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黎明記  作者: 春咲 司


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35 奏楊の皇太子

 サァーッという雨音が心地よく響く正午。晄黎は絶え間なく落ちる雨粒を窓越しに眺めていた。

 昨日もその前の日も雨だった。空を覆う灰色の雲は居座ったまま、どこかへ去る気配もない。

 明日も、その次の日もおそらく雨なのだろう。


 雨は嫌いではないが気温が下がると、塞がったはずの傷痕がジクジクと痛むのが不快だ。


 駿栄との戦いで負った傷は一週間で完全に塞がり、今では自由に歩き回れるようにまで回復した。気付けば霖雨の季節である。

 伯濯の見立てでは晄黎が負った怪我は一週間で塞がるようなものではなかったらしく、「太子の回復速度には目を見張るものがあります」と舌を巻いていた。


 たしかに自分は怪我の治りが速いのだろう。

 牀榻の中でぐったりと横たわる梗玥を見ていると、そう思えてくる。


 呼吸は浅く、血の気を失った顔は蒼白い。

 僅かに上下する胸の動きがなければ、死人と勘違いしてしまいそうである。


 そんなことを思いながら晄黎が寝顔を眺めていると、梗月のまつ毛が震えた。

 晄黎はそれに気がつくと顔を覗き込んだ。


「梗玥王子!」


 慌てて名を呼ぶと、緩慢な動きで両の(まなこ)が薄く開かれる。

 何度も瞬きを繰り返すと、宙を彷徨った視線がようやく晄黎を捉えた。


「……晄黎、王子…………?」


「よかった……!」


 晄黎が安堵の声を上げると、梗月は戸惑いの表情を浮かべた。


「……よかった? 何故? 私は、貴方や貴方の臣下を危険な目に合わせたというのに……」


「それはそうかもしれませんが、あなた方を城内に招き入れる判断をしたのは私ですから」


 そもそも梗玥が刺された時点で、梗玥と櫂琰国が手を結んでいるとは考えづらかったし、駿栄がいればいくらでも麓槙の王宮内に潜入することは可能だったのだ。

 今回の一件は梗玥ばかりに責任があるとは言い切れない。


「それに一番重症なのは貴方ですよ」


 晄黎が苦笑して伝えると、梗玥はぼんやりとした様子で「そうか……」と独り言のように呟いた。


「何故まだ生きているんだろうな……。あの日、死ぬ筈だったのに……」


 そう語る梗玥からは精気を感じられない。


「非常に危険な状態ではありましたが、麓槙には優れた医官がおりますから」


「……そうか。礼を言わなければならないな。いや、それよりも」


 梗玥は言葉を切ると起き上がろうと身じろいだ。

 晄黎の制止も聞かず、歯を食いしばりながら上体を起こした梗玥は深々と頭を下げた。


「すまなかった。厚顔無恥な態度をとった私に晄黎王子は手を差し伸べてくれたというのに、あなたの恩情を無碍にしてしまった」


 悲痛な梗玥の声音に晄黎は胸が締め付けられるような思いがした。

 臣下には敵か味方かもはっきりとしない相手に同情するなんて、と嗜められるかもしれない。駿栄に煮え湯を飲まされたばかりなので、安易に他人を信用しすぎるべきではないことも重々承知している。

 だがそれでも晄黎は梗玥王子を疑いたくなかった。


 あの会談の席で彼が発した言葉には、相手を騙してやろうとか陥れてやろうというものはなく、自国の民を救いたいという切実な想いが込められている気がしたからだ。


「梗玥王子。私が貴方の元を訪れたのは、糾弾する為でも、尋問する為でもありません。志を共にする友人の見舞いに来たのです」


 梗玥は顔を上げると信じられないものを見るような目で晄黎を見つめた。


「あんなことがあったというのに、貴方は私のことを友と呼んでくれるのか」


「梗玥王子はあの日、もっと早くに出会いたかったと言ってくれましたよね。遅すぎることなどありません。共に戦いましょう、明るい未来の為に」


 晄黎は会談の時と同じように、梗玥に向けて手を差し出した。

 梗玥は涙を堪えるように口を引き結ぶと、晄黎の手を掴んだ。


「……っ、感謝する、晄黎王子」


 自分と梗玥の関係は、将来の二国間の関係に大きく影響するだろう。

 麓槙の民は景南を快く思っていないし、景南もまた麓槙をよく思ってはいないだろう。だが、ここで互いに歩み寄らなければ両国の溝は修復不可能なものとして後の世に受け継がれていくかもしれない。

