桃章:邪しき神の直系
鬼が行きかう塔から延びる中央道、この日は市場もあることで鬼が賑わっていた。
その乱雑に行きかう鬼の間を縫って、高速で駆け抜ける影があった。
幽鬼童子、普段ならば子供じみて、幼稚で純粋な彼女の顔は、今日は違っていた。
彼女を支配しているのは“破壊”。とある人間の純粋な破壊を望んでいる彼女は、むしろ本来な姿なのかもしれない。
彼女の破壊を止める鬼などいない。彼女の抑止力となっていた妖鬼は倒れ、栄鬼はこの島にはいない。誰も動き出した彼女を止めることなどできない。それが“爆ぜる鬼”の所以なのだから―――――。
そんな彼女についてくる影があった。影がついてくることは別段不思議なことではない。ただその影が異常なだけであった。
「……何のつもりだ、お前?」
今まで彼女を象っていた影が止まる。幽鬼の言葉とともに影は蠢めきだし、その姿を変えると影の中から一人の鬼が現れた。
こんなことが出来る鬼は一人しか知らない。鬼ヶ島の六長の一人で、いつも人の影に潜んで覗きを試みる愚か者だ。
「よう、奇遇だな、幽鬼」
「……暗鬼、質問に答えろ。お前は何のためにその術を使ってまで私のことを追っていたんだ?」
――――鬼闘術・影撃。
今ではこの男、暗鬼しか扱えない術である。その能力は文字通り、敵の影に潜むという物。これを使って自分の影に潜んでいたことを幽鬼は最初から知っていたが、いい加減飽き飽きして呼び出したのだ。
暗鬼は白々しく答える。
「いやあ、偶には幽鬼と散歩してみるのもいいかなって思ってさ。ほら、俺ってさ、結構ロリもいけると思うだよね。だから今日は俺とデートしようぜ、幽鬼」
「断る。他を当たれ。私にはやることがあるんだ」
「……お前、その眼は何だ?」
ちゃらちゃらしていた暗鬼の言葉が鋭いものに変わった。表情も真剣で、それだけで気の弱い人なら殺せそうだった。
しかし幽鬼にしてみれば、まるでお遊戯のような恐怖だった。
「その眼だけは許さねえぞ。お前はあの時栄鬼と約束したじゃねえか。お前はまたケダモノに戻る気か、幽鬼!?」
「煩い! 私は確かに約束したさ。でもな、それは栄鬼がいるときだけだ。目の前に仇敵がいるというのに何故見逃せる? 憎き者がいるのに何故復讐しない? お前だってあれを許すことは出来まい!」
「……確かにそうだ。あの人を殺されたことは確かに悲しかった。怒った。憎いと思った。でもな、そんなことのために人生左右されてどうする? 俺たちはもう過去に囚われてちゃいけないんだ!」
暗鬼の言葉は幽鬼には届かない。幽鬼の悲しみは誰もが分かっているから、彼女の気持ちというのは痛いほどわかる。
――――だが、それでも彼女を止めなくていいという理由にはならない。
「……幽鬼、お前は俺が止める」
「ほう、お前に私を止められるというのか? お前は、一度たりとも私の攻撃を見切ったことがないじゃないか」
「それでもやらなくちゃいけない。栄鬼がいない今、俺たちがお前を止める」
なるほど、と幽鬼は納得する。
目の前のこの男は軟派なくせに変な所で律儀な奴だと知っている。思ったより頑固で、そこが皆に買われていた。
――――しかしそれがどうした? 自分の復讐の邪魔となるものは全て壊す。
幽鬼が左手を差し出し、手のひらを向ける。塔の壁を破壊した時と同じように、空間を圧迫しようとした彼女の手が――――何かに貫かれた。
「鬼闘術・一糾」
「……!?」
見えない何かが自分の手を撃ちぬいた。しかしその何かというのを彼女は理解していた。
声だ。圧縮された声は、鬼の皮膚をも貫く。しかし驚くべきところはそこではない。
そういう術があるのも知っているし、何より身近にそれの達人がいるからだ。
そんなことより、何故その達人が自分に向かって放ったのか、それが幽鬼の驚きであった。
叫び声の達人は、岩の上に立って自分のことを見下ろしていた。
「僕だって長なんだ。どんなに怖くても、やらなくちゃいけないことがある。それが今だろう、ユウちゃん、暗鬼」
「一鬼!」
あんなに泣き虫で、あんなに頼りない一鬼が自分の目の前に立ちはだかっている。
予想外の敵に、幽鬼は少々顔を曇らせた。
「……お前まで私を止めるのか、一鬼」
「当たり前だよ。僕たちは仲間なんだから」
仲間?
