらかんとするエルヴィンを見て、さらにおかしくなった。
「猫?」
「そうじゃ」
「猫人族ではなく、猫?」
「人に飼われていた、愛玩用の猫じゃ。ふさふさとした白い毛が自慢でのう。耳と長い尻尾だけが灰色をしているんじゃが、そこが可愛いとご主人様はいつも褒めてくださった」
頭を撫でてもらう度に、「可愛い」「私の癒しだわ~」と言われるのが、何よりも好きだった。
だから、ユーニス・ダンヴェールとして生まれ変わった後も、お父様とお母様にそう言って撫でてもらうために頑張った。勉強も淑女教育も。
それなのに、両親が私に期待しなかったのは、偏にこの口調のせいである。幼い頃は敬語すら、まともにできなかったのだ。
両親と教師は、それを直そうと必死になり、怒られる度に私は癇癪を起した。
部屋で暴れるのは勿論のこと、屋敷から逃げ出す、といった暴挙までやりたい放題。身体能力は人間だが、中身は二十二年も生きた猫。侮るなかれ。
手と足を屈指して暴れ回る私に、両親と教師はとうとう諦めた。
その代わりに今度は、私の口調を「可愛い」と言ってお菓子をくれるようになったのだ。いわば、褒めて伸ばそう、という方向に、シフトチェンジしてくれたらしい。
お陰で勉強も淑女教育も捗り、今ではブルテヤ学園一の令嬢にまで成長した。
というのは、盛り過ぎかのう。一応、事実なんじゃが……。
それと、昼寝は欠かせなかったから、邪魔されると暴れてもいたのう。多分、それも期待されない原因の一つだったんじゃろうな。
わたしにとっては都合が良かったし、不自由せんかったが。
「それじゃ本当に猫、だったんですか?」
「信じる信じないは好きにせい。私はこれでも、現状に満足しておるんでな。ダンヴェール公爵邸でも、こんな私を肯定してくれるし、ブルテヤ学園でも伸び伸びとやらせてもらっておる。故にこの時間は本来、私の昼寝タイムなのだぞ」
同じ猫なら、この気持ちは分かるじゃろう!
「っ! すみません。そんな貴重な時間だとは露にも思わなくて」
「分かってくれるだけでよい。というより、これを分かってもらえる、というのが、こんなにも嬉しいとはのう」
思いもしなかった。
エルヴィンに謝られた瞬間、胸の奥にストンと何かが落ちたのだ。両親は私の好きにさせてくれたけれど、諦めの方が大きいように感じた。が、エルヴィンのは違う。
本当に、心からの謝罪だった。
「その気持ち、よく分かります。この国に来て、獣人のことを分かっているようで分かっていないのが、十分、理解できましたから」
「同じ立場でなければ分からんこともある。私とて今は人間じゃ。獣人じゃない。だからグラッベ卿がこの国に来て、どんな目に遭ったのかまでは理解できんよ」
「ダンヴェール嬢の言う通りです。……すると、レーム嬢への嫌がらせの件ですが、本当にやっていない、ということですね」
「そうじゃ。気まぐれな猫が、名前すら知らない相手に、わざわざ嫌がらせをするとでも? そんな面倒なこと――……」
「しませんね。僕だって、国からの命令でなかったら、この国に来たくはありませんでしたから」
おやおや。でも、やっぱり素直な子は可愛いのう。
思わず笑みが零れた。すると、エルヴィンも微笑み返してくれた。
***
結局、クラーラ・レーム嬢への嫌がらせは誰がやったのか。という結論は最後まで出なかった。
ティータイムが終了し時間切れとなった、わけではなく、虚偽の疑いが浮上したからだ。
そのため、私とエルヴィンは今、教室の扉をこそこそと窺っていた。勿論、クラーラの席のある教室の近くで。
そこで初めて判明したのだが、クラーラは私の一つ下の学年であり、エルヴィンと同じ一年生だった。
ならば、私の記憶にあるはず、と思いきや、なんと先月、編入してきたというのだ。
なるほど。それでは把握していなかったのも頷ける。名簿に載っていない、且つ、途中で更新された人物など、知っている方がおかしい。
さらにエルヴィンの話によると、クラーラはここ最近「朝、席に着くと教科書が無くなっているんです」というのだ。
