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黎明記  作者: 春咲 司
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2 戦闘

 雑木林の手前までやって来る頃には、駿栄が見つけた煙は他の者達にも視認できるようになっていた。

 ここまで近付くと煙だけでなく、耳を塞ぎたくなるような悲鳴と草木の焼け焦げた臭いまでしてくる。

 それは間違いなくこの先の村が襲われていることを意味していた。ふつふつと怒りが腹の底から沸き上がる。晄黎は歯噛みすると更に馬の速度を上げた。すると後ろを追走する駿栄がすかさず声を上げた。


「太子! この速度で雑木林を突っ切るつもりですか!?」


「無論だ! 迂回をしている暇はない!!」


 前を見据えたまま晄黎が答えると、駿栄は悲鳴じみた弱音を吐いた。


「うえぇ、やっぱりぃ! 戦う前に木にぶち当たって死ぬんじゃ……」


「駿栄! 余計なことを喋っていると舌を噛むぞ! 黙って太子に従え、この阿呆!!」


 劉藍が追い抜きざまにひと睨みすると、駿栄は自らの頭をガシガシと乱暴に掻いた。


「わぁってるっつのー!!!」


 晄黎は背後での遣り取りを聴きながらも、意識は常に前方へと向けていた。最高速度を保ったまま雑木林へ突入すると、視界が一気に木々に覆われる。

 どうやらここは普段から人が通らないらしい。道という道はなく、足場は非常に悪い。木立の隙間を縫い、僅かにできた獣道を利用しながら馬を疾駆させる。晄黎は愛馬を巧みに操り、後続の道を切り拓いた。

 変わり映えのしない緑の景色がようやく終わりを見せた時、晄黎のすぐ横を矢が一本掠めた。


「太子っ!」


 劉藍を筆頭に臣下の切羽詰まった声が次々と晄黎に降り注ぐ。

 握りこぶし一つ分矢が逸れていたら、頭を貫かれていた。


「問題ない。それより、決して速度を緩めるなよ」


 案ずる臣下に無事を伝えると、晄黎は至極冷静に獣道を逸れて低木の密集している方へと進路を変えた。

 思わぬ伏兵に虚を突かれたものの、似たような状況には過去何度も遭遇してきた。

 先ほど放たれた矢は斜め上から飛んできたので、射手は木の上からこちらを狙っている筈だ。ならばできる限り遮蔽物のある道を選んで、少しでも相手の命中率を下げて数を射たせる。そうすれば自ずと相手の位置や数も見えてくるというものだ。


「駿栄! 二時の方向に射手がいる! 落とせ!!」


「はぁ、待ち伏せとかほんと勘弁」


 射角から位置を割り出し命じると、駿栄は文句を垂れながらも流れるような動作で矢をつがえた。僅かに馬の速度を緩めると、指示通りの方向に正確に矢を放つ。

 ドスッ、という鈍い音がしたかと思えば、前方の木がガサガサと揺れて射手の男が落ちて来た。しかしその後も矢は晄黎達一行に向かって飛来してくる。


「まだいますよ、太子!! 残数五!」


 観察眼に優れた駿栄が早くも敵の総数を見抜いた。思いのほか少ないその数に晄黎は心を決めた。


「任せてもいいか、駿栄」


 ここを切り抜ける為の適任は、視力と弓の扱いに長けた駿栄を置いて他にいない。

 立ち止まれば救援の遅れを招く上に、大勢で残ったところで狙い撃ちされかねない。なにより村を襲っている奴らがどのくらいの規模なのかもわからないので、ここに兵数を割くことは避けたかった。