 それは晄黎が思い描くのとは、かけ離れた未来だ。


 だが形式上は友好国になったからといって、両国のわだかまりがすぐに消えるわけでもないだろう。

 大切な人を失った者もいる。家を失った者もいる。職を失った者もいる。


 恨みや憎しみは何も生み出さない。生産性のない悲しい感情だ。だが人である以上その感情を無視することはできないし、人を憎んではならないと他人が安易に口を挟むべきではないだろう。

 負の感情が悪い結果しか生まないことなど、言われるまでもなく彼らはわかっているのだ。

 正論は時に人を傷付ける。

 過去をなかったことにはできない。きっとすぐには関係は改善されないだろう。


 難しい問題だが、目を背ける訳にはいかない。

 両国の民が共に笑い合えるような未来を実現する為に、晄黎は負の感情の出口を探し、民を導く努力をしなければならないのだ。


「梗玥王子。これから協力関係を築いていく上で話しておかねばならぬことがあります」


 晄黎は居住まいを正すと梗玥を見据えた。


「私の母は唯一生き残った奏楊の皇女で、私にも奏楊の皇族の血が流れています。私はこのことを諸外国に公表し、櫂琰国を打倒する為に兵を挙げるつもりです」


 晄黎の告白に梗玥は目を見張ると、何かに気が付いた様子で「なるほど、通りで……」と小さく呟いた。


「なぜ櫂琰国が小細工を弄してまで麓槙に潜入しようと躍起になっていたのか、やっとわかった」


「躍起になっていた?」


 晄黎が怪訝な顔をして聞き返すと、梗玥は険しい表情で頷いた。


「櫂琰の手の者に捕えられた後、私はすぐに殺される筈だったんだ。だが奴らはその予定を変更して私を榻鷣へ連れて行き、麓槙側に救出されるように仕向けた」


「この昂耀城に入り込む為に?」


「ああ。わざわざ私を使ったのは、確実に城の内部へと潜入する為だったのだろう。だがその為には私は麓槙にとっての()()()()()()()()であってはならない。私は奴らに言われた通り、麓槙の面々に櫂琰国の存在をちらつかせて、景南国の立ち位置を複雑化させた」