その犯人がタイミングよく、今日も現れてくれるかどうかは分からないが、ものは試しである。
なにせ疑惑をかけられたのだから、やるだけでも価値はあるというものだ。エルヴィンが証人にもなるしのう。
「もしかしたら、夜までかかるかもしれませんが、大丈夫ですか?」
「今は人間じゃが、多少は身体能力に自信はある。寮への抜け道も把握しておるから、心配は無用じゃ」
ブルテヤ学園に来て、すぐにやったからのう。
「そ、そこまで……」
「精神と肉体の認識の違いは、大きければ大きいほど気分が悪い。こればかりは仕方のないことなのじゃ」
「でも、人間だと獣人並みの行動はできませんよね」
「瞬発力なんかは特にのう。せめてできたことといえば、早く走れるようになったことくらいじゃ」
だから寮監に見つかっても、逃げ切れる自信はある。
「とはいえ、グラッベ卿の足手まといになるかもしれん。そこは堪忍してほしい」
「何を言っているんですか。こういう時は男の僕を頼ってください」
「じゃが……グラッベ卿を見ているとのぉ」
「何ですか?」
「弟にしか見えん」
「っ!」
さすがにこれは言い過ぎたかのぉ。でも事実なのだから仕方がない。
ふふふっ、と内心笑っていると、まるで油断をするなとでもいうように、事は起こった。
「ダンヴェール嬢」
「うむ。誰か来たようじゃな」
カツカツ、という足音と共に、私たちがいる方にまで影が伸びる。これが夜で、さらに足音まで消されたら、気づけただろうか。
なにせ今の私は人間。それこそ猫人族のエルヴィンを頼るしかなかった。が、幸いなことに今の時刻は十八時。
日の長い夏も相まって、廊下には太陽の名残りのようなオレンジ色の光が射していた。
共に気配を消しながら、相手の出方を待つ。ガラガラ、と開く引き戸の扉。足音が遠くことから、中に入ったのだろう。
私はエルヴィンに目で合図をし、教室へと近づく。すると、逆光になっていたお陰で、先ほどよりも分かり易くなった影。それにより相手の性別が判明した。
「やはり女か」
嫌がらせをするのは同性と、相場が決まっておるもんじゃ。
私は容赦なく、教室へ入った。後ろでエルヴィンが息を呑む声が聞こえたが、気になどしている場合ではない。
私に罪をなすりつけた不届き者の顔を拝まなければ、こっちは気が済まないのじゃ!
「そこで何をしておる!」
教室に響き渡る私の声。想定外の出来事に驚いた反応を示す影だったが、さらに予想外のことが起こり、驚く羽目となる。相手ではなく、私が。
「キャーーー!!」
なんと相手が叫んだのだ。しかも私の横を通り過ぎながら、エルヴィンに駆け寄る。
「助けて、エルヴィン。この女が突然、やってきて。凄い剣幕で私〜、もう怖くて〜」
さらにエルヴィンに抱き着いて、助けを求めている。
大丈夫かこの女、と思っていたら、それはエルヴィンも同じだったらしく、アワアワしながらも、こちらに困った顔を向けてきた。
いやいや、私に助けを求められても困るんじゃが。相手が誰だか分からんしな。まぁ、だいたいの予想はつくが……。
「落ち着いてください、レーム嬢」
案の定、エルヴィンが教えてくれた。が、一向に離れる様子はない。体を強引に離しても、クラーラはまた腕に抱き着いてはわんわん喚いている始末。
なんという執念。怖いのぉ。おまけに煩いときた。
思わず同情の眼差しを向けると、猫耳が垂れ下がり、また私に訴えかけてくる。「助けて」と言っているのはクラーラだが、エルヴィンの心の声が重なって聞こえるようだった。
これくらい対処できんとは、本当に手のかかる弟分じゃ。
「そこのご令嬢。殿方に抱き着くのは、些か品性に欠けんかのぉ」
「キャー! 近づかないでよ!」
甲高い声に頭がはち切れそうだった。間近にいたエルヴィンなど、堪ったものではないだろう。
すまん。火に油を注いでしまった。
「ふむ。ならば尋ねるが、何故そこまで私を怖がるのじゃ?」
「何って、襲いかかろうとしたからじゃない」
「……グラッベ卿からはどう見えた?」
「僕?」
ここには女二人と男一人。卿と言われたら、お主しかおらんじゃろう!
