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閑話休題:我が名は犬である、名などもうない~前編~

「おや、キョウ様。どこか出かけられるのですか?」


我の名前は犬。桃原キョウ様に仕える忠実なしもべにして、甘味処“桃の木”のウェイターである。

わたしが声をかけると、前方にいる女性がこちらに振り向いた。


「ああ、ちょっと買い物に、な」


この方こそ我が主、桃原キョウ様、またの名を桃太郎。肩口で切り揃えた黒い髪、刃物のように鋭い黒い両眼、白を基調とした着物、そして腰にある黒い日本刀が特徴のお人である。

――――今日もなお、お美しい……。


「犬、どうした?」

「い、いえ! ……何も買い物ぐらい我に言ってくれればよろしいのに。わざわざキョウ様が出向く必要はありません。そのために我がいるのですから」

「ふむ……それもそうか。じゃあちょっと手伝ってくれ。少し今回は量が多いんだ」

「喜んで」


我もキョウ様の後に小走りでついていった。愛用の二本の刀を持って。


       ▽       ▽      ▽


「あの……キョウ様。本当に最初は一人で行こうとしていたのですか?」

「ああ、そうだ」


キョウ様はこちらを振り向き、頷く。しかし我はその表情は見ることはかなわず、俯いたまま声を絞りだした。


「この量は流石に一人では無理かと……」

「ああん? だらしがねえな」


キョウ様が呆れた目でこちらを見ている、のだろう……。

我が必死に両手と背中を使って支えている膨大な荷物。それだけでも驚きの量なのだが、キョウ様はその3倍はあろう量の荷物を片手で支えている。

もはやここまで来ると曲芸師のレベルである。道行く人々は一様にこちらをギョッとして見ている、だろう。

キョウ様はそんな視線は気にもかけず、ずんずんと町を歩いていった。


「キョウ様……こんなに菓子の材料を買ってどうするつもりですか? また新作ケーキでも作るのですか?」


甘味処“桃の木”の菓子作り、主に洋菓子の担当はキョウ様である。というのもお爺さんもお婆さんのどちらも洋菓子作りというのが苦手だからである。

今では店の洋菓子のほとんどはキョウ様が作っているのだ。もちろん味は最上さいじょうである。


「ああ、まあな……」

「?」


キョウ様が珍しく歯切れ悪く答える。桃太郎であるときも、桃原キョウでも見たことない姿であった。

さて、桃原キョウ様には二つの人格が備わっている。破壊と強さを求める“桃太郎”としての人格と、記憶喪失により生まれた創造と和を求める“桃原キョウ”としての人格。この二つが交じり合い、今の桃原キョウとしての人格を形成している。

普段は桃原キョウの力が強く、桃太郎の力はあまり出てこないが確かにキョウ様の中には桃太郎が眠っている。

あの破壊と殺戮を繰り返す破壊欲求者にして、“最狂”。桃太郎としての人格が―――――


「――――む?」


何やら裏の路地が騒がしい……。キョウ様も気づいたようで眉を顰めてこちらを見た。


「行くぞ、犬」

「えっ……何故ですか?」


他人を助ける道理などない。それが危険そうなものなら尚更である。今、路地裏で行われているのはまさにそれで、誰もが関わろうとしないだろう。一般的にはそういうものだ。

……まあ、一人だけ喜んで助けに行く金髪を知っているが。

キョウ様も当然無視して行くと思っていたので、呆気をとられてしまった。我が呆然としているとキョウ様は当然のように答えた。


「何故って……戦えるかもしれねえだろ?」


その瞬間、キョウ様の表情は桃太郎様としてのものに変わっていた。


        ▽        ▽        ▽


狭い狭い路地裏……。近年急速に発展したここ、長関には人目につかない路地裏などが迷路のように入り組んでおり、深い闇となって近づこうとするものを拒む。壁などないはずなのに表とはまるで隔離されているそこは裏の者にとっては絶好の場所であり、誘拐や強姦などが横行していると聞くが……。


「やだ! 誰か助けて!」

「コラ、オメエ! 騒ぐんじゃねえ!」

「クソ! 威勢のいいガキだぜ!」


そこには三人。一人は10歳ほどの団子頭の少女。あと二人は帽子で隠れて分からないがおそらくは男だろう。その二人が一人の少女相手にたかっていた。


「誘拐、か?」


強姦だったらこいつらの趣味を疑うぞ……。


「ああ!? 何だ、テメエら?」

「おい、そこどけよ!」


おっと、気づかれてしまった。まあ、気づかれること前提でここに立っていたのだが、こいつらは少し反応が遅いな。

キョウ様は未だに動かない。その代わり肩を震わせている。普通の女性なら恐怖で震えていると思われるだろうが、残念ながらここにいる女性は普通ではない。キョウ様は今――――


