何故かつぶれない喫茶店
カランコロンとドアベルが軽やかな音を奏でた。
喫茶店の店内に足を踏み入れると、芳醇な紅茶の香りに包まれる。
「いらっしゃいませ」
耳に心地の良いオーナーの美声に思わず顔がほころぶ。
「こ、こんにちは」
微笑むオーナーさんの顔を見るとドギマギする。青い瞳に整った顔立ち、すっとした鼻梁。綺麗な金髪を後ろで緩く束ね、パリッとした白いシャツの上から着けたエプロンも似合っている。細身で背がすらりと高い外国の映画俳優みたいなイケメン。
中世の貴族っぽいというか、上品な物腰と雰囲気が魅力的でずっと眺めていたいほど。
彼の名はローズウェルさん。
果たして彼は欧米人? いや北欧人かロシア人だろうか、よくわからない。
開けた木製の扉には、店名を刻んだ小さな真鍮プレートが貼り付けてある。
『喫茶 ローズウェル』
オーナーの名前と同じであり、私がこの店に通う理由でもある。
「トキノさん毎度、お好きな席へどうぞ」
鈴を転がすような声に視線を向ける。子猫のような雰囲気の少女が案内してくれた。
肩で切り揃えた銀髪に翡翠色の瞳。色白な彼女の名はグレイア。
なんと店員さんも外国の美少女なのだ。彼女は私と同じ高校の制服の上にエプロンを重ねている。とにかく可愛い。同じ制服なのにどうしてこうも印象が違うのか……。
私は二年生で彼女は一つ下の後輩にあたる。学校で見かけても学年が違うと話しかけづらい。けれどこうして何度かお店に通っているうちに、名前を憶えてくれた。
私はいわゆる「常連さん」に認定されたらしい。ラッキー。女子高生探偵(自称)の私としては、調査対象の相手に近づき懐に入り込めたのだから成功といえるだろう。
「えと……あの、紅茶とチーズケーキを」
席に着いて、メガネの鼻緒を持ち上げながらしどろもどろ。いつも喫茶店でのオーダーは緊張する。ちなみにメガネは普通の黒縁フレームでレーダーや通信機能は仕込まれていない。
「はい、いつものセットですね。少々お待ちください」
グレイアちゃんが可愛い。
あぁ連れて帰りたい。
でも私の家は築何十年のボロ家で和室だし、グレイアちゃんが来ても違和感ありまくり……っと、いけない。邪な妄想に耽っている場合じゃない。
今日も内定調査を進めなきゃ。
学生カバンからメモ帳を取り出して開く。別にスマホのメモ機能でもいいけれど雰囲気が出ないのだ。
だって私はミステリー好きの「自称」女子高生探偵なのだから。
目的は喫茶ローズウェルの謎を解き明かす事。
地元のだれもが知っている昔からある喫茶店。
郊外の田舎にあるのに潰れない不思議なお店。
私の生まれるずっと前、お母さんが若い頃から営業しているというし、何よりもオーナーが「変わっていない」というのだから驚きだ。
一体、美形オーナーは何歳なの?
経営的にも「何故かつぶれない喫茶店」に秘められた謎を解き明かしたい。
だって私の家は、田んぼを隔て少し離れているけれどお店の「隣家」である。気になるに決まってる。
子供のころから店の存在は知っていた。
何度か来たことだってある。
ナポリタンは喫茶店の味で美味しいし、手作りプリンも美味しい。大人に近づいた最近は紅茶とチーズケーキにハマっている。
そう。
私だってオーナーさんの顔を何度も見ている。
お母さんも店を知っている。
なのに隣人の顔を思い出そうとすると、何故か記憶に霞がかかったように曖昧になる。
まるで喫茶店自体に何か、認識を阻害する魔法でもかかってるんじゃないか、って思う。
怪しいのはそれだけじゃない。
イケメン外国人オーナーと美少女の店員さんは二人暮らし。親子? 従兄妹? 恋人? それも謎。
それに不思議なのは店が空き家みたいに、人の気配が消える時がある。夜に妙な光が見えたこともある。そうなるとオカルトめいてくるけれど……。
気が付くとお店はちゃんと営業していて、昼間は普通に近所のおばちゃんたちが会合したり、車で通りかかった営業のサラリーマンがランチを食べに来たり。怪しい感じはない。
お母さんに喫茶店のオーナーについて尋ねると、昔から見た目が変わらないという。
「外人さんだから若いままなんでしょ」
ってお母さん、いくらなんでも何十年も前から変わらないのはおかしいでしょ!?
私が彼を見ている印象と同じ、二十代後半ぐらいで変わらないというのも不思議な点。
そんなことありえる?