 櫂琰国の存在を知らなければ、梗玥王子に対する扱いは全く変わっていただろう。

 下手をすれば会談の場ではなく、刑場に引っ立てられていたかもしれない。


「櫂琰国の者が側にいながら我々に情報を流すことができたのは、あえてそうなるように仕組まれていたからだったのですね」


「その通りだ。そういえば私を刺した無精髭の男、あいつはどうなった?」


「自害しました。捕縛できればよかったのですが」


 豪傑と名高い劉藍ですら苦戦を強いられ、ようやく追い詰めた相手だ。情報を得られなかったのは痛いが、生け捕りにするのは難しかっただろう。


「あれほどの手練れを自害に追い込むとは……」


 梗玥は瞠目すると「あの男には臣下を何人も殺された」と苦々しい顔をした。


「梗玥王子は会談の場であの男に自分が刺されるとわかっていたのですよね?」


「奴の役割は私の監視と始末だったからな」


 やはりそうか、と晄黎は表情を硬くした。


「殺されるとわかっていながら櫂琰に協力したのは何故です? 監視役が常に張り付いていたとはいえ、榻鷣で孫允将軍や稜雲将軍に助けを求めることはできた筈です」


 決して責めているわけではない。これは晄黎の純粋な疑問だった。

 もし晄黎が梗玥の立場なら、櫂琰の企みを洗いざらい話して麓槙を仲間に引き入れたいと考えただろう。


 いや、梗玥もその点に関しては同じ考えの筈だ。

 彼は会談の席で対櫂琰に対する協力関係を願い出ていたのだから。


 梗玥は思い詰めたような表情で押し黙っていたが、やがて観念したように天を仰いだ。


「……妹を人質に取られている。従わなければ妹の命はないと、そう脅迫された」


 妹。その一言で梗玥の不可解な行動全てが腑に落ちた。

 晄黎にも自分を犠牲にしてでも守りたいと思うものがある。自己犠牲に舵を切った梗玥の胸の内が、晄黎には痛いほど理解できた。


「だから抵抗することなく自らの死を受け入れたのですね」


「もちろん奴らに従ったからといって、私の死後妹の安全が確実に保証されるとは限らない。だが、抵抗すれば生存の僅かな可能性すらなかっただろう。いや、もしかしたら、もう既に……」


 梗玥は手で顔を覆うと、弱々しい声で吐露した。

 晄黎は絶望に打ちひしがれる梗玥の肩を掴んだ。


「最悪の事態かどうかは、まだ分かりませんよ。今は妹君が無事であることを信じて、体を治すことを第一に考えて下さい」


「っ、あぁ、そうだな。すまない、見苦しいところを見せた」


 梗玥は自らの態度を恥じるように目を伏せると、溜め息を吐いた。

 取り乱してしまうほど妹のことを大事に思っているのだろう。梗玥の新たな一面を知ることができて、晄黎は親近感が湧いた。


「私にも妹がいるので梗玥王子の気持ちは分かります」


 香珠の存在を知ったのはつい最近のことだし、血の繋がりもない。

 だがそんなことは関係ない。兄妹として過ごした時間が短かく、血の繋がりはなくても、晄黎にとって香珠は守るべき大切な妹だ。

 梗玥が妹に向ける思いもきっと同じだろう。


「必ず迎えに行きましょう」


「あぁ」


 晄黎の言葉に、梗玥は初めて頬を緩めた。


「晄黎王子。私からも話しておかなければならないことがある。景南国中枢に入り込んだ櫂琰国の者達について」


 梗玥は表情を引き締めると、そう切り出した。



 ******


「へっくし!!」


 景南国王城の一室にくしゃみの音が響き渡る。

 二回、三回と続いたそれは、最終的に「ぶえぇっっくしっ!」という音を伴って周囲に鼻水を撒き散らした。


 櫂琰国東部方面軍の将硃萪(シュカ)は、苦々しい顔で同僚である駿栄を見た。


 薬物によって心身を病み、もはや為政者としての役割を果たせなくなった董照王から権力を掠め取ることに成功し、硃萪は有頂天だった。

 だがそんな気分も、六年振りに再会した同僚によってコロコロと頂上から転がり落とされている真っ最中である。

 この部屋だって、自分好みに調度品や家具を揃えたというのに最悪だ。


「あー、誰か噂してんね、これ」


「ちょおっとぉ! 手で押さえるくらいしなさいよ、汚ったないわねー」


 ──まったく、人の気も知らないで!


