第五章・第四話:決別
ドン、と何かが爆発したような音が後ろで聞こえた。
桃原キョウか幽鬼がまた何かしでかしたのか、それとも敵に襲撃されたのか。様々なことが考えられるこの状況で、ただ一つ分かっていることはとても危険であるということだ。本来ならば一旦戻って集合するということがベストなのだろうが、それが分かっても鬼丸はしなかった。
理由はただ一つ、戻れば金太郎がいるからだ。
「……」
鬼丸は無言で、駆ける。
急がなくてはいけない。金太郎はすぐに追ってくるだろうし、あと数時間すれば夜も明けるだろう。仕掛けるならば夜の間でなければ勝ち目はない。金太郎が来る前に片を付けて、彼の目の前から去らなくてはいけないのだ。
「……私は、バカだ……」
呟くように鬼丸は言う。自分に向けられたその言葉は何とも虚しく、何の意味も為さないことも知っていたがそれでも言わざるを得なかった。
金太郎は自分にとって、初めての仲間だった。母親の顔は知らず、父親も自分が幼い時に死んだ。ようやくたどり着いた鬼ノ山でも、彼は他人を知ることはあっても交じることはなかった。長老や他の長たちも鬼丸を理解することは出来ず、鬼丸にとっても彼らは“同僚”であった。幼心に愛というものを知らなかった彼は、誰も信じることは出来なかった。
そんな中であったのが金太郎だ。彼が人間に襲われているのを見かけたとき、自然と彼を助けようと動いたのは今でも分からない。
しかし一つだけ分かることがある。それは金太郎が純粋であったということだ。見返りも求めず、ただ助けることだけを生業といている彼は純粋で、彼と一緒にいたらたとえ夢物語であっても出来そうだった。彼とずっと一緒に戦っていける、そう思っていた。
でも、違った。私は私であって、金太郎は金太郎なのだ。そんな根本的なことを私は今まで忘れていた。彼にも叶えたい夢があって、しかもそれを私が邪魔しているというのならば自分は潔く彼の視界から消え失せよう。
私は一人でもやっていける。それを証明するために、私はここまで来た。だから―――
「―――貴方には消えてもらいますよ、侵略者」
だから目の前の赤髪の男を倒すのだ。自分一人の力で。
▽ ▽ ▽
目の前の赤髪の男は岩にもたれかかり、自分を待っていたようだった。おそらくあの縄で縛ってある岩が天岩戸なのであろう。そして神域の、さらにその中心にもたれかかっているこの男は余程傲慢なのであろう。
男はまるでお話の世界から飛び出してきたような、そんな雰囲気の男だった。どこかの国の王子様です、と言われれば納得するぐらい整っていた。神秘的なその雰囲気と、それとは相反するような腰にある威圧的な刀。ここに立っているだけで気圧されるようなそれに鬼丸は反感を覚えた。
赤髪の男が体を起こし、その口を開いた。
「初めまして、だな。鬼丸童子」
「ええ、初めまして。早速死んでもらいます」
言い終えるのと同時に鬼丸はデザートイーグルを放つ。手加減などしない、本気の殺し。一瞬で集められる最大の魔力を鬼丸は放った。
その鬼丸の本気を、赤髪の男は当然のように紙一重でかわした。
「おいおい、そう急くな。お前とは話をしなくちゃいけないんだ。開口一番銃を取り出すのはやめろ」
「私には貴方と話し合うことなどありません」
「まあ、そう言うな。……自己紹介がまだだったな。俺の名前はスサノウ。スサと呼んでもらっても構わない」
スサノウ、という名前を鬼丸は聞いたことがあった。いや、聞いたことあるどころではない。何度も何度も、耳にタコが出来るほど聞いたことのあるその名前。それは確かツクヨミ様と肩を並べる存在――――。
「三貴神が一柱、“スサノウノミコト”!? 何故そのような存在がここに?」
「それを含めての話だ。ちょうど、お友達も来たみたいだしな」
「鬼丸―――――!」