「不審者に向かって行くのは危険だと思いました。ダンヴェール嬢は、こういうことを前にもしていたんですか? 随分と手慣れていましたが」
「……何故、私に言う。レーム嬢に言うことはないのか?」
「レーム嬢に?」
明らかに嫌そうな声音だったのに、クラーラはエルヴィンに期待の眼差しを向ける。
肝の据わった女子は嫌いではないが、空気は読め。私が言えたことではないが。
すると次の瞬間、エルヴィンの殺気を感じた。勿論、私に向けられたものではない。が、反射的にシャー! と言いたくなる気持ちを抑えた。
「いい加減、離れてくれませんか?」
「……ご、ごめんなさい」
さすがのクラーラも、エルヴィンの殺気には反応するようだった。そうして解放されたエルヴィンは、何故か私の方に近づいてきた。それもどういうわけか、褒めてという顔で。
こ、これは、撫でてもいいんじゃろか。
そうして手を前に出した時だった。またしても、騒々しい者が現れたのだ。
「ユーニス!」
教室の扉を勢いよく開けた人物は、ズカズカとこっちに近づいてきて、私の手を掴んだ。しかも相手は……。
「リュ、リュディガー?」
久しぶりとはいえ、金髪にエメラルドのような眩い瞳。記憶力に自信があろうがなかろうが関係ない。
すぐにリュディガーだと分かった。が、何故ここに? それも一年の教室じゃぞ。
「今、何をしようとしていた」
「べ、別に何もしとらん」
「そうか。エルヴィンの頭に触れようとしていたが、気のせいだったか?」
「き、気のせいじゃ!」
私は強引にリュディガーの腕を振り解いた。
「それよりも、何でお主がここにおるんじゃ、リュディガー」
「最近、良からぬ噂を聞いてな。ユーニスは昔から、変な場所で昼寝をするから巡回していたんだ」
「……今は裏庭のガゼボと教室以外は昼寝をしとらん」
「それを信じろと?」
ぐぬぬ、反論できない。
こやつは昔からそうじゃ。小うるさいことを言いよって。木には登るな。床で寝るな、と。一つだけ良いところをあげるのなら、この口調に文句を言わんところだな。
「もしかして、リュディガー様が私の相談を聞いてくださったのは、私のためではなかったのですか?」
「一生徒の身の安全を守るのも、生徒会の役目だと心得ているが」
つまり、クラーラ一人のためではない、と暗に言っている。というよりも、リュディガーにまで相談しておったのか。
これではエルヴィンの立場もなくなるのぉ、と眺めているとあまりショックを受けている様子はなかった。
「しかし、先ほどの言い方では、ダンヴェール嬢のためだと言っているようなものでしたが? ダンヴェール嬢は、リュディガー様とは疎遠になった、とお聞きしたのに」
「疎遠にしなければならない事情があったのだ」
「ほぉ、伺おうか。その事情とやらを」
別に気になりはせんが、いきなり距離を置かれたのは解せない。元々、去る者は追わない主義の私だが……事情があるのなら、是非、聞いてみたいものじゃ。
「ユーニスに王妃は務まらない。ただそれだけだ」
「……したくもないがのぉ」
「うっ」
何故、傷つく。
「あっ、だから今、リュディガー様はフリーなのね。悪役令嬢のユーニスが、こんな女だから」
「こんなんで悪かったのう。というよりも、アクヤクレイジョウとはなんだ?」
「あら、貴女も転生者のくせに知らないの? ここは『水晶の乙女に集いし五つの輝き』という乙女ゲームの中なのよ」
なんじゃ、そのネーミングセンス。『水晶の乙女』ではなく、『マタタビの乙女』というのはどうじゃ? 可愛いじゃろう?
「う~む、知らんのぉ。何せ同じ転生者でも、私の前世は猫だからな。ゲームなどできん」
「ね、猫ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
驚くのは分かるが、本当に煩い小娘じゃのう。まぁ、リアクションをしてくれるのは嬉しいが。
「嘘でしょう!」
「本当じゃ」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「レーム嬢と言うたか。もうええかのぉ。それで、アクヤクレイジョウとはなんじゃ?」
「そのまんまの意味よ。悪役の令嬢!」
「私が?」
悪役とな。何をするんじゃ? 授業をサボったり、抜け出したりして、買い食いにでも行くのかのぉ。それはそれで楽しそうじゃ!