母曰く、グレイアちゃんも昔から働いていて「子猫みたいな銀髪の女の子」だという。
いやいや!?
おかしいでしょ!
絶対に何か変。探偵の謎解き推理なら、知らないうちにそっくりな息子さんや娘さんに「代替わり」している可能性を疑うべきね。
けれど……可能性として、だけど。
オカルトなら不死のヴァンパイア一族だったり、魔法使いの一族だったり。これだと一気に中二病がぶりかえしてくる。
まぁ今も患っている感じだけど。
探偵の推理に「超常」を入れちゃダメ。
探偵を目指すなら地道な調査と推理で解決よ。
手帳の「バンパイア説」「魔法使い説」にバツ印を書き入れた。
私の「秘密メモ」にはいくつもの疑問が箇条書きしてある。
外国人美形オーナー、ローズウェルさんは何者?
見た目が変わらない謎。
グレイアちゃんとの関係は? 親子や従兄妹ではない。日本人は西洋人がみんな同じに見えるというけど、髪や瞳の色の違いぐらい見分けらる。
彼女が一度だけ「お師匠さま」と呼んでいたのを耳にしたことがある。それって何のお師匠さま?
日本語の間違い? 喫茶店で気になることはメモしている。
「お待たせしました。紅茶とチーズケーキです」
「あっ、はっ、ど、どうも」
慌ててぱたんと手元でメモを閉じ、姿勢を正す。
後輩の女の子になぜか緊張してしまう。目の前に紅茶とチーズケーキが並べられる。
「こんどテストですよねー」
グレイアちゃんが気軽な感じで話しかけてきた。学年は違うけどテスト期間は同じ。御盆を胸に抱く様子が可愛い。
「あ、そうよね。勉強しなきゃだけど……ここのケーキが食べたくて」
「ありがとうございます。オーナーの手作りなんですよ」
「ありがとうトキノさん、気に入ってもらえて嬉しいよ」
カウンターの向こうからローズウェル様が声をかけてくれた。キラキラ笑顔頂きました。
「どっ、どういたしまして」
嬉しい、もう謎とかどうでもいいわ。調子乗った私はグレイアちゃんに尋ねる。
「ここで……勉強していい、かな?」
「もちろんです。静かですから、ゆっくりしていってください。紅茶もおかわりできますよ」
グレイアちゃんはぺこりとお辞儀してオーナーの元に戻っていった。
午後の日差しが差し込む店内、カウンターの奥はすこし薄暗い。空気中のチリがキラキラと輝き、二人をヴェールのように覆い隠す。
「……ふぅ」
紅茶を一口のんで一息つく。
店内は西洋風の古民家。古い梁がむき出しで壁は漆喰。ごく小さい音でケルト音楽が流れている。
――地球人の音楽はいいね。
以前、オーナーさんが呟いた単語をメモしてある。テラートって何? どこの国の言葉だろう。
私の暮らしてる家が窓から見えた。
このあたりは郊外で自然豊かな田舎だ。木枠の窓から眺めれば山並みと田んぼ、そして家々の屋根がぽつぽつとあるばかり。農道を軽トラックが走り、農道で犬を散歩させているおばあさんがいる。
喫茶店の外観は瓦屋根に薪ストーブの煙突が目印。緑の蔦が覆う洋風の建物の外観も可愛くてオシャレ。
だけど、どうして辺鄙な場所で喫茶店が続けられるのだろう? 経営的な意味でも、繁盛しているという感じでもない。SNSでサーチしても特段宣伝もしてないらしい。
だけどチーズケーキは絶品だし、グレイアちゃんが担当しているというプリンも他にはない美味しさ。オーナーの淹れる紅茶も香り高い。
「……美味しい」
紅茶に感嘆しつつ手帳を横に。英語の教科書を開いて勉強のふりをする。本来はテストが近くて時短授業なのだから家に帰って勉強するべきだけど。
私はこのお店の雰囲気が好きなのだ。
「……撃墜……されちゃったって」
「……うーん米空軍も荒っぽいね……」
えっ?
なんの話?
静かな店内で、ローズウェルさんとグレイアちゃんのひそひそ話が耳に届いた。
撃墜とか米空軍とか物騒な単語にドキリとする。
カウンターの向こうに小さなテレビがあって何かニュースが流れている。
そっと鞄からスマホを取り出して検索する。
すると『2023年2月12日、米空軍がヒューロン湖上空で八角形の未確認物体を撃墜』とでた。
きっとこの話をしている。
読み進めると『米国、国防総省の発表によると米国とカナダ国境にあるヒューロン湖上空六千メートルを飛行していた未確認物体をミサイルで撃墜』とあった。
話題になったニュースだから知っている。
中国の気球がアメリカを横断して、怒った米軍が撃墜したニュース関連。その後も何個か気球か何か、飛行物体を撃ち落としたって。
それにしても八角形?
