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黎明記  作者: 春咲 司


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33 提案

「美味しいお茶をありがとう」


 感謝の言葉を口にして、蓂抄は扉に手を掛けた。

 退室しようと扉を押すと、ゴンッと鈍い音を立てて何かにぶつかる。

 不思議に思って目を瞬かせているうちに扉が大きく開け放たれ、長身の男が現れた。歳は三十過ぎだろうか。使用人にしては身綺麗な格好をした男が気まずそうな様子で額をさすっている。

 どうやらこの男に扉をぶつけてしまったようだ。


 いつもならすぐ謝罪している状況だが、今の蓂抄にそんな心の余裕はなかった。


「いつからそこに?」


 射抜かんばかりの鋭い眼光で蓂抄は目の前の男に尋ねた。

 もしも伯濯との会話を聞かれていたら、素性がばれてしまっていたら。考えただけで心臓が嫌な風に脈を打つ。

 張り詰めた空気が漂う中、男がなにか答えるよりも早く伯濯が口を開いた。


「陛下!! 何故こちらに」


 伯濯の驚愕の叫びに、蓂抄は自分の耳を疑った。

 何故一国の主がこんなところに?

 警戒心を露わに蓂抄が身構えていると、男はバツが悪そうな顔をした。


「街の視察を終えて城に帰るところだったのだが、手土産に鰻を貰ってな。伯濯にどうかと思って立ち寄ったのだ。その、盗み聞きをするつもりはなかったのだが……すまない」


 男は素直に頭を下げると、蓂抄に視線を移した。


「麓槙国国王、浩佑と申します。予期せぬ出会いではありますが、これも何かの縁。どうか少しだけお時間をいただけないでしょうか、皇女殿下」


 そう言って穏やかに微笑む浩佑は蓂抄が知る王族の姿とは良い意味でかけ離れていた。

 蓂抄は逡巡した後、結局は頷いた。

 関わるべきではない。すぐにでも荷物をまとめてこの国を出るべきだ。そう主張する心の声を押し留めて要求に応じたのは、浩佑という人間に興味が湧いたからに他ならない。

 蓂抄は服の裾を引いて片膝をつくと、片手を胸の前に添えて頭を下げる。かつて宮中で習った通りの完璧な所作が蓂抄に今できる精一杯の誠意だ。


「ご挨拶が遅れ失礼致しました。奏楊国第一皇女、()()申します。お会いできて光栄です、浩佑陛下」


 重苦しい空気から解放されると、事の成り行きを見守っていた伯濯は、ホッと胸を撫で下ろした。


「蓬凛殿、私としてはあなたがた親子を城で匿うという伯濯の提案に異論はありませんが、どうでしょうか?」


 浩佑は椅子に腰掛けるとさっそく提案を口にした。


「ありがたい申し出ではありますが、お断りさせていただきます。理由は先ほど伯濯に申し上げた通りです」


「我が国に迷惑はかけられない、ですか?」


「はい」


 蓂抄が即答すると、端に座っていた伯濯は悄然と項垂れた。伯濯には悪いが蓂抄の気持ちが変わることはなかった。


「なるほど。あなたはとても聡明で、心優しい人物のようだ」


 浩佑はそう評すると、卓の前で手を組んだ。


「蓬凛殿。いや、今は蓂抄殿でしたね。私の妃となっていただけませんか?」


 妃? 聞き間違いだろうか。蓂抄はポカンと口を開けると、目の前に座る浩佑を見た。


「……は?」


「な、なな、何を申されるのですか! 陛下!!」


 突拍子もない浩佑の発言に蓂抄のみならず伯濯もまた声を張り上げた。どうやら蓂抄の聞き間違いではなかったようだ。

 勢い余って立ち上がった伯濯を浩佑はまぁまぁと言って宥めた。


「陛下、寿命が縮みますゆえ順を追って説明して下さいませ……」


「そうだな、すまない。気が急いてしまった。蓂抄殿、私と取り引きをしませんか?」


「取り引き?」


 蓂抄は怪訝な顔で浩佑の言葉を繰り返した。


「ええ。故あって私は妻を娶るつもりはありません。しかし一国の王である以上、いつまでも我儘を言って臣下を困らせる訳にもいかない」


「そこで私に妃になれと?」


 蓂抄の言葉を浩佑は微笑み肯定した。


「私は私の都合であなたを利用する。ならばあなたも自らの安全の為に私を利用すればいい。そうすれば少しはこの国に対する負い目もなくなりませんか?」


「なくなるだなんて、そんな……!」


 浩佑の提案に蓂抄は困惑を隠しきれなかった。

 いくら取り引きと言葉を変えたところで、蓂抄が得る利益と浩佑が支払う対価は到底見合わない。


「本気で仰っているのですか? もし私達のことが櫂琰国に知れたら、この国は本当に終わりますよ?」


「承知の上です」


 困惑する蓂抄とは対照的に当事者である筈の浩佑は冷静そのものであった。

 その態度が余計に蓂抄を苛立たせた。


「浩佑殿、あなたは一体なにを考えていらっしゃるのですか?」


 君主なら自国のことを一番に考えるべきだ。だというのに彼は今、国家を危険に晒すかもしれない爆弾を抱え込もうとしているのだ。

 蓂抄には到底理解できる考えではなかった。


「もちろん危険を伴う行為であることは承知しています」


「それなら……!」


「理由はいくつかあります」


 蓂抄の言葉を遮って浩佑は指を三本立てて見せた。


