第四章・第十一話:こっちだって我慢の限界なんだ
自分に衝撃が走って、初めてそれが殴られたと分かった。
軽々しく吹っ飛んでいく自分の体、それをまるで他人事のように、“ああ、よく飛んだな”と思っている自分、そして先程まで自分のいた場所に佇む金太郎―――――。
「――――――Accel」
ギュン、と言う加速音と共に自分の視界から金太郎の姿が消えた。
分かっている。金太郎が何をやったのかということも、あれがどんな術なのかと言うことも。そう、単に金太郎は走っているだけ。“Second Drive”とはただの身体強化の術にすぎないということも。
退魔師は闘う時、常に身体強化の術を自分にかけている。退魔師の魔力とはほとんどがそれに費やされる。というのも、それがないと魔に文字通り瞬殺されてしまうからだ。もちろん金太郎も身体強化を常にしているのだろう。それを考慮したうえで、楓は金太郎より強かった。今までは。
“Second Drive”はそれを越える身体強化というものらしい。一時的な強化、それによって金太郎の速度は自分を越えているらしかった。だが、問題はその次だ。
もし、“Second”が“First”に続くものだとしたら? “First”は雷の結界、あらゆる攻撃をはじき返すような強力なものである。それがもし、自分に壁となって襲いかかってきたらどうなるだろうか。それは――――――脅威を超えて、凶悪だ。
金色の光に包まれている金太郎が再び動き出す。
「―――――ウラアァァァァ!」
「―――――!」
衝撃が背中を襲う。声にならない叫び声と共に口の中に血の味がする。痛みは治まることを知らない。
立場は完全に逆転した。今まで捕食者の立場にいた自分が今度は被捕食者の立場にいる。人間がケモノに襲われるように、ケモノは化け物に襲われていた。あの金色の、冷徹なまでにこちらを見つめている修羅に――――。
「諦めろ、魔。お前じゃ、今の俺には勝てない」
「く……バカが……。私は生き続けるんだよ。そのためならプライドだって、捨てる」
魔は立ち上がり、一目散に後退する。幸いここは森、隠れる場所ならいくらでもあるし、もし闘うことになっても地形的にこちらの方が有利。すぐに森の闇へ隠れることができた。
……しかし、と楓は思う。先程見た金太郎の恐怖は異常だった、と。もはや魔になり果てた今では感じることが出来なかったその感情、楓の記憶を覗いてみても思い出せないそれは、今でも自分の中に残滓を残している。楓の息は上がる一方だった。
「遅い」
「―――――!」
いつの間に、という言葉は楓の口から発せられなかった。その前に金太郎の拳が腹部に直撃し、再び元のあの場所に引き戻された。
……ああ、そうか。ここは遊び場なのだ。楓と金太郎の遊び場。何年にもわたって二人で遊んだこの場所は彼らにとってもホームステージ。そこが森であろうと、傾斜であろうと関係ない。アウェイなのはこちらだ。逃げ切ることなど不可能。
「ぐほっ……あ、ああ……」
口の中は血の味しかしない。動く気力など全部削がれてしまった。それでもまだ楓は動き続けようとした。あの修羅から逃げるために。
紫電を携え、ゆっくりと金色の退魔師がこちらに歩いてくる。そこから感じられるのは殺気が半分、もう半分は分からなかった。
「トドメだ。魔」
「バカ野郎が……まだ私は生きるって言ってんだろうが!」
金太郎が紫電を振り抜くと、楓は後ろにあった木で防ぐ。
……いけない。これは楓だ。間違うことなくここで自分を待ってくれていた楓だ。金太郎の攻撃はギリギリで停止した。
その様子を見て、口を歪ませる楓。その一瞬の隙に後ろの崖から飛び下りた。
目算で数十メートルはある。魔である彼女なら無事だろうが、自分はまだ人間。地面の¥に叩きつけられる衝撃で十中八九死ぬことになるだろう。
金太郎は迷うことがなかった。
「―――――絶対に、逃がしはしない!」
金太郎は数十メートルはあろう崖をためらうことなく飛び下りた。
▽ ▽ ▽
魔は少し安心していた。というのも、金太郎はここから飛び下りることはないと確信していたからだ。
高さは数十メートル、さらにここがホームである彼にとってはこの崖が如何ほど危険なのか分かっているはずだからだ。慣れというのはメリットになることもあるし、デメリットになることもある。飛び下りてまで自分を追いかけることは、まずない。
しかし時として、感情は慣れと言うのを超えることを魔はこの時知らなかった。
「おら、待てや! 魔!」
信じられなかった。金太郎は自分を追ってきているのだ。しかも垂直にある崖を走りながら。こいつには重力と言う概念がないのか……?