「やっぱり僕ですかぁ!!」


 悲壮感に満ちた声が駿栄の口から洩れる。馬上であれだけの腕前を披露しておきながら、どうして自信なさげなのだろうか。


「情けない声を出すな。お前なら一人でも切り抜けられる。そうだろう、駿栄」


「えぇっ、そうなんですか」


「大丈夫。お前の弓の腕前はこの国一……、いや大陸一だ。私が保証する」


 大陸一は持ち上げ過ぎたか、とも思ったが国一番なのは間違いない。晄黎は最大限の信頼を檄に変えた。


「確かに弓の腕なら劉藍にも負ける気しないです」


「やかましいわ!」


 駿栄が神妙な顔で頷くと、すかさず劉藍が苦言を呈した。


「太子、危険手当とかって」


「弾もう!」


 晄黎が食い気味に返すと、駿栄の表情がパッと明るくなった。


「大陸一の弓使い、この駿栄にお任せください、太子!」


「現金な奴め」


 横で劉藍の呆れ声がしたが、晄黎としては願ったりである。

 なんだかんだ言いつつ駿栄の実力は劉藍も認めている。加えて引き際というのも弁えているので、万が一危機に瀕した場合は自己判断でうまく逃げ果せるだろう。

 そういった面を加味した上での人選である。


「頼んだぞ、駿栄! 他の者は私に続け! もうすぐ出口だ」


 晄黎は指示を出すのと同時に声を張り上げることで自らを鼓舞した。

 薄暗い木々のトンネルの先に光が差している。徐々に大きくなるそれが出口は間近と教えてくれる。晄黎は振り返ることなく前へ前へと馬を走らせた。

 雑木林を抜けると、目的地である村は目と鼻の先にあった。民家は焼け落ち、悲鳴と怒号が交錯している。

 何度こんな光景を見なければならないのか、晄黎は怒りと悲しみで手綱を握る手が震えた。

 村を襲っていたのは、やはり景南国の兵であった。

 赤を基調とした鎧に身を包んだ景南兵は、武器を手に村人を脅すと縄で縛り上げて荷馬車に押し込んでいた。


「おい! 来たぞ麓槙の兵だ!!」


 接近する晄黎達の存在に気が付いた景南兵が一斉に槍を突き出し待ち構える。


「五、六、十七か。数はそれほど多くないな。劉藍!」


「おまかせを」


 短い言葉と共に劉藍が隊の中から飛び出す。

 立ち塞がるように並ぶ景南兵を、劉藍は顔色一つ変えずに大刀で薙ぎ倒した。

 僅か一振りで一気に五人を無力化すると、圧倒的な力を前に景南兵が僅かに怯む。

 晄黎はその隙を見逃さなかった。

 馬の足を一切緩めることなく、敵兵の頭上を馬に跨ったまま悠々と飛び越える。着地と同時に剣を鞘から抜き放つと、村人達が収容されている荷馬車へと一直線に馬を走らせた。

 馬車の周りには兵士が四人いたが、単身敵陣に突っ込む晄黎の大胆な行動に景南兵は浮き足立っていた。


「数はこっちが有利なんだっ! 狼狽えるな!!」


 隊長格と思しき年嵩の男が声を張り上げる。すると叱咤された兵達の顔つきがたちまち引き締まったものへと変わった。


「そうだ、たった一騎で突っ込むなんて馬鹿な野郎だ! 返り討ちにしてやる」


 年嵩男の見事な鼓舞に晄黎は舌を巻いた。


「ほぉ、卑怯な手を使う割には良い気迫だ」


 色めき立つ景南兵が一斉に晄黎目掛けて突っ込んでくる。一対四。無謀に見える単騎特攻。しかし晄黎の心は冷静そのものであった。


「だからこそ残念だ。自分の力量も測れないとは」


 晄黎は相手が剣を振りかぶるよりも速く斬撃を繰り出した。

 鎧で守りきれない関節部を的確に狙うと、景南兵は呻き声を上げて武器を取り落とした。

 続く二人目も勢いそのままに横一閃に薙ぎ払う。背後を突こうと回り込んだ三人目を振り向き様に斬って捨てると、晄黎は素早く馬首を左に巡らせた。最後に残った隊長格の男が奇声を上げながら上段から斬り付けようとしてくる。晄黎は真っ向から斬撃を受けるかのように見せかけて、互いの武器が触れるすんでのところで剣を斜めに傾け斬撃をいなした。

