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黎明記  作者: 春咲 司


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34 母への想い

 母が歩んできた壮絶な過去に晄黎は言葉を失った。

 思い出すのも憚られるような辛い過去があることなど、母はこれまで全く感じさせなかった。

 あるとすれば父のことを尋ねたあの一度きりだ。


 話し終えた母の顔には、恐怖も悲しみも怒りもない。いつも通りの彫刻のような美しい容貌が、なんの感情も映さずそこにあるだけだ。


 それまで知ることのなかった母の身の上を知った今、どんな言葉を掛けるのが正解なのだろう。

 労い? 共感? 同情? どれも違う気がする。

 こんな時、口下手な自分が嫌になる。晄黎はもどかしくて掛布を握り締めた。


「結局そなたは櫂琰国と戦うことを選び、陛下の思い通りに事が進みましたね」


「えっ、あぁ、そうですね」


 急に話しかけられて晄黎はとってつけたような返事をした。


「一つ勘違いしないでほしいのだけれど、結果的に陛下の望んだ未来になったとはいえ、陛下がそなたを想う心に嘘や偽りはないのですよ」


 晄黎の脳裏に父と過ごした日々が思い出される。優しく、時に厳しく、血の繋がりがないとわかった後でさえ、実の子と同じように接してくれた陛下。


「もちろんです。父上の気持ちを疑ったことなどありません」


 晄黎の言葉に蓬凛はどこかホッとしたように微笑んだ。


「話を戻すけれど、今回城内を騒がせた一件、原因は私にあったのです」


「母上に?」


 蓬凛は頷き目を伏せた。


「騒動の実行犯となった笙窈は、私が皇女であることを知っていたそうです」


「ですが母上は幼い頃から体が弱く、人前に姿を現すことはなかったのですよね?」


 何故麓槙の下級貴族が母の素性を知っていたのだろう。


「笙窈の生まれが商家であることは知っておるな?」


「ええ、それなりの財を成した裕福な家庭だとか」


「笙窈は役人になる前は、実家の手伝いで各地を転々としていて、一度奏楊の王宮にも招かれたことがあるそうだ。その時に私の顔を見たのだという」


 蓬凛は忌々しげに溜め息を吐くと、手元の扇子を打ち鳴らした。


「笙窈は元々地方管理職だったが、三年前に中央に呼ばれて冬官の次官になり、私の正体に気が付いたそうだ」


「あの、ふと気になったのですが、母上の素性を知っている者はこの城内に何人いるのですか?」


「陛下と伯濯、香珠。太宰の慧梏、それから冬官の長である燿蟬の五人だ」


「慧梏はまぁ分かりますが、燿蟬殿もですか!?」


 思わず大きな声を出してしまい、ズキリと腹の傷が痛む。

 痛みを逃すのに息を吐いていると、蓬凛は呆れたような目を向けた。


「そういえばそなた、あの御仁とは犬猿の仲であったな」


「ええ。でもこれで燿樿殿が私を目の敵にする理由がわかりました。奏楊の血統である私がいることで、麓槙に火種が持ち込まれることを危惧していたのですね」


「どうだかのう。馬に乗って剣ばかり振り回しておるそなたに愛想を尽かしたのではないか?」


 母の言いつけを守らず戦場に飛び出す晄黎への当て付けだろうか。それにしては容赦のない物言いである。


「母上! 流石の私も傷付きますよ」


 恨めしげな顔を向けると、蓬凛は愉快げに笑った。

 ひとしきり笑って気が晴れたのか、蓬凛は「話を戻すぞ?」と言って真剣な表情をした。


「私の正体に気付いた笙窈はこのことを親しい友人に話したそうだ。だがその友人はそれからすぐに殺され、笙窈の元に脅迫文が届いたという」


 ──お前は知ってはいけないことを知った。殺されたくなければ指示に従え。


「実際に友人を亡くした笙窈への効果は絶大で、身の危険を感じた笙窈は時折届く文に従い、砂漠蝶を用いて陛下や私に害をなした」


 晄黎は以前笙窈が語った「脅されただけ」という言葉を思い出した。そういえば周囲の人間が次々と亡くなったという話もしていた筈だ。


「もしやその亡くなった友人というのは、榻鷣の地下通路を管理していた者ではありませんか?」


「そのようです。ただ亡くなった五人の中で実際に笙窈と面識があったのは最初の一人だけだったそうだが」


「死への恐怖を植え付けられた笙窈は逆らうことができずに、顔も知らない相手からの要求に答え続けたという訳ですか」


「一つ評価できる点があるとすれば、笙窈は送りつけられた脅迫文を処分せず部屋に隠していたことだな」


「文が見つかったのですか?」


「ええ。小心者ゆえ、万が一にも悪事がバレた際には、自分は脅されていただけという証拠を残しておきたかったのだろうな」


 蓬凛は吐き捨てるように言った。


「ちなみに筆跡を鑑定した結果、駿栄のものと一致したぞ」


「……そうですか」


 恐らくは白凰を探す為に城内に潜り込んでいた駿栄に、笙窈は会話を聞かれてしまったのだろう。

 そうして櫂琰国の間者である駿栄に利用された。


 ──太子!


 そう言って楽しそうに笑う駿栄の顔が脳裏に蘇る。

 あんなことがあったというのに、思い出すのが楽しかった頃の記憶なのだから心というのは厄介だ。


「戦えますか、かつての臣下と」


 蓬凛の言葉に晄黎は頷いた。


「駿栄が敵である以上、戦いは避けられませんから」


「そう」


 蓬凛は短い言葉を返すと、ゆっくりと立ち上がった。


「どちらへ?」


「話したいことは全て伝えられたのでお暇します。それに、休める時に休んで早く身体を治してほしいもの」


 たしかにこれから先はきっと今以上に忙しくなる。櫂琰国だっていつ攻めてくるかもわからないのだ。いつまでも床に伏しているわけにはいかない。

 晄黎は一寝入りしようと目を閉じて、しかしすぐに目を開けた。

 それから戸口に立つ母を慌てて呼び止める。


「母上!」


 まだ、母に伝えられていないことがある。

 蓬凛は扉に手をかけたままゆっくりと振り返った。


「ありがとうございます」


「え?」


 晄黎の感謝に蓬凛は目を瞬かせた。


「母上は私に選択肢を与えてくれた。生き方を選ばせてくれた。そして、ずっと私を守ってくれた。母上が自分自身をどのように評価しているかは分かりませんが、私は貴女の息子で良かったと心から思っています」


 母の壮絶な過去を知って、掛ける言葉が見つからなかった。今でもそうだ。正解なんてものはわからない。

 だが自分の中にあるこの気持ちだけは、きちんと言葉にして伝えなければならないと、晄黎は思った。


 蓬凛は泣き笑いを浮かべると、吐息だけで呟いた。


「そう」


 短いけれど様々な感情がこもったひと言。

 自分の気持ちはきちんと母に伝わっている。安堵とともに睡魔が押し寄せて晄黎は再び瞼を閉じた。

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