その余りの非常識さに目が飛び出るかと思うほど驚いた。
「テメエはバカか! ここ何メートルあると思ってんだ!? 落ちたらアンタは死ぬんだぞ!」
「だったらその前にお前を殺す―――――Second Drive……All Out!」
紫電が光り輝く。いつもより、いや、今までのどの魔力より強い力を持ったそれはまさに金太郎の全力だった。
崖を蹴り、飛び上がる金太郎。自分の真上に来た金太郎をスローモーションのように楓は見ていた。
「俺はお前を許しはしない。楓の笑顔を犯したお前を絶対に! さあ、覚悟しろよ、魔! 楓は返してもらうぞ」
魔はその時初めて分かった。こいつの全ては殺意だけではないということを。こいつはただ、取り返したかっただけなんだ……。
「―――――雷鳴、激動!」
その一撃を受け入れた魔は金太郎と共に回転しながら落ちていく。それでも金太郎は攻撃をやめようとはしない。顔を歪ませ魔力が枯渇しているにも関わらず、さらに力を込めた。
雷の如くに落ちていく二人は遂に地面に衝突した。すでに紫電が体を貫通している魔は地面にそのまま叩きつけられた。もはや虫の息、助かる見込みがないことは自分自身で分かっていた。
金太郎はというと落下の衝撃で投げ出され、高く放り出される。まるでボールのようにバウンドしようやく止まった。“Second”の影響だろうか、体が全く動かなかった。
「相変わらず無茶をする、アンタは……。もっと自分の体を大切にしないと、皆を助けるなんて言っていられないぞ……」
「え……」
思いもよらない言葉に金太郎は耳を疑った。こいつがまさか自分を心配する様なことを言うはずもないと思っていたからだ。
「言ったろ、私と楓は繋がっていたって。楓が好きな奴は私も好きなんだ。でも私には壊す感情しかないからさ、こんな結果になっちまったってわけ。分かる、キンタ?」
人を小馬鹿にするような目でこちらを見る。その姿を見て金太郎はハッとなった。まるで、楓と同じだった。
楓は手を投げ出し、体を伸ばした。
「あ~あ……。負けたよ。結局楓はお前より弱かったってわけか。残念だね……。なあ、キンタ、アンタは楓の罪を背負えるかい?」
「――――ああ、もちろん」
「じゃあ、アンタに託すよ、楓の夢を。誰も泣く必要がないくらい強くなるって夢。託せる?」
「――――当たり前だ」
金太郎は力強く頷くと、楓はそれを鼻で笑う。少し、満足げに見えた。
「お前はきっと強くなるよ。お前が楓のことを忘れないで、でも自分の道を突き進めばきっと……アンタにはそのための仲間もいるから。その様子を楓はきっと上で見てるさ。……ああ、そうそう。そういえば私一つだけ嘘をついていたんだ。楓の最後の言葉は“殺した”なんて物騒な言葉じゃない。“キンタ、アンタは私を救ってくれた”だって。……嘘ついて、悪かったな」
「楓……」
「じゃあな、キンタ。縁があれば、またな……」
楓は白い煙となって消えていく。そこにあるのは憎しみや恨みでもなくただの笑顔。金太郎が一番見たかった顔だった。
楓が完全に消える頃には金太郎の体も自由が利くようになっていた。金太郎はゆっくりと立ち上がる。
「……さあ、帰るか」
もう遊びは終わった。遊びが終わったならば自分の家に帰らなくてはいけない。
その時金太郎の頭に最初に思いついた家は、鬼丸たちがいる鬼ヶ島。そうして金太郎は帰路につくことにした。
またいつか、ここに来ると誓って。
……全てが終わった。
ウラシマとかぐやは金剛を見事に退け、無事に逃走中。
金太郎は過去とけじめをつけ、ようやく自分のもとへ帰ってくる。
全てが終わった。だから彼は動き出す。帰ってくる皆を迎えるために、自分の日常を奪おうとした愚か者を排除するために。
▽ ▽ ▽
鬼丸は誰もいない不自然に長い廊下を歩いていく。まるで人の気配が感じられないそこは、さながら廃墟のようだった。
しかしそれも当然と言えば当然だった。家と言うのは人が住んで初めて成り立つ。魔が人間に代わって住んでいるそれはもはや家とは言えず、ただの巣。ここはもはや人間の常識が通用するところではなかった。
