第五章・第六話:最狂、覚醒
「おい、オロチ……」
死神が一歩、踏み出す。
気怠そうなその一歩だが、先ほど死にかけていた人間が踏み出すものとは思えないほど確かなものだった。
呼びかけられたオロチは未だに口を大きく開け、その在り様に呆然としていた。
「どうしてお前が立てるんだ、とかそういう三流な台詞を吐かないでくれよ。アタシはここに立っている、その現実を見ろよ。オロチ」
「バカな……あり得ない。どうしてお前が生きている? 確かにあの剣撃はお前の心臓を貫き、目を潰した。普通の人間なら、即死しているはずだぞ!」
「じゃあ答えは簡単じゃねえか。アタシが規格外に外れているからだろ」
あっけらかんと桃太郎は答える。
確かに奴は規格外ということを知っている。だが心臓をぶち抜かれてまだ立てる人間など、何千という歳を経たオロチですら見たことがない。
――――こいつは本当に人間なのか……?
「まあ……確かに危なくもあった。向こうにお花畑が見えたし、婆さんにも会った。あの時婆さんに突き返されなければとっくに向こうで楽しく笑っていただろうよ。でもさ、それだけじゃないんだ。アタシには戻ってこないといけない理由があった」
「理由、だと……?」
「ああ……一つはお前をぶん殴ること。そしてもう一つは――――鬼ヶ島を返してもらうことだ」
キョウがオロチを睨みつける。
彼女の眼は貫かれ、血で真っ赤に染まっている。もはや見えるはずのない眼球で確かにオロチを見ていた。その赤い瞳は何とも魔的で、同じ赤い眼を持つ幽鬼でさえ息を呑んだ。
「アタシとお前は確かに似た者同士だ。アタシは物を壊すことで強さを幻視し、お前は殺すことで自己を満足させる。だけどな、幽鬼は違え。幽鬼には仲間がいる、家族がいる。もしこいつが外れそうになったら取り戻してくれる奴らがいる。そんな幽鬼は外れているとは言えねえ。こいつは確かに、帰るべき場所がある」
「桃原、キョウ……」
「今はその仲間がいねえから、止めてくれる奴がいねえ。だからアタシがお前を殺す。幽鬼を無事あいつらの下に帰れるようにアタシが代行する。似た者同士は似た者同士、一緒に地獄に落ちようぜ。そして鬼ヶ島を幽鬼に返してもらうぞ」
桃原キョウはまた一歩踏み出す。
ゆらりゆらりと、風になびく灯火のようにオロチに迫る。思わず後ずさりしてしまった。
「どうした、オロチ。外れた者同士戦えるなんて、お前の理想通りのシチュエーションじゃないか。……ああ、やっぱりか。お前、アタシのことが怖いんだな、オロチ?」
桃原キョウは嗤う。愉しそうでも愉快そうでもなく、ただ口を歪ませる。自分のことを蔑んでいると分かり、ようやくオロチは叫びだした。
「な、何を言っている! 俺がお前のことを怖がっている? あり得ない。俺は怖いと思ったことは一度も――――」
「――――そりゃあ、嘘だ。じゃあなんで、お前の手は震えているんだ?」
え、という声が漏れるとともにカラン、と剣が手から零れ落ちる。
震えている。尋常じゃないくらいに手の震えが止まらない。手だけじゃない。体全体だ。体の奥底からくるような震えが止まらず、オロチは目を大きく見開いた。
「さっきお前が言ったとおりだ。あらゆるモノは零に収束する。それはこの世界の道理であり、秩序だ。それに従うことは間違っているとは思えない。でも、お前はそれがたまらなく怖いんだ。黄泉の国を見て、もう戻りたくないと思ったか?」
「―――っ!?」
「外れていない幽鬼ですら死を覚悟してこの戦いに臨んでいるというのに、お前は終わりというものを覚悟していない。お前は殺人鬼なんかじゃなくて他人が死ぬのを見ることで死から逃避できたと錯覚する、逃亡者だ。―――――なあ、そろそろ現実を見る頃じゃないか、臆病者?」
「貴様―――――!」
七つの触手が恐ろしい速さでキョウに襲い掛かる。
しかしキョウは動かない。ただ腰にある桃花に手をかけ、構えただけだ。恐れを知ってしまった獣の奇襲など、怖くとも何ともないからだ。
向かってくる触手に対して、キョウは桃花を振るう。振るうだけで十分だった。
「え……?」
「アタシもよく分かんねえけどさ。今日のアタシはすっごいハイだから気を付けた方がいいぜ。触ったら消えちゃうかもしれないからさ」
これは比喩ではない。文字通り、桃花に触れた触手は真っ二つとなりそれ以来動かなくなった。斬った、というよりは消えた、という表現が正しかった。