 ズズっと鼻を啜りながら呑気に呟く駿栄に、硃萪は文句を言わずにはいられなかった。


「ごめんって、姐さん」


 へへっと笑って口だけの謝罪をする駿栄は、潜入調査以前と変わらぬふざけた性格をしている。

 最後に会ったのは硃萪が十八歳、駿栄が十三歳の時だ。六年経って少しは年相応に大人びたかと思えばこれである。


「あーもう! ちょっと誰でもいいから、そこ! 綺麗に拭いといてちょうだい!!」


 硃萪は自らの部下に投げやりに指示を出すと、再び書類へと目を落とした。


「まったく。あんたってちっとも成長がないのね、駿栄。デカくなったのは図体だけじゃない」


「そういう姐さんは美しさに磨きがかかったよね。そこいらの女より姐さんのが百倍美人。右目の泣き黒子がもぉ本当にセクシー!」


 そう言って揉み手をする駿栄を横目に、硃萪はツンと顎を上げた。


 (シルク)のように滑らかな濡羽色の髪。長い下まつ毛と切れ長の瞳。

 美しい縦爪には最近お気に入りの蘇芳の爪化粧を施してある。


「当然でしょ」と冷ややかにあしらうと男性特有の大きな喉仏が上下に動いた。

 女性のような振る舞い、女性のような言葉遣いをしているが生物学上は男である。


「ていうか、褒めて誤魔化そうったってそうはいかないわよ」


 硃萪は書類の束を文机に叩きつけると、駿栄を眼光鋭く睨みつけた。


「久し振りに連絡寄越したと思ったら、部下を何人か貸してくれ〜とか、天原草譲ってくれ〜とかあれこれ要求ばっかりしてきて!」


「いや〜、ありがと姐さん! 超助かった」


「助かったじゃないわよ! あんだけ手ェ貸してやったのに失敗したなんて! あんたのせいでこっちの計画も狂っちゃったじゃないの」


 大陸東部は長年、戦とは無縁の生活を送ってきた平和ボケ国家の集まりだ。東部方面軍の責任者に任命された時は少々物足りなさを感じながらも、楽な仕事だと軽く見ていた。


 実際に硃萪は軍を使うことなく言葉巧みに董照王に取り入り、薬物を用いて簡単に東部地域の要衝である景南国を手中に収めた。

 後は本国から景南へと徐々に軍を集結させて数で近隣諸国を制圧していく筈だった。


 だというのに、麓槙などという取るに足らない小国に奏楊の遺児がいたなんて!


 奏楊の皇族は皇帝である嶺兼を始め傍系まで全員首を刎ねられたが、一人だけ遺体の損傷が激しく顔の判別がつかない者がいた。

 そう、蓬凛皇女だ。

 確か背格好と身につけていた衣類や装飾品から遺体が皇女と判断されたそうだが……。


「あーもう、誰よ! 十八年前、遺体を皇女と間違えたやつ!」


 駿栄が奴らを消すことができていれば、東部地域は楽に手に入ったというのに、まさか失敗するとは。

 面倒なことになったものである。


「遺体を皇女と判断したのは陛下だよ、姐さん」


 敬愛する主が話題に上がって硃萪は目を点にした。


「は?」


「いや、だから陛下が」


「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛!!」


 硃萪はわざとらしく喉を鳴らすと駿栄の言葉を遮った。


「ていうか駿栄、あんた雅峰(ガホウ)はどうしたのよ?」


 硃萪は駿栄に貸した部下の中でも飛び抜けて優秀だった男の名を口にした。


「え、誰だっけ?」


「梗玥王子の見張り兼始末役として貸したでしょ! ほら、無精髭の!」


 駿栄は一瞬キョトンとした後、あ、やべ、という顔をして後ろ頭を掻いた。


「ごめーん、置いて来ちゃった。たぶん死んでるわ」


「はあぁぁ!?」


 硃萪は勢いよく文机を叩くと勢いそのまま立ち上がった。拍子に机上の書類が宙を舞う。紙吹雪のようにばら撒かれた書類を必死に広い集める部下を尻目に、硃萪はガシガシと乱暴に頭を掻いた。