鬼丸はここに魔が人間の代わりに住んでいることを知っていた。この事件が始まる前から。人間の言葉に“類は友を呼ぶ”という言葉があるが、同じ魔同士不穏な空気を感じ取っていた。故に魔が発生したことは視野に入れてなかった。
……一番心配なのは、今まさにその魔に追われているであろうかぐやの身であった。ぎゃー、とかうわーん、とか叫びながら逃げていることを思うと何だかとっても申し訳ない気分になるのは何故だろうか。
ウラシマが何とかしてくれるだろう、と少し期待しながらまだその廊下を歩いて行くと、視界の端に黒い影が入った。獣のようなそれらは、もちろん魔だった。
「ぐるるる……」
「……」
影は二つ、共に元は人間だったと考えづらい唸り声を上げながらこちらにジリジリと詰め寄ってきた。なまじ人間だったせいか、こいつらは襲っていい相手と悪い相手が分かっていない。いくら自分たちが強くても、私の前では捕食される側だというのに……。
鬼丸が無言で立ち尽くしているとそれを隙と受け取ったのか、一匹の魔が声を張り上げ襲いかかる。
――――その瞬間、それは肉片へと変わった。鬼丸はそれを冷たく見降ろしていた。
「邪魔。取り敢えず死んどいてください」
鬼丸は腕を軽く振るっただけだ。それだけでこれは何のためらいもなく死んだ。力の差は歴然、いや、むしろ比べることすら無駄かもしれない。
もう一匹はそれを見て分かった。これはやばい、と。一匹は脱兎の如く逃げようとした。
が、それよりも鬼丸の銃弾がその胸を穿つ方が早い。
「お、鬼丸さん……い、今のは一体……?」
力なく倒れていくそれを見届けていると、後ろから声がした。
坂田蓮華はどうやらその部屋に隠れていたらしかった。恐怖におびえる彼女を安心させるためにも、努めて冷静に言った。
「蓮華さん。貴方は今からここを出て、里に向かってください。そして魔が出た、と村人に伝えたらそこで保護してもらってください。坂田家は名家、そこで魔が出たと聞けば、近隣の退魔師がすぐに駆けつけるでしょう」
「で、でも……他のみんなは……」
「いいから早く行ってください」
思ったより強い口調の言葉は、彼女をおびえさせるのに十分だった。どうやら自分は自分で気づかないほどイライラしているらしかった。
彼女が出ていくのを見届け、再び鬼丸は歩き出す。目指すは最奥。長い廊下の先にある闇を越え、ようやくそこにたどりついた。
鬼丸がその部屋の扉を開けると、そこは闇だった。黒ではなく、闇。光すら届かないそこに、奴は確かにそこにいた。
「やはり君か。君なら必ずここに来ると思ったよ、鬼丸童子」
「―――――坂田、公時」
まるで鬼丸が来ることが分かるような口ぶり、暗闇の中でも分かるほど鋭い眼光。現坂田家当主、坂田金剛はその暗闇の中で、確かに存在していた。
……努めて。冷静にその闇に問うた。
「坂田当主の貴方が何故こんな場所で閉じこもっているのですか? 外は魔で溢れかえり、それを排除する人間も少ない。当主と言う立場にいる貴方は真っ先に動くべきではないのですか?」
「ああ、それか……。もう、そんなことどうでもいいんだよ。それよりも聞かせてくれよ。お前が何故ここに来たのか、どうこの事件を見ているのかを」
親しい友人と話すような口調で鬼丸に問う。
その口調に不快を感じながらも、鬼丸は懐から紙の束を取りだした。何かのレポート用紙のようなもので、公時はそれを見た瞬間流石に驚きを隠せなかったようだった。
「これは貴方が書いた魔の考察です。拝見しましたが、その出来は素晴らしいの一言。これを世に出せば、魔と言う物の見方が変わるほどに。しかし疑問があった。それは人間では知り得ないようなことも書かれていたからです。そこから私の疑問は始まりました」
「ふむ……まさかこれを読んでいるとは……蓮華が渡したのかな?」
公時は顔に手を当てる。まるで困っているような素振りだが、実は違う。
退魔師は確かに嗤っていた。
「そしてこの本。この本は普通に読めば、単なる兵法書です。しかし、ある特別な見方をすればこの本の内容は一転する」
「その内容とは?」
「……人間を魔に変える魔術」
その言葉を聞いた瞬間、ソレの口は大きく歪んだ。