 体勢を崩した隊長格の男がよろめく。一瞬の隙。だがそれは戦場においては致命的な隙である。

 晄黎は一人目の時と同様、鎧の隙間に狙いを定め腕を斬りつけた。手を動かす筋を狙った斬撃は見事に命中し、剣は男の手からこぼれ地面を転がった。これなら剣を握ることは出来まいが念の為、晄黎は剣の柄で男の後頸部を殴りつけた。糸の切れた人形のように男が頽れる。

 四人全員が倒れて動けなくなったのを確認してから、晄黎は剣を鞘に戻した。

 殺めてはいない。

 殺さずとも動きを封じるだけで済むのであれば、それが一番だ。

 晄黎にとっては敵国の一兵士に過ぎずとも、彼らは誰かにとっての大切な人で、帰りを待つ相手がいる筈だ。


「皆、無事か」


 晄黎は馬を降りると、縄で縛られ動けなくなった村人達に駆け寄った。


「あぁ、晄黎様じゃ」


「晄黎様が来てくださった!」


 恐怖一色だった村人達の瞳に安堵の色が浮かぶ。


「遅くなってすまない。もう大丈夫だ」


 晄黎は縄を解きながら、怪我がないか一人一人確認した。剣や槍で斬り付けられたような傷を負った者はいないが、村人達の顔や腕は真っ赤に腫れていた。抵抗した時に殴られたのだろう。それは子供も例外ではなかった。

 囚われていた村人の中には十歳ほどの少年もいたが、その頬は赤く腫れ上がり、唇の端が切れて血が滲んでいた。


「痛かっただろう。すまない」


 晄黎は少年の前に片膝をつくと、小さな両手を握り締めた。

 命が助かったとしても彼らは恐怖と痛みを経験し、家を焼かれた。その事実は変えようのないもので、心の傷として永遠に残る。

 もっと早く到着していれば、巡回の兵を増やしていれば防げたかもしれないのに。

 そう思うと申し訳が立たなくて、晄黎は少年と目を合わせることが出来なかった。

 今回は運良く誰も命を落とさなかったが、次も助けられるとは限らない。今この時も麓槙のどこかで誰かが襲われているかもしれない。助けを求めているかもしれない。

 それでも晄黎が助けられるのは、この両手の届く範囲にいる者達だけだ。元凶である景南国をどうにかしなければ、これから先も悲劇は起こるだろう。


「どうして晄黎様が謝るの? 晄黎様は悪くないのに!!」


 少年の不満げな声に晄黎はハッとして顔を上げた。


「僕、へっちゃらだよ! だって晄黎様が来てくれたんだもん!!」


 傷だらけの少年の姿は弱々しいものなどではなく、その目には力強い光が宿っていた。


「そうか。君は強いな」


 救われたのは自分の方だと、晄黎は苦笑した。


「僕も大きくなったら晄黎様みたいに強くなって、みんなを守るんだ」


 少年の言葉に晄黎に殴られ気絶していた隊長格の男がぴくりと反応した。


「晄、黎……?」


 男は地面に伏したまま少年の言葉を反芻する。その呟きは蚊の鳴くような声で誰の耳にも届かなかった。

 男は息を殺して剣を手繰り寄せると、小さな背中に狙いを定めた。


 しかし晄黎はそれに気付けなかった。男が倒れていたのは少年の真後ろで、晄黎からは完全に死角になっていたからである。

 気付いた時には男は上半身を起こし、少年の背中に向かって剣を振り翳していた。

 晄黎の視界に眼を血走らせた男の姿が映る。


 あり得ない。動ける筈がない。

 あの時晄黎が斬り付けたのは関節部、手を動かす筋を狙ったのだ。斬撃は命中し、男は武器を取り落とした。手を動かすことは容易でない。念には念を入れて気絶までさせたのに。

