28 握る刃
一際大きな風が吹いて、梢がザァーーッと音を立てる。
いつの間にやら運ばれてきた雲が青空に居座って、太陽の光を遮った。
「すみません。やっぱり太子相手だと奥の手出さなきゃ駄目みたいですね。驚きました? 二刀流〜なぁんて」
激痛に悶える晄黎の耳に茶化したような駿栄の声が届く。
晄黎には油断も慢心もなかった。
だが、まさかもう一本剣を隠し持っているとは思わなかった。それも二刀流とは。
「晄黎様!!」
背後で香珠の悲鳴じみた声が上がる。
こちらに駆け寄ろうとする気配を感じて晄黎は声を張り上げた。
「来るな!」
「ですが……!」
晄黎が振り返ると、涙を浮かべた香珠と目が合った。
自分が不甲斐ないばかりに彼女を不安にさせている。晄黎は己の弱さに怒りを覚えた。
「大丈夫だから、君はそこにいてくれ」
晄黎は少しでも安心させたくて優しく微笑みかけた。
血を失ったことで青白い顔をしているだろうが、今はこうすることでしか彼女の不安を和らげる方法を知らない。
晄黎が優しく諭すと、香珠は唇を噛んで涙を堪えた。
本当は今すぐにでも晄黎の元に駆け寄りたいと思っているに違いない。
その証拠に香珠の顔にあるのは恐怖ではなく、晄黎を案ずるものだった。
だが駿栄の狙いが香珠である以上、近付いてほしくはなかった。いくら香珠を櫂琰国に連れて行くのが目的であるとはいえ、危害を加えないという保障はどこにもない。
お願いだからわかってくれ。
そんな想いを込めて見つめると、香珠は言いかけた言葉を呑み込んで頷いた。
晄黎は文字通り笑みを溢した。作り物でも何でもない。本物の笑みを。
しかし前を向き直り香珠から顔が見えなくなると、晄黎は苦悶の表情を浮かべた。
息を吸い込むたびにズキンッと一際強い痛みが晄黎を襲う。
斬られた胸部に視線を落とすと、胸から臍の下まで斜めに切創が走っていた。ボタボタと地面に血溜まりができていく様に晄黎は顔を顰めた。
「さっきので仕留めたと思ったんですけど、痛いですよね。すみません」
顔を上げた先には笑みを湛えた駿栄が立っていた。
呼吸が荒く、片膝を地についた状態の晄黎とは対照的に、まだまだ余裕があるように見える。
──立って剣を構えなければ。
頭ではわかっているのに、息を吸う度に斬られていない背中にまで痛みが走り、グラグラと視界が揺れた。
思った以上に傷が深かったらしい。晄黎は立ち上がる為に力を込めようと奥歯を強く噛んだ。
そんな晄黎の頑張りを嘲るように駿栄は悠然と歩を進め、晄黎の首筋に剣を当てた。
「今楽にしてあげますから動かないで下さいね。下手に動くと狙いが外れて、余計に苦しむことになりますから」
まるで世間話でもするかのような気安い物言いに、晄黎の口から笑いが漏れた。
文字通り首の皮一枚のところで刃がピタリと止まる。
この戦闘中、ずっと笑みを絶やさなかった駿栄がはじめて怪訝な顔を浮かべて晄黎を見た。
「……知っていたさ、お前が強いことなんて。どれだけ一緒に鍛錬してきたと思ってる」
今まで駿栄と稽古をしてきた中で、違和感を感じることは幾度もあった。打ち合いになると大抵駿栄は競り負けて体のどこかに攻撃を食らっていたが、いつも紙一重の所で急所は避けていた。
駿栄の強さの秘密は目だ。
もちろん体捌きや素早い連撃も脅威ではあるが、最も優れているのは動体視力に違いない。
相手の僅かな筋の動きで攻撃の形を予測して躱すので、こちらの刃が当たらないのだ。
風が吹き寄せてシャランっと、涼やかな音が聞こえた。香珠の耳飾りが音を鳴らしたのだ。
大地に落ちた雲の影がゆっくりと移動していく。
晄黎は天を仰ぐと息を吐いた。
胸の傷は浅くはないが、動けない程ではない。
──戦いに身を置くのであれば、不屈の意志と強靭な肉体をもってして正々堂々と相対すべし。
