29 明かされる過去
城内を血で染めた会談から一週間が経った。
一連の騒ぎの首謀者である駿栄は逃げ果せ、梗玥を刺した従者の男は劉藍に追い詰められ自害した。
また麓槙の兵に扮した襲撃者のうち二人の捕縛に成功したものの、僅か数時間後には牢の中で泡を吹いて死亡しているのが発見された。
医官の調べによると襲撃者二人の体内からは遅効性の毒が検出されたという。城内で騒ぎを起こすより前に毒を呷り、捕縛された後に情報が漏れないようにしたのだろう。
これで情報を得ることは叶わなくなった、と落胆する一方で進展もあった。
沈黙を貫いていた笙窈が唐突に口を開いたのである。
晄黎がそのことを知らされたのは、自室の牀榻で横になっている時であった。
「それは、誠でございますか?」
重傷を負い絶対安静を言いつけられていた晄黎であったが、思わぬ知らせに勢いよく飛び起きた。
拍子に斬られた傷がズキリと痛む。晄黎は顔を顰めると胸を押さえた。
衣服の上からでも血が溢れて包帯に広がっていくのがわかる。ようやく塞がりかけていた傷口が今ので開いてしまったらしい。
──いつまでも自室に篭っているわけにはいかないというのに。
晄黎は己の脆弱さに嫌気が差した。
「まったく……。安静にしていなければならぬというのに。伯濯にも言われたであろう?」
蓂抄は溜め息混じりに諭すと、晄黎の肩と背に手を添えて牀榻に横たえた。
「横になっていなさい。そうでなくば、治るものも治りませんよ」
蓂抄は釘を刺さすと気遣わしげな目を向けた。
その目を見た瞬間、晄黎はハッとした。
戦闘で負傷をするのはこれが初めてではない。流石にここまでの重傷を負ったことはないがそれでも怪我には慣れているし、そんな自分に母も慣れているのだと思っていた。
だから母の憂い顔を見るまでは心配を掛けているという意識すらなかった。
「……申し訳ありません」
晄黎は伏し目がちに謝罪した。
「母上の方こそ、お身体はもうよろしいのですか?」
「問題ない。どうやら私が摂取した鱗粉は微量だったようでな、死に至るほどではなかったらしい」
まぁ、吐血した時は流石に苦しかったが。と、蓂抄は嘆息した。
「そういう訳で私はいたって健康だから、心配はいらぬ」
「そうですか。それを伺って安心いたしました」
素っ気ない物言いではあったが、以前と変わりない顔色の良さに晄黎は安堵した。
「ところで、笙窈殿が口を割ったというのは……」
「事実ですよ」
貝のように口を閉ざしていたというのに、なぜ急に話す気になったのだろう。
駿栄ら潜伏していた櫂琰国の者が城を去ったことで、口封じの心配がなくなったと判断したのか、それとも単に気が変わったのか。
いまいち笙窈の考えが読めなくて晄黎は頭を捻った。
「ただ、自白というよりは懺悔に近いものだったがな」
「懺悔? それは一体……?」
まるで自分が本人と会って実際に聞いてきたかのような口ぶりに晄黎は怪訝な顔をした。
「その前に、そなたにはせねばならぬ話があります」
蓂抄は居住まいを正すと真剣な眼差しで晄黎を見据えた。一瞬にして部屋の空気が張り詰める。
以前できなかった母と自分に関する話なのだとすぐにわかったので、晄黎は緊張した面持ちで頷いた。
「私には名前が二つあります。一つは蓂抄。生き延びる為に私自身が付けた名です」
自分の知る母の名が偽名だったことに晄黎は少なからず衝撃を受けた。しかし母はあの奏楊国出身だ。あの時代、身分を偽り他国へ亡命した人間は多かったというのでなんの不思議もない。
しかし次に蓂抄から飛び出した言葉は晄黎の予想を超えたものだった。
「私の本当の名は蓬凛と言います」
「ホウリン?」
聞き覚えのある名だった。だが、いつどこで聞いたのか思い出せない。思案する晄黎に構わず、蓂抄は言葉を続けた。
「私は第二十七代奏楊国皇帝、嶺兼が第五子。滅亡した奏楊国の第一皇女です」