「貴方なのでしょう。数年前楓という女性を魔に変え、現在になって蘇らせた。そして無関係の退魔師をも魔に変えた犯人は。坂田公時、貴方がこの事件の黒幕ですね」
パチパチと、乾いた拍手が鳴った。あまりに予想外で、一瞬何が起こったか分からなかった。
……いや、実は今も分かっていない。自分が追い込まれたというのに、依然として笑みを浮かべさらには高笑いまでしている奴の心境など、分かりたくもない。
「素晴らしい。君なら分かると思っていたがまさかここまでとは……。もう一度、鬼と言う魔について考察を改めなければな」
「何故こんなことをしたのですか? 人間は人間として死に、魔は魔として死ぬ。それは我々に共通に与えられた一つの権利。それなのに貴方が魔に変えた者たちは、中途半端に成り下がり、人として存分の死が与えられないでいる。貴方は多くのその権利を奪って、何を為そうとしていたのですか?」
「……全てを救うためだ」
どこかで聞いたことがあるその科白に、鬼丸は眉を顰める他なかった。
「私と金太郎は似ていてね、いや、金太郎が私を見て育ったというか。とにかく私と彼の求める場所は一緒なのだよ。――――全てを救いたい、という漠然として崇高な望み。其れが私の求めるものだった。
金太郎はまだまだ未熟だ。それを為すために何をすべきか分かっていない。まあ、直に知ることになるだろう」
「息子の大切な人を奪ってまで、叶える価値のあるものなのですか、それは?」
「―――――ああ、もちろん」
ソレは嗤って当然のように答えた。しかしその嗤いも一瞬の物、彼の表情は無に転じ、重々しく話し始めた。
「……私は救いたかったのだ。人間を救うならば、それを脅かす魔を倒せばいい。しかし、倒された魔はどこに行くのだ? 行くあてもなく、ただ彷徨うだけ……。私は、そんな魔も救いたかったのだ。
あの時、私は救えなかった……。まだ幼い命だったというのに……あの鬼の子供には何も罪はなかった。ただ純粋に、生きていただけなのに……」
―――――その時、鬼丸の時間が止まった。
「命を奪う権利など誰にもない。それを知りながら、私は彼を救えなかった。私は、力不足だった」
「――――めろ……」
「親は確かに悪名高かった。しかし彼も、私たちとの平和を望んでいただけだった。それなのに、あの頼光はそれを切り捨て、あまつさえその子供にも……。ああ、その時から始まったんだ、私は……ただ私は、あの鬼を救いたかった――――」
「―――――だまれ!」
まるでこの場を一瞬で崩壊させそうな、悲痛な声が辺りに響いた。鬼丸は肩で息をしており、公時はそれをジッと見つめている。
彼は何にも気づいていないようだった。
「……魔を研究したのも、そのためだ。救うにはまず知らなければならん。そのために最も魔に近いと思われた楓の体を魔に変えた。実験は成功、それから部屋に引きこもり、ずっとその研究ばかりしていた。魔を救うためには自分も魔にならなくては。――――そうしてようやく、その魔術が完成した」
「……貴方は、悪魔だ」
「悪魔にでもならなければ、全てを救うことなど出来ないんだよ。もしくは神になるほか方法はない」
公時が立ち上がる。どうやら計画の邪魔な異分子は排除する気でいるらしい。それで良かった。いい加減このままコレと話していたら気が狂いそうになるほど、不快に思っていたところだ。
―――――ああ、こっちだって我慢の限界なんだ。
「私は、貴方を殺す。坂田公時」
「……いいだろう。全てを救うという偉大なる目的のために犠牲は付き物だ。―――――見せてあげよう、私の夢を」
その時ボコボコと、公時の体の内側から何かが沸騰しているかのように蠢き始める。まるで公時の体を喰い破ろうとしているそれを、鬼丸は不快になりながらただ見ていた。
そして次の瞬間には公時の体は人間ではなくなっていた。
……確かに、自分は知っている。この化け物の名前を。頭は猿、胴は狸、尾は蛇で手足は虎というこの偉大なる化け物を自分は知っている。
鬼丸は憎しみを込めながらその名を口にした。
「―――――鵺」
正体不明が咆える。その瞬間、鬼は目の前のそれを排除するために走り出した。