よく見ると桃花の様子も変だった。影のように真っ黒で、見る者すべて呑み込むような、そんな黒。漆黒の刀を持った白い死神を見て、オロチは狂わずにはいられなかった。
――――六つの触手が一斉に飛びかかる。それらは桃花に触れた瞬間、消えた。
――――雷の魔術がキョウに襲い掛かる。桃花で防ぐと、なくなった。
――――完全に狂いだしたオロチがキョウに殴りかかる。殴ろうとした左腕を斬ると、まるで初めからそこには何もなかったかのように、消滅した。
腕のついでに足も切り裂き、キョウはオロチに馬乗りになる。目の前の“無”を消し去ろうと、必死になって喚き叫ぶオロチのことを見つめる彼女の思考は別の所に跳んでいた。
「爺……まだ最強には程遠いけどさ、今のアタシはちょっと前のアタシより、確実に最強に近づいているって、感じるよ」
「――――――!」
「これでいいんだよな、爺」
桃花を握る。禍々しくも美しいそれは爺が最も好んでいた漆黒。まだ彼を超えることなど出来ないが、いつか超えてみせると桃原キョウは誓う。
――――漆黒がオロチの中心を貫く。
オロチが最後に見た光景は、自分を見つめる血のように赤い眼だった。
▽ ▽ ▽
まるで墓標のように桃花が突き刺さっているオロチを尻目に、桃原キョウは立ち上がる。
見るものを魅了する圧倒的な無、それを呆然と見ていた彼女はゆっくりと立ち上がる彼女の様を見てようやく我に返った。
「さて……後はこいつの腹の中に収まってる鬼ヶ島を取り戻すだけか……犬、やっとけ」
「御意」
「さ~て、アタシは眠ることにしますか。思えばここ数日まともに寝てねえじゃねえか。鬼ヶ島行った時からだから……一、二、三――――」
「桃太郎!」
桃太郎、というのは自分の名前であるが幽鬼にその名を呼ばれると何故か不思議であった。それになぜか今はその名で呼ばれたくない。微妙な感情を入り混じらせながら、キョウは振り返った。
「アァ? どうした、幽鬼?」
「あ……あのだな……。いや、何というか……えっと、その……」
「何だ、言いたいことがあるならはっきり言えよ。お前らしくもない」
「あ、ああ……。じゃあ言うぞ。―――お、鬼ヶ島を取り戻してくれて、あ、ありがとう」
顔を赤らめながら幽鬼はそう言った。
なるほど、そういえばそうだった。オロチを倒したことによって鬼ヶ島を取り戻したヒーロー、いや女だからヒロインになったわけだ。
しかしキョウはその礼を受けるつもりはなかった。彼女にはある思いが占めていたからだ。
……それとは別に、顔を赤らめた幽鬼を思わず抱きしめたくなったのは内緒である。
「は、別に礼なんか欲しくねえよ。アタシがしたのは当然のことだ。しかも、今回は私情も入り混じってる。アタシが好きにやってこうなったんだ。礼なんか言うな」
「でもだな! お前は確かに命がけで――――」
「――――命かけてもお前さんの親父を殺した罪は消えねえよ」
キョウは突き放すように言い放つ。
「アタシは重い罪を背負って生きていく。全てを抱えて最強を目指す。そう決めたんだ。だからそう簡単に礼を言わないでくれ。むしろ憎んでくれた方が、助かる」
桃太郎は幽鬼の父、茨木童子を殺した。その事実は決して捻じ曲げられないものであり、そしてこれからも消えることはない。桃原キョウは桃太郎の犯した罪を背負って生きていくのだ。それならばいっそ、幽鬼にはその罪を一生忘れないでほしい。幽鬼には自分を恨み続けもらって、アタシのことを殺しにかかってもらった方がいい。それぐらいの罪を背負えなくて何が最強か。
全てを守る、とかそういうどこぞの金髪が言いそうな甘ったれたことは言わない。しかし今回自分の意地を守った時、遠く向こうで何かが見えた気がした。あそここそが今まで見失っていた道に違いない。根拠などない。だが自分はそういうことに関しては勘が鋭いのだ。
キョウの言葉を聞いて、幽鬼は顔を埋めていた。消え入るような声で幽鬼は言う。
「じゃあ、一つだけ私の我侭をいいか?」
「……ああ、いいぜ」
「キョウ、って呼んでもいいか?」
きょとん、と呆然とした。てっきり死んでくれという願いでも受けるつもりでいたからそのギャップに驚いた。
――――やはりかわいい。幽鬼には、血で染まるよりこうしている方が似合っている。
キョウがその問いに答えようとした時、その問いをかき消すような爆音が鳴り響いた。
「■■■■■■■――――――!!」
もはや言葉にすらなっていない、悲鳴のような唸り声が辺りに鳴り響く。