「あーもう、さいっあく! あんたの任務が陛下直々のものでなかったら絶対貸さなかったのに!!」


「あー、ごめん。もしかして恋人だった?」


 駿栄は一応悪いとは思っているのか、両手を合わせると申し訳なさそうに上目遣いで見てきた。


「ちっがうわよ! 味見前だっての! ていうかそうじゃなくて、単純に仕事のできるやつだったのよ」


「え〜? 仕事できるやつは簡単に死なないでしょ〜」


 反省してると思ったが、そうではなかったらしい。

 ケラケラと笑う駿栄目掛けて硃萪は手元の文鎮を投げつけた。駿栄が首を傾げて躱すと文鎮は背後の壁に深く突き刺さる。

 これにはさすがの駿栄もヒッと引き攣った声が漏れた。


「わ、やっば、あっぶなぁ〜……」


「あんた、しばかれたいの? 大体そういうあんたはどうなのよ、その傷」


 硃萪は壁際に駿栄を追いやると、包帯の巻かれた腹をトンッと指で突いた。


「ちょちょちょ、姐さん、俺に興味が?」


「は? あんたなんて趣味じゃないわよ、真面目に聞いてんの。珍しいんじゃない? こんな大怪我するなんて。強かったの?」


 駿栄は頬を搔くとうーんと唸った。


「そうだね。まぁでも、一番は油断かな」


「油断、ねぇ?」


 どうにも気になる歯切れの悪さである。


「ねぇ、例の奏楊の皇子ってどんな感じなの?」


「どんなって、うーん。真面目で、お人好しで、生き急いでる感じ?」


「要するに甘ちゃんってことね」


「あ、あと顔面が良い」


 取ってつけたような追加情報に硃萪は深い溜め息を吐いた。


「はぁ〜、なぁんで王族ってどいつもこいつも綺麗な顔してるのかしら。ムカつく」


「やっぱり綺麗な人を娶るから生まれてくる子も相対的に顔が良いんじゃない? 梗玥王子も美形だったしね」


「あ、そういえば梗玥王子。彼どうなった? ちゃんと始末できたわけ?」


「うん! たぶん」


 元気の良い返事の後に、間髪を容れずにたぶんがくっついた。

 ほんっとうに適当が度を越している。時々本気でコイツは適当という言葉が擬人化された存在なんじゃないかと思う。


「てかさ、姐さんって梗玥王子みたいな品のある男が大好物じゃなかった? 懐柔せずに殺すなんて珍しいこともあるもんだね」


「そうね、顔は好きよ。あと気位が高そうなのも良いわよね」


 正直好みのど真ん中ではあるし、懐柔できるならやっている。


「でもああいう男は簡単に靡かないのよ。それに城内で自由にしておくのは危険だったし」


 董照王を無力化した後すぐに城内を掌握し、早めの段階で梗玥を捕えられていなければ面倒なことになっていただろう。


「まぁでもそれだけじゃなくて、どんなに良い男だろうと私にとって一番大事なのは陛下。それ以外は二の次よ」


 とはいえ景南国の乗っ取りに成功した今、梗玥が生きていたところで大局に影響はない。始末できていればそれに越したことはないが。


「そうそう。作戦失敗の言い訳、ちゃんと考えときなさいよ。いくら陛下のお気に入りだからって、流石に今回のはやばいんじゃない?」


「あー、やっぱりやばいかな?」


 聞き返す駿栄には危機感というものが全く感じられない。


「やばいに決まってんでしょ! 陛下直々の任を失敗しただけじゃなくて、奏楊の血族も殺し損ねるなんて大失態、なんで大丈夫だと思えんのよ」


 硃萪は思い切り駿栄の腹を叩いた。


「痛っ! 姐さん、ちょ、本当に、傷が開いちゃうから!」


「あら、ごめんなさい。つい力入っちゃったわ」


 思いのほか強く叩いてしまい、駿栄は腹を押さえて蹲ってしまった。


「この感じ、なぁんか誰かさんを思い出すんだよなぁ」


 足下で駿栄が呟く。しみじみとした物言いに、硃萪は片眉を上げた。


「誰かさんって誰よ」


「元相棒」


 駿栄は素っ気なく言い放った。


「そういえば、姐さんはこれからどうすんの?」


「どうって?」


「やー、ほら。計画狂っちゃったって言ってたから。結構ヤバめなのかなぁって」


「ああ、まぁそうね。麓槙を中心に反櫂琰の構図が広まっちゃったら、孤立している東部方面軍の私達は四面楚歌だからね」


 面倒なことこの上ないが、陛下に任された以上は東部を手中に収める為にやれることをやるしかない。


 硃萪は鏡台の前に座ると肩口まで伸びた自慢の髪を梳った。ついでに軽く衣服の皺を叩いて整えると、鏡に向かって愛想の良い笑みを浮かべて見せた。


 我ながらイケてるわ、と心の中で自画自賛すると硃萪は椅子から立ち上がった。


「じゃあね、駿栄。陛下に叩き斬られないことを祈ってるわ」


「あれ? 姐さんどっか行くの?」


「ええ。逢い引きにね」


 何故自分が東部方面軍の将を任されたのか、硃萪は弦燐が自分に何を期待しているのかを正しく理解していた。


「人の懐に潜り込むのが上手いのはあんたばっかりじゃないのよ、駿栄」


 そう言って硃萪は妖艶な笑みを浮かべた。

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