「一つは櫂琰国の脅威が我が国にとっても決して他人事ではないからです。櫂琰国が徐々に領土を拡大していることはご存知ですか?」


「……えぇ、また一つ国を落としたと聞きました」


 おかげで勤め先は大打撃を受けて、女将さんは店の今後に頭を悩ませている。


「では、奪った土地を櫂琰国がどのように統治しているかも?」


「おおよそ、伝え聞く程度には」


 蓂抄は目を伏せた。

 国民の奴隷化、抵抗する者は即斬首、拡大する貧富の差。まるで地獄だ。


「櫂琰国は大陸の全てを飲み込み、やがて一国支配の時代が訪れる。蓂抄殿は黙ってそれを受け入れるおつもりですか?」


「浩佑殿が私に何を期待しているのかはわかっています」


 恐らく伯濯はなんの打算もなく、ただかつて仕えた皇女とその息子の身を案じている。だが浩佑は違う。


「櫂琰国も弦燐も死ぬほど憎い。けれど復讐する気はありません」


 故郷を、家族を、友を、その全てを奪ったあの日を忘れることは決してない。

 殺してやりたいほど憎いとは思っても、心の隅でそれに「待った」をかける自分がいる。


「無念のうちに死んでいった者達の為にも、たった一人生き残った皇族として、弦燐と戦うべきなのかもしれない。でもそうなれば、その先頭に立つのは私ではなく息子である晄黎になるでしょう」


 奏楊の法では皇女は即位できない。故に櫂琰国を打倒し、奏楊という国を取り戻しても、統治者となれるのは皇族の血を引いており、なおかつ男児という条件を満たす晄黎だけだ。


「私は人殺しをさせる為に、あの子を産んだ訳ではありません」


 もちろんこのまま何もせずにいれば、麓槙とて大国櫂琰に飲み込まれるだろう。だが、なんの抵抗もせず恭順の意を示せば、無駄な血が流れることもない。

 蓂抄の願いは、余命いくばくもないこの国がその日を迎えるまで平穏無事であることだ。


「皇族の血を引く私や晄黎を匿えば、麓槙は降伏という選択肢を失ってしまう。そうなった時いったいどれほどの血が流れるか、浩佑殿ならわかる筈ではありませんか?」


 蓂抄が捲し立てるように言うと、部屋はシンと静まり返った。

 きっと良き統治者たる浩佑殿なら考えを改める。蓂抄はそう思った。

 浩佑は言われた言葉を噛み締めるように瞑目すると、やがて真っ直ぐに蓂抄を見据えた。


「私が民に望むのは人が人らしく生きる権利を享受し、一度きりの人生を全うすることです。ですがその願いは櫂琰国の統治下では叶わないでしょう。貴女はこの先訪れるであろう暗黒の世をご子息に生きてほしいと思われるのですか?」


「そんなこと思う筈ありません! それでも私は血で血を洗うようなあんな光景を晄黎には見せたくない……」


 蓂抄は力なく項垂れた。これじゃ堂々巡りだ。

 浩佑は蓂抄の隣まで来ると目線を合わせるように屈んだ。


「我が子を危険から遠ざけたいと願う気持ちは痛いほど分かります。ですが、皇族として戦の先頭に立つ責務を持つのがご子息だというならば、どう生きるかを選択するのもご子息だとは思いませんか?」


「わかっています。責任を負うべき公的な立場でありながら、わがままばかりを言って逃げているということは。わかっているのです」


 蓂抄は唇を噛むと強く両の拳を握りしめた。


「今すぐに決断せよとは言いません。あなたが伝えたいと思った時に話せばいい。ですがこの先どんな選択をするにせよ、ご子息が成長された時に王族としての教育を受けておくことは必ず力になるでしょう。だからそれまでは安全な城で暮らすことを私は提案したいのです」


「この国が危険に晒された時、私がなんの責務も果たさず晄黎を連れて逃げ出すとは思わないのですか?」


 蓂抄の問いに浩佑は一瞬ポカンとした顔をした後、苦笑した。


「実はその心配はあまりしていません。あなたは責任感のある優しい人だと思いますから」


「今日出会ったばかりだというのに、何故そんな風に言い切れるのですか?」


「たしかに私はあなたの人柄をよく知らない。ですがあなたはこの国を巻き込みたくないと言って、自身の安全より麓槙のことを考えてくれた。私にはその一言だけで、十分信頼に足る人物であると思えました」


 それに、と浩佑は伯濯に目をやると言葉を続けた。


「人を見る目には自信がありますから」


 急に注目を浴びた伯濯がキョトンとした顔をする。蓂抄は笑みを溢すと浩佑に向き直った。


「たしかに、良い目を持っていらっしゃるようですね。参考までに危険を犯してまで私達を匿ってくださるという他の理由、お聞かせ願えますか?」


「一つは大切な臣下である伯濯が貴女の身をとても案じているから。君主として出来うる限りのことで報いたいと思っています」


「陛下……」


浩佑の言葉に伯濯は目元を潤ませ、鼻を啜った。


「もう一つは親心ですね。私にもご子息と同年代の娘がいますから、どうにか助けになりたいと思ったのです」


「お節介なお国柄だとは思っておりましたけれど、貴方が一番ですね」


 呆れた様子で蓂抄がそう言うと、浩佑は気にした風もなく「褒め言葉として受け取ります」と笑った。

これで過去回想終わりです。

次回から時間軸が戻ります。

長かった……。

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