仲間なら何故自分の邪魔をするんだ? 何故仇敵を討とうとしないのか?
幽鬼には分からない。こいつらが何故こんなことをするのか、何故、わざわざ殺されに来るのか。
―――――どちらにせよ、邪魔なことに違いない。
自分の復讐は止まらない。幽鬼は目の前の二つを障壁と捉えた。
「さあ、行くぜ、一鬼!」
「うん、暗鬼!」
「……いいだろう。だったら二人まとめて相手してやる。栄鬼の力がないから、不完全なものだがお前らを倒すということなら問題はない」
暗鬼は影に潜み、一鬼は息を大きく吸い込んだ。
この二人のコンビネーションは強力ということを幽鬼は知っていた。影に潜めば全てを破壊する叫び声から逃れることが出来るし、破壊しそこなった細部を暗鬼が補う。何よりこの二人の息のあった攻撃が、その強さに拍車を掛けていた。
影が襲い掛かり、叫び声が放たれる。
――――しかし、それでも本気を出した爆ぜる鬼には遥かに届かないのだ。
「―――――鬼闘術・凶鬼!」
▽ ▽ ▽
衝撃音が鬼ヶ島を襲った。
まるで地震のようなその震えは塔の最上階にいる長老にも届き、その震えで落ちた湯呑を見て長老は再びため息をついた。
「アホ共が……」
幽鬼が塔の壁を破壊したのはほんの少し前。
いくら幽鬼が速かろうと桃太郎のもとにつくまでには早すぎる。となれば、幽鬼の進行を邪魔したものがいてそれと戦闘を開始したということだ。
長老の呟きは決して幽鬼に向けられたものではない。愚かにも、童子名を持つ鬼に挑んだ二人の長に向けられたものだった。
≪長老……よろしいでしょうか……?≫
「ああ、なんじゃ? 怪鬼」
長老の頭の中に言葉が響く。
断っておくと、これは長老がぼけたわけではなく幻聴でもない。
鬼闘術・幻戯。対象者の脳内に直接言葉を訴えかけ幻聴による混乱や、最悪の場合には精神を崩壊させるという術である。
しかし六長の一人、怪鬼はこれを見事に調整し、離れたところでも会話できる、まるで携帯電話のように使うことが可能にしていた。
……まあ、この術のせいで余計気味悪がられているのだが、本人はまるで気にしていなかった。
≪一鬼、暗鬼、この両名が幽鬼と戦闘を開始しました……どうしましょうか……?≫
「知っとる。そんなものここまで届いたわ。それにどうもせんでいいわ。幽鬼を止められる奴が今はいないんじゃから」
自分では明らかに力不足である。歳のせいで体は上手く動かないので、幽鬼の目の前に立った瞬間殺されることは日の目を見るより明らかであった。
幽鬼を止められる力を持っているのは実の息子、栄鬼のみ。今あいつがいないことをここまで恨んだことはないだろう。
≪……では他の鬼はどうしましょうか……?≫
「ああ、そうじゃな。他の民を塔の南方に避難させよ。なるべく幽鬼たちと離れた方がいい。お主も安全なところへ避難せよ」
≪……分かりました≫
そこで交信が切れた。
長老は再び淹れなおしたお茶に一口つけると、ホッと一息ついた。お茶というのは人を和ませるが、残念ながら今回ばかりはその効果も期待できそうになかった。
「全く、童子名を持つ鬼と戦おうとするとは……愚か者め」
長老は忌々しげに呟いた。
何故ここまで彼が悩んでいるのか、少しここで説明しよう。
童子、という名前は寺院にいる雑事をする少年を表すが、聖人や賢者に与えられる高位を示す名前でもある。