かつて聞いた剣術師範の言葉が脳裏に蘇って、晄黎は苦笑した。
気は進まないが、今の自分に勝ち目はない。
晄黎は雲間に隠れた太陽を睨んだ。
「……武人とは、かくあるべし」
晄黎が掠れた声で独り言ちると、駿栄は耳に手をやった。
「なんです? 遺言なら聞きますよ?」
「必要ない。ここで死ぬつもりは毛頭ないからな」
「えぇっ、それは無理じゃないですか? だって、かなり血を失ってますよね。すぐに止血しないとどのみち失血死しますよ。貴方の死は確定してるんですから、大人しくしてください」
「死に損ないみたいに言われるのは心外だな。お前の目は節穴か? 駿栄。私はまだ戦えるぞ」
晄黎が挑発的な目を向けるのとほぼ同時に太陽が雲間から顔を覗かせた。
晄黎は待ちに待ったその瞬間を見逃さなかった。手首を捻って剣を軽く回転させると、刀身に陽の光を当てる。そして集まったその光を駿栄の目に反射させた。
「っ!!」
太陽光による目潰しを受けて駿栄が目を瞑る。
それは本当に一瞬の怯みであったが、晄黎にはそれで十分だった。
首筋に当てられていた剣を弾くと、後ろに下がろうとする駿栄の肩に容赦なく剣を突き立てた。そのまま体重をかけて地面に押し倒して馬乗りになると、利き手に握られていたもう一本の剣も奪う。
打って変わって晄黎が駿栄の首筋に剣を突きつける形となった。
「形勢逆転だな、駿栄」
そう言って見下すと、駿栄は純粋に驚いた表情を浮かべた。
「へぇ、驚いた。貴方が卑怯な手を使うような人間だったなんて。正々堂々が信条だと思ってたのに、ちょっと見誤ったかなぁ」
「確かに私は、こんな戦い方は嫌いだ。大嫌いだ」
本来ならば、晄黎もこんな戦い方をしたくはなかった。
目眩しなんて行為は正々堂々、己の力のみで戦えという師の教えに背く行いだ。誇り高き武人の風上にもおけない。
だがどんなに卑怯であろうと、無様であろうとも、負ける訳にはいかない。
香珠を守る為にも。そして己の自尊心を地に落としてでも祖国を守らんと頭を下げた梗玥の想いに報いる為にも。
晄黎ばかりが我が身可愛さに意固地になることは許されない。
「国を守る為ならば、私個人の矜持など取るに足らない小事に過ぎん」
「ご立派な信念ですね。それで? 僕を殺さないんですか?」
首筋に剣を突き付けられているにも関わらず、駿栄は顔色ひとつ変えずに尋ねた。
「僕が貴方の立場なら少なくとも脚と腕の骨を折るけどなぁ。逃げられたら面倒だし。あぁ、でもやっぱり殺しちゃうかも。両親を殺そうとした危険人物なんだから」
まるでさっさと殺せと言わんがばかりに煽ってくる駿栄に、晄黎の心は揺れていた。
陛下や母上を害したことも、香珠を鳥呼ばわりして見下したことも、決して許すことはできない。だが、それでも。
共に過ごした日々が邪魔をする。
駿栄の言う通り、逃げられないように脚を折るべきなのだろう。そうだ、正しいのは駿栄だ。
だが実行に移そうとするたびに、思い出がまるで走馬灯のように駆け巡るのだ。
わかっている。敵だ。全て演技だった。嘘だったんだ。それなのに、なぜ心はこんなにも不自由なんだ。
何故こいつを憎みきることができないのだろう。
頭では色々な考えが浮かんでは消えてを繰り返していたが、実際の時間にすればほんの僅かな沈黙だった。
晄黎は動揺を悟られないように感情を排した表情で告げた。
「……ここで今すぐお前を殺すことはしない。まだなんの情報も聞き出せていないからな」
「ふーん……ほぉーんとお優しいですよね。そういうのどうかと思いますけど、嫌いじゃないですよ」
駿栄は邪気のない笑みを浮かべると、袖口から短刀を滑らせた。
「なっ!?」
身動きを取ったことで刃が首に食い込んで切れてしまっても、駿栄は全く意に介さなかった。
