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黎明記  作者: 春咲 司


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31 再会

 まっさらな布地に針を刺す。裏から表へ、表から裏へ。細かな作業を飽くことなく繰り返す。時折目を休ませながら小一時間も続ければ、美しい芙蓉の刺繍が白布に咲いた。


「まぁ、相変わらず見事な出来だねぇ」


 惚れ惚れするような女将さんの声に()()は手元から顔を上げて笑みを溢した。


「ありがとうございます。ここにもう一つ柄を足そうかと思うんですけど、どうでしょう?」


 このくらいの大きさで、と蓂抄が布地に指で円を描くと女将さんは熱心に頷いた。


「あら! いいんじゃない? きっと素敵な衣に仕上がるわ」


「それじゃあ、もう一仕事頑張ります」


 蓂抄は布地に目を戻すと再び刺繍を始めた。


 炎上する城から逃れ、麓槙に辿り着いてから十年が経とうとしていた。

 城を脱出してすぐに、父だけでなく皇后である母と四人の兄達の死を知った。それに加えて皇女である自分も死亡したという噂を耳にした。

 確かにあの状況下で、箱入り娘の皇女が逃げ果せるとは誰も想像しないだろう。

 反乱によって城は全焼。神事を執り行う一部の建物だけがかろうじて残ったらしいが、恐らくは神に対する信仰の厚さゆえに破壊も焼き討ちも免れたのだろう。

 城だけでなく城下町を含む王都も酷い有様で、大勢の死者が出たという。疫病の発生を防ぐ為に王都では三日三晩死体を焼き、白い煙が絶えず空へと伸びる様を蓬凛も遠くから眺めていた。


 そうして呆然としているうちに弦燐を国主とする櫂琰という国が興り、奏楊は大陸史からその姿を消した。

 しかし櫂琰国は広大な奏楊の領土全てを掌握するには至らず、奏楊の王都とそれに隣接する地域を支配するに留まった。その結果、旧奏楊国の領土には大小数百の国が興ることとなった。


 血族が死に絶え天涯孤独となった蓬凛はお腹の子を守ることだけを考えた。そうでないとどうしても暗い気持ちばかりが押し寄せて立ち上がることすら出来なくなりそうで恐ろしかった。

 名前を変え、高価な衣や装飾品を売り払い、言葉遣いも平民のそれに馴染むように砕けた口調を心掛けた。

 蓬凛のような若い女が奏楊から遠く東に位置するこの麓槙まで無事に逃げ果せることができたのは、奇跡に近いことだった。


 無念のうちに死んでいった父母が、兄が、春蘭が、そして白檑がここまで自分を守ってくれた、蓬凛はそう思った。


 ここに至るまで様々な国を渡り歩いて来たが、麓槙以上に豊かな国はなかった。

 土地や経済のことばかりを言っているのではない。この国の人間は心が豊かなのだ。長く戦とは縁遠く、善政を敷く王のもと平和を享受する小国。居着くならこの国しかないと、蓬凛は入国初日から決めていた。


 そうして息子の晄黎を出産し、母と子二人の生活が始まった。気の良い女主人が切り盛りする商家での仕事を手に入れて、小さい家を借りることもできた。

 なんの不自由もない平穏な日々は、徐々に蓂抄の日常として馴染んでいった。


「女将さん、できました」


 最後に鋏で糸を切ると、蓂抄は衣を広げて見せた。


「あら! もうできたの? さすが店一番のお針子、蓂抄ちゃんだわ!!」


 女将さんは店先から小走りで戻ってくると出来上がったばかりの衣を受け取った。


「うーん、いいわぁ。最高の出来じゃない。どこにお嫁に出しても恥ずかしくない素敵な衣よ!」


 頬を紅潮させて小躍りする女将さんに蓂抄は頬を緩めた。

 蓬凛であった頃に習得した裁縫がこんなに役に立つとは、かつての自分は想像もしていないことだった。


「ちわーす。女将さん、頼まれてた染料の花持って来ましたよー」


 よく通る男の声が店内に響く。声の方へ目を向けると店の軒先に中年の男が立っていた。贔屓にしている花屋の下男である。両腕で抱えた籐籠の中には真っ赤な花がどっさりと入っている。