「―――――クッハッハッハッハッハ!!」

『!?』


――――笑っているのだ。三人は皆一様に動きを止め、その異様さに驚いていた。


「なあ、犬。犯罪者っていうのはどうすんだっけ!?」

「はい。犯罪者はその罪に合った裁きを受けることになっています」

「だよな。だったら……この社会のゴミ共を殺してやらんといかんな!」


桃太郎様が駆け出す。

突然の敵の登場に驚くが、すぐに構えようとするがもう遅い。反応するならば桃太郎様と出会うことを予期していないと間に合わないんだから。


「潰れろ、オラアアアアア!」

「―――――!!」


声も出す間もなく一人が壁にめり込む。

もう一人はやっと反応したのか、自分の手元にいるはずの女子を盾にとった。


「お、おい! このガキがどうなってもいい――――」

「―――――そのガキとはどのガキだ?」

「なっ!?」


まあ、残念ながらその子供は我の手元にすでにいるのだが。


「い、いつの間に?」

「ククク……」


我はキョウ様の忠実な手駒。キョウ様の覇道に落ちている小石すら払う番犬。キョウ様が壊すことを望むならば、壊すのに邪魔になるものは全て排除する。


「あ、やめて……」

「―――――壊れちまえ」


男の断末魔が辺りに響く。が、当然だが助けに来るような人間は誰もいないのだ。


       ▽      ▽       ▽


「……つまらん。帰るぞ、犬」

「はい、キョウ様」


キョウ様は本当につまらなさそうに、先ほどとはうって変わってこの場を立ち去ろうとする。余程つまらない闘いだったのか、そのイライラを道にある全てのものにぶつけながら歩いていった。

そして我はキョウ様についていくのみ、その壊れたものを出来るだけ道の隅に避けながらついていった。


「あ、あのちょっと!」


おっと、しまった……。少女の存在をすっかり忘れていた。キョウ様も今やっと思い出したようにこちらを振り返った。


「ああ……大丈夫だったか?」

「は、はい……」

「もう変な奴らに絡まれんなよ。……ってそれは無理か。絡んでくるのは向こうだもんなふむ……」


キョウ様は顎に手を当て考える。

そして名案が思いついたように手を叩き、そしてこちらを見た。あっ、嫌な予感……。


「おい、犬。この子を家まで連れてってやれ」

『えっ!?』

「あたしゃ先に帰るからその子を無事に家まで送るんだぞ。じゃあな」

「ちょっ……キョウ様!」


……我の制止も聞かずにキョウ様はこの場を立ち去っていった。桃太郎だったときと相も変わらず、自分本位なところは変わらないな……。


「……ああ、行ってしまわれた」

「……」


少女と我は思わず顔を見合わせる。少女の顔は今にも泣き出しそうで、不安に満ちていて、崩れそうであった。こういう顔は苦手だ。


「ふむ……キョウ様に言われてしまっては仕方ない。行くぞ、女子」

「……」

「そういえば名前も聞いていなかったな。名をなんと言う?」


我が名を尋ねると、その少女はおずおずと小さく呟くように自分の名を答えた。


「……音子ねこ

「……なるほど、その姿にぴったりだな」

「?」

「いや、何でもない。……我が名は犬だ。犬と呼べ」


犬、と聞いて少女は小首をかしげる。確かに犬と聞いて人の名と思うような人間はいないだろうな。

しかし我が名は犬である。本当の名前などとうに捨てたのだ。


        ▽        ▽        ▽


さて、突然だが我は喋る、ということが本当に苦手である。必要最小限のことしか喋らないし、何より無言であるほうが多い。未だに“桃の木”の主人とはうまくコミュニケーションはとれず、家で喋るのはキョウ様のみ。数ヶ月同じ屋根の下で暮らしている者でさえコレなのだ。

であるからして……


「……」

「……」


こんな無言の状況も当然といえば当然なのだ。

しかしこのままではいけない。年長者として少女を安心させないといけないのだ。我は勇気を振り絞って声をかけた。


「おい、音子。お前の家とやらはどこなのだ? このままどこに行くか分からないまま歩いていても無駄だぞ」


……帰ってくるのは無言のみ。そんなに怖いか、我のことが。


「―――――む?」


ここで我はようやく気がついた。誰かにつけられていることに。

まさか音子のことに気を取られ、ここまで距離を許すとは情けない。キョウ様がいたら殴られてしまうな。


「……音子。次の道を右に曲がったら全力で走れ」

「えっ?」

「いいから走れ。いいな」


音子は未だに何のことか分からず、ただ呆然としている。我は仕方なく音子を引っ張り、全力でその場を走り去る。路地裏に身を潜めたところで、後方では男達の騒ぎ声が聞こえる。やはりと思い、我はふうっと、溜息をついた。