見ればオロチの体が宙に浮かび、彼の体が変成しているようだった。ぼこぼこと蠢きだす彼の体を見て嫌悪感を抱きながら、キョウは桃花を手に取った。
「しぶといのにも程があるだろ! 大人しくもう死んどけよ!」
「あいつは首を斬らないと生き返るんだ。早く消さないと!」
「首って……どれ?」
え、という声を漏らす。まさかキョウはそんなことも分からないのか、と文句を言おうとした彼女の表情もまた固まった。
……無理もない。何故ならオロチだったそれの首はたった一本には収まりきれず、植物のようにどんどんと分裂している最中だったのだから。
「ああ……こりゃ、八岐大蛇、って奴か?」
「……ああ、そういえば自分でそう言っていたような……」
「―――――――!!」
変身完了、とでも言わんばかりに八岐大蛇が轟き叫ぶ。なるほど、蛇っぽいとは何となく感じていたが本当に蛇っぽい奴だとは思わなかった。
さて、ここにきて問題が現れた。別にあいつを倒すことには変わりない。今までもそうしてきたように、あいつをぶった切るだけだ。しかし、この疲弊した体で自分の何十倍にもあろう巨体をどうやって倒せばいいのだろうか。
――――よし、一旦冷静になろう。この状況を乗り越える策は何かあるはずだ。
「八岐大蛇を倒す時にゃ……酒だな。酒もってこい、犬」
「ここに」
犬は何処からともなく樽一杯の酒を取り出す。
何処かで聞いたことのある話だ。確か八岐大蛇は酒が大好物で、そのせいでなんやらかんやら首を斬られたはず。そんな古事が、頭の片隅に残っていた。
キョウはその樽を持ち上げると何を思ったのか、一気飲みし始めた。
「しゃー! いいね、この酒! 生き返る!」
「お前が呑むのか、キョウ……」
あっという間に樽の酒が消えていくのを見て、幽鬼は絶句禁じえなかった。鬼の中でも、こんな酒豪はいなかった……。
全く酒に酔っていない様子で、キョウは桃花でオロチを指した。
「よし、行くぞ! 幽鬼。お前はあの腹めがけて突っ切れ。何があってもよそ見するなよ。アタシが補助してやるからよ。さあ、行くぞ、幽鬼――――!」
「―――キョウ様」
「アァ!? 何だ、犬。今すっげーいいところだったんだが……?」
先ほどまで調子づいていたキョウの顔があからさまに不機嫌なものになる。今まで犬が自分の進行を止めたことなどなかった。まして、自分に意見することなど一回もなかった。
「先ほどキョウ様がおっしゃったお言葉……奴とキョウ様が似た者同士という言葉ですが敢えて反論させていただきます」
「アァ?」
「キョウ様は奴と似たところなどございません。キョウ様には、我がついております故」
――――もしこいつが外れそうになっても、取り戻してくれる仲間がいる。
先ほどの自分の言葉だ。まさかこいつ、それを気にしているんじゃないだろうな、と思ったがそのまさかのようだ。こいつは真面目に、主人に向かってそう吼えている。
キョウはそれを見て、挑発的な笑みを浮かべた。
「は、生意気な。いいぜ。犬。そこまで言うなら“お預け”は終わりだ。あいつの首を“取ってこい”」
「御意!」
力いっぱい犬が言う。それを見て、ほんの僅かだが体が楽になった気がした。
「行くぜ、キョウ。鬼闘術・凶鬼!」
「ああ!」
幽鬼が爆ぜる。
今回の事件、確かに幽鬼にとって辛い物であった。しかし今回の事件がなければ、彼女は一生過去を追い続け、周りを見なかっただろう。辛い経験をして前に進むと決意するか、楽に後ろを向き続けるか、どちらが良かったかは言うまでもない。
オロチが吼える。彼の八つに増えた頭がそれぞれ彼女に襲い掛かり、彼女の何倍はあろう、大きな口を開けて食わんとする。
それでも彼女は止まらない。今の爆ぜる鬼を止めれるものなど、存在しない。
「―――――!」
「臆病者が……アタシの邪魔をするなー!」
鬼闘術・白。もはや彼女の十八番になったこの技で向かってくる首を潰す。潰す。潰す。
風船のように破裂していくその様は、見ていて爽快感すら与えるようなものだった。
しかしオロチもただで死んでくれるというわけでもない。彼の中央にある本物を潰さない限り首は再生し続ける。そのうちの一本が一瞬の隙を突き、空さえ呑み込んでしまいそうな口を広げて襲い掛かった。
――――それを防いだのは、風であった。
「疾風、八の字!」
風が蛇を切り裂いたかと思うと、目の前に白髪の男が現れる。桃太郎の犬、今まで沈黙を保っていた彼がここまで出来る人間だとは驚きだが、それは今回の幽鬼にとって好都合だった。