クラーラがお望みなら、やってみるかのぉ。あっ、でも退学になったら、お母様たちに心配をかけるからダメじゃな。
そんな楽しい妄想をしている私を余所に、クラーラは敵意をむき出しにして、あろうことか指を差してきた。
人に指を差してはいかんと習わなかったのか?
「そうよ。そして私がこの乙女ゲームのヒロインなの!」
「ほぉ。それでヒロイン、とやらは何をするんじゃ?」
「何って、恋愛ゲームなんだから、恋をしたり愛されたりするのよ」
「面倒臭そうじゃのぉ」
「何で!?」
何でって言われてものぉ。家猫で恋すらしたことがないのに、急にできるかぁ!
「クラーラ嬢、諦めろ。ユーニスは昔からこうなんだ。興味のないことへはとことん興味を示さない。だが、俺は気になるがな。ユーニスが悪役令嬢とはどういうことだ?」
「僕もです。あまりいい表現には聞こえませんでしたから」
「な、何よ、二人とも。私はヒロインなのよ。攻略対象者である貴方たちに愛される運命なのに! 何で私に敵意を向けるのよ。向けるのはあっちでしょう?」
「ん? 私?」
あぁ、なるほど。アクヤクレイジョウとは、リュディガーとエルヴィン、そしてクラーラに嫌われる役、というわけか。ふむふむ。で、どうやって? さらに面倒じゃのう。
「無理だな」
「はい。無理です」
「そう言われると、なんだか癪に障るのう。レーム嬢が望むなら、嫌われ役をやってみるが、どうじゃ? 報酬は――……」
「お菓子! 学年は違うからテストとか、授業の代弁とかはできないけど」
「おっ、いいのか? なら引き受け――……」
「ちゃ、ダメですよ!」
急にエルヴィンに腕を引かれ、距離が縮まったというのに、クラーラから引き離された。さらにリュディガーがその間に入り、クラーラの姿が見えなくなる。
ど、どうしたんじゃ、いきなり……!
「何をする!? 折角、いい交渉をしていたというのに」
「どこがですか!? 全く、ダンヴェール嬢は頭がいいのか悪いのか分かりませんね。本当に学年一位なんですか?」
「エルヴィン。ユーニスはただ覚えるだけで、身についてはいない」
「え!? それってつまり……」
「皆まで言うな」
別に言っても構わんよ、バカだと。まぁ、それを言わないのが、二人の優しさなんじゃろうが。その配慮は……のぉ?
「もう、リュディガー様もエルヴィンも、どうして邪魔をするんですか? まさか、その女が好き、とか言わないですよね」
「や、その……」
何故、狼狽える? リュディガー。
「えっと……」
何故、赤面する? エルヴィン。
「嘘ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
これはこっちのセリフじゃ。
「何で? あんな変な喋り方をしているのに。まさか、前世が猫だから?」
「可愛いじゃろ」
「それ、自分で言うの?」
「自分も愛される運命とか言っていたのに、棚に上げるというのか?」
いい度胸をしておるな。
「だって事実だもん」
「こっちも事実じゃ」
「どっちも一緒だ! 何、アホなことをやっている!」
「アホではない。リュディガーもそう思うじゃろう?」
「何が?」
「可愛いか、可愛くないか、と聞いておるのじゃ」
加えて私の方が、愛嬌があると思わぬか? と詰め寄る。リュディガーも昔、私の口調が可愛いと言ってくれた一人だった。
だからあの時と同じように言うてみ? ほれ。
「……こ、こんなところで言えるわけがないだろう!」
「それなら僕が言っていいですか?」
「グラッベ卿が? 勿論じゃ」
「できれば、褒美にエルヴィンと呼んでもらっても?」
それくらい、いくらでも構わんが……。
「頭を撫でなくても良いのかのぉ」
「それも捨てがたいですが、今はエルヴィンと呼んでもらいたいです」
「分かった。エルヴィン、私は可愛いじゃろう?」
「はい。可愛いです、とても。僕と一緒に、我がスヴィレに来てほしい、と思うくらい」
スヴィレとはエルヴィンの故郷である獣人の国である。前世が猫なせいか、とても興味のそそられる発言だった。
「ダメだ」
「何故じゃ?」
「それは……まだ、クラーラ嬢から聞いた、良からぬ噂が解決していないだろう。ユーニスへの疑惑も晴れていない」