では何故諸悪の根源と言われる鬼にその名前が与えられたのか? それは他ならない、童子名を持つ鬼は鬼の中でも高位な存在だからである。
この国には八百万と言われるほど神様がいる。水や火を司る神様や、太陽や月のような偉大な神様もいる。しかしそれらが全て善神と言われれば、決してそうではない。死の国に行った神様もいるし、疫病神のような神様さえもいる。
その中で邪しき神、すなわち得体の知れない何か。それでいて人々から畏敬を集める神がいた。人々は目に見えないその恐怖の象徴を“鬼”と呼んだ。
童子名を持つ鬼は全て、この神の血筋を受け継いでいるというのだ。すなわち邪しき神の直系、人を喰らうだけに留まらず、恐怖で人間を縛る鬼の原型とも言える存在。
それが童子名を持つ鬼である。
……近年童子名を与えられた鬼は三人。
――――知恵の鬼、鬼珠童子
――――力の鬼、茨木童子
――――そして鬼の原型、酒呑童子
今ではこのうち二人は失われたが、その血は確かに続いている。神の血を引いている鬼はまだ存在するのだ。
だから――――童子名を持つ幽鬼に勝てるわけがないのだ。
「……」
とにかく幽鬼を止めないにしても、あの二人は救わねばならない。こんな馬鹿なことで、優秀な長二人を失うのは痛すぎる。
長老がその重い腰を上げ、窓を覗き込んだとき信じられないものが目に入った。
「おいおい……嘘だろ?」
あまりの驚愕に脳細胞が活性化でもしたのか、柄にも似合わず若者の言葉が口から洩れた。それほど驚きには違いなかった。
――――桃太郎と、幽鬼童子が対峙していたのであった。
▽ ▽ ▽
「――――アァ?」
「どうかなさいましたか、キョウ様?」
アタシこと桃原キョウ、別名桃太郎は連れの犬とともに本土に帰る準備をしていた。流石のアタシでも何の準備もなしにここを渡るのはきつい。どうやって帰るかだって? そりゃ泳ぐに決まってんだろ。
ところがその準備の最中、妙な感覚がアタシを襲った。悪寒のようなこの感覚は、アタシを不愉快にさせるには十分であった。犬は敏感にそのアタシの変化に気付いたようだ。
「いや、なんか嫌な匂いが漂ってきてな……なんか血の匂いっぽくて鬱陶しい」
「先ほどの爆発に然り、何やら変ですね、ここは」
確かにここは変だが、それとは何かが違う。何か、こう……災害が起こる前兆というか、嵐の前の静けさのような感じだ……。
「……行ってみるか」
「えっ、行くのですか? ……私が見に行きましょうか?」
「いや、いい。アタシも気になるから。……急ぐぞ、犬」
アタシは踵を返して、元の道を戻った。次第に元の道に近づいていくと、嫌な感覚が強くなっていく。こんな感覚は、初めてだった。
「……なんだ、こりゃ……?」
アタシの口からそう漏れたのも仕方がない。犬に至ってはその細い目を大きく見開き、大いに驚いていたから、反応できたアタシはまだ冷静だということか。
中央塔に続くこの道、先ほどまでは多くの鬼で賑わっていたはずのここが今では完全に異世界と化していた。まるでペンキのようにべったりと辺り一面に塗りつけられている赤、地に伏してもはや虫の息となっている二人の鬼、そしてその中央に佇む小さな鬼……。
どこかで見た風景と酷似していたので、アタシは息を呑んだ。確かこの光景は、鬼ヶ島侵略の時の―――――。
アタシたちがその異界を目の当たりにしていると中央の鬼が振り返った。この異界で地で汚れていないものはないというのに、彼女の顔だけは純粋であった。