彼のお陰でラインは出来た。後は突っ切るだけだ。
「どけええええぇぇぇぇ!」
「―――――――!」
一筋の直線がオロチの腹を突貫する。
丸い筒を取り除いたかのような円を描く彼の腹の向こう側には、光る何かを持った幽鬼の姿があった。しかし、オロチはまだ死なない。その証拠に彼の筋肉はその穴を埋めるように再生していく。
まだ終わらない、そう思った彼の本物の頭が次に見た光景は月をバックに漆黒を振りかざす女の姿だった。
「オロチ……アタシもあっちを見たから言うんだけどさ……」
「―――――!?」
「あっちは、そこまで酷いところじゃねえから安心して―――逝け!」
オロチの八つある同胞が悉く薙ぎ払われていく。たった一人の人間の、たった一薙ぎによって。黒い影が自分の体を侵食していく。
彼女こそ無、そう悟った時、邪神とまで呼ばれた強大な存在はその生命活動を完全に停止した。
▽ ▽ ▽
漆黒の桃花を腰に収め、一息つく。幽鬼の方を見れば、彼女もうまくやったようだった。彼女の左手には光る球体が握られておりその右手は親指を立ててこちらに向けている。自分も親指を立ててそれに応える。
万事は解決、その思った瞬間キョウに急激な眠気が襲ってきた。そういえばここ最近眠っていないことに気付いた。
「さあ、終わった、終わった。さてと、アタシは――――」
「――――おや、この惨劇は何だ?」
不意に声を掛けられた。この鳥がさえずるような声、忘れるわけもない。三人が振り返ると、予想通りそこには御門武が訝しむような目でこちらを見ていた。
《忘れてたー!》
「おい、そこの者。答えよ。どうして私の兵は皆倒れ、お前たちは血で真っ赤になっているのだ?」
―――――貴方の兵は操られ、私たちがボコボコにしました。ついでにこいつが鬼です。
……と言えるわけがない。真実でも言ってはいけないこともあるのだ。
犬は黙り込み、キョウはどうでもよさそうな顔をしている。このどうしようもない状況を打開するために幽鬼はどうしようもない嘘をついた。
「ああ……えっと……あ、あれが鬼です。あれが全てやりました」
流石の桃原キョウでも“その嘘はねえだろ、幽鬼”と言いたげ目で幽鬼を見ている。うん、自分でも分かるよ。無茶だってことは……。
「ほう、なるほど。あの巨体がこの惨劇を……となれば、お前たちが鬼を倒したのか?」
「は、はい。その通りでございます」
「素晴らしい! ほめて遣わすぞ、女子よ。この礼は後で正式な場所で必ずすることにしよう!」
……あっさり信じた。思ったよりもこの国の一番偉い人はバカなのかもしれない。
「ふむ、では私がここにいる必要はあるまい。早々に立ち去ることにしよう。ではまた、な。童子殿」
そう言って外套をはためかせながら去っていく。
途中馬に乗り、地平線の彼方に消えていった奴を見て、げんなりするように呟いた。
「今あいつ童子って……」
「あいつ全て知っててアタシたちに任せたんじゃないだろうな……」
十分に考えられることだった。そんな最悪、考えたくもない……。
三人は考えることを放棄した。
「ま、どうでもいいや。偉い人が考えることは分からん。というわけでアタシは寝る。犬、しばらくアタシを起こすなよ。もし起こそうとする奴がいたら……全力で消せ」
「……はい」
いささか物騒な命令をされ少し絶句している犬をよそに、キョウは岩にもたれかかると数秒も立たないうちに寝息が聞こえてきた。
その眠る速度に驚きながらも、幽鬼に門番のように立っている犬に問い詰めた。
「おい、鬼丸たちのことを追わなくていいのか? あいつら、ヤバい奴と戦っているんだろ。だったら助けなくちゃ」
「……心配ない。あいつらは負けることはない。キョウ様は、それを知っているからこそ安心して待っているのだろうよ。あいつらは、桃太郎様をも倒す“無敵”だからな」
犬がほくそ笑む。いつも無表情のこいつがそう言うと何処か気持ち悪いところがあったが、それは幽鬼にも納得できることであった。
あいつらは帰ってくる。ならば自分はここで待っていよう。幽鬼はキョウの隣に腰を下ろし、空を見上げた。
夜が明ける前の、最も暗い幽鬼が好きな空模様であった。
「むにゃむにゃ……お前を、いじめる奴はアタシがぶっ殺してやるからな……幽鬼」
物騒な寝言が隣から聞こえてくる。その寝言すら今はありがたく聞こえる。
幽鬼は笑って、キョウが寝ていることを良いことに今一番言いたいことを口にした。
「ありがとう、桃原キョウ」