しまった、と鬼丸は思った。こんなことなら早くこいつを始末するべきだったのに、と後悔さえした。そうして後悔しているうちに、かぐやとウラシマも月光を使って来てしまった。
鬼丸が最も望まない展開に、スサノウはほくそ笑んだ。
「ようこそ、坂田金太郎、四方院かぐや、浦島竜胆。これにて役者は揃ったということだ」
「鬼丸、俺はお前のことを邪魔なんて思ってない。だから―――――」
「―――――来るな!」
鬼丸の拒絶の声が金太郎の足を止める。今まで鬱陶しがられることはあっても、デザートイーグルを向けられるほど拒絶されることはなかったのに……。
「それ以上近づいたらその脳髄ぶち抜きます。これは私の問題、部外者は黙っていてください」
「部外者、だと……」
「おいおい、痴話喧嘩はよせ。俺が喋っているんだ。喋らせろ」
痴話喧嘩、というにはいささか物騒だがその様子にスサノウは呆れるように呟く。鬼丸はしぶしぶながら銃をおろし、ようやく喋れる状況となった。
「さて、俺の名前はご存じの通りスサノウ。この世界の神だ。なんで神がこんなところにいるか気になる奴もいるだろう。それはな、神が動かなくちゃいけない状況になっちまったからだ」
「神が動かなくちゃいけない? そんな状況あるわけが……」
「あるんだよ。世界が滅んじゃうとかな」
そんな冗談めいたことをスサノウは本気で言う。その表情からは真意は判断できなかった。
「この世界は御伽の世界ということは知っているな。……えっ、知らない? ……まあ、いい。そういうことと仮定しろ。その証拠にこの世界の物事は予め決められた運命に沿って動いている。これがその予言が書いてある本だ」
「あっ、俺の学習帳」
「……何だと、お前?」
途端、スサノウの顔が一転、憤怒と驚愕、その二つが混ざったような複雑な表情になった。はて、何か変なことを言っただろうか……?
「馬鹿野郎! これは全ての予言が書いている“原書”だぞ! テメエ何学習帳に使ってやがんだ!」
「えぇ!? そうだったの!?」
「何か書いてねえだろうな……。下手に書き込むと運命が捻じ曲がるぞ……」
そう言ってスサノウはすごい勢いでページをめくりだす。余程重要なことなのだろうか、目の前にいる鬼丸には目もくれず、目を通していく。
そんな中、ウラシマは納得するように手をポンと叩いた。
「なるほど、そりゃそんな高位な存在を僕如きが読めるはずもないよね。ある意味それは魔術師の最終目標でもあるから見ることが出来るだけでも僥倖だな。納得いったよ」
「でもなんで俺は見ることが出来たんだ……?」
「……えっ?」
「ふぅ、どうやら何も影響のあるところには書いてないようだ。……話を戻そう。とにかくこの世界は全てこの本によって決められる。この本を分かりやすく書き直したのが“御伽話”と呼ばれるものだ。お前らもガキの頃読んだことがあるだろ。たとえば、“桃太郎”とか“かぐや姫”とか。その主人公たちがお前らの目の前にいるのがこの世界が御伽の世界たる証拠だ」
スサノウの話は滅茶苦茶であった。しかし、納得せざるを得ない。
かぐやと出会った時、何故目の前の女の子がかぐやだと分かったのか、それは“竹取物語”という話を知っていたからだ。ウラシマの時も然り。誰も見たことがないはずの竜宮城の話を知っていたのはその話を知っていたからであった。
見ず知らずの誰かが書いた、そんな予言に自分たちが左右されているとは何とも複雑な気分だが、そこで一つ疑問が生まれた
「でも、それと世界滅亡とどういう関係が……? いいじゃないですか。その本に書かれている限り、この世界は滅びることなんてない。それと、世界滅亡何の関係が?」
「この世界の運命が原書に従わなくなってきている」
簡潔に、そしてはっきりスサノウは言う。その手にある本を見せつけながら、叩きつけるように喋る。