「いつもありがとね。奥まで運んでおいてちょうだい」


「はいよー。よぉ、蓂抄。今日も別嬪さんだねぇ」


「褒めても何も出ませんよ」


「ははっ、相変わらず連れねぇな」


「はいはい、さっさと置いてってちょうだい! あんまり見てると次からは金取るよ」


 女将さんはしっしっ、と手で犬や猫を追い払うような仕草をした。


「そりゃねぇよ。俺から癒しの時間をとらないでくれ」


「馬鹿言ってんじゃないよ。あんたみたいな髭面親父にジロジロ見られたら蓂抄ちゃんの方がくたびれちまうさ」


「ひでぇな、おい」


 遠慮のない女将さんの物言いに下男は肩をすくめた。


「まぁ、蓂抄ちゃんがとびっきりの美人ってのはわかるけどね」


「そうだよな。大陸一と言われた蓬凛皇女にも負けてねぇよ」


「そんな、皇女様だなんて持ち上げ過ぎですよ。私なんて下町のしがないお針子ですから」


 蓂抄はおっとりと微笑みながら謙遜を口にした。


 蓬凛。今でこそ動揺せずに受け流すことができているが、初めてその名を引き合いに出された時は心臓が止まるかと思った。

 これは城の外に出てはじめて知ったことだが、奏楊国の皇女蓬凛は美人の例えとして名前を使われているらしい。

 花のように可憐だ、とかそういった比喩と同列である。


 それを知った時は驚いたと同時に複雑な気持ちになった。

 幼い頃から体が弱く部屋に篭って過ごすことが多かったので、城内の者であっても蓬凛の顔を知る者は少ない。

 故に皇女の顔を他国の、それも平民が知っていることなどある筈がない。

 どんな顔をしているのかもわからない人間を例えに使うことも、過去の自分と比べられることも奇妙な感じがしてならなかった。


「こんだけ美人だから宣伝係をやって欲しいんだけどねぇ」


 女将さんは頬に手をやると猫撫で声を出した。

 仕事だけでなく私生活でも女将さんには大変世話になっている。できる仕事なら喜んで引き受けたいところではあるが、少々嫌な予感する。


「宣伝係、ですか?」


「そう! 宣伝係! 難しいことはなぁんにもないのよ。蓂抄ちゃんにはうちの商品を着て街を歩いてほしいのさ。そしたらそれを見た人らが同じものを欲しがるとは思わないかい?」


「おぉ、いいじゃないか。繁盛間違いなしだ」


「すみません、私目立つようなことはちょっと……」


 すっかり乗り気になっている二人に水を差すのは忍びないが、こればかりは譲れない。


「えぇ! 勿体無い!」


「まぁ、本人が嫌がることはさせられないからね。仕方がないわよ」


「お役に立てず申し訳ないです」


「やぁね! 店一番のお針子が何言ってるのよ! 蓂抄ちゃんが仕立てた衣は凄い人気で十分過ぎるくらい売り上げに貢献してくれてるじゃない」


「そうそう。俺としても取引先の景気が上向いてるお陰で良い恩恵を受けてるからな。ほんと蓂抄がこの店に来てくれて良かったぜ」


 したり顔で頷く下男に女将さんは胡乱な目を向けた。


「というかあんた、いつまでいるつもり? 他にも配達があるんじゃないの?」


「あー……いや、ちょいと残念な知らせがあってだな」


 妙に歯切れの悪い下男に女将さんの表情が更に険しくなった。


「なんだい藪から棒に」


「実は、卸してる花の中で取り扱いを辞めざるを得ない品種があってだな」


「えぇ! いったいどの花?」


「えーっと、梅雨紫(ツユムラサキ)……」


「梅雨紫!? 困るわよ! うちで一番人気の染め物に使うってのに! どうすんのさ!!」


 女将さんは机に両手を着くと物凄い剣幕で下男に食ってかかった。


「お、おいおい、俺に文句言うなよ……」


「あんた以外に誰に文句言えってのさ!」


 女将さんの迫力に下男はたじたじになった。

 そんな二人の様子を眺めながら蓂抄は表情を曇らせた。


 梅雨紫で染めた衣は鮮やかな濃紫になるのが特徴で男女問わず高い人気を得ている。この店では売上のおよそ四割近くを梅雨紫の衣が占めているので、それが今後手に入らないとなると大打撃は免れない。