「えっ、あっ、その……何というか、リュディガー様。その件はもういいんです」
クラーラが慌てるのも無理はない。その犯人を待ち伏せしていたのが、私とエルヴィンであり、巡回していたのが、リュディガーなのだ。
そしてクラーラが在籍している教室に現れたのは、相談した張本人。つまり、自作自演だと、この現状が証明していた。
さらに私を「悪役令嬢」だと言ったことも、真実性が増す要因だった。名誉棄損とまではいかないが、陥れようとしたことには変わらないのだ。
しかもクラーラにとって最悪なのは、リュディガーの前でそれを言ってしまったことだろう。なにせリュディガーはこのブルテヤ学園の生徒会長なのだ。
事が大きくなる前とはいえ、騒動は騒動。注意で済めばいいが、最悪、謹慎処分を受けるだろうな。恐らく、短い期間だとは思うが。
「よくはない。後日、詳しく聞かせてもらおう。その乙女ゲームの話、とやらも含めて」
「おぉ! それなら、私も聞きたい!」
「いいのか? ユーニスにとって嫌な話になるのかもしれないんだぞ」
「構わん」
悪役でも何でも、昔のご主人様がしていたゲームの話を聞いてみたいのじゃ。
「だったら、僕も同席したいです。同じ生徒会ですから、構いませんよね。リュディガー様」
「どうせダメだと言っても来るんだろう」
「はい!」
ふむふむ。仲良きことはいいことじゃ。ん? 違うとな。まぁ、良いではないか。これにて事件(?)も解決したことだしのぉ〜。
「ん? 何じゃ、二人とも」
「いや、分かっていないな、と思っただけだ」
「どういう意味じゃ、リュディガー」
「いいんですよ、ダンヴェール嬢。こんな男は放っておきましょう。可愛い、の一言も言えないんですから」
「そうじゃのぉ〜。エルヴィンのように、何故言えぬのか、不思議じゃ〜」
ほれ、今なら言えるチャンスじゃぞ、リュディガー。言うてみ。
そうニマニマと視線を送るが、恥ずかしいのかそっぽを向かれてしまった。
相変わらず、つまらない男じゃのぉ~。
「なので、もう一つご褒美を強請ってもいいですか?」
「おい!」
「煩いぞ、リュディガー。お主は黙っとれ。それで何じゃ?」
「僕もユーニス嬢と呼んでもいいですか?」
ん? なんじゃ、そんなことか。
「構わんぞ」
「ユーニス!」
「なんじゃ、さっきから」
「ユーニスは、そういう男の方がいいのか?」
そういうのとはどういうことかは分からないが、リュディガーがエルヴィンを差していることだけは分かる。
クラーラはリュディガーの後ろで、事の成り行きを見守っているように見える。が、その眼差しはキラキラしていて、何かを期待、いやワクワクしていると言った方が正しい。
リュディガーもだが、クラーラまでなんなのじゃーーー!!
「いいも何もエルヴィンは同じ猫じゃぞ。弟のようで可愛いと思うて何が悪い」
「弟?」
「そうじゃ。変かのう」
「変じゃないと思うぞ」
「もう! 何でそうなるのよ! 猫は猫同士で仲良くやればいいじゃない。その方が私にとっても都合が……じゃなくて、ほら、可愛いと思うわよ」
可愛いとな? クラーラもなかなかいいことを言う。その手前で言いかけていたのは、敢えて聞かなかったことにしよう。
しかし、エルヴィンはそうではなかったらしい。
「レーム嬢の言い方は、正直、どうかと思いますが……ユーニス嬢が良ければ、これからも仲良くしていただけますか? 弟としてではなく、猫同士として」
「良いのか?」
私も「同じ猫」と言ってしまっただけに、申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。加えてクラーラの「猫同士」
獣人を軽視しているような言い方に、エルヴィンが傷ついていないか、気になっていた。が、当のエルヴィンの表情は、打って変わって晴れやかだった。
「ユーニス嬢と一緒だからいいんです」
「そうか。なら良かった」
今度こそ手を伸ばすと、エルヴィンは差し出すように頭を垂れる。よく見ると尻尾がピンと立っているのが見えた。
今の私が猫だったら、きっとエルヴィンと同じように立てていたかも、と思うとちょっと憎たらしくなった。