まるでUFOみたいな気球だなぁと思う。
スマホを眺めつつ会話に聞き耳を立てる。
だけどグレイアちゃんとローズウェルさんに、気球や撃墜が何の関係が?
はっ!?
まさか、やっぱり二人はスパイ!
米国かどこかのスパイで機密情報を探ってい……ってこの田舎の何処に機密情報があるのよ。
「……助けに……行き……」
「…………仕方ないね。遠いから次元回廊を経由……」
不思議なことに、真剣なのはグレイアちゃんのほうだった。何かローズウェルさんに訴えている。
しばらくするとエプロンを脱ぎ、とたとたとグレイアちゃんがバックヤードに向かう。その途中ではっとし、慌てて私のもとへくる。
「トキノさん、ゆっくりしていってくださいね。私ちょっと用事があって……一度でかけてきます」
「あ、うん」
くそ、聞け私。踏み込んだこととは思いつつ、勇気を振り絞り尋ねてみる。
「何かあったの?」
「えと……友だちが困ってて」
「大丈夫? 事故とか……」
「あ、そんなんじゃ。外国でちょっと」
「外国!?」
グレイアちゃんは「しまった」とでも言いたげな表情をしたけれど、すぐにペコリとお辞儀をしてふたたび急いだようすで店の裏口から出ていった。
あれ?
店の裏庭からどこへいくのだろう?
自転車? それとも車? 何処に向かうにしても、かならず店の前の道に出ないといけないはず。
なのにグレイアちゃんの姿はいっこうに見えない。裏庭で何かしているのだろうか。
「……?」
窓から見えないものかと様子を窺うと、空にキラッとした光が見えた。
飛行機? 気球? まさかUFO?
窓に近づいてもっとよく見ようとしたその時、
「紅茶、おかわりいかがですか?」
「ひゃい!?」
背後からオーナーさんの美声。
驚いて振り返り、ひきつった笑顔でコクコク頷く。もう一度窓の外に視線を向けたとき、空にはもう何も見えなかった。
やっぱUFO……だったのかな。
それより、グレイアちゃんはどこへ?
「無鉄砲なところがあるんですよ」
「グレイア……ちゃん?」
「えぇ、彼女は私の弟子なんです」
思わぬ話題に私は息を飲んだ。
来た。だけど探偵らしからぬ間抜けな問いかけをしてしまう。
「何の弟子……?」
あーもうばかばか! ここは「スパイの弟子ですか?」とカマかけるところでしょ。
「魔法の弟子です」
「ま、魔法!?」
斜め上の答えに間抜けな声をあげてしまう。
「冗談です」
くすくすと、悪戯っぽく微笑むローズウェルさん。美しい青い瞳に私は魅せられていた。
「あっ、そか……お菓子作りの?」
「えぇ、魔法のお菓子作りの弟子なんです」
「あー、なるほど!」
あはは、うふふと店内に笑いが響く。
謎は謎のままだっていいじゃない。
解けない謎があってもいい。
私はここが、このお店が好きなのだから。
◆
グレイアは喫茶店の裏庭で光に包まれた。
全身を包むのは『飛行魔法結晶体』という魔法。
円盤型の結晶体、全身をプラズマフィールドで覆い空を自在に飛ぶ魔法。
地球人たちは昔から「円盤だ!」「UFOを見た!」と驚くが正体はこれだ。
師匠のローズウェル伯爵は、弟子のグレイアと共に、世界の裏側――別次元から来た魔法使い。
宇宙人と呼ぶ人もいるけれど、違う。
あくまでも異世界の住人であり人間なのだ。
「いま助けにいくね、ミナティ」
まさか米空軍に撃墜されちゃうなんて。きっとカナダの湖の底に沈んだまま隠れているに違いない。
飛行魔法結晶体の輝きに包まれたグレイアは上昇する。
眼下で喫茶店の屋根がぐんぐん小さくなる。
上空に開いた次元回廊へと突入する。この超空間を通れば十数分で米国上空にたどり着ける。
友達のミナティをヒューロン湖から救い出し、喫茶店に戻るまで一時間もかからない。
「うん、いける」
きっと常連のトキノさんだって怪しまない。
美味しいローズウェルさまの紅茶には、地球人を惑わす魅惑の魔法がかけられているのだから。
<おしまい>