 それなのになぜ、この男は武器を手にしているのだ。


 油断した、などと後悔する時間も剣を鞘から抜き放つ暇もない。どう足掻いても晄黎が男を斬り伏せるよりも、少年が斬られる方が速い。

 考えている暇はなかった。

 晄黎は咄嗟に少年の腕を引くと、自分の体を男と少年の間に滑り込ませた。


「太子っ!」


 切羽詰まった劉藍の叫び声がして、晄黎は「あぁ、やってしまった」と思った。直後、晄黎の右腕に鋭い痛みが走った。こんな風に無防備な状態で斬撃を受けることは今までなかったので、あまりの激痛に晄黎は苦悶の表情を浮かべた。


 劉藍は猛然と駆け寄ると、晄黎を斬りつけた景南兵の背中に容赦なく大刀を突き刺した。完全に動かなくなった兵士には一瞥もくれず、劉藍は少年を抱えて蹲る晄黎の前に膝を付いた。


「太子! 怪我をお見せ下さい!」


「すまない、油断した。まさかあの怪我で動けるとは思わなかった」


 晄黎は激痛に顔を歪めながら、己の慢心を謝罪した。殺さずに済むならそれがいいと手心を加えた結果がこれでは、正直言って笑えない。

 晄黎はおそるおそる斬り付けられた右腕を見た。二の腕から肘下にかけて一直線に切創が走っている。裂けた皮膚からは鮮血が吹き出し、ボタボタと地面に血溜まりを作った。


「……っ、これは……」


 痛ましい傷口を目の当たりにして劉藍が声を詰まらせた。


「すぐに処置をしなくては」


 言うが早いか、劉藍は馬の鞍にぶら下がった巾着から包帯と薬を取り出した。手際は良いが劉藍の額からは汗が噴き出し、顔面蒼白になっている。これではどちらが怪我人なのかわからない。

 手当てを劉藍に任せて、晄黎は腕の中で震える少年に優しく声をかけた。


「怪我はないか?」


「ぁ、ああ、晄黎様……、っ、僕のせいでお怪我を……」


「そんな顔をするな。大丈夫、死にはしないさ。君が無事ならそれでいい」


「でもっ! でも、僕のせいで……。ごめんなさい、晄黎様……」


「どうして君が謝るんだ。君は何も悪くないのに」


 晄黎は先ほど少年に言われた言葉をそっくりそのまま返した。すると少年は大きな瞳を更に大きくして息を呑んだ。

 晄黎が安心させるように微笑むと、少年はぼろぼろと大粒の涙を流して泣きじゃくった。

 強張った背中をゆっくりさすってやると、少しずつ緊張がほぐれていく感じが伝わってきた。


「怖いを思いをさせてすまなかった。誰か、この子を休ませてやってくれ」


 晄黎が村人に呼びかけるとすぐに母親と思しき女が進み出てきた。女は少年を引き取ると深々と頭を下げた。

 少年が人垣の向こうに消えるまで見送った後、晄黎はゆっくりと周囲を見回した。

 民家は焼け落ち、地面には兵士の死体が転がり、人々の表情は暗く沈んでいる。まだ、やらねばならないことが山ほどある。


「太子ー! 無事、任務完了しましたー」


 騒然とした村内に、場違いなほど朗らかな声が響く。

 晄黎を囲んでいた人垣が割れたかと思うと、駿栄がひょっこりと顔を覗かせた。癖のある薄茶の髪が少し乱れていることを除いて、変わったところは見受けられない。

 別れた時と変わらない元気な姿に晄黎は安堵した。

 一方の駿栄はといえば負傷した晄黎を目にした瞬間、化け物にでも遭遇したかのような大声を上げた。


「えぇっ、あっ、太子!! その腕、どうしたんですかっ!?」


「丁度いいところに来たな、駿栄。村内に景南国の残党がいないかの確認と捕縛、それから住民達の手当てと消火活動の指揮を頼む」


「はいぃぃぃ!?」


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