気付いた晄黎が武器を取り上げるよりも早く、駿栄は香珠に向けて短刀を放った。
「え?」
突然のことに香珠は目を丸くして迫り来る刃を見ていることしかできなかった。
晄黎は刃が香珠に届くよりも速く、剣を投げつけて短刀を弾いた。
香珠を守ることはできたが、その隙を付いて駿栄は晄黎の拘束から抜け出した。
駿栄はまるで猿のように軽やかな身のこなしで屋根に飛び乗ると、下にいる晄黎に向けて手を振った。
「今日はこの辺りで退くことにしますね。それじゃあ、また近いうちに戦場で」
駿栄は一方的に話し終えると、背を向けた。
「待て! 駿栄!! お前は……っ、」
追いかけようと勢い良く立ち上がった晄黎だったが、視界がぐにゃりと歪んで膝を折った。
「くそっ、こんな時に……」
晄黎は地面に爪を立てると悪態を吐いた。
今駿栄を捕らえなければ後々厄介なことになる。すぐに駿栄が櫂琰国の間者であることを知らせなければならないのに。
止血をせずに動いたせいでより多くの血を失った晄黎の身体は限界を迎えていた。
「晄黎様! そのお身体では無理です!」
今度こそ香珠は駆け寄ると晄黎の横に膝をついた。
そうしてまじまじと晄黎の負った傷を見ると顔色を失ってしまった。
「私の血を飲んでください。このままでは危険です!」
揺れる視界の中、晄黎は短刀を拾おうとする香珠の手を掴んだ。
「晄黎様?」
「君の能力のことは母上から聞いた。私の傷を癒す代わりに君の寿命が削られるのだろう?」
香珠は罰の悪い顔をして黙り込んだ。
「もうこれ以上、君の血をもらう気はない。絶対に」
「私はあの日、晄黎様の腕を治したことを後悔したことはありません。私が自分の意思でやったことです」
「そうだとしても、君が傷付くことで悲しむ人間がいることを忘れないでくれ。陛下も母上も、勿論私も」
「ですが、すぐに治療しなくては……。酷いお怪我です……」
「大丈夫、死にはしない。止血さえすれば問題ないさ」
「でも、先ほどは、し、失血死するって……!」
嗚咽混じりに言葉を発すると、とうとう抑えが効かなくなったようで、堪えていた涙が堰を切ったようにボロボロと溢れた。
まるで幼い子供のように泣きじゃくる香珠を前に、晄黎は
言葉を詰まらせた。
駿栄め、余計なことを言ってくれたな。と、晄黎は朦朧とする意識の中で颯爽と逃げおおせた駿栄を呪った。
「あれは駿栄が大袈裟に言っただけで、死んだりしないから安心してくれ」
「……本当ですか?」
嘘を吐くのは忍びないが、晄黎は素知らぬ顔で頷いた。
これで少しは落ち着いてくれるだろう、と思ったのも束の間、香珠はさらに大泣きしてしまった。
結局晄黎の止血をしている間に泣き止んでくれたのだが、泣き腫らした香珠の目は真っ赤になっていた。
時折しゃくり上げ、鼻を啜りながら応急処置をする香珠に晄黎は申し訳なさを感じた。
晄黎は頬に残る涙の跡を拭おうと手を伸ばした。そして触れてから後悔した。
手についたままの血が香珠の頬に付着してしまったのだ。
「っ、すまない」
慌てて手を引っ込めようとすると、香珠に捕まえられてしまった。
香珠は血で汚れるのも構わず、晄黎の手を両手で包むと自らの頬に擦り寄せた。
「本当に、ご無事で良かった……」
安堵と哀情が入り混じった複雑な表情で香珠は声を漏らした。
「香珠」
名前を呼ぶと香珠はゆっくりと目を開けて晄黎を見つめた。
「君の命を縮めてしまったことに関して謝罪はしない。君の覚悟を無かったことにすることはできないから」
香珠は口を挟まずにただ静かに聞いていた。
「その代わり必ず、平和な世を築いてみせる。君に恥じない行いをする。私が道を誤りそうな時は諌めて欲しい。私の側にいて欲しい」
「はい、晄黎様」
香珠は泣き笑いしながら答えた。