「ああ、お前から来てくれたのか、桃太郎。悪いね、妙な邪魔が入って遅れてしまって」
「お、お前……何をやっ――――」
「鬼闘術・白」
小さな鬼がその左手で空を握る。その瞬間、アタシの体が圧縮された
「―――――ぐぼっ!」
アタシの体は何が起きているか分からないまま、その機能の何割かを失った。口からは血が漏れ、おそらくアバラ骨の何本かは折れているだろう。酷く痛むその体は、動かすだけでもさらに痛みを主張しだした。何とか体を起き上がらすと、その小さな鬼を見た。
久しぶりに味わった、壊れた実感だった。
「キョウ様!」
「来るな、犬! ……お前、自分の名を名乗らずに攻撃してくるとはどういう了見だ? 鬼とはいえどそれぐらい知っているだろう」
小さな鬼は表情なくアタシを睨んでいた。そして、その口を開いた。
「……お前はどうだったというのだ?」
「アァ?」
「お前は自分の名前を名乗ってから、この鬼ヶ島を侵略したというのか、桃太郎?」
小さな鬼が歩き出す。一歩一歩、アタシのもとへ。近づいてくる彼女を見てようやく分かったことがある。
彼女は純粋ではない。歪な狂気を孕んでいるということを。
「どうなんだ、桃太郎? お前は自分の名前を名乗ったのか? お前は尊厳をかけて戦ったのか? お前は―――――鬼を壊したんじゃないのか?」
「……テメエ、何もんだ?」
ザン、という土が掠れる足音とともに彼女はアタシの前に止まる。幼い顔立ちながら、かわいいというより美しいという言葉が似合う彼女は重々しく自分の名前を語った。
「――――私の名前は幽鬼童子。鬼闘術の開祖にして、桃太郎の鬼ヶ島侵略の際、たった一人犠牲になった童子名を持つ鬼、茨木童子の娘だ」
―――――茨木童子。
忘れるはずもないその名前。自分が桃太郎だったとき、鬼ヶ島を侵略した時、たった一人犠牲になった鬼。そして桃太郎の業―――――。
「は! そういうことかよ。それで、アタシをどうするつもりだ?」
「……無論、壊しつくす。お前が我が父にしたように、私がお前を壊す。尊厳も建前もなくただお前を殺戮してやる。それが私の復讐だ!」
小さな鬼はそう宣言した。
この鬼はその小さな体でどれほどの悲しみを背負っているというのか、アタシには見当もつかない。しかし、一つだけ分かることがある。
桃太郎はこいつの大切なものを壊したということを。
「……いいぜ、やろう。犬、絶対に手を出すなよ」
「……承知つかまりました」
「幽鬼童子、と言ったな。お前の復讐を受入れるぜ。これが桃太郎としてのケジメの一環だ」
これはアタシの業だ。アタシが償うべき、狂ったことへの代償行為なんだ。本当はもっといい方法があるかも知れない。しかし、アタシはこれ以外の方法は知らないんだ。罪を償うというのなら、全力でこの鬼を相手する。
――――桃花を取り出し、構える。鬼もそれに呼応するように手を空に差し出した。
壊しあうアタシたちにもはや言葉は必要ない。壊しあうのに合図なんていらない。互いが破壊し始めたとき、それが合図なんだから。
「―――――鬼闘術・白」
「―――――は! ぶっ壊れろ!」
童子の説明は作者が勝手に考えた妄想です。いつもこんなことばっかり考えているから授業に身が入らないんだよな……といつも反省しております。
ここまで読んでくださってありがとうございました。