顔色ひとつ変えず蓂抄、もとい蓬凛は言った。
今、母はとんでもないことを話している。混沌とした大陸の情勢に大きな波紋を呼ぶほど衝撃的な告白を。
晄黎は目の前にいる母をまじまじと見つめ返した。
「皇女……。母上が……?」
「晄黎。そなたは奏楊の帝位継承権を有した唯一の生き残りなのです」
その瞬間、自分という存在が根底から覆り全く別の人間になってしまったような感覚に襲われた。だが晄黎がこの感覚に陥るのは人生において二度目である。
だからだろうか。すぐには信じられないような現実を晄黎は取り乱すことなく受け入れることができた。
そんな晄黎の様子に蓬凛は意外そうな顔をした。
「あまり驚いていないようね」
「そう見えますか?」
晄黎は苦笑した。
驚きがないと言えば嘘になるが、それが事実なら香珠の言葉と駿栄の殺意も腑に落ちるのだ。
「香珠に言われました。麓槙一国では無理でも同じ脅威に抗う国同士が同盟を結び手を取り合えば勝機はある、と。そしてそれをまとめることができるのは貴方しかいないのだとも」
なるほど、彼女の言うとおりだった。
大陸の国々は櫂琰国の弾圧に苦しみ、いつ侵攻を受けるかと恐怖に怯える日々を送っている。無理矢理併合された支配地域では圧政が敷かれ、人々の心は限界に達している。
そんななか、滅亡したはずの奏楊国の皇族が実は生きており、打倒櫂琰を掲げて兵を挙げればどうなるだろうか。
人々は一縷の望みを抱いて晄黎の元に結集するだろう。
駿栄は晄黎の存在そのものが櫂琰国にとっては許容できない罪だと言った。裏を返せば打倒櫂琰を掲げるその他の国にとっては救世主にもなりえるのだ。
そして望みを繋いだのは晄黎自身も同じである。
皇族という身分の晄黎がいる以上、麓槙は大国櫂琰に抵抗するその他多勢の小国ではなくなる。
上手く他国と同盟を結ぶことができれば、全くなかった勝利への道筋が見えてくる。
可能性が僅かでもあるのなら、それは無意味な戦いなどではない。
真っ暗闇の中、晄黎は己の価値に未来の光を見出した。
だが希望を得るのと同時に晄黎には別の感情が現れた。
「母上。なぜこれほど大事なことを今まで隠していらしたのですか?」
責めるような強い語調で晄黎は問うた。
実際このことをもっと早く知っていれば、ここまで櫂琰国が勢力を広げる前に抵抗することができた筈だ。
息巻く晄黎とは対照的に蓬凛は凪いだ海のように穏やかな表情をたたえていた。
一呼吸を置いてから蓬凛は静かに告げた。
「……そなたを愛しているから」
思いがけない一言に晄黎は息を呑んだ。
途端に胸中で渦巻いていた苛立ちや怒りが霧散して、代わりに驚きと動揺が心を占めた。
「そなたが奏楊の皇族であることを宣言すれば、櫂琰国は必ず抹殺しようと動く。降伏は決して許されない。そなたに提示される未来は勝つか負けるか、生きるか死ぬかの二極のみ。だから私は……」
蓬凛は一瞬言葉を詰まらせたものの、声を振り絞った。
「地獄とわかりきった修羅の道をそなたに歩ませたくはなかった」
自らの想いを吐露した蓬凛の瞳は、ゾッとするほど昏い色を宿していた。
市井で暮らしていた時も、王宮で暮らし始めてからも、母のこんな表情は見たことがない。
この人は過去に一体どんな地獄を目にしたのだろう。
晄黎は母の中に巣食う闇を垣間見た気がして、何も言えなくなった。
「十八年前、弦燐という一武官の謀反によって祖国奏楊は一夜にして滅んだ。血族の全てを失い、僅かな護衛を付けることも叶わぬまま、私はそなたを身籠った状態で命からがら逃げ延びた」
蓬凛は手元の扇を音を立てて閉じる。
しんと静まり返った室内に、無機質な音が響いた。
書けば書くほど長くなっていって収拾がつかなくなったので、途中で区切りました……。
次回は過去に話が飛びます。