「この原書は絶対だ。今までこれに書かれていることは必ず起こった。世界はこれに従っていた。今までも、そしてこれからもそのはずだった。だが、最近になってそれがだんだんと狂い始めてたんだ。例えば……」
「……桃太郎が鬼に倒される」
「――――そうだ。それだけじゃねえぞ。なんでかぐや姫は月に帰られなかった? なんで浦島は玉手箱を開けなかった? なんで金太郎は熊と一緒に遊んでいられなかった? ――――なんで神である俺がここにいるんだ?」
完全な矛盾をスサノウは指摘する。神はこの世界に干渉してはいけない、というのはこの世界の秩序であったはずだ。それが本当に崩れているとすれば、それが好ましくないのは鬼丸たちでも分かった。
「これは本来あり得ないことだ。予兆だ。世界が確実に狂い始めている。完全に狂わないうちに、俺が干渉しないといけない」
「それで、貴方がここに来た、と……」
鬼丸の言葉にニヤリと嗤う。
「俺はこの世界を救う。姉さんがいない今、俺がやらなくちゃいけないんだ。……そのためには原書の働きを正常に戻さないといけない。……原書第129項、“白き鬼が死をもたらす”。手始めにこの予言を完成させようと思う」
「白き鬼が死をもたらす? 誰です、そんな物騒な鬼は?」
「何言ってんだ。お前のことだよ、鬼丸童子」
当たり前のようにスサノウは鬼丸を指差す。それにしばらく反応することが出来なかった。
「はっ……?」
「原書に書かれている項、内容、素質から言ってお前に間違いない。というわけだ、鬼丸童子。世界の為に取り敢えず全てを捨てて死をもたらす鬼になってくれや」
軽い口調で重いことを頼むスサノウ。
死をもたらす、そんな悍ましい能力を自分が持っているなんて鬼丸は自分のことが信じられなかった。動揺している鬼丸よりも先に動き出すものがいた。
―――――坂田金太郎である。
「ふざけんなよ、オメエ! なんで鬼丸がそんなことやらなくちゃいけないんだ! そんなことのために鬼丸を犠牲にしてんじゃねえよ!」
「……おいおい、坂田金太郎。そんなこと、とはどういう了見だ? それに今回はお前にこの話をしたかっただけだ。お呼びじゃねえよ」
「テメエ!」
金太郎はスサノウに紫電を持って襲い掛かる。
瞬時に結界を張って突撃する彼の攻撃はまさに雷鳴の如く、あっという間にスサノウの目の前に現れた。紫電に魔力を充足させ、スサノウを振り下ろす。
しかしその瞬間までスサノウは腕を組んで動かなかった。何をする必要などない。僅かに手を動かし、手を合わせただけだった。
「神域・注連縄」
その瞬間、鬼丸は黒い空間に放り込まれた。いや、包み込まれた。当たり前のようだが、金太郎の姿はない。ここが結界の中だということはすぐに分かった。
それにしても何だろう、この空間の異様さは。金太郎のように結界に張らない鬼丸にとって、結界の中というのは新鮮そのものだがこんなにも空しい物なのだろうか。
ここは暗く、寂しい。こんなところには数秒たりとも居たくなかった。
「もうお前は戻れないぞ、鬼丸童子」
暗い闇から赤い髪が現れる。スサノウノミコト、彼はその手に古びた刀を持って一歩一歩近づいてくれる。
「死をもたらす、ということはお前の本質は死に存在するということだ。本質を理解させてやるためには少々面倒な術がいる。そのための壁だ。さあ、大人しく術をかけさせろや」
「……それも悪くないかもしれませんね。もうあそこに戻る気はありませんし」
もし金太郎がいたら文句の一つでも言われたかもしれない。しかし、その彼も今はいない。自分はたった一人なのだ。これが自分のあるべき姿だと納得させて、鬼丸は言う。
「でも、私は人の思惑通り動くのは嫌なんです。今までも、そしてこれからも……。帰らせてもらいますよ、スサ」
「……へえ」
その声は関心か、それとも憐みか、その両方の感情が入り混じっていた。
「お前もうちょっと賢いと思ってたんだけどな。まあ、仕方ないか。それがお前だもんな。無理やるのも悪くない」