何で私は悪役令嬢なんかに転生したんじゃろう。エルヴィンと同じ猫人族だったら良かったのに。そのことについて、クラーラとちょっと話をしてみるかのぉ。
リュディガーにお願いして、クラーラの罪が軽くなるように、お願いせねばなるまいな。
***
二週間後。
その願いが叶えられて、クラーラは注意を受けた。勿論、お咎めはあったし、反省文などの罰もあったと聞く。
「で、レーム嬢。いやクラーラ嬢は、評判を陥れてまで、私を悪役令嬢に仕立て上げたかったのじゃな」
ほとぼりが冷めた頃、私はティータイム時に、クラーラをガゼボに呼び出した。
「そうしないと、乙女ゲーム『水晶の乙女に集いし五つの輝き』が始まらない、と思ったのよ。リュディガー様の婚約者でもなかったし。それならせめて、私をいじめる悪役令嬢になってもらわないと、と思って」
「何て身勝手なんだ。これだから人間は」
「これこれ。エルヴィン、私のガゼボで喧嘩はよせ。さもないと、出禁にするぞ」
「えっ、それは困ります、ユーニス嬢」
そう、ガゼボには私とクラーラだけではない。エルヴィンもいた。
二人だけでも良かったのだが、「誰が収拾させるんですか!」と言われてしまい、何のことだか分からないまま同席となった。
「その乙女ゲームとやらでは、リュディガーの婚約者だったんじゃな、私は」
「うん。それで婚約破棄されて、私の毒殺未遂で国外追放されるの」
「穏やかではないのぉ」
「けれど、国外追放されるのなら、尚更我がスヴィレに来てください。ご案内致します」
「今は国外追放されとらんが、観光では行ってみたいのぉ。その時はエルヴィン、よろしく頼むぞ」
何せ、今は人間じゃからな。
前世が猫だと知らない獣人たちに囲まれるのは、さすがに困ってしまう。エルヴィンを見ていてもそうだが、あまり人間にいい感情はないようだ。
私はご主人様が大好きだったんだがのう。所詮、飼い猫に過ぎない私では、分からないようだ。
「話は戻るけど、ユーニス嬢は今、どなたとも婚約していないのよね」
「そうじゃ。お父様とお母様は、このまま結婚しなくても大丈夫だと仰ってくれたからのぉ」
釣書が来ても、問答無用で破り捨てていた。
「それなら、国外追放される恐れはないと思うわよ。私に嫌がらせをすることもないんだから」
「クラーラ嬢は、今後、私が悪役令嬢にならない、と思っているのか?」
「うん。できれば、私とも仲良くなってほしい、と思っている」
「自作自演をして、ユーニス嬢を陥れようとしたくせに?」
「それは、今のユーニス嬢を知らなかったからよ。知ったからにはお近づきになりたいわ」
ふむふむ。なかなか見所のある小娘じゃ。
「やはり私が可愛いからかのぉ」
「えぇ、勿論。だから今日はお近づきの印に、お菓子を持ってきたの。リュディガー様に聞いた、ユーニス嬢の好きなお菓子よ。これで、許してもらえないかしら」
「私は可愛い、と言ってくれる可愛い子とお菓子は大好きじゃ」
「それじゃ……」
「クラーラ嬢には、これからも乙女ゲームとやらの知識を聞きたいからのぉ。すでに許しておったぞ。私の方こそ、これからもよろしくな」
できる限り、厄介ごとは回避したいのでな。
「だからエルヴィンも、よいな」
「いつか、僕とスヴィレに来てくれるのなら、いいですよ」
「ふむ。考えておこう」
何故、そこまでエルヴィンが拘るのか、までは分からぬが。今はエルヴィンの満面の笑みで満足するかのぉ。
最後までお読みいただきありがとうございましたm(_ _)m
主人公のユーニスがグダグダ過ぎて、恋愛までは発展しませんでしたが、代わりにエルヴィンが恋心を芽生えさせたり、リュディガーが嫉妬したりなど、三角関係を楽しんでいただけたのではないかと思っています。
あと、前世が猫なので、乙女ゲームに転生していますが、内容を知りません。
そして猫の22歳は、人間の年齢で換算すると100歳以上。
口調が独特なのは、中身がおばあちゃんだから、と察していただけると幸いです。
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