「あの、一体何が原因なんですか?」


 深刻な表情で蓂抄が尋ねると、女将さんに胸ぐらを掴まれていた下男は困り顔で後ろ頭を掻いた。


「あー……それがな、基本的にうちで取り扱ってるのは国内の畑で育てている花なんだが、中にはこの辺の気候では育てられない品種もある。そういった生育に適さない品種は他国から買い付けているんだ。梅雨紫はそのうちの一つなんだよ」


「それじゃあ問題はおたくじゃなくて、買い付け先にあるってこと?」


「その通り! 買い付け先の国が櫂琰国に攻め込まれて商売どころじゃないんだわ」


 下男の言葉に女将さんは渋面を作った。


「はぁー……。また櫂琰かい? 最近特に勢力を広げてるわよね。あぁ、やだやだおっかない!」


「それも敗戦国に対する扱いが酷いってもっぱらの噂だ。気分は悪い上に商売上がったりで最悪さ」


 瞬間、蓂抄の脳裏に十年前の光景が蘇った。炎上する城。投げ捨てられた父の頭部。大量の血を流して地面に横たわる白檑。瓦礫に潰された春蘭の姿。

 違う。ここはあの日のあの場所じゃない。

 どこにも火の手は上がっていないし、死体もない。それなのにどうしてか、焼け焦げた臭いや断末魔までもが耳の中でこだましている。

 もうすぐ十年経つというのに、あの日の出来事は色褪せるどころか今も鮮明なまま心に巣食っている。


「蓂抄ちゃん? 顔色が悪いわよ。大丈夫?」


 女将さんに肩を叩かれて蓂抄は現実に引き戻された。


「ぁ……大丈夫です」


 今、自分は完全に過去に呑まれていた。そのことに恐怖と驚きを覚えながら蓂抄は答えた。


「本当に? 今日はもういいから家でゆっくり休んでちょうだい」


「そんな、悪いです」


「帰った方がいいんじゃないか? 本当に顔色悪いぞ。白を通り越して蒼白くなってる」


 ほれ、と下男が窓硝子を指差す。

 確かにそこに映る自分の顔色は死人のように蒼白かった。


「でも……」


「いいからいいから! というか、そろそろ坊が帰ってくる頃じゃない?」


「……すみません、お言葉に甘えさせていただきます」


 いいってことよ! そう言って豪快に笑う女将さんに見送られて蓂抄は店を出た。


 毎日のようにあの日の夢を見る。息苦しさも熱さも大地に広がる血の色も、鮮明に覚えている。

 蓂抄は一度強く目を瞑ると過去の記憶を振り払うように目を開けた。すると通りの反対側から少年が歩いて来るのが見えた。

 一つに結い上げた深緑の髪はボサボサで、顔には泥が跳ねている。右手に握った木の枝をまるで剣でも扱うかのように振っている。どうして男の子は一度外に出かけるとあちこち汚して帰ってきてしまうのか。