そう言ってスサノウは刀を構える。これが威厳か、その姿を目の前にしているだけで体から震えが止まらなかった。鬼丸はそれに何とか打ち勝つために、デザートイーグルを力いっぱい握りしめた。
スサノウは愉しそうに嗤う。
「さあ、神に逆らう愚か者よ。覚悟しろよ。鬼っ子」
「……鬼丸童子、参ります」
鬼丸はデザートイーグルをスサノウに向ける。
仲間の為でも、もちろん金太郎の為でもない、ただ自分の為に戦う。デザートイーグルがいつもより重く感じられた。
▽ ▽ ▽
「おい、鬼丸! 聞こえたら返事をしてくれ、おい!」
鬼丸とスサノウが戦い始めたとき、金太郎はその結界の外にいた。声をかけても返事はない。当然外から中の様子は見ることが出来ない。そのどうしようもない状況が、金太郎の焦りをさらに加速させていた。
目の前の黒い球体が絶え間なく流動している。それに触れようとすると腕が飲み込まれる様な感覚だった。
その禍々しい結界を目の前にして、金太郎は嘆くように呟く。
「何なんだよ、これは……ビクともしねえぞ」
「当たり前じゃないか。それは注連縄だよ。破れるわけないじゃないか」
「注連縄?」
どこかで聞いたことある名前だった。金太郎が必死にその場所を思い出そうとしていると、それを待たずにウラシマは言う。
「鬼の長老の張る結界がこの世界屈指の硬さを誇るんだったら、それは紛れもなく最強の防御陣だよ。僕ら如きが破れる存在じゃないんだ」
「そんなのやってみなくちゃ――――」
「――――分かるんだよ。それはね、ただの結界じゃない。神様を縛りつけるような、そんな目的で作られたものなんだよ」
神様を、という言葉を聞いて思わず言葉に詰まった。どうして自分たちには神様というものがこんなにも関わってくるのか、金太郎は神様というものを恨んだ。
「かつて天照大御神様がここ天岩戸からお出でになった時、もう二度とそこに入らないように縛られたのが注連縄だ。これはそれの模造品、とはいっても強度は絶対を誇るだろうね。流石の僕でも、触るのさえ恐れ多いよ」
ウラシマは大げさに手を上に向けて、降参のポーズをとる。しかしその顔はいつものニヤニヤ顔ではなく真剣、この話は本当であることは金太郎でも分かった。ウラシマの眼が、これ以上干渉するな、と語っている。
しかし、自分はそんなことで諦めるほど人間が出来ていないことも金太郎は知っていた。
「それでもやらなくちゃいけないんだ。鬼丸を、鬼丸をたった一人で行かせちゃいけないんだ。なあ、かぐや! お前もそう思うだろ!?」
「……」
「かぐや……?」
返事はない。いつもならば大見得を切って“当然です。だって私は鬼丸さんの妻なんですから”とでも言いそうな言葉が今回は聞こえてこなかった。
彼女は震えていた。それも尋常じゃない汗と共に。いつもの彼女からは考えられない姿に金太郎は驚き、
ウラシマはふぅ、とため息をついて何も知らない金太郎に説明し始めた。
「キンちゃん……スサノウ様は善神でもあると同時に悪神でもあるんだ。いや、悪神というよりはなんというか……。とにかく、スサノウ様の恐ろしさは見たものでしか分からない。かぐやちゃんはツクヨミ様と繋がっているからね。その恐ろしさは身に沁みるように伝わってくるんだろう。……本来ならば来たくもなかった。ここで立っているだけでも奇跡なんだよ。かくいう僕も、震えが止まらない」
竜神様の信仰者のウラシマが言うとおり、よく見ると玉手箱をもつ腕が震えている。おそらく彼がもう片方の腕で抑えなければ玉手箱は彼の腕から零れ落ちていただろう。
目の前の結界が破ることが出来ず、仲間は恐怖で動くことが出来ない。ウラシマはその状況を簡潔にまとめて、金太郎に言い放った。
「結局さ、僕らには何もできないんだよ」
「―――――馬鹿野郎が!」
金太郎は誰に向けたのか分からず、叫ぶ。その声も鬼丸には届かなかった。