「……あの人達、一体誰なの?」

「それはお前が一番知っていることではないのか? 音子、お前は一体何者なのだ?」


音子はやはり黙っている。


「まあ……答えたくなければいい。人には言いたくないこともあるだろうからな」

「……い、犬さんにもあるんですか? 言いたくないこと」

「ある。しかしそれも今では笑い話に出来るぐらいだがな」


突然喋りだした音子に少し驚くが、それ以上に自分の答えに驚いていた。そして我の口からは自然に、喋るのが苦手な人間とは思えないほど流暢に言葉が発せられていた。


「我は家から勘当されているのだ」

「えっ? ……」

「我の家は少し名の通った退魔師の家柄でな。それなりに力を持っている。だから我という弱く、小さな存在が赦せなかったのだろう。元の姓はもちろん、与えられた名まで取り上げられ持たされたのは路銀のみ。後は一人で生きていくしかなかったのだ」


ここで初めて音子は自分から口を開いた。


「……お、怒ったりしなかったのですか?」

「もちろん、怒った。家を恨んだ。家族を憎んだ。いつか復讐してやると誓い、どんな手を使っても生き抜いてやろうと思った。幸いにも、農村にたどり着き日雇いで何とか食をつないでいった」


音子は黙って聞いている。そのほうが有り難かった。


「しかしどうだろう。日々一生懸命に生きていると、だんだんとそれが楽しくなっていった。憎しみも次第に薄れていった。ご老体しかその村にいなかったせいか、我はとても頼られ可愛がられた。そして我が十三になった頃、キョウ様に出会い……ああ、さっきの女性な。彼女に拾われて、我は今まで生きてきたのだ」


今でも鮮明に思い出されるその光景。あのときはあまりに衝撃的で、ただただ呆然とするばかりであった。

……と昔を思い出すといつも動きが止まってしまう。これでは昔と変わらないではないか。


「おっと、すまない。つい長話をしてしまったな。つまらん話をしてすまなかった」

「……ううん、全然平気だよ」

「そうか。それは良かった。ではそろそろ出るとするか。ここにいると息が詰まる」


こんな閉鎖的な狭い路地裏、衛生的のも精神的にもよくない。今にも押し潰されそうなその空気から逃れるためにここから出ようとすると、音子が唐突にその口を開いた。


「あのね、犬さん……。わたし、家出してきたの」

「……ほう。何故?」

「家族が嫌になったから」


今度は我が黙る番であった。


「お父さんは約束をしてもいつまでたっても遊んでくれないし、お母さんも毎晩どこかに遊びに行っちゃうし……誰もわたしを見てくれなかった。こんなところにいたくなかったから、家を飛び出してきちゃったの。そしたら変な人に襲われて、犬さんたちに助けてもらったの」


なるほど、あの時はそういう状況だったのか。

しかし……一人で歩いているだけで誘拐されそうになるとは、世の中が余程恐ろしくなったのか、それとも音子が恐ろしいのかこれでは分からんな。


「わたし今まで一番家族に恵まれてないと思ってた。一番不幸な子と思ってた。でも犬さんの話を聞いて、わたしなんかまだ恵まれたと分かって……。勘当ってもう家族と会えないってことでしょ。そんなのわたしには耐えられないもの」

「……ではこれからどうする、音子? 帰るのか?」

「――――ごめんなさい。まだ家には帰りたくないの。まだ家族に会える余裕はないから」


音子は再び俯く。我は再度溜息をついた。どうして皆、物事を難しく考えるのか。もっと考えればいいのに。答えなど、すぐ目の前にある。


「ではそう言えば良かったのに。早く言えばこんなところにたむろする必要などなかったのだぞ。とりあえず我の家に行こう。キョウ様も許してくださるだろうし、お前が落ち着いたら出て行けば良い」

「い、いいの? そんなこと」

「当然だ。キョウ様にも“無事に家まで届けろ”と言われたからな。心が病んでいたら約束は果たせないからな」


我は音子に手を差し出す。


「帰ろうか、音子―――――」

「―――――我に宿りしは風、その力は全てを薙ぎ倒す」


その瞬間、背後に強烈な風が舞い上がった。気づいたときにはもう遅く、成す術などない。我は風に押し倒された。


「い、犬さん!」

「……魔術師か。本当に音子、お前は何者なのだ? 魔術師にも狙われるとは、やはりただものではないな……」

「犬さん! 犬さん! 大丈夫、しっかりし―――――」


音子の声だけが我の頭の中に響き渡り、だんだんとそれが小さくなってゆく。

……すみません。キョウ様。我は、約束を破りました。




本当は一話で終わらす予定が二話になるなんて……。犬は予想以上の敵でした。ああ、恐ろしい……。

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