 これは洗濯が大変だ、などと考えていたら少年と目が合った。その瞬間、少年はとびきりの笑顔で駆け寄ってきた。


「母さーん!」


 声変わりをする前の高い声が蓂抄を呼ぶ。

 そう呼ばれただけなのに、先ほどまでの恐怖は嘘のように消え去り、温かな気持ちが蓂抄の胸に広がっていった。


「おかえり晄黎」


「ただいま! 母さん今日は仕事早く終わったの?」


 見上げてくる晄黎の頬を両手で包むと蓂抄は微笑んだ。


「そうよ。せっかく時間があるから晩ご飯は少し手の込んだもの作ろうか。何が食べたい?」


 尋ねると晄黎は目を輝かせた。


「やった! んーっと、そうだなぁ……。あっ! あれがいい! 鶏団子と葱のスープ!!」


「いいよ。お肉屋さんで鶏買ってから帰ろうか」


「うんっ!」


 二人は手を繋いで肉屋へ向かった。

 蓂抄はちらりと隣を歩く晄黎を見た。毎日顔を見ているが、つくづく子供の成長は早いものだと感心する。

 背丈はまだまだ自分よりも小さいが、幼子特有の丸みをおびた輪郭は無くなり、小さな紅葉のようだった手も随分大きくなった。


「どうしたの?」


 視線に気付いた晄黎が不思議そうな顔で見上げてくる。

 蓂抄は息子の成長に感慨深いものを感じながらも、それとは全く関係ないことを口にした。


「ねぇ晄黎。その枝どうしたの?」


 何気なく尋ねた瞬間、繋いだ手から晄黎の強張りが伝わってきた。


「あっ! えっと、なんのこと?」


 晄黎は物凄い勢いで枝を道端に投げ捨てると、何事もなかったかのように小首を傾げた。

 流石にそのはぐらかし方はいかがなものか。豪快な証拠隠滅を目の当たりにして蓂抄は呆気に取られてしまった。


 晄黎が武人という存在に憧れを抱いていることも、枝を剣に見立てて振り回していることも知っている。

 だが子供というのは親が思っている以上に心の機微に聡い生き物だ。蓂抄は晄黎に対して武人にはならないでほしいと言ったことは一度もない。しかし晄黎は母に武人としての生き方を望まれていないことを見抜いているのだ。

 だからこそ蓂抄の前で武官になりたいとは言わないし、興味がある振りすらしない。正直蓂抄としては憧れに蓋をして諦めようとする晄黎の態度は都合が良かった。

 だからこそ晄黎の下手な誤魔化しに乗ってやることにした。


「ごめん。母さんの勘違いだったみたい」


 そう答えてやると晄黎はあからさまにホッとした表情を浮かべた。

 そんな様子を見ているとつい白檑のことを思い出す。

 顔立ちは蓂抄に似たが、嘘が下手ですぐ顔に出てしまうところは白檑にそっくりだ。

 今更どうしようもないことだというのに、ふと考えてしまう。

 もしお腹の中に白檑の子がいると伝えていたら、あの日彼は弟ではなく、自分と晄黎との未来を選んでくれたのだろうか?

 元々身体が丈夫な方ではなく、医師には流産の可能性が高いと言われていた。もし流れてしまったら、子供好きな白檑はきっと悲しむだろう。万が一のことを考えて、安定期に入ってから伝えればいいと言わずにいた結果、悔いを残した。


 もしもなんて言葉は好きではないが、きちんと伝えていたら晄黎の空いた右手を白檑が繋いでくれる未来があったかもしれない。


 そんなことを考えている時だった。

 カランッと前方で何かが地面にぶつかる音がした。

 音の方へ目を向けると呆然と立ち尽くす老爺と地面に転がる杖が見えた。


 蓂抄が声を掛けるより速く、晄黎は老爺の方へと駆け出していた。地面に転がる杖を拾うと、はいっ、と言ってそれを差し出した。


「お爺さん、大丈夫?」


「あ……あぁ、ありがとう」


 杖を受け取った老爺は信じられないものを見るような目で晄黎を見つめていた。

 なんだか様子がおかしい。蓂抄は老爺と晄黎に駆け寄った。


「あの、大丈夫ですか? 体調が優れないようでしたら人を呼びましょうか?」


 蓂抄が割って入ると老爺は驚きに目を見開いた。

 震える唇で何か言葉を紡ごうとしているが、上手く声が出ない。そんな風に映った。


「あの……?」


「蓬凛様……」


 この国に来てからも何度も聞いたかつての名前。だが老爺はたとえとしてではなく、完全にこちらを蓬凛と認識しているようだった。


 蓂抄はこの老爺を知っている気がした。昔、この声に名前を呼ばれたことがある。

 遠い記憶の糸を辿ると、かつて医官として仕えてくれた男の顔と目の前の老爺の顔が重なった。


「……伯濯?」


 名を呼んだ瞬間、伯濯は泣き出しそうに顔を歪めた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

思いのほか書きたい描写が膨らんでいって、過去回ここでもおさまりきりませんでした。すみません。

次こそ過去回を終わらせたいです。

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