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黎明記  作者: 春咲 司


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25 前線にて

「今日も全く動かずか」


 稜雲は城壁の上から地上を見下ろすと溜め息混じりに呟いた。

 今日で榻鷣に到着して五日目の昼になるが、砦の前に布陣した敵兵は初日の襲撃以来全く動きを見せていない。


「ここで睨み合いをしているだけというのもつまらんなぁ」


 生え抜きの武人たる孫允は憤懣やるかたないといった様子で鼻を鳴らした。


「どうだ稜雲、こちらから仕掛けて蹴散らすか?」


「馬鹿なことを申すな。生き埋めになりたいか?」


 孫允の提案はただの冗談に過ぎない。それを理解しているので、稜雲は軽い調子で窘めた。


 眼前に広がる大地にはぽっかりと大穴が空いている。敵兵を一掃する為に柯墨が崩落させた結果なのだが、日が高いうちだと被害の様子がより鮮明に見てとれる。


 直径約二百メートルほどの大穴は完全に下まで抜け落ちており、時折端の方が崩れて砂礫が地下へと吸い込まれていく。

 城壁の上からは崩落に巻き込まれた敵兵がはっきりと見えるのだが、どいつもこいつも腕や脚がおかしな方向に曲がっていた。


「あれに巻き込まれて死ねなかった者は、地獄を見たであろうな」


 稜雲は顔を顰めて惨たらしい死体を見遣った。

 あんな状況で生き残ったところで外からの助けがなければ穴から這い出ることは叶わず、かといって救援を望むこともできない。


 地下通路は崩落した箇所以外にも広範囲に張り巡らされている。振動が加われば他の箇所も崩れる危険がある為、敵味方共に迂闊に近付くことができないのだ。

 仮に敵が味方を助けようとしたところで遮蔽物のない平野に出て行けば砦から飛来する矢の的になることは想像に難くない。助けたところで回復の見込みがある者がどれだけいるのかもわからないのに、行動しようという心意気のある者が果たして敵にいるかどうか。


 人質を使って開門を迫る卑怯な連中だ。自軍の兵であろうと平然と見捨てるような冷酷な人間の集まりに違いない。

 中にはそうでない者もいるのだろうが……。


 稜雲はぼんやりと顔も名前も知らない敵兵のことを思った。しかしすぐに考えることをやめた。

 稜雲は大司馬として戦って祖国を守る為にここにいるのだ。敵兵の心情を慮ったところで剣が鈍るだけである。


「うーむ……あれに巻き込まれていたらと想像したらなんだか薄寒くなってきおったな……。柯墨! なんか羽織るもの持っとらんか?」


「このような時期にそんなもの持っておりませんよ。腕立て伏せでもなさったらいかがですか」


「おぉ! そうか、その手があったか」


 冷たくあしらわれたのを気にした風もなく、孫允は目を輝かせた。

 素直に腕立て伏せを始める大男の姿に、稜雲はなんだかなぁ、と天を仰いだ。

 ほんの五日前には国家存亡の危機に瀕した祖国を守るべく城を出立した。この道の先には熾烈な戦いが待ち受けている、そう身構えていたのだが、最前線は今日も平和である。


 しかし敵が全く動きを見せないというのも不気味である。いくら崩落の危険があって攻め込むことができないといっても、他の場所から侵入を試みるなり、威嚇をするなりあってもいい筈だ。


 何事も起こらなければいいのだが。

 そんなことを考えていると、視界いっぱいの蒼穹に鷹が一羽飛び込んで来た。

 ピィーっという声を上げて上空で旋回している。

 楼蘭に送っていた鷹が戻ってきたのだ。


 稜雲は空に向かって腕を伸ばすと、鷹は一直線に降下して鋭い爪を立てて腕に掴まった。

 猛禽類特有の立派な脚には革の手紙が括られていた。


 稜雲はしっかり仕事をこなした伝達係に褒美の肉を与えると、手紙を広げた。


「何が書いてあるんだ?」


 腕立て伏せを続けたまま孫允が尋ねるので、稜雲は胡乱な目を向けた。


「いつまでやってるつもりだ?」


「あと千やったらやめる。で、何が書いてあるんだ」


「それ以上筋肉が付いたら逆に動きが悪くなるのではないか、まったく……。梗月王子を連れた駿栄が楼蘭に到着したらしい。これから太子や各官と会談するそうだ」


 稜雲は呆れつつも、内容を答えてやった。


「あの景南の王子との会談か。我が国にとって吉と出るか凶と出るか、わからんな。……どうした柯墨、小難しい顔しおって」


 孫允の言葉につられて柯墨の顔を見てみたが、普段通りの能面である。


「いつもと変わらないではないか」


「何を言う! 三割増しで目つきが悪いではないか」


 ほれ! よく見てみろ! と孫允が強く促すのでもう一度、柯墨に目を向ける。しかしどう見ても普段との違いがわからない。


「……三割は微妙な変化だろう」


「いや、よく見ろ、あの不機嫌そうな目を! 睨んでいるではないか」


 それはお前の発言のせいではないのか? と稜雲は心の中で突っ込みを入れた。


「孫允様。しれっと悪口を言うのはおやめください。……少し気に掛かるのです。あの男」


「あの男? 誰のことだ。ここはどいつもこいつも野郎ばかりだからちっともわからん」


 あっけらかんと口にする孫允に柯墨はちらりと目をやると、すぐに視線を逸らした。


「孫允様。貴方は短絡的で、声が無駄に大きくて、人の話は全然聞いて下さらないし、酒に酔っては人に絡んでくる上に、そこいらで眠りこけて身ぐるみ剥がされるようなどうしようもない人ですが」


「おい、酷いぞ柯墨。仕返しのつもりか?」


「上官である孫允様が剣を向けられ罵倒されれば私であっても腹に据えかねるものがあります。しかしあの従者、主が稜雲将軍に詰め寄られてもピクリともしませんでした」


 確かにあの時の従者は、一言も口を開かなかった。身の程を弁えていると言えば聞こえはいいが、見方によっては忠誠心が欠けているようにも思える。

 思い返せば不可解なことである。


「……つまり?」


「最初に言ったではありませんか。少し気に掛かると」


 孫允が言葉を促すと、柯墨はやはり無表情のまま言葉を並べた。


「ところで孫允様。今何回目ですか?」


 そういえば話している最中もずっと腕立て伏せを続けていたな、と稜雲は孫允を見遣った。


「そんなもん、喋っていて忘れた」


 堂々としたその物言いに、稜雲は額に手をやり天を仰いだ。


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